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外伝

梟の啼く声 2

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 薄暗い部屋に詰め込まれたたくさんの子供達。


 どの子も皆不安顔で、その部屋の中で一番大きな少年に縋りついていた。
 ──そして、扉が開くたびに一人ずつ外へ連れた。
 最後に残った二人のうち、小さい方が選ばれて男に手首を握られた。子供は泣き叫んで抵抗したが、引きずられるようにして外へ連れ出された。
 ──そして、泣き続ける子供の声が唐突に途切れた。
 少年は、何故か部屋の扉が中途半端に開いていることに気付いた。そして、開いた隙間からそっと外の様子を伺った……。
 声を押し殺し、恐怖に両の眼を見開いて。




 
 テント内の心許無い明かりが風に揺らいだ。入り口に下ろされた防水布が上がり、外に居た傭兵が腰をかがめながら中へ入ってきたのを、ルイスは顔をあげて見た。
 入ってきたのは部隊長だった。名はエヴァンズ。
 歴戦の勇者だったが……気の毒にとルイスは思った。彼が今夜このテントにまわされたのだ。朝までには確実に負傷者の方へ仲間入りだ。……いや、死体の方へと言った方がいいだろうか。


 新月の夜は地獄の扉が開くという。


 貴人を守るために配置された傭兵の部隊や騎士達も、皆、テントの中に横たわる負傷兵達と同じ運命が待ち構えていた。
 与えられた任務はテント中央の腐った貴族を朝まで守り通すこと。
 だが、傭兵達が考えているのはどうやって朝まで──生きて──やり過ごすか、ということだった。……少なくとも、ルイスはそうだ。
 ルイスはテントに入ってきた部隊長の姿を目で追った。
 鎖帷子の上にブレストメイルを身につけている。重装備だ。篭手に楯。その他考えられる限りの防具をつけ、それらが歩くたびに擦れ合い、無愛想な音を立てていた。それら身を守る道具は、人間同士の戦いなら効果もあろうが、今夜これから相手にする敵に対しては気休めにしかならない。身に着けていれば、安心感がある……そんな程度の代物だ。走って逃げるには身軽な方がいいだろうに、あまりの装備の重さに、狭いテントの中がますます狭苦しくなったように感じた。
 エヴァンズの後ろにもう一人がテントに続けて入ってきた。──かなり若い。少年といっていい。
 ルイスはその少年の方に目を向けた。彼の隣に座っているヘイワードも同じように彼のほうを見ていて、ルイスの隣で小さく口笛を吹いた。
「……すげぇ……」
 ヘイワードの呟きは聞き取れないほど小さかった。
 普段は腹の立つ皮肉ばかりを口にする男だが、この言葉にはルイスも同意見だ。入ってきた少年に目を向けた者達全員が同じ意見だったろう。

 少年は黒髪に青い瞳をしていた。

 薄暗い明かりの中でもそれと分かるほど鮮やかなブルーだ。その瞳は、一度目にしたら一生忘れないだろうという程印象深かった。
 確かに目立つ顔立ちをしてはいたが、ヘイワードの言葉は顔立ちを言ったのではない。
 少年の纏う空気は切れるように烈しく、ブルーの瞳が見つめる物は何もかも射抜かれてしまいそうに思えた。
 ──まるで手負いの獣だ。触れる者何もかもを切り裂いてしまいそうな。そんな印象を与える少年だった。
 少年の周囲には、獲物を狙う妖獣が襲い掛かる寸前のような、そんな剣呑な空気を孕んでいた。
 テントを小さな雨粒が叩いた。
 ルイスが頭上を仰いだ。今夜は雨……いやな夜になるだろう。新月ということも手伝って、外は一層暗い。
「今夜の守備隊長を務めます。エヴァンズです」
 部隊長は貴人の前で自己紹介をした。体半分ほど後ろを振り返り、自分の後ろに控える少年の名を告げた。
「こちらはターナー。今夜、貴方のそばを守ります」
「そんな餓鬼がか!」
 貴族は声高に言った。こんな時、こんな場所でさえ──だからこそ──威張り散らさない訳にはいかなかったのだろう──。
 エヴァンズはムッとした様子も見せず頷いた。
「黒魔法使いです」
 何の修飾もない短い語句。だが、その言葉が人々に与えた衝撃は大きい。
 ルイスの場所からでは見えなかったが、貴族も、護衛騎士も顔色を変えたようだった。息を呑むような空気が、テントの中央のみならず、テント内すべてに広がった。エヴァンズはもう一度頷いた。
「……本当だろうな……」貴族が声を絞り出した。
 『魔法使い』は七種ある色魔法のうち、二種以上の魔法を使う術師のことだが、そもそも魔術師でさえ数が少なく中々お目にかかることはない。しかも戦場でとなるとなおさらだ。
 通常、こんな前線にまで出てくるような魔術師はいなかった。──しかも『魔法使い』など。
 エヴァンズはにべもなく頷いた。
「はい。彼が貴方を守ります。必ず。……朝まで。」
 ターナーと呼ばれた少年は僅かに顎を引いて頷いた。貴族は半信半疑ながらも横柄に口を開いた。
「必ずだぞ!」
 エヴァンズがもう一度頷いたその時、テントの外が俄かに騒がしくなり、幾つもの悲鳴や怒号が続いた。テント内が騒然として、エヴァンズが振り返った。
 ルイスは剣の柄を強く握り締め、いつでも立ち上がれるように立てた片膝に力をこめた。
「花虫(フラワーワーム)だ──!」
 幾つも重なる声の中から、その声が届いた。声は意外なほどに近かった。
 ぎょっとしたルイスが体を浮かすのと、地面が大きく撓むのとは同時だった。

 ──たった今まで、何の音もせず何の前触れもなかったのに。ルイスはそう思った。
 そして。
 そう思っている間に、テントの下の地面は大きく上に持ち上がり、地面は一気に崩れ何もかもを飲み込んでいった。



 崩れた地面の一角でルイスは気付いた。
 周囲には崩れたテントや人々が折り重なるようにして倒れている。
 呻き声を上げている者も、立ち上がろうともがいている者も、もはや動かなくなった者もいた。
 新月とはいっても、屋外では完全な闇にはならない。
 いつもよりずっと暗いが、闇に慣れた目で凝らして見れば、動く影や崩れたテントの輪郭などは何とか見えた。なにより、騒然とした雰囲気と逃げ惑う人々の声やさまざまな音は、多くのことをルイスに伝えてくれた。
 激しさを増してきた雨粒がルイスの頬を叩いた。
 ルイスは倒壊したテントの隙間から這い出ると、崩れて脆くなった足場を踏みしめながらこの場を離れようとした。
 幸い大きな怪我はなさそうだった。
 打ち身や小さな傷なら山のように出来たようだったが、痛みもこんな局面に立ったときには左程気にならない。剣を握り締め、体を引きずるようにして立ち上がった。
 突然目の前の土が盛り上がり、飛び散った土くれが雨のように降り注いできた。姿を現したのは四百クヌートはありそうな巨大な地虫──花虫だった。
 蛆のような体。
 目はなく嗅覚で獲物を追う妖獣。
 口にびっしりとついた巨大な赤い牙。
 獲物を狙って広げた牙の様子が、まるで咲き誇る花びらの花弁のように見えることからついた名だ。その鈍重な外見からは信じられないほど俊敏に動き、凶暴で貪欲。なによりその外見が人間の嫌悪を誘った。
 ルイスにとって残念なことに、その白い巨体は闇にもよく浮かび上がり、ぞっとするような恐怖心を与えた。
 巨体が不気味な咆哮をあげてルイスめがけて突っ込んできた。
 叫び声をあげながら横に飛びのき、間一髪で花虫から逃れた。頭から地面に倒れこむ。すぐそばで悲鳴が上がった。
 たった今、自分が飛びのいた。ルイスが元居た場所からだった。テントの瓦礫の下に居た誰かが犠牲者になったらしい。恐怖に駆られたその悲鳴にルイスは覚えがあった。テントの中で「死んでたまるか」と呟いていたあの男だった。
 花虫が頭を上げた。足を噛まれたその男が逆さ吊りにされて振りあげられた。それに悲鳴が続いた。
 ルイスは咄嗟に手を伸ばして男の腕を掴んで引いた。タイミングよく掴んだのか、男の運が良かったのか。男がルイスのほうに倒れこんできた。
「た、助かった……!」
 男が掠れた声で喘ぎながら言葉を搾り出した。
「す、すまん──」
 立ち上がろうともがきながら感謝の言葉を口にする。それは恐怖に引きつった途切れ途切れの声だった。
 それはルイスにとっては信じられないような行為だったが、本当に思わず。咄嗟に手が出てしまったのだった。
 男が再びうわずった悲鳴を上げた。花虫が再び頭をもたげると二人の方に向かって頭を振り下ろした。
 男が錯乱したような悲鳴をあげながらルイスを花虫に向かって押し倒した。足を引きずりながら半ば這うようにして逃げ惑う。
 咄嗟のことで面食らったルイスは、それでも自分を飲み込もうと迫ってきた花虫の牙に、握りこんで放さなかった剣を鞘ごと突っ込んだ。剣が巨大な牙に挟まり僅かだが花虫の動きが止まった。体が剣と牙の間に出来た隙間に収まったおかげで九死に一生を得た。
 ルイスは時を逃さず花虫から逃れ、声を飲み込んで走り出した。心の中で自身に向かって罵声を浴びせながら。
 別の花虫が、違う方向に向かって逃げたあの男を頭から飲み込んだ。
 今度は、ルイスは振り向くことも男を助けることもしなかった。少し離れた場所で男の断末魔があがる。助けを求める声が最後まで続いていた。
 その声にルイスは同情も何の感慨さえも、振り返ることさえもせず走り去った。

 腹に受けた傷口が痛んだ。
 血の匂いを追って、妖獣どもがどこまでも追いかけてくるだろう。
 烈しくなった雨が容赦なくルイスに降り注ぎ、体温を奪っていく。息が切れ、頭が割れるように痛んだ。呼吸を整えようと立ち止まり喘ぐように空気を吸う。
「見捨てたな」
 すぐ近くで、ヘイワードの声がした。少し離れた場所に、ルイスと同じように息を切らせながら大きく方を上下させているヘイワードが居た。ぎらつく目でルイスを睨みつけている。
「『裏切り者』め……!」
 ルイスは地面に向かって唾をはき捨てて、ぞんざいに答えた。
「……へっ! 言ってろよ! 貴様も同類だろうが! 大体奴だって、俺を花虫に向かって突き飛ばしたんだぜ! 助けてやる義理はねえ……!」
 ルイスの胸にくすぶるような感情の渦が巻いていた。ルイスは燃えるような瞳でヘイワードを睨み返した。

 助けてやったのに。

 その言葉が浮かび上がる。
 それなのに、すぐに俺を突き飛ばした。
 ──結局、誰も皆同じなのだ。
「どんな綺麗ごとを言ったって、どいつもこいつも皆同じだ。反吐が出るぜ……!」



 
 
 眠る前まで一緒に手を握り合っていたその幼子。ひもじいのを我慢して自分の取り分の食事を分け与えてやった。
 今も自分の手を握り締めたまま、もう二度と目を覚まさない。硬く凝ったその小さな指を何とか引き離して立ち上がった。
 体中が痛んだ。
 僅かな食料を取り合い、騙し合い、奪い合って。まともな所が無い程痣だらけだった。体を丸めあって、眠りについたその姿勢のまま固くなってしまった名も知らぬ子供を一度だけ振り返った。
 ……何故だろう。
 最初の頃は涙が出たのに。
 瞼が腫れて、何日も腫れが引かない程泣いたのに。


 一体いつから泣けなくなった。
 


(3へ続く)
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