上 下
108 / 131
第4部 アマランタイン

第4章 語られる事もなき叙事詩 3

しおりを挟む
 城門では激しい攻防が繰り広げられた。とは言っても、国同士が行う戦乱や大規模な戦には到底及ぶべくもなかったが。
 攻め入る反乱軍の数も、城を守る兵士の数も。あらかじめ戦の開戦を予定して行う通常のそれとは規模が違い、戦の様もずっと小さく、大規模な戦闘を経験している兵士からすれば、きっとお遊び程度のものでしかなかった。
 通常の戦であれば大規模な布陣を敷き、歩兵・装甲兵・戦車・魔術による布陣等が、あらかじめ立てられた作戦に従って並び、隊毎に巨大な軍旗がひらめき、勇士を鼓舞するための楽隊が腹に響く太鼓の音を響かせ、国の威信をかけた壮麗な様を見る事が出来る。そして、開戦を前にしたある種の高揚感も。
 だがこの戦にはそのどれもが欠けていた。
 城門のすぐ傍から怒りの咆哮と雄叫びをあげながら、城下の細い路地のあちこちから、湧いたように民衆は現れた。
 彼らは粗末な武器を掲げ、戦を鼓舞する太鼓の代わりに鍋を叩き、隊列も何もなく、叫び声をあげ波のように城門へ向かって押し寄せた。
 目立った指揮もなく、引率する者の姿もない彼らのその様子は、家の窓を僅かにあけて様子を伺い見る怯えた人々の目には──傾いた国政に対する民衆の怒りがついに爆発しただけのように見えたが、見る者が見れば、民衆の中に幾らかの先導者が存在し、彼らが民衆を統率だてて動かしているのだと気づいただろう。
 元来が城塞都市であるネリスの城門に堀はない。
 民衆は雄叫びをあげながら城門を数で押し、僅かにあいた隙間から巨大な丸太用の片引き鋸が差し込まれた。あらかじめ魔法が施された鋸は、鉄板を巻いた閂を刻み始めた。それを門の向こうから押し戻そうとする兵士たちと、押し開こうとする民衆たちとの間で、派手ではない争いが繰り広げられた。
 城壁の上の挟間からは真下へ向けて矢が雨のように放たれた。
 人々が真上に向けて構えている大楯は兵士たちが使う鉄板で補強したようなものではない。大抵は戸板を外しただけの急ごしらえのものだが、中には革を張った物もあった。矢だけではなく鉄の大礫に火矢も射かけられた。
 人々は悲鳴をあげながらも城門を襲う手を緩めようとはしなかった。
 彼らにとって幸いだったのは、敵である城の兵士は全員城内に居て、周囲から剣で襲いかかられることがないという事だった。攻撃は上からだけでそれにさえ耐えればよい。
 剣の争いに慣れない民衆にとって──そういう面ではこの奇襲は──奇襲を考えた指導者の計算通りのものとなった。だから、通常の城攻めで行うような、城壁に梯子をかけて挟間に立つ兵士を倒すための攻撃などは一切行われなかった。
 それに城内にいる兵士の数が、たとえ民衆の襲撃を予想して普段よりも多く配置されていたとしても、城内に千人も二千人も兵がいるわけではない。──おそらく500人にさえ届かないはずだ。
 兵士と民衆の数だけを問題にするのなら、間違いなく、民衆の方が数の上では多かった。
 虐げられ過酷な日々を運命づけられた民衆の怒りは、狂ったような叫び声をあげ、それは風のうねりの様な音になって城下に響いた。そこかしこの露地から武器に使えそうなものを手に握りしめた男たちが──中には女たちさえ──躍り出て、その一団に加わり始めた。
 民衆もただ上からの攻撃を甘んじて受けてはいるわけではない。松明に火を灯して城壁の挟間へ向かって投げつける者もいた。どこからか手に入れたらしい弩(おおゆみ)で狙いを定める者もいた。弓を使って兵を射る者も、もちろん居た。
 そうやって双方がじりじりと膠着した争いを繰り返し、しばらくの後に──ついに城門の閂が破壊された。人々の声が一層高くなり、数で勝る民衆の力が、押し流される様にして扉が開いた。
 城門が開くと同時に民衆を扇動していたルイスが声を張り上げた。
「剣を抜け!」
 声を合図に次々に剣が抜かれた。頭上高くに剣をかざし、人々が一斉に声を上げた。押し開かれた門の向こうでも兵士たちが次々に剣を抜いていく。
 響き合う金属の音に甲冑がこすれる音が重なり合った。
「──行けっ!!」
 合図とともに民衆は声をあげ咆哮をあげながら勇猛に城門を走りくぐった。
 甲冑もなく、ろくな楯もなく。身を守る防具を身につけられるものなど殆どいない。それでも彼らは誰一人ひるまず、瞳を怒りに燃えたぎらせ、この日のために用意した剣を掲げて城門を抜けた。
 上から次々と矢が射かけられ地面に倒れても、その上を飛び越えて城内に突き進んだ。
 兵士が易々と剣を構え、民の胴を切りつける。切りこんだ剣を相手から引き抜く前に、次にやってきた民が数人がかりで兵士に武器を振りおろした。
 そういった血生臭い光景が──同じ国の民同士の争いが──城門を抜けた先の広場で始まった。
 次々と悲鳴があがり、死体の山が築きあげられていった。ここかしこで血潮が泉のように吹き上げ、凄まじい血臭が瞬く間に充満した。
「王の間を目指せっ!!」
 再びルイスが声を張り上げた。この騒ぎの中ではその声は人々の耳に届くはずもなかったが、それでも彼は手近な者に次々と声をかけていった。
 怒りと血の匂いに我を失った民衆の矛先は目の前の兵士に向かっていたが、城中の兵士を皆殺しにすることがこの襲撃の目的ではない。捕らえられたアレクシスの救出というのはきっかけに過ぎず──これは人々が圧政を敷いた王を玉座から引きずりおろす事が目的なのだ。そのためには、玉座の間を目指さなくてはならなかった。
 こういった城攻めで城を落とすという事は、玉座を獲った側が勝者となるのだ。王は玉座に座り指揮をとる。玉座を獲るという事は、すなわち、王の首を獲る事でもあった。
 玉座を目指す人の流れが僅かでもできれば、流れは大きな川のようになって、民衆はそちらへ向かって動き出す。
 兵士だけの戦は勿論、こういった兵士以外の者──民衆が主な戦をも、何度も経験してきたルイスは、そういった人々の心理や動きも熟知していた。
 徐々に人の流れが変わっていく。
 主塔の玉座目指して走り出す人々に気づいて、新たに他の者もそちらへ向かって走り出した。マダム・ペリペが用意してくれたレジスタンスの為の商家を立つ前に、彼らには何度も玉座を目指すよう言い渡してあった……それを思い出したのだった。
 人々は走った。
 彼らの未来を手に入れるために。
 自由を手に入れるために。
 民衆はあらん限りの声を張り上げ、大きな川の流れのようにうねりながら主塔を目指し始めた。




 重なり合うその剣の重さは異様なほどで、アレクシスは辛うじて剣を取り落とさずに身を引いた。体制を崩しながらも何とか数歩後ろへ下がる。
 素早く動かなければ、相手に続く攻撃の手を許してしまう。
「ハイ・パワーか……!」
 腕の先までしびれる痛みを感じながら、アレクシスは掠れた声を絞り出した。
 目前の敵──このネリスの勇者フェルク・ワーナーが不敵に笑った。
 アレクシスの渇いた喉に痛みが走った。以前この男と戦った時にも思ったが、本当に嫌な男だ──。戦(いくさ)に際して抜けがなく、そして実に周到だった。
 平常時と変わらぬ穏やかで優美なその表情で、真実の思惑を隠し敵の裏の裏、先の先を読んできちんと手を打ってある。
 戦いが長引かず、そして確実にアレクシスを討つために勇者はあらかじめ……彼らの前に出る直前に、自らにハイ・パワーの魔術を施したのだ。
 勇者が憎々しげに唇の端で笑った。
「それでも避ける君が憎いね──普通の相手ならば、一撃で骨まで砕くものを」
「だろうとも」アレクシスは答えた。
 何も知らぬ相手に、ハイ・パワーを使った剣士が切りかかれば、『骨まで砕ける』どころか易々と『胴が上下二つに分かれる』だろう。
 アレクシスがこれに耐えられたのは、勇者の剣を正面から受けるのではなく、咄嗟に受け流したからだ。それでも運が悪ければ、腕の付け根から骨が砕けていたはずだった。
 アレクシスはじりじりとワーナーとの距離をとりながら、剣を取りこぼさぬよう柄を何度も握りなおした。
 たった一度剣を交えただけで、肩から下にまともに力が入らなかった。掌全体の骨が砕けたのかと思うほど痛む。剣を構えなおすどころか取りこぼさぬようにするのが精いっぱいだった。
 その様子を見てワーナーが薄く笑った。「次で最後だ」そう言って剣を横に構える。切っ先を上に向けるのではなく、まっすぐにアレクシスに向けて。上段の構えでさえない──バスタードソードを扱うには珍しい独特の構えだった。
「どうかな」腕の痺れが戻るまで、僅かな時間も稼ごうとアレクシスが応じた。
「ハイ・パワーはリスクの高い魔法だ。効果時間内にケリがつかなければ、負けるのはそっちという事になる」
 以前にアレクシスが使った時もそうだったが、ハイ・パワーの魔法は魔術によって一時的に強力な腕力を与えるが、効果時間が経過すれば筋肉の酷使による痛みで手ひどい目にあう事になる。ほんの数回連続して使用すれば筋が千切れ、二度と使いものにならなくなるのだった。よほどの者でも、連続して使えるのは二度が限界。その後は死ぬような痛みに長い日数耐えなければならない。
「君さえ倒せるのならば──」己に与えられている時間が短い事を知っていて尚、ワーナーはゆっくりと答えた。「後の事は差ほど問題にはならない。なぜなら……私がこの国を滅ぼすのに、君以上の障害はないからだ」
 そう言ってワーナーはトリニティとセリスの二人の王女に僅かばかり視線を移した。
「君を倒せば、後はもう、私にはか弱い二人の王女しかいない。彼女らをすぐに殺せば、私の悲願は達せられる」
 殺す──。
 あっさりと出たその言葉に、アレクシスは顔を歪めた。
「──貴様っ!」
「私が殺すと言ったのがそれほど気に入らないのかね? だが、たったそれだけの事でこの国は滅びる。なぜなら、あそこにいる女神と呼ばれる女性も含め──魔王達は、驚くほど一途で、驚くほど融通が利かないからだ」
 アレクシスは自分の後方に居る二人の魔王の事を思った。
「……それについては確かに同意見だがな……」
「あの一途で愚かな魔王は、自分が守護する者が地上からいなくなれば、もはやこの国を地上に存続させる気などサラサラない。旧王家の直系である君や、旧王家の血を体の内に取り込んだ彼女ら執政王家の血筋が途絶えればすべては終わるのだ」
「だったら……! だったら、なぜ貴様はここまでやった!? この国の民をこれほどまでに多く殺す必要などなかったんじゃないのかっ!?」
「言ったはずだが──それは私がやったことではない。それはセリス王女がした事だ。私はただあえて止めたりはしなかったというだけだ」
「──この国の民など、みな死に絶えればよいのです! それがわたくしを嘲り、虐げた報いですわっ!」
 セリス王女が狂ったように叫んだ。狂気じみた声はすぐにすすり泣きに変わる。両手で顔を覆って肩を揺らす妹を、トリニティが抱え込むようにして抱きしめていた。
 アレクシスは怒りに声を荒げた。
「貴様っ! それがこいつに向かって言うセリフかっ!? こいつはあんたの為に城へ戻ったんだ。あんたの為に国を傾けた。何もかもあんたが望んだからだ! こいつはあんたの望みをすべて叶えようとした。なぜなら──!!」
「──おっしゃらないで!!」泣きながらセリス王女が叫んだ。「お願いです!! 仰らないで!」
「こいつには──あんたしかいなかったからだ」
 トリニティは弾かれるように妹を見た。
 セリス王女は両手で顔を覆って啜り泣いていた。トリニティは心の中でああ…と呟いた。そうだったのか……と。
 『傾国』の烙印を押され、社会的に抹殺された幼い王女の過酷な日々。『神の愛娘』とまで呼ばれた、それまでの賞賛が嘘のように、民に嘲りを受ける日々。何の縁故もなくただ一人放りこまれた閉ざされた修道院での生活は、外部とは一切隔絶された世界故に辛酸な日々だったのに違いない。
 そんな中で彼女の世界の中にたった一人、変わらぬ繋がりを持ち続けた人物──それがワーナーだ。幼かったセリス王女の心の中で、ワーナーが世界の中心にならぬはずがなかった。
 それなのに。
「……なんてひどい」
 氷のように冷めた瞳でワーナーが目を細めた。
 そこには一切の感情が切り捨てられ、何の感慨もわき起こっていない事が見て取れた。
 それを見たアレクシスは怒りに歯を噛みしめた。
「あんたはそれを知っていて──それを知っていて、こいつを利用したんだ……!」
「──当然だ」
 ワーナーはあっさりと答えた。
「そうなるよう、長い年月をかけたのだ」
「貴様っ!」
 アレクシスは再び剣の柄をきつく握りなおし、振り上げた。
「セリスだけじゃない! トリニティにしたってそうだ! あんたが今言ったように、なんの腕力もない王女など、いつだって殺す事が出来た筈だ! 最初から殺す気なら、八年にも渡って苦痛の日々をこの姉妹に与える必要などなかった! あんたがトリニティから旧王家の血を抜いた八年前に、それが出来た筈だ! それなのに、何故今までにそうしなかったっ? 何故、今まで放っておいた!? あんたの望みがこの国を滅ぼす事なら、これ程長い時をかける必要などなかったはずだ──っ!」
 両者の間に短い沈黙が落ちた。
 ワーナーはごく短い間だったが、何かに躊躇うように……あるいは、自嘲めいたように瞳を昏く曇らせたあとゆっくりと口を開いた。
「この姉妹に長い苦痛を与えたのは、単に復讐がしたかったからだ」
 短くそう答える。そして剣を構えた腕をすっと後ろに引いて腰を落とした。勇者がアレクシスを見つめる瞳が、射抜く様に鋭く光った。
「……私や血族が味わった苦痛は、きっと君のそれと同じだ。世界を呪い、滅ぼしたいと願うほどのそれと」
 アレクシスは舌打ちして、まだ痺れの抜けきらない腕を構えた。
 勇者が踏み出した右足に体重がかかる。
「違う!!!」
 アレクシスは叫んだ。胸の内に重く鈍い痛みが疼く。アレクシスにはワーナーの言った言葉の意味が嫌というほどよくわかった。確かに彼自身、それを思った時はあった。
 だが……。
 自分の気持ちを振り切るように、アレクシスは『ハイ・スピード』の呪文を唱えた。



(続く)


+-----------------------------+
|        「語バラ(裏)」    
+-----------------------------+

『裏』

次回持ち越し。

しおりを挟む

処理中です...