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外伝

後日談 1

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    ネリスの王城内にある応接室で、4人の男達が話し合っていた。
    応接室と言っても、元々が城砦だった城だ。数度の改築を経てもなお、元々の室内の無骨な作りや簡素さは変わらなかったが、それでも、外国の賓客がもてなせるように、質の高い調度や絨毯、タピスリーなどによって、室内は落ち着いた雰囲気になっていた。
    男の内の一人が言った──アレクシスだ。
「では、出発は明後日になるのか」
    そっけないその言葉に、クリスター卿が頷いた。
「ええ。随分この国にお世話になりましたが、いい加減戻りませんと。陛下のお怒りの顔が、瞼の裏に浮かびます」
     顔は相変わらずの笑顔だった。あの、清々しいまでに無邪気で、人懐っこい笑顔だ。だが室内に居るメンバーの事を考えれば、逆に作為的だった。そして他の3人はそれを充分承知しているだけに、卿の笑顔の威力は発揮されなかった。ルイスなどは胡散臭そうな表情を隠そうともせず、半眼で卿の事を見ていた。
「しかし、ターナーが王族だったとは……。いやはや、流石の儂も二の句も継げんな」
    そう感慨深げに言ってソファに深く背を預けたのは、深い黄金色──ケバケバしくはなく、ずっと落ち着いた色だ──のローブを身につけた老年の魔術師だった。ローグ・フラグェイ。ワーナーズタワーの教授を務める彼は宮廷魔術師の一人でもあり、この国を動かす政治家の一人でもある。
     彼は先王執政の末期、次々と重臣が些細な事で処罰された、あの恐慌の日々の中を無事乗り切った数少ない執政官の一人だった。
    あの時期。ネリスに忠誠厚く王への忠臣の義務を果たそうとした者達ほど、率先して処刑されたが、この老魔術師は王の恐慌が始まった頃には、老齢ゆえ、残念なことに体調を崩し出仕できず、つい先頃──王権の交代劇の終わった頃に──体調を取り戻して再び出仕するという、本人曰く、実に運の良い、強運の──したたかさとも言うが──持ち主だった。
「だがそれはそれで、今後に色々な問題を抱えているという事でもある。はっきり言ってしまえば、なかなかに厄介な事だ」
    老魔術師の言葉に、アレクシスは表情を険しくした。それは勿論、アレクシスにもよくわかっていた。
    アレクシスとワーナー。二つの血統の旧王家。そして、トリニティが城の地下牢(ドンジョン)から持ち帰った……いつかの時代に失われた、王権の証。
    それらが自ずと指し示す出来事──。
    つまり、旧王家と現在の執政王家の交代が、正当な事由によるものではなく、かつての執政が王を弑逆し、その後、王家を簒奪したという事実──。
    アレクシスの家系が魔王ブラックファイアを封じるためにその地位を捨てた兄王子の末裔であるのだから、勇者ワーナーの家系は兄に代わって王位を継いだ弟王子のものという事になる。
    伝承では、王は子を為さず早生し、王位を継ぐ者がいなくなったために、執政が亡き王の遺志に従って王位を継いだ事になっているのだが、ワーナーが市井に暮らし、しかも執政王家の滅亡を願っていたというのなら。それはつまり、弑逆された王には子がいたが、暗殺される手前で逃げ延びたか、あるいは。影武者が暗殺され、本当の王子は逃がされたかしたという事だろう。──どうせ、女神イシリは知っていたはずだが。
    失われたはずの王族が見つかることは、普通ならば良いことなのだろう。だが今回の場合、フラグェイ教授の抱く懸念の方が正解だろう。アレクシスも同意見だと思った。
「分かっている」
    アレクシスは不機嫌な声を隠しもせずに口を開いた。別に怒っているわけではない。容易く想像される、これから起こるであろう近い将来の事を考えると、気分も沈むというものだ。
「……俺の事は何も言わない方がいい。俺は単なるあいつの魔導師だ」
「言うも何も……」老魔術師は少々呆れを含んだ声で片眉を上げた。「城が解放されたあの日、あの場所に居た者の中で、聡い者ならそれなりに気付くだろうに」
「皆が皆じゃない」
「執政に関わっている者ならば、大半だ──というか、気づかないような者なら、政治に関わっていない」
「だが、一度も公には口に出していない」
「だからと言って、皆が目にした事実を、無かったことにしてしまえるとでも……」そこまで言った老魔導師は、一度呼吸を止めて、ゆっくりと嘆息した。「勿論、儂とてお前の心配は分かる。儂も同意見だ」

    この国の新しい王はトリニティだ。それは誰であっても一致する意見だろう。
  だが、執政王家がかつて王位を簒奪した一族で、旧王家の末裔がいま目の前に現れたとしたら。
    旧王家の王族がいるのなら──ましてやこの国は、魔王イシリが旧王家の血脈をのみ守護する一族だ──正当な方を王に、と考える者が出るのは当然の帰結だった。……この国の政治に関わる者ほどそう考える筈だ。

    そして、その両者が男と女という形で彼らの目の前にいる。

    ならば、本人達の意思を無視してでも、二人を結びつけてしまえば問題は解決だ。これなら、今後も執政王家を存続させることへの言い訳も立つ。
    だがそれでもまた、どちらを王に、という問題が湧いて出るのだ。
    夫婦で、男の方が正当な血脈ならば、そちらを王に据えれば良いではないかということになる。一方で、トリニティは第一王位継承者だ。常ならば、彼女が次の王だ。
    どちらが王になっても悪くはないだけに、要らぬ騒乱を生むのは目に見えていた。先王の失政の騒乱で、この国は今、国そのものが瓦解してもおかしくない程に荒れている。次の王を誰にするかで揉めてている時間はない。そんな事に時間を使っている間に、本当に国が滅んでしまう。
    頭の痛い問題だ。
    なお一層始末の悪いことに、男と女の二人が──つまりはアレクシスとトリニティだ──互いに想い合う仲なのだから、一層困った事なのだ。
「……一番いいのは、お前がこのままこの国から姿を消す事なのだが……」
    そうすれば、この、旧王家と執政王家の問題は簡単に解決する。
    アレクシスにだってそれは分かっている。実際、そうしようとして一度はトリニティの前から姿を消したのだ。
    だがそれは女神イシリの加護をこの国が失うという次の問題を発生させる事であり、それは全くもって看過できないことだった。
    トリニティはあの日、確かにイシリに頼らなくても良い国造りを目指したいと口にはしたが、それとこれとはまた違う。
    ……本当に、どうしたらよいのか、どのように転んでも、頭の痛い問題だった。
    それに。
    一度はトリニティの前から去ったが、彼女が自分を迎えに来た事でアレクシスは地上に戻った。一度は手放す決意をしたものが、再び手の中に落ちて来たのだ……もう、今更手放すなど無理だった。
    老魔術師が深く嘆息する。
「それも無理だな……。この国の今後に、お前は必要な人材だ。……血筋を抜きにしても。お前は王女の剣なのだからな。──だが、今後の事について、お前に何か考えがあるのか?」
    アレクシスは首を横に振った。
「今までと同じだ。……俺はあいつの魔導師だ。それでいい」
「結婚はしないということか……」老魔術師はアレクシスの言葉を正確に読み取った。
「それがまあ、妥当な案か……」
「えー、そんなんダメじゃん。姫さんの事も考えてやれよ。っていうか、アレクにそんな我慢できんの?」
    被せ気味な発言はルイスだ。最後あたりは顔がニヤついている。
「いくらアレクが涸れてるって言ったって、やっぱ男だし。今の姫さん相手に我慢すんのもさせんのもダメだろ」
    この場に男しか居ないからこその露骨な発言だった。
「だが俺はいつまでもあいつの側には居られないだろう」
    この国の民の寿命は短い。
    貧しい民草なら、20代半ば。生活に困窮していない者で30代ば。40代半ばだったネリス王はこの国では老齢の部類だ。フラグェイ教授程の年齢の者など滅多に見ない。
    アレクシスは今年21。旅の半ばで魔王ブラックファイアを封じる守護石を失ってからは、魔王の封印に命をすり減らしている。いつまでトリニティの側に居られるかも分からなかった。
    …それならば結ばれないままの方がいい。アレクシスはそう思っていたのだが、ルイスの意見は違うらしい。
「そんなの、誰だって同じだろ?   ダメダメ、絶対ダメ。お前らはさっさとくっつくべき!」
「えー」
「……何が『えー』なんすか」
    露骨に嫌そうな声を出してきたクリスター卿に、ルイスが冷たい返事を返す。気のせいでなく、言葉遣いもぞんざいだ。
「いや、だって。ねぇ?  ……この際、ターナー卿の第2夫人の線でと思っていたところに、結婚はしないなんて発言でしょう?   これで姉君の夫君に正式になって頂けるかと内心小躍りしながら、黙って様子を見ていたのに。バーグ殿ときたら……いらぬ発言を……っと、今のは失言ですね」
「いや、狙って言ってるだろ?   絶対!   ……ってか、黙って様子見とか、本当、あんたってさぁ、相変わらず汚ねぇよなっ」
「ふふ。私にとってそれは褒め言葉ですね」ルイスの言葉にクリスター卿が笑みを深める。「でもまあ、私の意見を言わせて頂けるなら、今のままで良いのでは?」
「今のまま……とは、どういう事ですかな?」
「先程ターナー卿の言われた通りですよ。今のまま──つまり、ターナー卿の出自には触れないままで……。気がついた者がいればそれはそれで良いし。……聡い政治家でなければ気づかないのではないでしょうか?    一般の国民ならば特にそうでしょう。また、気づいたとしても、それが即、執政王家が王位を簒奪した事の証拠にはならないはずです。真実を知る者は本当にごく一部。……いつかの王族のご落胤が市井で血統を残して居た、という事にしたっていい訳です」
「へえー。さすがクリスター卿。あざといなあ」
「このくらいの立ち回りが出来なければ、政治家なんて務まりませんよ。それに、ほら」クリスター卿は傍に置いていた剣の鞘の上に手のひらを乗せた。
「ターナー卿の出自を伏せたままにしておくなら、この剣が役に立ちます。是非受け取って下さい。大国の勇者が相手なら、この国の王の夫となっても、相応しい立場となるのでは?」
    老魔術師が僅かに眉を寄せ、疑問の形をとると、クリスター卿が言葉を続けた。
「我が国では勇者は貴族の身分に取り上げられます。──まあ、一代限りですが。果たさねばならない義務に見合った褒賞が与えられるわけです」
「ほお?  我が国には無い制度だ」
    ネリスの勇者は奇特でなければ務まらない。支払われるのは、せいぜい兵士としての給与だけだ。義務と責任ばかりが重く、得られるのは民からの尊敬と、王からの無理な命令ばかりだ。
    アレクシスは首を横に振った。
「何度も言ったが、俺には受け取れない」
    クリスター卿は軽く肩を竦めたが、その顔に浮かべる笑みは、態度とは異なり、意味深だった。
「ですがこの剣はもう貴方のものです。……剣には私が強力な呪いをかけました。たとえ貴方が剣を受け取らなかったとしても、たとえ売り払ったとしても、必ず貴方の手元に戻ってきます」
    ルイスが軽く口笛を吹きた。一方でアレクシスは盛大に顔を顰めた。
「流石、卿。やっぱこえーわ」
「ふふ。褒め言葉ですね」
「いや、褒めてないし」
「……ターナーと卿とは、どう言った関係かな?」
    3人のやり取りを見ていたフラグェイ教授が言った。
「去年トリニティの依頼を受ける前のシーズンの雇い主だ」
「前の季節は国内で戦も特になくて、隣のザルツラントへ出稼ぎに行ってたんだよな。何のかんの言って、あの国もココと同じような理由でゴタついてたから、結局、一年半くらい居たかなぁ」
    アレクシスの返答にルイスが補足する。クリスター卿も頷いた。
「ええ。雇ったのは傭兵の小隊でしたから、全部で6人でした。内二人は今も我が国に残ってくれていますが、お二人は国に帰ってしまわれました。その時に、王の信任を」
「それで勇者に?」
「はい」
「見込まれたものだな」
「ええ。そうですね」
    大きく頷くクリスター卿に向かって、アレクシスは言った。
「だが俺はあいつに言った。俺はいつまでも一緒にはいてやれないと。信用に足る奴は俺でなく、もっと他にいるはずだと。──あいつはもっと、自分の周りに居る連中に目を向けなくてはいけない。いつまでもあのままじゃダメだ。その為には俺は居ない方が良い」
    アレクシスの言葉にクリスター卿は苦笑した。そんな事は百も承知だったのだろう。ええ、その通りですね。とでも言うような表情だった。
「陛下だってそれは十分ご承知の上です。──卿の言葉を真剣に受け止められ、そうあろうと努力なさっている。……それでも御守りは欲しい、と言う事なのでしょう。ですから、この剣は受け取ってくださるだけで良いのです。勇者として国に常駐し、王に仕えて欲しいとまでは言いません──もちろん、そうして頂けるなら、それが一番ですが──受け取ってもらえた、という事そのものが、今も、これから先も、貴方と繋がっているのだと思っていられる──それこそが重要なのだと。そう、お考えのはずです。……まあ、もっとも」
    クリスター卿はそこまでを一息に話した後、言葉を区切り、茶目っ気のある、ある意味意地悪そうな笑みを浮かべた。
「甘ったれた子供のままでは、貴方に合わせる顔などないでしょうが。──ちゃんと立派な王になれたとご本人が思われるその時までは、会いに来られはしないでしょう」
    ターナー卿のその言葉に、アレクシスとルイスは互いに顔を見合わせた。この場にはいない人物の姿を思い浮かべて、互いに苦笑しあう。
    アレクシスはクリスター卿に向かって手を出した。
「……じゃあ。──確かに受け取ったと伝えてくれ」
    クリスター卿がアレクシスの手に剣を鞘ごと渡した。


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