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マダム・マリエールの遺産

第1章 俺のことについて もしくは 運命とか言うものについて 2

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「ということで、マダム・マリエールからの仕事の依頼か」
 俺はブリッジの操縦席に足を投げ出して座ったままの姿勢で、メイン・スクリーンを仰いだ。
 その胡散臭い偶然とやらに向かって、俺は苦虫を噛み潰したような声を絞り出した。
 俺は運命論者なんかではないが、こんな時は思わず、頭の隅のほーで、ちらりとある単語を思い浮かべる。
 すなわち、運命……と。クソッ!!
『既知の仲なんですか?』
「お得意先さ」
 答える声も思わず不機嫌だ。
 タナトスにそう答えるとすぐに、スクリーンに艶やかなドレスに身を包んだ、老年の女性の顔が現れた。
「お久しぶりです。マダム・マリエール」
 俺は丁寧な言葉遣いでそう言ったが、足は操縦管に投げ出したままの姿勢だった。
 どうせ向こうのスクリーンには、俺の肩から上くらいまでしか写し出されないのだから問題はない。
 マダム・マリエールは優雅にほほ笑み、「まあ、すっかりくつろいでいらっしゃるのね」と言った。
 俺が慌てて体を起こすと、マダムは口元に手を当てて品のある笑い声を漏らした。
「タナトス……!」
『だって、一国の領主を相手に顔だけ映すなんて、そんな失礼なことは、出来ないでしょう?』
「素敵な船をお買いになったのね?」
 マダム・マリエールは楽しそうに笑ったが、俺は不機嫌だった。
「素敵すぎて買ったのを後悔してるところですよ」
「そう気分を悪くされなくても。あなたの船の主電脳のちょっとした悪ふざけでしょう? 受け流して差し上げなさいな」
『私はいたって真面目ですよ。なにしろコンピュータですからね。はじめましてマダム・マリエール。お会いできて光栄です』
 相手方に声は届いていないというのに、タナトスは勝手に喋っている。
 だが俺はマダムほど寛容な精神は持ち合わせていないのだった。
「仕事の話ですね?」
 俺は本題を切り出した。スクリーンの向こうでマダムが頷いた。
「実は数日前に、我が領土を出発したアマタイト鉱石を乗せた輸送船が、宇宙海賊におそわれましてね。納品の予定日が間に合いそうにないのです」
 ……っちゃー。
 俺は一度起こした身をもう一度座席に押し付けた。
「どうかなさいましたか?」
 スクリーンの向こうで、マダム・マリエールが優美に微笑む。年齢に不似合いな純粋な笑みに、俺は思わず遠い記憶を呼び覚まされて瞼を閉じた。
「いいえ……なんでも。先を続けてくださいマダム」
 脳裏の奥で少女が微笑む。俺の名を呼ぶ声が聞こえた。
「それで、連邦最速の運送屋である貴方に、アマタイト鉱石の輸送を頼みたいのです」
 再び目を開け、老女を見た。ガラにもなく無性に胸が痛んだ。
「けれど俺の船は小型だから大量の品は運べませんよ?」
「存じております。とりあえず急ぎの分だけでよいのです。受けていただけますか?」
 ──心の中でだけ、吐息をついた。吐息の理由を思って、さらに吐息をついた。俺もちょっとトシかな。
「場所は?」
 そう言いながら俺は右手を伸ばして、マダムの次の言葉を待った。
 もちろん、行き先を聞く前から仕事は受けるつもりだ。俺は頭の端から、少女の幻影を追い払った。
 この前のお詫びに、なんて殊勝な理由ではなくて、単に「連邦最速の貴方に……」なんて言われて、断れるかっていうだけである。
「連邦政府領のベルタクル星の第十一衛星ですわ」
 ルートマップへ行き先を入力する右手が止まった。
「連邦領?」
 問い直す俺に、マダムは頷いた。
「はい。そこにある研究施設に運んで欲しいのです。
 報酬は十万クレジット。二日以内に届けて欲しいのです。了解していただけます?」
 マダムの瞳がじっと俺を覗き込んだ。俺を試すような……それでいて、俺が決して断ったりしないだろうことを確信している目だ。
 挑発している……というのは、まさにこういう目を言うのだろう。俺は息を一つ吸い込み、吐き出した。
 やだね。これだから。
 人生の酸いも甘いも経験しつくしたトシの女は。
 男の扱いに長けてるときたもんだ。俺みたいな性格の男が、そういうふうに挑発されて断れないことをちゃんとお見通しってわけだ。
「オーケイ。五二ナイト時にはそちらへ行きます」
 俺は片手を挙げて了解の意志を示し、通信を切った。
『──この間の強奪のツケが回ってきたんですね』
 しばしの間の後に、天上からタナトスの声が降ってきた。
「……」
『ヴィル・マリエールといえば、連邦の中で最も小さな領地を持つ、最も裕福な国ですよね。そこのお得意様の品物を、掠めとったのはやはりまずかったですかねぇ』
 物思いに耽っていた俺は試行を止め、天井を振り仰いだ。
「お前、その俗っぽい言葉を連発するのやめろよ。コンピュータに見えないぞっ」
『そりゃ、私は持ち主に満足頂けるよう、人間的な人格プログラムが入力されていますから。
 ──キャプテン・カーチェスといえどもやっぱり気にしてるんですか?』
「んなわけないだろ」
 俺は椅子に深く腰掛け、オートパイロットの目的地を、ヴィル・マリエールにセットした。いま俺がいる位置からなら、約束の時間に充分間に合うだろう。
 やかましい主電脳の話し相手をするのにも、いい加減慣れてきてしまった。
 ……トーマの時にも思ったけど、俺って順応力が早いんだなぁ。
「お前、ヴィル・マリエール領についての情報持ってる?」
『もちろんです。私は最新型ですからね。主電脳に大量生産の安物型を使ってる貨物宇宙船あたりとは違うんです』
 俺はため息をついて言った。
「連邦一小さくて連邦一裕福な国。個人運送屋のナイト商会が、預かった積み荷を海賊に盗まれたってんなら、保証もしなくちゃいけないが、そうでないんなら、そんなことをする必要はないのさ」
『でも、キャプテン・カーチェスが海賊でしょう?』
「盗んだのは”宇宙海賊キャプテン・カーチェス”であって、ナイト商会の社長兼社員のカーチェス・ナイトじゃないってこと」
『はあ』
 タナトスは間の抜けた声を漏らした。
「それより、トーマはいま医療室の改造中だっけ?」
 個人的な隠れ家のアルファナへ着いた途端、いとも簡単にタナトスとソーニャの同期をとったトーマは買い出しにでかけ、医療室の改造を始めた。
 色々な装置を取り付けて、人形のメンテナンスもできる施設を作るためだ。なかなかこまめな男である。でもおかげで、狭い居住空間がさらに狭くなってしまった。


 噂をすればで、ブリッジのドアが開いてトーマが入ってきた。
「いまマダム・マリエールから仕事の依頼があったそうですね」
『私が連絡を入れておきました』
 俺はニヤリと笑った。
「積み荷は曰く有りげなようだぜ?」
「アマタイト鉱石ですか?」
『すごい。どうしてわかるんですか? そこまではお教えしていませんよ』
 どーしてタナトスの声が混じると三つ巴の漫才みたいになるんだろう? 
 俺はちらりとそんなことを考えたが、すぐに頭の端へ追いやった。
「運び先は連邦だとさ」
 俺が短くそう言うと、トーマは片眉を少しだけあげて見せた。俺は頷く。
『二人で了解しあってないで、私達にも教えてください』
 タナトスの声に俺が振り向くと、副操縦士席に座っているソーニャも興味がありそうにこちらを伺っていた。
「──たく」
 俺は頭を掻き、「少し考えりゃわかることだろ」と言った。
『全然。なにしろ作成されてからまだ二年しか経ってませんから。基礎情報はあらかじめ入力されてますが、AIの応用力はイマイチなんです』
 都合のいいときだけ無能を装うわけか。
「つまりだな。連邦領へ輸入する正規の積み荷なら、それを輸送する船の型番を消したりする必要はないわけだろ」
『もちろんそうですね。堂々と入港できるはずです』
「そこだ!」
 俺はタナトスの声が降ってくる天井を指差した。
「それなのになんでわざわざ秘密裏にことを運ぼうとする? 俺達が襲ったあの船はまるで密輸船みたいだったぜ?」
『──密輸しようとしてたんですか?』
「連邦政府領に? そんなことあるもんか。領地に入る前にとっつかまるぜ。
 だいいちあそこは『国』じゃなくて、単なる政府機関の建物が置かれているだけの場所だから、密輸する意味のない場所だ」
『じゃあ何故……あ!』
 俺の言わんとすることがタナトスにも伝わったらしい。
『密輸じゃないけど、積み荷は関係者以外に知られたくない。つまり秘密裏にことを運ぼうとしている。だからあやしい、と?』
「たぶんそうだな」
『けれどどうして』
 俺はつまらなさそうに手を振った。
「それは俺に関係のあることじゃないな」
 つまり連邦政府の思惑なんぞに興味はないのだ。



続く
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