「羊男」

秋空ハレ

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プロローグ

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羊は臆病な動物だ。臆病だから群れで生活をし、群れで生活する以上は周りから逸脱してはいけない。そんな生き物なんだ。

面倒なことになった。
朝田はこの道を選んだ自分自身を呪った。

大学から自宅に繋がる道は二つある。

一つは国道に面した道。コンビニやチェーンの居酒屋が集まっており、こんな時間でも人通りは割とあるものだ。

もう一つは、この道。
住宅街の中を通り抜ける道は、21時を過ぎると人気がなくなる。

薄暗く不気味で、たまに通り過ぎる車のライトや住宅から漏れる灯りだけが恐怖を和らげる。

この道を選んだのは、単に近道だからだ。

これも全部七海のせい、頭の中で同級生の顔を思い出す。

七海は帰宅しようとしていたところを無理やり引き止め、延々とムダな話を披露して朝田を辟易させた。

普段なら無視して帰ってしまうところなのだが、今日は出来なかった。

「最近、この辺りで通り魔が出るんだって」

つい1時間前に聞いた話がフラッシュバックする。まだニュースにもなっていない情報だったが、顔が広い七海が実際に被害に遭った人やその知り合いから聞いたそうだ。

ひたひたと背後から足音が聞こえてくる。

後をつけられていると気が付いたのは、数分前。どこからかは分からないが、朝田の少し後ろを誰かが足音を殺してついてきていた。

心臓が高鳴るのを感じる。

この角を曲がれば、聞こえなくなるだろうか。そう願いながら歩みを早めるが、ぴったり同じ距離を保ったまま足音は等間隔で響き続けている。

身体が鉛のように重く感じる、気を抜くと同じ距離を保ち続ける背後の足音が急に縮まりそうな、そんな予感がする。

勘違いかも知れないという微かな希望がちらつくが、背中で感じる空気は危険と不穏を伝えてくる。

自宅まではあと2分程度といったところだが、時間が止まってしまったかのように長く感じる。

その時、身体がぴたりと動かなくなった。後ろの足音もそれに合わせて止まる。影に縫い付けられてしまったように足が動かない。

心臓の音が近くで聞こえている。汗が頬を伝わる感触だけが妙に実感を伴っていた。

永遠に感じられる静寂の中で、耳は背後へ集中している。

ひた、

朝田の耳は背後で足音が再開されるのを捉える。胃がキリキリと痛み出すが、足は相変わらず動かない。

辛うじて今の状況を分析してみるがすぐかき消されていく。靄がかかったかのように考えが浮かんでは沈んでいく。

月明りで伸びた自分の影が近づいてきた足音に踏みつけられるように感じる。

「逃げろ」

その時、声がしてはっとする。
それは紛れもなく自分から発せられていた。

一か八かで全力で駆けだす。
背後の人影は一歩も動かずにその場に立ち尽くしていた。

アパートに辿り着き、朝田は急いで鍵を閉める。

なんとか難を逃れたようだ。どっと汗が噴き出すのを感じる。

そこでようやく落ち着いて、次第に思考がクリアになってくる。

朝田は顔を洗うために洗面台の前に立ち、水を流し始める。

あれは本当に通り魔だったのだろうか、それを知る術はもうない。だが、もしかすると殺されていたかも知れない。

いざとなったら――
朝田は顔を洗いながら考える。

傍らにかけてあったタオルで顔を拭き、目の前の鏡に目を向ける。

「正体を晒したら、驚いて逃げてくれていたかな……」

朝田の目の前の鏡には、羊の顔が浮かんでいた。
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