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第1章:「貴族の結婚なんてこんなもの」
7話
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戦傷を負った夫との再会
邸の玄関ホールで待機していると、衛兵や従者たちに支えられたベガが担架に乗せられて運び込まれる。
私は思わず駆け寄りそうになるが、そこでほんの一瞬、躊躇した。
(今の私は、どんな表情で彼を迎えればいいのだろう?)
数秒間のためらいののち、私は意を決して彼の顔を覗き込む。
戦地から戻った彼は、想像以上に憔悴していた。顔には浅い傷が何本か走り、腕には包帯が巻かれ、まるで生気を失ったかのように目を閉じている。
「……ベガ様?」
小さく声をかけると、彼の瞼がわずかに動いた。
そして、聞き慣れた低い声がかすかに返ってくる。
「アルタイ……ここは……」
「大丈夫です。王都の公爵邸ですわ。ここで治療を受けましょう」
彼は痛みに耐えるようにうめき声をあげながら、私を見つめる。
その視線には、何か言いたげな色が滲んでいた。けれど、言葉にならない。
私はとにかく急ぎで治療師を呼ぶよう従者に命じた。そして、一刻も早く彼を部屋に運んでもらい、看護の準備を整える。
(離婚のためには、まず“戦地で女を作ってきてくれ”って言ったのに……)
ちらりとそんな考えが頭をかすめ、自分でも驚く。こんな状態で、そんな軽口を叩けるはずがない。
今はまず、彼を元気な状態に戻すことが優先だ。
「早く良くなってもらわないと」
治療師の診立てによれば、ベガの怪我は右肩から背中にかけて深く切り裂かれたものであり、相当の激戦をくぐり抜けてきたことが伺えた。
致命傷ではなかったものの、長引く戦いと過酷な環境による疲労が重なり、免疫力も落ちているという。しばらくは床に伏して安静にしなければならないとのことだった。
私は意外にも、自ら率先して彼の看病に当たることを決めた。侍女や治療師だけに任せてもいいのだが、なぜかそうする気になれない。
「アルタイ、お前がここまでしてくれるなんて……」
寝台の上で弱々しい声を絞り出すベガを見下ろしながら、私は顔に出さないように注意を払いつつ、冷静に言った。
「何を言っているのです? 貴方が早く良くならないと、私たち……離婚できませんもの」
その言葉を聞いたベガは、一瞬キョトンとした表情を浮かべた。
そして、かすかに唇の端を吊り上げる。
「……そう、だったな。俺が戻ってきたら……離婚、するんだった」
「ええ。それに、ここで私が冷たく放置したら、世間体が悪いでしょう? 『戦場で身を粉にして国を守った英雄に冷酷な仕打ちをした悪妻』と噂されるのは御免ですわ。私には私の評判が大事ですから」
わざと皮肉っぽく聞こえるように口にする。けれど、心の内で吹き荒れる感情は、そんな単純なものではなかった。
彼は弱りきった身体を起こそうとして、痛みに顔をしかめる。私は思わず手で制して、上体を起こすのを手伝った。
「安静になさって。無理をすれば傷に障りますよ」
「……済まないな」
そう呟く彼の声は、私が知っている“無骨なベガ”とは違う、どこか脆さを孕んだ響きだった。
邸の玄関ホールで待機していると、衛兵や従者たちに支えられたベガが担架に乗せられて運び込まれる。
私は思わず駆け寄りそうになるが、そこでほんの一瞬、躊躇した。
(今の私は、どんな表情で彼を迎えればいいのだろう?)
数秒間のためらいののち、私は意を決して彼の顔を覗き込む。
戦地から戻った彼は、想像以上に憔悴していた。顔には浅い傷が何本か走り、腕には包帯が巻かれ、まるで生気を失ったかのように目を閉じている。
「……ベガ様?」
小さく声をかけると、彼の瞼がわずかに動いた。
そして、聞き慣れた低い声がかすかに返ってくる。
「アルタイ……ここは……」
「大丈夫です。王都の公爵邸ですわ。ここで治療を受けましょう」
彼は痛みに耐えるようにうめき声をあげながら、私を見つめる。
その視線には、何か言いたげな色が滲んでいた。けれど、言葉にならない。
私はとにかく急ぎで治療師を呼ぶよう従者に命じた。そして、一刻も早く彼を部屋に運んでもらい、看護の準備を整える。
(離婚のためには、まず“戦地で女を作ってきてくれ”って言ったのに……)
ちらりとそんな考えが頭をかすめ、自分でも驚く。こんな状態で、そんな軽口を叩けるはずがない。
今はまず、彼を元気な状態に戻すことが優先だ。
「早く良くなってもらわないと」
治療師の診立てによれば、ベガの怪我は右肩から背中にかけて深く切り裂かれたものであり、相当の激戦をくぐり抜けてきたことが伺えた。
致命傷ではなかったものの、長引く戦いと過酷な環境による疲労が重なり、免疫力も落ちているという。しばらくは床に伏して安静にしなければならないとのことだった。
私は意外にも、自ら率先して彼の看病に当たることを決めた。侍女や治療師だけに任せてもいいのだが、なぜかそうする気になれない。
「アルタイ、お前がここまでしてくれるなんて……」
寝台の上で弱々しい声を絞り出すベガを見下ろしながら、私は顔に出さないように注意を払いつつ、冷静に言った。
「何を言っているのです? 貴方が早く良くならないと、私たち……離婚できませんもの」
その言葉を聞いたベガは、一瞬キョトンとした表情を浮かべた。
そして、かすかに唇の端を吊り上げる。
「……そう、だったな。俺が戻ってきたら……離婚、するんだった」
「ええ。それに、ここで私が冷たく放置したら、世間体が悪いでしょう? 『戦場で身を粉にして国を守った英雄に冷酷な仕打ちをした悪妻』と噂されるのは御免ですわ。私には私の評判が大事ですから」
わざと皮肉っぽく聞こえるように口にする。けれど、心の内で吹き荒れる感情は、そんな単純なものではなかった。
彼は弱りきった身体を起こそうとして、痛みに顔をしかめる。私は思わず手で制して、上体を起こすのを手伝った。
「安静になさって。無理をすれば傷に障りますよ」
「……済まないな」
そう呟く彼の声は、私が知っている“無骨なベガ”とは違う、どこか脆さを孕んだ響きだった。
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