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第2章 「帰らぬ夫と、周囲の誤解」
15話
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6.揺れる心と、“妻”の役目
ルイーゼと再会したことで、私の中の迷いはさらに深まった。
以前は「どうせ離婚するのだから、仮面夫婦でいるほうが楽」という思考だったのに、今は“仮面の下”で何かが形を成し始めている。
彼のことを気にかけて、傷の回復を願って、少しでも笑顔でいてほしいと思っている自分がいるのだ。
夜の寝室を訪れると、ベガは薄暗がりの中で手紙を読んでいた。リハビリが進み、肩の痛みもだいぶ和らいだようで、少しの時間なら姿勢を保って机に向かえるようになったらしい。
「……どなたからの手紙ですか?」
私は遠慮がちに声をかける。すると、ベガは少し驚いたように顔を上げ、手紙をたたむ。
「北方の領地からだ。残党狩りがまだ続いているらしく、俺が戻るのはいつ頃か、と聞いてきている。王宮からの正式な許可が出れば、近いうちに向かうことになるだろう」
「……そうなんですね」
心の奥で微かな痛みが走る。
そうだ、彼は辺境伯として本来の領地へ戻るのが当たり前だ。王都での治療は一時的なものに過ぎない。彼の傷が回復すれば、彼は再び北方へ帰ることになるのだ。
そうなれば、私たちはどうするのか。このまま離婚して別れるのか、あるいは私も北方へ同行するのか――いや、そんな話は今まで一度もしていない。
「アルタイ、お前こそ珍しいな。こんな時間に俺の部屋へ来るなんて。何かあったのか?」
ベガが怪訝そうに尋ねる。私は少しだけ躊躇してから、椅子に腰を下ろし、正面から彼を見つめた。
「……私、貴方に聞きたいことがあるのです」
「何だ?」
「たとえば、もし貴方が北方へ戻ったら……貴方の“妻”として、私も一緒に行ったほうがいいのでしょうか?」
一瞬、沈黙が落ちる。
彼は息を呑んだようだった。それもそうだろう、こんなことを口にするのは、私にしては珍しいことだから。
「どういう意味だ? お前は最初から、俺とは離婚するつもりだったんじゃないのか?」
「……ええ、そうでした。でも、いざ貴方が戻ってきたら、自分でもわからなくなって……。私は公爵家の当主である父を補佐する立場でもあるし、王都にいたほうが動きやすいのも事実です。それでも、夫婦として考えるなら、一緒に暮らすべきなのかなと思ったりもして……」
言葉を切りながら、私は本音を絞り出すように話す。
これまでずっと仮面夫婦を演じてきた私が、今さら本心を垣間見せるのは、正直気恥ずかしい。
ベガは少し言葉を探るようにして、ゆっくりと口を開いた。
「アルタイ、俺も本音を言おう。……お前がいなければ、俺は最初の戦傷で死んでいたかもしれない。看病してもらったことだけじゃない。俺が帰ってきてからというもの、いつもお前は気丈にふるまって、この邸をまとめてくれている。『公爵令嬢だから当然』と言われるかもしれんが、俺から見ればそれは立派な才能だし、尊敬にも値する」
「……ありがとうございます」
「だから、もしお前が王都での生活を優先したいのなら、それは止めない。公爵家にも色々あるだろうしな。……だが、正直を言えば、北方へ来てくれたら嬉しいとも思う」
そこで一呼吸置き、彼は目を伏せる。
「もっとも、これは俺の“わがまま”だ。お前が何かを犠牲にしてまでついてくる必要はない。お前が自由に選べばいいんだ。最初に言ったように、俺はお前を無理やり縛るつもりは……なかった」
「……なかった、ということは?」
つい問い返してしまうと、ベガは困惑したように唇を引き結んだ。
「それは……その、戦地から戻ってきてお前に世話してもらううちに、離婚なんてしなくてもいいんじゃないかと思うようになった。だが、そう思った途端に“お前を好きなように縛る権利は俺にはない”っていう気持ちも湧いてきて……うまく言えんが、要するに矛盾しているんだよ」
その言葉は、まるで私自身の感情と重なるようでもあった。
離婚したほうがお互いに楽になれるのかもしれない。しかし、それでも一緒にいたい気持ちも、確かに存在する。
そんな曖昧な情が、私たちの関係を複雑にしているのだろう。
「……わかりました。もう少し、考えさせていただけますか?」
私がそう言うと、ベガはほっとしたようにうなずいた。
「もちろんだ。焦らなくていい。俺も急に領地へ戻るわけではないし、あと数週間は治療師の許可が出ないんだから」
「そうですね。では、おやすみなさいませ」
私は足早に部屋を出る。背中に彼の視線を感じつつも、何も言わずに扉を閉めた。
廊下を歩くうちに、心臓がドキドキとうるさく鳴っているのを自覚する。
(私はどうしたいの? 本当に離婚したいわけではないのかもしれない。じゃあ、私は彼とこの先ずっと一緒にいたいの? それとも……)
答えはまだ出ない。
ただ、今はお互いに迷っている――それだけは、はっきりしていた。
ルイーゼと再会したことで、私の中の迷いはさらに深まった。
以前は「どうせ離婚するのだから、仮面夫婦でいるほうが楽」という思考だったのに、今は“仮面の下”で何かが形を成し始めている。
彼のことを気にかけて、傷の回復を願って、少しでも笑顔でいてほしいと思っている自分がいるのだ。
夜の寝室を訪れると、ベガは薄暗がりの中で手紙を読んでいた。リハビリが進み、肩の痛みもだいぶ和らいだようで、少しの時間なら姿勢を保って机に向かえるようになったらしい。
「……どなたからの手紙ですか?」
私は遠慮がちに声をかける。すると、ベガは少し驚いたように顔を上げ、手紙をたたむ。
「北方の領地からだ。残党狩りがまだ続いているらしく、俺が戻るのはいつ頃か、と聞いてきている。王宮からの正式な許可が出れば、近いうちに向かうことになるだろう」
「……そうなんですね」
心の奥で微かな痛みが走る。
そうだ、彼は辺境伯として本来の領地へ戻るのが当たり前だ。王都での治療は一時的なものに過ぎない。彼の傷が回復すれば、彼は再び北方へ帰ることになるのだ。
そうなれば、私たちはどうするのか。このまま離婚して別れるのか、あるいは私も北方へ同行するのか――いや、そんな話は今まで一度もしていない。
「アルタイ、お前こそ珍しいな。こんな時間に俺の部屋へ来るなんて。何かあったのか?」
ベガが怪訝そうに尋ねる。私は少しだけ躊躇してから、椅子に腰を下ろし、正面から彼を見つめた。
「……私、貴方に聞きたいことがあるのです」
「何だ?」
「たとえば、もし貴方が北方へ戻ったら……貴方の“妻”として、私も一緒に行ったほうがいいのでしょうか?」
一瞬、沈黙が落ちる。
彼は息を呑んだようだった。それもそうだろう、こんなことを口にするのは、私にしては珍しいことだから。
「どういう意味だ? お前は最初から、俺とは離婚するつもりだったんじゃないのか?」
「……ええ、そうでした。でも、いざ貴方が戻ってきたら、自分でもわからなくなって……。私は公爵家の当主である父を補佐する立場でもあるし、王都にいたほうが動きやすいのも事実です。それでも、夫婦として考えるなら、一緒に暮らすべきなのかなと思ったりもして……」
言葉を切りながら、私は本音を絞り出すように話す。
これまでずっと仮面夫婦を演じてきた私が、今さら本心を垣間見せるのは、正直気恥ずかしい。
ベガは少し言葉を探るようにして、ゆっくりと口を開いた。
「アルタイ、俺も本音を言おう。……お前がいなければ、俺は最初の戦傷で死んでいたかもしれない。看病してもらったことだけじゃない。俺が帰ってきてからというもの、いつもお前は気丈にふるまって、この邸をまとめてくれている。『公爵令嬢だから当然』と言われるかもしれんが、俺から見ればそれは立派な才能だし、尊敬にも値する」
「……ありがとうございます」
「だから、もしお前が王都での生活を優先したいのなら、それは止めない。公爵家にも色々あるだろうしな。……だが、正直を言えば、北方へ来てくれたら嬉しいとも思う」
そこで一呼吸置き、彼は目を伏せる。
「もっとも、これは俺の“わがまま”だ。お前が何かを犠牲にしてまでついてくる必要はない。お前が自由に選べばいいんだ。最初に言ったように、俺はお前を無理やり縛るつもりは……なかった」
「……なかった、ということは?」
つい問い返してしまうと、ベガは困惑したように唇を引き結んだ。
「それは……その、戦地から戻ってきてお前に世話してもらううちに、離婚なんてしなくてもいいんじゃないかと思うようになった。だが、そう思った途端に“お前を好きなように縛る権利は俺にはない”っていう気持ちも湧いてきて……うまく言えんが、要するに矛盾しているんだよ」
その言葉は、まるで私自身の感情と重なるようでもあった。
離婚したほうがお互いに楽になれるのかもしれない。しかし、それでも一緒にいたい気持ちも、確かに存在する。
そんな曖昧な情が、私たちの関係を複雑にしているのだろう。
「……わかりました。もう少し、考えさせていただけますか?」
私がそう言うと、ベガはほっとしたようにうなずいた。
「もちろんだ。焦らなくていい。俺も急に領地へ戻るわけではないし、あと数週間は治療師の許可が出ないんだから」
「そうですね。では、おやすみなさいませ」
私は足早に部屋を出る。背中に彼の視線を感じつつも、何も言わずに扉を閉めた。
廊下を歩くうちに、心臓がドキドキとうるさく鳴っているのを自覚する。
(私はどうしたいの? 本当に離婚したいわけではないのかもしれない。じゃあ、私は彼とこの先ずっと一緒にいたいの? それとも……)
答えはまだ出ない。
ただ、今はお互いに迷っている――それだけは、はっきりしていた。
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