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6話
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翌朝。
私──クレスタ・エルバンシュ、もといアルグレイン男爵夫人は、夫であるジークフリート・アルグレインの誘いに従い、彼とともに屋敷を出た。
行き先は王都から離れた、アルグレイン男爵領の端にある小さな村。緑豊かな場所で、空気も美味しいらしい。
もともと領地視察という名目なのだが、どうやらジークフリートは私に気晴らしをさせようと思ってくれているらしく、「あまり難しく考えずに来い」と言ってくれた。
朝早くの出発だったけれど、馬車で移動している間、退屈することはなかった。
道すがら見える景色は、まだ私が知らない王国の姿を映し出している。緩やかな丘や、野を駆ける小川、遠くに見える山並み。
高い建物が並ぶ王都の眺望とはまた違う、のどかな自然の美しさが心を落ち着かせてくれた。
視察というには簡素だが、近衛らしき護衛が数名同行している。彼らは馬に乗り、馬車の周りを警護していた。
ジークフリートの冷酷な噂を聞いたときは「護衛にも厳しく当たるのだろうか」と思っていたけれど、皆、彼を尊敬しているような面持ちだ。
道中、ジークフリートが短く声をかけると、護衛たちは「はい、旦那様」「承知しました」ときびきび返事をする。その様子には、命令への忠実さ以上に、強い信頼が感じられた。
(やはり、あの“冷血”という噂は、何か別の理由で流されたものなのかしら……)
最近になって、私はそんな疑問が頭から離れない。
今のところ、ジークフリートが私に乱暴な態度をとることは一度もない。むしろ、私の体調を気遣ったり、好みのスイーツを用意してくれたりと、優しさが目立つくらいだ。
どれもこれも計算や打算から来る偽りなのかもしれないし、あるいは本心なのかもしれない。
わからないまま、時間だけがゆっくりと流れている。
「どうした? 疲れたか」
馬車の揺れが少し大きくなった時、ジークフリートは私に気づかいを見せた。
私は軽く首を振る。
「いえ、大丈夫です。馬車の旅は初めてではありませんし、特に問題はありませんわ」
「ならいい」
淡々とした返事。しかし、その横顔は少しだけ心配そうに見える。
こうした小さな優しさに、私は戸惑うばかりだ。
しばらくすると、馬車は小さな村の入口に差し掛かった。
広がる畑と、点在する素朴な家々。あちこちに鶏や家畜の姿が見え、遠くから牛の鳴き声が聞こえる。王都の華やかさとは対極にあるのどかな風景だった。
村人たちは、馬車の姿に気づくと、慌ただしく出てきて一列に並ぶ。どうやら男爵の視察を歓迎しているらしい。
私は馬車の窓からその様子を見つつ、「これが領主への儀礼なのだな」と密かに納得する。
馬車が止まり、ジークフリートが先に降り立つ。続いて私も侍女の手を借りながら地面に足をつけた。
硬い土の感触が伝わってくる。靴に多少の埃がかかっても気にしない。
ジークフリートは村長らしき老人に声をかけた。
「みな、変わりないか」
「はい、男爵様。特に大きな不作もなく、今年も作物は順調でございます」
老人は深々と頭を下げ、恭しく挨拶をする。その横で、村の人々が口々に「奥様もいらしたのですね」と私を見て微笑んでいた。
私は少し照れくさくなりながらも、にこやかに会釈を返す。
(ここでは“男爵夫人”として立ち振る舞わなくては)
婚約破棄の痛手を引きずっているとはいえ、今の私には新しい立場がある。皆に愛想よく笑顔を向け、「よろしくお願いしますわ」と柔らかな口調で応じると、村の人々は一気に和んだ様子を見せた。
村長の案内で、私たちは畑のほうへと向かう。
穀物や野菜がすくすくと育っているのがわかる。今は青々とした段階で、もう少しで収穫期を迎えるそうだ。
「今年は雨の巡りも悪くなく、害虫も少ないんです。男爵様の助成金があったおかげで、新しい農具も揃えることができました」
村長が感謝の言葉を述べるたびに、私は横目でジークフリートを見やる。彼は無表情だが、どこか穏やかに頷いているように見えた。
(こういう地道な支援が、彼の“本当の姿”なのかしら……)
王太子殿下と婚約していた頃は、私も領地経営についてある程度の知識を仕込まれていたが、まさかこうして“自分が夫人として携わる”立場になるとは思っていなかった。
私の隣で、ジークフリートはふと足を止め、育ちかけの作物に視線を落とす。
すると、近くで作業していた若い農夫が「あの……男爵様、もしよろしければこの畑をもう少し見ていただけませんか?」と声をかけてきた。
「これまでは害虫対策に昔ながらの方法を使ってきたのですが……最近、新しい種子を入手しまして、育て方が少し違うようなのです」
農夫が説明する内容は、私にはやや専門的すぎて理解しづらい。しかし、ジークフリートは真剣な面持ちで聞き入り、時折うなずきながら的確な質問を投げかけている。
私は驚く。男爵と言っても、貴族がここまで農業に精通しているとは思わなかったのだ。
「なるほど、種子の出どころが違えば土や水の管理も違うだろう。村長にも協力を仰いで、試験区を作るのがいい。結果を見ながら徐々に広げていけば、リスクは抑えられる」
ジークフリートの提案を聞いて、農夫は目を輝かせた。
「ありがとうございます、男爵様! その方法なら安心です!」
こうして領地の農民と直接やり取りし、具体的な指示を出している姿……。私は、思わず見とれてしまった。
人の話をちゃんと聞き、適切な助言を与える。これが本当に“冷血”などと呼ばれる人物だろうか?
私──クレスタ・エルバンシュ、もといアルグレイン男爵夫人は、夫であるジークフリート・アルグレインの誘いに従い、彼とともに屋敷を出た。
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もともと領地視察という名目なのだが、どうやらジークフリートは私に気晴らしをさせようと思ってくれているらしく、「あまり難しく考えずに来い」と言ってくれた。
朝早くの出発だったけれど、馬車で移動している間、退屈することはなかった。
道すがら見える景色は、まだ私が知らない王国の姿を映し出している。緩やかな丘や、野を駆ける小川、遠くに見える山並み。
高い建物が並ぶ王都の眺望とはまた違う、のどかな自然の美しさが心を落ち着かせてくれた。
視察というには簡素だが、近衛らしき護衛が数名同行している。彼らは馬に乗り、馬車の周りを警護していた。
ジークフリートの冷酷な噂を聞いたときは「護衛にも厳しく当たるのだろうか」と思っていたけれど、皆、彼を尊敬しているような面持ちだ。
道中、ジークフリートが短く声をかけると、護衛たちは「はい、旦那様」「承知しました」ときびきび返事をする。その様子には、命令への忠実さ以上に、強い信頼が感じられた。
(やはり、あの“冷血”という噂は、何か別の理由で流されたものなのかしら……)
最近になって、私はそんな疑問が頭から離れない。
今のところ、ジークフリートが私に乱暴な態度をとることは一度もない。むしろ、私の体調を気遣ったり、好みのスイーツを用意してくれたりと、優しさが目立つくらいだ。
どれもこれも計算や打算から来る偽りなのかもしれないし、あるいは本心なのかもしれない。
わからないまま、時間だけがゆっくりと流れている。
「どうした? 疲れたか」
馬車の揺れが少し大きくなった時、ジークフリートは私に気づかいを見せた。
私は軽く首を振る。
「いえ、大丈夫です。馬車の旅は初めてではありませんし、特に問題はありませんわ」
「ならいい」
淡々とした返事。しかし、その横顔は少しだけ心配そうに見える。
こうした小さな優しさに、私は戸惑うばかりだ。
しばらくすると、馬車は小さな村の入口に差し掛かった。
広がる畑と、点在する素朴な家々。あちこちに鶏や家畜の姿が見え、遠くから牛の鳴き声が聞こえる。王都の華やかさとは対極にあるのどかな風景だった。
村人たちは、馬車の姿に気づくと、慌ただしく出てきて一列に並ぶ。どうやら男爵の視察を歓迎しているらしい。
私は馬車の窓からその様子を見つつ、「これが領主への儀礼なのだな」と密かに納得する。
馬車が止まり、ジークフリートが先に降り立つ。続いて私も侍女の手を借りながら地面に足をつけた。
硬い土の感触が伝わってくる。靴に多少の埃がかかっても気にしない。
ジークフリートは村長らしき老人に声をかけた。
「みな、変わりないか」
「はい、男爵様。特に大きな不作もなく、今年も作物は順調でございます」
老人は深々と頭を下げ、恭しく挨拶をする。その横で、村の人々が口々に「奥様もいらしたのですね」と私を見て微笑んでいた。
私は少し照れくさくなりながらも、にこやかに会釈を返す。
(ここでは“男爵夫人”として立ち振る舞わなくては)
婚約破棄の痛手を引きずっているとはいえ、今の私には新しい立場がある。皆に愛想よく笑顔を向け、「よろしくお願いしますわ」と柔らかな口調で応じると、村の人々は一気に和んだ様子を見せた。
村長の案内で、私たちは畑のほうへと向かう。
穀物や野菜がすくすくと育っているのがわかる。今は青々とした段階で、もう少しで収穫期を迎えるそうだ。
「今年は雨の巡りも悪くなく、害虫も少ないんです。男爵様の助成金があったおかげで、新しい農具も揃えることができました」
村長が感謝の言葉を述べるたびに、私は横目でジークフリートを見やる。彼は無表情だが、どこか穏やかに頷いているように見えた。
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私の隣で、ジークフリートはふと足を止め、育ちかけの作物に視線を落とす。
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