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10話
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私はなるべく穏やかに微笑んで答える。
「ええ、おかげさまで平穏に過ごしております。皆さまもお変わりなく?」
会話自体はあたりさわりのないものだが、やがて一人の夫人が遠慮がちに、しかし好奇心に満ちた声で尋ねてくる。
「ところで……王太子殿下とミーナ嬢の件、ご存じですか? 最近とても話題になっておりますの」
――やはり、そこへ来るのか。私は心がざわつくのを感じながら、平静を装う。
「ええ、新聞や噂話で耳にはしておりますわ。もうわたくしとは無関係のことですので」
できるだけ素っ気なく答える。夫人たちはちらちらと視線を交わし合い、微妙な沈黙が落ちる。
(ほら、やっぱり……私の反応を面白がっているのかもしれない)
王太子に婚約破棄された令嬢。その後どうなったのか、噂のネタにしたいだけなのだろう。
そんな風に思うと、やるせない気持ちになる。
「まあ……そう、ですわよね。確かにあれから時間も経ちましたし」
夫人の一人が話を合わせるように言う。続けて、もう一人が尋ねてくる。
「ところで、アルグレイン男爵は噂ではとても冷徹だと聞きますが……本当のところはいかがですの?」
余計なお世話、と思いつつ、私はできるだけ角を立てないように返事をする。
「いいえ、意外にも優しくしてくださいます。領地のことにも真摯に取り組んでおられて……噂ほど冷たいお方ではございませんわ」
それだけ言うと、今度は夫人たちの表情が微妙に変化した。
「そうですの……それは、よかったですわね」
「お幸せそうで何よりですわ」
内心どう思っているのかはわからない。けれど、こうして私を嘲笑するでもなく、一応は祝福の言葉をかけてくれるだけマシなのかもしれない。
私はその場を穏便に切り上げ、「ではまた」と挨拶して立ち去った。
広場から離れたあと、護衛が心配そうに近づいてくる。
「奥様、大丈夫でしたか? 少し不愉快そうに見えましたが……」
「ええ、何でもないわ。ありがとう」
少しだけ、ため息が漏れる。
――王太子殿下の話題は、私が望まなくても耳に飛び込んでくる。
それは、この国にいる限り、あるいはまだしばらく続くのだろう。
だけど、もう私は王太子を追いかける必要も、彼の行動に心を乱される必要もない。
私は私の道を歩む。ジークフリートのもとで、アルグレイン男爵夫人として――そう決めたはずだ。
そう自分に言い聞かせながら、午後のうちに必要な物を買い集め、屋敷へと帰った。
帰宅すると、ジークフリートは書斎にこもって書類を読んでいたが、私が戻ったと聞くと足早にやってきた。
「買い物はうまくいったか」
「はい、本も購入できましたし、道具もいくつか買えました」
「そうか、それはよかった」
私が曖昧に微笑むと、ジークフリートは少しだけ表情を曇らせる。
「……何かあったのか? あまり明るくないように見えるが」
言い当てられて、一瞬言葉に詰まる。まさか、王太子の話題で少し動揺したなどと言いたくない。
「いえ、大したことではありません。少し疲れたのかもしれませんわ」
そう答えると、ジークフリートは黙って私の様子を見つめる。
浅黒い瞳が、まるで私の心を見透かそうとしているかのように深く感じる。
やがて彼は微かにうなずいて、「ならば、晩餐の前に少し休むといい。侍女に申し付けろ」と言った。
私は「そうさせていただきます」と頭を下げ、早めに部屋に戻ることにした。
ベッドに横たわって目を閉じると、今日の出来事が頭の中を駆け巡る。
(王太子殿下……私はもう、あの方とは何の関係もない。それでも、わずかな未練が残っているの?)
悔しい。彼に捨てられた事実はもちろん、捨てられた私のほうがまだ心を乱されているという現実にも。
今の私は、アルグレイン男爵夫人として生きていくと決めたはず。それに、ジークフリートは……本当に不思議なほど私を大切に扱ってくれる。
なのに、過去への囚われを断ち切りきれない自分が、どうしようもなく歯がゆかった。
ふと、扉の向こうで物音がしたような気がして、私は頭を上げる。
侍女が様子を見に来たのかと思って「どうぞ」と声をかけたが、反応はない。
気のせいかもしれない。少し神経質になっているのかも……。
(……寝よう)
そう思ってまぶたを閉じると、心地よい眠気がじわじわ押し寄せてきた。
どれくらい経ったのか。しばらくして目を覚ますと、窓の外は完全に夜の帳が下りていた。
(しまった、結構寝てしまったかも)
いつの間にかぐっすり眠っていたようだ。侍女が起こしに来てくれなかったところを見ると、ジークフリートが「寝かせてやれ」とでも言ってくれたのかもしれない。
少し身体をほぐしてから、ダイニングに向かう。
すでに遅い時刻だが、ディナーの準備は整っていた。侍女によれば、ジークフリートはまだ書斎にいるという。
(なら、わたしも後で書斎に行ってみようかしら……)
そう思いつつ、軽く胃に負担の少ない食事を取り、侍女に頼んでジークフリートの書斎へと向かった。
廊下を歩いて行くと、扉の下から燈火の明かりが漏れているのが見える。
コンコン、とノックすると中から声がした。
「どうぞ」
部屋に入ると、ジークフリートが机の上に広げた書類に目を落としながら、立ち上がりかけていた。
「……大丈夫か? 眠れていたようだが」
「ええ、おかげさまで。少しスッキリしました。夕食もいただきましたし」
私がそう言うと、彼は軽く頷く。
「それならよかった。食事は……俺は後で取るつもりだ。もう少し仕事が残っていてな」
「ええ、おかげさまで平穏に過ごしております。皆さまもお変わりなく?」
会話自体はあたりさわりのないものだが、やがて一人の夫人が遠慮がちに、しかし好奇心に満ちた声で尋ねてくる。
「ところで……王太子殿下とミーナ嬢の件、ご存じですか? 最近とても話題になっておりますの」
――やはり、そこへ来るのか。私は心がざわつくのを感じながら、平静を装う。
「ええ、新聞や噂話で耳にはしておりますわ。もうわたくしとは無関係のことですので」
できるだけ素っ気なく答える。夫人たちはちらちらと視線を交わし合い、微妙な沈黙が落ちる。
(ほら、やっぱり……私の反応を面白がっているのかもしれない)
王太子に婚約破棄された令嬢。その後どうなったのか、噂のネタにしたいだけなのだろう。
そんな風に思うと、やるせない気持ちになる。
「まあ……そう、ですわよね。確かにあれから時間も経ちましたし」
夫人の一人が話を合わせるように言う。続けて、もう一人が尋ねてくる。
「ところで、アルグレイン男爵は噂ではとても冷徹だと聞きますが……本当のところはいかがですの?」
余計なお世話、と思いつつ、私はできるだけ角を立てないように返事をする。
「いいえ、意外にも優しくしてくださいます。領地のことにも真摯に取り組んでおられて……噂ほど冷たいお方ではございませんわ」
それだけ言うと、今度は夫人たちの表情が微妙に変化した。
「そうですの……それは、よかったですわね」
「お幸せそうで何よりですわ」
内心どう思っているのかはわからない。けれど、こうして私を嘲笑するでもなく、一応は祝福の言葉をかけてくれるだけマシなのかもしれない。
私はその場を穏便に切り上げ、「ではまた」と挨拶して立ち去った。
広場から離れたあと、護衛が心配そうに近づいてくる。
「奥様、大丈夫でしたか? 少し不愉快そうに見えましたが……」
「ええ、何でもないわ。ありがとう」
少しだけ、ため息が漏れる。
――王太子殿下の話題は、私が望まなくても耳に飛び込んでくる。
それは、この国にいる限り、あるいはまだしばらく続くのだろう。
だけど、もう私は王太子を追いかける必要も、彼の行動に心を乱される必要もない。
私は私の道を歩む。ジークフリートのもとで、アルグレイン男爵夫人として――そう決めたはずだ。
そう自分に言い聞かせながら、午後のうちに必要な物を買い集め、屋敷へと帰った。
帰宅すると、ジークフリートは書斎にこもって書類を読んでいたが、私が戻ったと聞くと足早にやってきた。
「買い物はうまくいったか」
「はい、本も購入できましたし、道具もいくつか買えました」
「そうか、それはよかった」
私が曖昧に微笑むと、ジークフリートは少しだけ表情を曇らせる。
「……何かあったのか? あまり明るくないように見えるが」
言い当てられて、一瞬言葉に詰まる。まさか、王太子の話題で少し動揺したなどと言いたくない。
「いえ、大したことではありません。少し疲れたのかもしれませんわ」
そう答えると、ジークフリートは黙って私の様子を見つめる。
浅黒い瞳が、まるで私の心を見透かそうとしているかのように深く感じる。
やがて彼は微かにうなずいて、「ならば、晩餐の前に少し休むといい。侍女に申し付けろ」と言った。
私は「そうさせていただきます」と頭を下げ、早めに部屋に戻ることにした。
ベッドに横たわって目を閉じると、今日の出来事が頭の中を駆け巡る。
(王太子殿下……私はもう、あの方とは何の関係もない。それでも、わずかな未練が残っているの?)
悔しい。彼に捨てられた事実はもちろん、捨てられた私のほうがまだ心を乱されているという現実にも。
今の私は、アルグレイン男爵夫人として生きていくと決めたはず。それに、ジークフリートは……本当に不思議なほど私を大切に扱ってくれる。
なのに、過去への囚われを断ち切りきれない自分が、どうしようもなく歯がゆかった。
ふと、扉の向こうで物音がしたような気がして、私は頭を上げる。
侍女が様子を見に来たのかと思って「どうぞ」と声をかけたが、反応はない。
気のせいかもしれない。少し神経質になっているのかも……。
(……寝よう)
そう思ってまぶたを閉じると、心地よい眠気がじわじわ押し寄せてきた。
どれくらい経ったのか。しばらくして目を覚ますと、窓の外は完全に夜の帳が下りていた。
(しまった、結構寝てしまったかも)
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