婚約破棄されたので、愛のない契約結婚を選んだはずでした

鍛高譚

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第3章 求婚者たちの再来と、夫の執着

22話

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5.求婚者たちの暗躍と、公爵の決意

 翌日、カーテンリンゼは思いのほか早く目が覚めた。昨夜あれだけ感情が高ぶったのだから、ぐっすり眠れるはずもない。頭は少し重く、胸の奥でまだ得体の知れない熱がくすぶっている。
 「……とりあえず、今日も普段どおり動くしかないわね」
 そう自分を奮い立たせるようにして起き上がる。侍女が用意してくれた朝の茶をすすりながら、カーテンリンゼは“公爵夫人”としての日常をこなそうと心に決めた。今ここで自分が立ち止まれば、周囲はすぐに不安がり、あらぬ憶測を立てるだろう。

 だが、そんな彼女の決意とは裏腹に、状況は落ち着くどころかさらに荒れ模様へと向かっていた。舞踏会翌日から、ヴァレンシュタイン公爵家には連日、来客や贈答品が押し寄せてきたのである。
 「公爵夫人に差し上げたい品がある」
 「先日の舞踏会でお姿を拝見し、どうしても一目お会いしたく……」
 そんな申し出が途絶えず、執事や侍女たちは対応に追われる。中には明らかに恋慕を示すような手紙や贈り物まで届き、その数は日に日に増えていった。
 ――どれもこれも、例の噂の影響だろう。王太子があの態度を取ったことで、“元王太子妃候補”であるカーテンリンゼの市場価値(と表現するのも失礼だが)が再評価されているのだ。さらに、契約結婚で愛のない夫婦だという噂まで加わり、「もしかすると公爵夫人を奪えるかもしれない」と考える輩が増えているのかもしれない。

 「……全く、嫌になるわね」
 カーテンリンゼは書斎の机で山積みになった手紙に目を通しながら、心底うんざりする。だが、その多くを無視するわけにもいかない。貴族社会では礼儀が重要だ。完全に無視すれば、かえって失礼にあたって逆恨みを買いかねないし、公爵家の評判にも影響する。
 「一通一通返信するだけでも骨が折れますね……」
 付き添っていた侍女長が苦笑いを浮かべる。だが、カーテンリンゼはあくまで冷静だ。
 「いいえ、最低限の礼を失しないようにだけ対応して、それでもしつこい相手にはきちんと断る旨を伝えてちょうだい。こちらが大人しくしていれば、いつかは飽きるわ……」

 しかし、その“いつか”がいつになるかはわからない。そもそも彼らの意図は“公爵夫人をこっそり口説く”ことにあるのだから、そう簡単に退くはずもない。
 案の定、その日の午後にも、またしても厄介な来客が姿を現した。ユステン侯爵家やマクシミリアン伯爵家の者たちだ。かつてカーテンリンゼを口説きに来た連中が、グループのように複数人で訪ねてきたのである。
 「公爵様はご不在でも、公爵夫人様にはお会いできるだろう? 今日はご機嫌伺いに来ただけだよ」
 「そうそう、先日の舞踏会でもあまりお話ができなかったしね。夫人様の美しさを改めて拝見できれば、それだけで満足……」

 声や態度こそ丁寧だが、その目つきはまるで獲物を狙う猛禽のよう。カーテンリンゼは応接室で一歩も引かずに応対したが、彼らは執拗にお茶会や食事への誘いを繰り返す。明らかに警戒されているとわかっていながら、しつこく食い下がるのだ。
 ――これが、貴族の世界。表向きは礼儀正しく、言葉を飾り立てていても、裏では打算や欲望が渦巻いている。
 カーテンリンゼは、ふと遠い過去を思い出す。自分が王太子妃候補だったころも、こんな連中が大勢接近してきた。結局、彼らは“名声と地位”を得るためなら平気で人の心を踏みにじる。そうした光景を見て、彼女はいつしか“愛なんてものはなくていい”と思うようになったのだ。

 (でも、今は……あの人がいる。レオポルド・ヴァレンシュタイン公爵……)
 思いが巡るなか、一人の伯爵令息が唐突に彼女の手を取ろうとした。
 「ああ、夫人様。そんなにも他人行儀に構えずとも。私たちは同じ王都で生きる仲間じゃないですか。もう少しだけ心を開いていただきたい……」
 反射的にカーテンリンゼは手を振り払い、冷たい声で押し返す。
 「失礼ですね。私は公爵夫人です。あなた方と仲間であるつもりはございません。余計な接触はおやめください」

 部屋の空気が凍りついたように静まりかえった。しかし、先頭に立っていたユステン侯爵の息子がケラケラと笑う。
 「おお、これは恐ろしい。……でも、意外と嫌いじゃありませんね、その冷たさ。王太子殿下とは違い、公爵様は愛を求めていないのなら、夫人様もいつかはそういう情熱に飢える日が来るんじゃないかな?」
 その下品な言葉に、カーテンリンゼは怒りがこみ上げる。もはや礼儀云々の話ではない。だが、どう反論しようと、こういう男たちは一向に退かないだろう。
 ――そのとき、扉が勢いよく開いた。

 「貴様ら、いい加減にしろ」
 低く響く怒声。そこに立っていたのは、昼には外出していたはずのレオポルド公爵。よほど急いで戻ってきたのだろうか、軍服の襟元が少し乱れている。
 その姿を見て、男たちは一瞬で顔色を変えた。レオポルドの鋭い瞳には、明らかに怒りの炎が宿っている。
 「お、おや、公爵様。これはこれは……」
 ユステン侯爵の息子が取り繕うような笑みを浮かべようとするが、レオポルドは容赦なく一喝する。

 「公爵夫人は私の妻だ。あまりにも節度を欠いた言動は許さない。今すぐ出て行け」
 それはまるで戦場で敵を威嚇するときのような迫力だった。普段は控えめに見える執事や衛兵たちも、すでにレオポルドの後ろに控え、男たちを威圧する構えをとっている。
 「くっ……これほどとは……」
 彼らはさすがに観念したのか、何の文句も言えずに引き下がっていった。応接室に残ったのは、レオポルドとカーテンリンゼ、そして緊張でこわばった侍女たちだけ。

 「カーテンリンゼ、怪我はないか?」
 レオポルドは床に落ちたティーカップを気にかけるように、彼女のそばへ駆け寄る。その行動に、周囲の侍女たちが微妙に顔を赤らめているのが見える。
 「ええ、大丈夫です。少し手を取られかけただけですから、問題ありません」
 そう言いながらも、心臓の鼓動はまだ速い。彼らの下衆な言葉に腹立たしさを感じたのもあるが、何よりレオポルドの怒りが自分のために向けられていたことが、大きな衝撃として胸に響いている。

 「……許せない」
 レオポルドが低く呟いた。その瞳はまだ怒りを収めきれず、部屋の片隅を睨んでいる。
 「奴らが言っていたように、お前がいつか愛に飢えるなどと……思ったこともない。お前はもう十分、私に――」
 そこまで言いかけて、レオポルドは視線を落とし、言葉を飲み込んだ。侍女たちが聞いているからかもしれない。
 「……執事。今後、あのような連中を敷地内に入れないように。特にユステン侯爵家やマクシミリアン伯爵家の者は、二度と歓迎しない。すぐに警備を強化しろ」
 鋭い声で命令を下すと、執事は畏まって「かしこまりました」と答え、侍女たちと共に急いで応接室を片付け始める。

 カーテンリンゼは気まずそうに立ち尽くし、レオポルドの横顔を盗み見る。先日の夜とは違う、激しい感情を剥き出しにした姿がそこにある。契約結婚の余所余所しさなど微塵も感じられない、むき出しの独占欲。
 (……私を守る、って言ってくれた。本当に、こうやって守ってくれている)
 その事実が、どれほど嬉しく感じられるか。いまだに自分の感情に戸惑いはあるが、それでも一つ確かなことは――彼を頼りたくなるほど、心が傾いているということ。

 応接室を出るとき、レオポルドはちらりとこちらを見て低く言う。
 「悪いが、しばらく外出は控えたほうがいい。ああいう輩がうろついている以上、お前に万が一のことがあっては困る」
 「……わかりました。私も、しばらくはおとなしく館にいます」
 頷いたカーテンリンゼに、レオポルドは短い安堵の息を漏らし、しかしすぐに厳しい顔つきへと戻った。
 「もう二度と、あんなことはさせない。たとえ王太子でも、誰だろうと、お前を奪わせたりはしない。……お前が私のもとにいる限りは」

 その言葉は、まるで“もしお前が望んで出ていくのなら止めない”とも聞こえる。だが、確固たる独占欲と執着が感じられるのも確かだ。
 (私があなたのもとに“いたい”と伝えれば、あなたは喜んでくれるの……?)
 心の奥底で芽生えた小さな声にカーテンリンゼは動揺する。契約結婚という枠組みの外に踏み出すことは、まだ怖い。でも、もう後戻りもできない気がしていた。
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