婚約破棄されたので、愛のない契約結婚を選んだはずでした

鍛高譚

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第4章 愛のない結婚のはずだったのに

24話

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1.一通の手紙と、不穏な計画

 ヴァレンシュタイン公爵家の朝は、いつもと変わらず始まった。だが、邸内の空気にはどこか張り詰めたものが漂っている。
 数日前から続く“公爵夫人への求婚騒動”は、さらに拡大していた。外出するにも警護をつけなければならない状況で、カーテンリンゼが王都の街を歩こうものなら、下世話な男たちが遠巻きに視線を送ってくる。館へ押しかける連中はレオポルドの一喝で追い返しているが、彼らが完全に諦めるとは思えない。
 そのせいか、執事や侍女たちの表情も暗い。何より、カーテンリンゼ自身が気の休まる暇を得られずにいた。

 「ああ、お嬢……いえ、公爵夫人様。今朝はお顔の色が優れませんね……」
 侍女が心配そうに声をかける。まだ若い侍女だが、最近は“公爵夫人”としての忙しさに追われるカーテンリンゼを慮り、いろいろと気遣いをしてくれていた。
 「大丈夫よ。眠りが浅かっただけだから、少しお茶でもいただけば回復するわ」
 微笑んではみせるが、その胸には不安が巣食っている。

 それでも、机には処理しなければならない文書が山積みだ。領地の報告、慈善事業への依頼書、公爵夫人宛ての問い合わせ――そして、今日も嫌味な手紙や花束まで届いている。
 (ああ、面倒……)
 内心でため息をつきかけたところへ、執事が落ち着いた足取りでやってきた。
 「公爵夫人様、申し訳ございません。今朝方、王宮から急ぎの使者が訪れまして……こちらの書簡を預かっております」
 差し出された封筒には王家の紋章が刻まれている。王宮からの正式な手紙だ。近頃は王太子エドワルドが何かと“再アプローチ”を匂わせていたが、はたしてその件に関連するのだろうか。

 封を切り、中身を確認すると――そこには意外な内容が記されていた。
 「……王妃陛下が主催される“春の庭園遊会”への招待状、ですか」
 執事が不思議そうに首を傾げる。わざわざ急ぎで届けるほどのものかどうか、判断に迷うところだ。
 通常、春の庭園遊会とは、王宮の奥庭で行われる上流貴族向けの小規模な交流パーティで、舞踏会ほどの華やかさはない。より内輪で落ち着いた雰囲気の場として知られているが、それだけに、招待される人々はかなり選りすぐりの面子となる。
 「王妃陛下が新たに企画なさったらしいのですが、その中で公爵夫妻にもぜひ参加いただきたいとのことで……。どうやら、今回は『王家と関係の深い貴族夫婦』を中心に招くおつもりのようです」

 そう説明されても、カーテンリンゼにはピンとこない。王家と深い関係があるといえば、確かにかつて“王太子の婚約者”だった自分も含まれるし、今はレオポルドが軍の要職と公爵位を得ている。形式的には順当かもしれないが、今の時期にわざわざ“内輪”の集まりに呼ばれるとは不自然に思える。
 (これは、もしかして……エドワルド殿下が画策しているのかもしれない)
 嫌な予感が胸を過る。もし本当にエドワルドが裏で糸を引き、自分に再アプローチする機会を狙っているのだとしたら、いよいよ避けきれない場面がやってくる可能性が高い。

 「公爵夫人様、参加なさいますか? 無理に欠席されるのも一つの手かと思いますが……」
 執事の声は穏やかだが、そこに滲むのは“危険回避”の提案。いまや王太子と公爵夫妻の関係がぎくしゃくしていることは、館の者たちにも周知の事実だろう。
 だが、ここで下手に欠席すれば、王家への反逆と捉えられかねない。新興ながら軍事力で地位を確立したヴァレンシュタイン公爵家にとって、王家との衝突は避けたいものだ。
 「……公爵様と相談してみます。すぐに答えは出せないわ。とりあえず、今は保留ということで……」

 執事が退出すると、カーテンリンゼは椅子に深く腰かけ、手紙を握りしめたまま物思いに沈む。
 ――王太子殿下が仕組んだ罠かもしれない。だが、逃げ続けるわけにもいかない。あの人(レオポルド)と歩む道を、いつまでも中途半端な気持ちのままでいいのだろうか。

 まだ頭が整理できずにいるところへ、とんとんとノックが聞こえる。
 「カーテンリンゼ、入るぞ」
 聞き慣れた低い声。カーテンリンゼはすぐに背筋を伸ばし、扉が開かれるのを待った。現れたのは当然、レオポルド公爵。彼もまた、早朝から軍務や領地管理の報告で忙しく動き回っていたはずだ。
 「執事から聞いた。王妃陛下の庭園遊会……どうするつもりだ?」

 あいさつもそこそこに本題へ。カーテンリンゼは手紙を彼に差し出し、「あなたならどうお考えになりますか?」と静かに問う。
 「出席するのが得策か、欠席するのが無難か、私にはまだ判断がつかなくて……」
 レオポルドは書簡にざっと目を通し、うっすらと眉を寄せた。
 「正直、気乗りはしないな。だが、王妃陛下が招待している以上、粗略には扱えない。単に社交の一環ならいいが、最近の王太子の動きを考えると、一筋縄ではいかないだろう」
 まったく同じ考えだ。二人の視線がふと絡み合う。そこには“どうする?”という無言の問いかけが漂っている。

 しばし沈黙が落ちたあと、カーテンリンゼが意を決したように言葉を放った。
 「……私は、行きましょう。どのみち、殿下から逃げ続けるわけにはいかない。私たちが公爵夫妻として共にいる以上、正面からけりをつけるしかないと思います」
 その声ははっきりとした決意を帯びていた。驚いたように目を見開くレオポルドに、小さく微笑みを返す。
 「もちろん、あなたが嫌なら無理には……」
 「いや、構わない。お前がそこまで覚悟を決めているなら、私も同行しよう。……王太子が何を企んでいようと、もう二度とお前を手放す気はない」

 その言葉に、カーテンリンゼの心が強く揺れる。彼のまっすぐな瞳が、自分だけを見ている――そう感じると、どこか安堵が広がった。
 ――契約だったはずなのに、今は守られていると感じるのが嬉しい。彼と並んで歩くのが当たり前のように思える。でも、まだ言葉にはできない想いが絡み合っているのも事実だ。
 「では、日程に合わせて準備をしましょう。王宮の奥庭……きっと殿下やほかの貴族たちも集まるはずだから、何があってもおかしくないわね」
 そう呟いた彼女に、レオポルドは頷き、「遠慮はいらない。何かあれば、すぐに私を頼れ」とだけ言って書斎へ戻っていった。
 その背中を見送りながら、カーテンリンゼはそっと手紙を胸に抱く。あの庭園遊会が、二人の行く末を大きく変える転機になる――そんな予感は、既に胸の奥でうずまいていた。
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