1 / 16
1‑1 婚約破棄宣告
しおりを挟む1‑1 婚約破棄宣告
夜明けの薄紅が消えかけた頃、王城の大広間には早くも人いきれがこもっていた。磨き抜かれた黒大理石の床は蜃気楼のように揺らぎ、燦然たるシャンデリアは昨夜の舞踏会の名残を映し出す。高位貴族、枢機卿、重臣、そして噂好きの社交界人――誰もが胸を高鳴らせながら“物語の続きを見届けに”集まっている。
やがて黄金のラッパが鳴り響き、王太子アルベルト・ディアスが姿を見せた。血色のマントを翻す彼は、絵に描いたような英雄面で玉座の一段下に立つと、満場の視線を受け止める。隣には昨夜“ガラスの靴の奇跡”で国中の同情を攫った平民娘、エラ・ブランシェ。純白のドレスに包まれた彼女は怯えた小鳥のように俯き、か弱げな涙を光らせている。――その演技が周到な計算であることを、ここにいるほとんどは気づいていない。
「諸卿!」
王太子の朗々たる声が石壁に反響した瞬間、ざわめきは水面の波紋のように静まった。
「私は昨夜、真実の愛と運命の奇跡を授かった。ゆえに本日をもって、セシリア・ド・エラントとの婚約を破棄し、ここにいるエラ・ブランシェを新たな妃候補として迎える!」
宣告は落雷のごとく響き渡った。ざわめき、嘲笑、溜息――音が渦巻く中、当事者として名を呼ばれたセシリアは、一歩も動かず壇上を見上げていた。
真紅のカーペットの端、自身の席へ向かって伸びる視線は冷たい刃であり、憐れみに満ちた泥でもある。だが彼女の翡翠の瞳はそのどれも映さず、湖面のように静かに光を湛えていた。
「セシリア・ド・エラント」
アルベルトが名を重ねて呼ぶ。まるで罪状を読み上げる裁判官のように。
「昨夜、貴公の嫉妬深い悪行によりエラ嬢がどれほど傷ついたか、余は耳にしている。よって貴公には王家ならびに被害者への謝罪を命ずる。今ここで、ひざまずき、その口で悔いを述べよ」
会衆の視線が突き刺さる。セシリアは立ち上がり、ゆるやかに裾を整えてから静かに歩み出た。絹のドレスは深い葡萄色――“毒を盛る悪女”という噂を意識した色合いだ。壇上の真下、王太子とエラを見上げる位置で足を止めると、彼女はゆったりと一礼した。
「――このたびは、私の存在が殿下の夢を曇らせたこと、深くお詫び申し上げます」
凛とした声音にざわりと空気が震える。嘲弄にも哀願にも染まらない、凍てつくほどの優雅さ。アルベルトは一瞬、言葉を失った。エラは怯えた演技を忘れ、羨望の色を瞳に滲ませた。
「しかしながら殿下。私に課された“罪”が、噂と涙だけで裁かれるのならば――王国法典の公正はどこへ行かれたのでしょう?」
抑えた声が広間に澄みわたる。貴族たちは息を飲み、王太子の側近たちは顔を青ざめさせた。アルベルトは憤然と手を振り、「余を糾弾するのか!」と声を荒げる。しかしセシリアは微笑んだ。
「いえ。私はただ、殿下の“慈愛”こそが絶対であると承知いたしました。――ゆえに、これ以上その光を遮らぬよう、身を引きましょう」
再び深い最敬礼。そして背を向け、ゆっくりと歩き出す。絨毯の上に刻まれる足音は、王都の歴史が大きく軋む前触れのようだった。
「待て、セシリア!」
王太子の制止には応えず、彼女は振り返らない。漆黒の髪が胸元で波打ち、淡く揺れる香には薔薇ではなく鋭利な竜胆の気配が混ざる。
――悪役令嬢で結構。王子の愛も王妃の座もいらない。
私が奪われたのは《真実》ただ一つ。ならば、それを取り返す物語を、私自身が書き換えてみせる。
広間の扉が重々しく閉じられた瞬間、誰かの喉が鳴る音がやけに大きく響いた。残る者たちは、去り際のセシリアの横顔から目を離すことができず、囁きは瞬く間に渦を巻いていく――
「やはり“悪役令嬢”は、絵になる」
「いや、今の威厳はむしろ――」
「もしかして真実は別にあるのでは……?」
だが誰も気づかない。王太子の傍らでエラが震わせた笑みの裏に、継母レオノーラが仕込んだ勝利の毒が隠れていることを。
そして、扉の外でセシリアが密かに握りしめた、小指の爪ほどの〈真実結晶〉が新たな夜明けを告げていることを――。
15
あなたにおすすめの小説
「『お前に書く手紙などない』と言った婚約者へ、私は7年間手紙を書き続けた——ただし、届け先は別の人でした」
歩人
ファンタジー
辺境伯令嬢リゼットは、婚約者に7年間手紙を書き続けた。返事は一度もなかった。
「お前に書く手紙などない。顔も覚えていない」——婚約破棄。しかしリゼットは
泣かなかった。手紙の本当の届け先は、最初から別にあったから。前世の情報分析
能力で辺境の異変を読み解き、暗号として織り込んだ7年分の手紙。それを受け取り
続けていたのは第一王子。リゼットは誰にも知られず、王国を守っていた。
婚約破棄の翌朝、王子からの手紙が届く。「7年間、ありがとう。迎えに行く」
四の五の言わず離婚届にサインをしてくれません?
白雲八鈴
恋愛
アルディーラ公爵夫人であるミレーネは、他の人からみれば羨ましいと思える立場にいた。
王妹の母譲りの美人の顔立ち、公爵夫人として注目を集める立場、そして領地の運営は革命と言えるほど領地に潤いを与えていた。
だが、そんなミレーネの心の中にあるのは『早く離婚したい』だった。
順風満帆と言えるミレーネは何が不満なのか。その原因は何か。何故離婚できないのか。
そこから始まる物語である。
『婚約破棄されたので北の港を発展させたら
ふわふわ
恋愛
王立学園の卒業舞踏会。
公爵令嬢アリアベルは、王太子カルディオンから突然の婚約破棄を告げられる。
「真実の愛を見つけた」
そう言って王太子が選んだのは、涙を流す義妹ヴィオレッタだった。
王都から追い出され、すべてを失った――
はずだった。
アリアベルが向かったのは、王国の北にある小さな港町。
しかし彼女の手腕によって港は急速に発展し、やがて王国最大の交易港へと変わっていく。
一方その頃、王太子と義妹は王都で好き勝手に振る舞っていたが――
やがてすべてが崩れ始める。
王太子は国外追放。
義妹は社交界から追放され修道院送り。
そして気づいた頃には、北の港こそが王国の中心になっていた。
「私はもう誰のものでもありません」
これは、婚約破棄された令嬢が自分の人生を取り戻し、
王国の未来を変えていく物語。
そして――
彼女の隣には、いつしか新しい王太子の姿があった。
婚約破棄から始まる、逆転ざまぁロマンス。✨
【完結】恋の終焉~愛しさあまって憎さ1000倍~
つくも茄子
恋愛
五大侯爵家、ミネルヴァ・リゼ・ウォーカー侯爵令嬢は第二王子の婚約者候補。それと同時に、義兄とも婚約者候補の仲という複雑な環境に身を置いていた。
それも第二王子が恋に狂い「伯爵令嬢(恋人)を妻(正妃)に迎えたい」と言い出したせいで。
第二王子が恋を諦めるのが早いか。それとも臣籍降下するのが早いか。とにかく、選ばれた王子の婚約者候補の令嬢達にすれば迷惑極まりないものだった。
ミネルヴァは初恋の相手である義兄と結婚する事を夢見ていたというに、突然の王家からの横やりに怒り心頭。それでも臣下としてグッと堪えた。
そんな中での義兄の裏切り。
愛する女性がいる?
その相手と結婚したい?
何を仰っているのでしょうか?
混乱するミネルヴァを置き去りに義兄はどんどん話を続ける。
「お義兄様、あなたは婿入りのための養子縁組ですよ」と言いたいのをグッと堪えたミネルヴァであった。義兄を許す?許さない?答えは一つ。
処刑台の皇妃、回帰して復讐を誓う ~冷酷公爵と偽りの婚約者~ おまえたちは許さない!
秦江湖
ファンタジー
皇妃エリアーナは、夫である皇帝アランと、たった一人の親友イザベラの策略により、無実の罪で処刑される。
民衆に罵られ、アランの冷酷な目とイザベラの嘲笑を「始まりの景色」として目に焼き付けながら絶命した彼女は、しかし、処刑の記憶を持ったまま三年前の過去に回帰する。
「おまえたちは許さない」
二度目の人生。
エリアーナの目的はただ一つ、自分を陥れた二人への完璧な復讐。
彼女はまず、アラン(皇太子)からの婚約内示を拒絶。そして、アラン最大の政敵である「北の冷血公爵」ルシアン・ヴァレリウスに接触する。
1周目で得た「未来の知識」を対価に、エリアーナはルシアンに持ちかける。
「貴方様には帝国の覇権を。わたくしには復讐の舞台を。そのための『契約婚約』を――」
憎悪を糧に生きる皇妃と、氷の瞳を持つ公爵。
二人の偽りの婚約の行く末は……
婚約破棄の慰謝料として『王国の半分』を要求したら、本当にくれたので、今日から私があなたの女王様です
唯崎りいち
恋愛
婚約破棄の慰謝料に
「王国の半分」を要求したら、
ゴミみたいな土地を押し付けられた。
ならば――関所を作りまくって
王子を経済的に詰ませることにした。
支配目当ての女王による、
愛なき(?)完全勝利の記録。
婚約破棄されたので、もうあなたを想うのはやめます
藤原遊
恋愛
王城の舞踏会で、公爵令息から一方的に婚約破棄を告げられた令嬢。
彼の仕事を支えるため領地運営を担ってきたが、婚約者でなくなった以上、その役目を続ける理由はない。
去った先で彼女の能力を正当に評価したのは、軍事を握る王弟辺境伯だった。
想うことをやめた先で、彼女は“対等に必要とされる場所”を手に入れる。
婚約破棄された地味令嬢は、無能と呼ばれた伯爵令息と政略結婚する ~あなたが捨てたのは宝石でした~
新川 さとし
恋愛
「地味で可愛げがない」と婚約破棄された侯爵令嬢クリスティーヌ。
王子の政務を陰で支え続けた功績は、すべて無かったことにされた。
居場所を失った彼女に差し出されたのは、“無能”と噂される伯爵令息ノエルとの政略結婚。
しかし彼の正体は、顔と名前を覚えられない代わりに、圧倒的な知識と判断力を持つ天才だった。
「あなたの価値は、私が覚えています」
そう言って彼の“索引(インデックス)”となることを選んだクリスティーヌ。
二人が手を取り合ったとき、社交界も、王家も、やがて後悔することになる。
これは、不遇な二人が“最良の政略結婚”を選び取り、
静かに、確実に、幸せと評価を積み上げていく物語。
※本作は完結済み(全11話)です。
安心して最後までお楽しみください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる