「王妃の座? 要りませんわ。――私が欲しいのは“真実”だけ」

鍛高譚

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 1‑1 婚約破棄宣告

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 1‑1 婚約破棄宣告

 夜明けの薄紅が消えかけた頃、王城の大広間には早くも人いきれがこもっていた。磨き抜かれた黒大理石の床は蜃気楼のように揺らぎ、燦然たるシャンデリアは昨夜の舞踏会の名残を映し出す。高位貴族、枢機卿、重臣、そして噂好きの社交界人――誰もが胸を高鳴らせながら“物語の続きを見届けに”集まっている。

 やがて黄金のラッパが鳴り響き、王太子アルベルト・ディアスが姿を見せた。血色のマントを翻す彼は、絵に描いたような英雄面で玉座の一段下に立つと、満場の視線を受け止める。隣には昨夜“ガラスの靴の奇跡”で国中の同情を攫った平民娘、エラ・ブランシェ。純白のドレスに包まれた彼女は怯えた小鳥のように俯き、か弱げな涙を光らせている。――その演技が周到な計算であることを、ここにいるほとんどは気づいていない。

 「諸卿!」
 王太子の朗々たる声が石壁に反響した瞬間、ざわめきは水面の波紋のように静まった。
 「私は昨夜、真実の愛と運命の奇跡を授かった。ゆえに本日をもって、セシリア・ド・エラントとの婚約を破棄し、ここにいるエラ・ブランシェを新たな妃候補として迎える!」

 宣告は落雷のごとく響き渡った。ざわめき、嘲笑、溜息――音が渦巻く中、当事者として名を呼ばれたセシリアは、一歩も動かず壇上を見上げていた。
 真紅のカーペットの端、自身の席へ向かって伸びる視線は冷たい刃であり、憐れみに満ちた泥でもある。だが彼女の翡翠の瞳はそのどれも映さず、湖面のように静かに光を湛えていた。

 「セシリア・ド・エラント」
 アルベルトが名を重ねて呼ぶ。まるで罪状を読み上げる裁判官のように。
 「昨夜、貴公の嫉妬深い悪行によりエラ嬢がどれほど傷ついたか、余は耳にしている。よって貴公には王家ならびに被害者への謝罪を命ずる。今ここで、ひざまずき、その口で悔いを述べよ」

 会衆の視線が突き刺さる。セシリアは立ち上がり、ゆるやかに裾を整えてから静かに歩み出た。絹のドレスは深い葡萄色――“毒を盛る悪女”という噂を意識した色合いだ。壇上の真下、王太子とエラを見上げる位置で足を止めると、彼女はゆったりと一礼した。

 「――このたびは、私の存在が殿下の夢を曇らせたこと、深くお詫び申し上げます」

 凛とした声音にざわりと空気が震える。嘲弄にも哀願にも染まらない、凍てつくほどの優雅さ。アルベルトは一瞬、言葉を失った。エラは怯えた演技を忘れ、羨望の色を瞳に滲ませた。

 「しかしながら殿下。私に課された“罪”が、噂と涙だけで裁かれるのならば――王国法典の公正はどこへ行かれたのでしょう?」

 抑えた声が広間に澄みわたる。貴族たちは息を飲み、王太子の側近たちは顔を青ざめさせた。アルベルトは憤然と手を振り、「余を糾弾するのか!」と声を荒げる。しかしセシリアは微笑んだ。

 「いえ。私はただ、殿下の“慈愛”こそが絶対であると承知いたしました。――ゆえに、これ以上その光を遮らぬよう、身を引きましょう」

 再び深い最敬礼。そして背を向け、ゆっくりと歩き出す。絨毯の上に刻まれる足音は、王都の歴史が大きく軋む前触れのようだった。

 「待て、セシリア!」
 王太子の制止には応えず、彼女は振り返らない。漆黒の髪が胸元で波打ち、淡く揺れる香には薔薇ではなく鋭利な竜胆の気配が混ざる。

 ――悪役令嬢で結構。王子の愛も王妃の座もいらない。
 私が奪われたのは《真実》ただ一つ。ならば、それを取り返す物語を、私自身が書き換えてみせる。

 広間の扉が重々しく閉じられた瞬間、誰かの喉が鳴る音がやけに大きく響いた。残る者たちは、去り際のセシリアの横顔から目を離すことができず、囁きは瞬く間に渦を巻いていく――

 「やはり“悪役令嬢”は、絵になる」
 「いや、今の威厳はむしろ――」
 「もしかして真実は別にあるのでは……?」

 だが誰も気づかない。王太子の傍らでエラが震わせた笑みの裏に、継母レオノーラが仕込んだ勝利の毒が隠れていることを。
 そして、扉の外でセシリアが密かに握りしめた、小指の爪ほどの〈真実結晶〉が新たな夜明けを告げていることを――。

                                            
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