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5話
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隣国トスカーナへ
トスカーナ公国――
それは、山と緑に囲まれた温暖な土地であり、文化と芸術を尊ぶ穏やかな国家である。
帝国から追放されたフローレンスがたどり着いたのは、その都・ベラルーチェの王都手前、カステッロの街だった。
王子フェルディナンドの手引きにより、彼女はとある別邸に招かれた。
「この屋敷は、療養中の方が使っていたものだけど、今は空いていてね。しばらく、ここでゆっくりするといい」
「まあ……お風呂、ベッド、お紅茶まで……ここ、天国ですの?」
フローレンスはふかふかのソファに沈み込み、紅茶の香りにうっとりしながら言った。
フェルディナンドは笑いながら椅子に腰掛ける。
「君、本当に変わってるな。普通、聖女ってもっと……ありがたがられるものじゃないのか?」
「ありがたがられた記憶なんてありませんわ。むしろ、のけ者扱いでしたし」
そう言ってカップを持ち上げた手が、ほんの僅かに震えていた。
フェルディナンドは、その微かな揺れを見逃さなかった。
「……辛かったんだな」
「え?」
「平気そうな顔をして、全部我慢してきたんだろう。君は“何もしない”んじゃなくて、“何もできないって言い続けていたのに、誰も聞いてくれなかった”だけだ」
「…………」
フローレンスは、そっとまつ毛を伏せた。
心の奥に置いてきた感情が、ひとしずく、涙になって零れる。
「……ここに来て、よかった……」
「そう思ってくれたなら、何よりだ」
フェルディナンドは立ち上がり、窓を開けた。
春の香りを運ぶ風が、カーテンを揺らす。
「君のことを、王宮に紹介しようと思ってる。父上……国王陛下にも」
「こ、国王陛下に!?」
「うん。実は今、父上が長く寝込んでいてね。どんな治療も効果が出なかったんだけど……君に会えば、なぜか何かが起こるような気がするんだ」
「私は……何もできませんわよ?」
「それでもいい。“何もしない”君だからこそ、できることがある気がするんだ」
その数日後、フローレンスは王宮に招かれることとなる。
トスカーナ王宮――白壁に囲まれたその城は、帝国の重厚な宮廷とは対照的に、光と風のあふれる空間だった。
「……本当に、入ってしまってよかったのかしら……」
両手を前に組み、やや不安げな面持ちのフローレンス。
だが、王宮に足を踏み入れたその瞬間――
空気が変わった。
ふと、王宮の花壇に咲く花々が、一斉に陽に向かって顔を上げた。
通路の壁を伝う蔦の葉が、鮮やかに色づく。
「……なんだか、あったかい」
一人の侍女がぽつりと呟いた。
王宮内に、柔らかな光が満ち始める。
それは誰にも理解できない、だが確かに“祝福”のような気配だった。
そして王の寝室。
長らく病に伏していた国王レオポルドが、彼女が室内に入ったその瞬間、深く息を吸い込み、目を開いた。
「……これは、夢か……?」
侍医たちが駆け寄る。
「こ、国王陛下!?」
「体が……軽い。久しく味わっていなかった、まるで若返ったような……」
「これは奇跡です! こんな急回復、医学的にあり得ません……!」
ざわめく医師たちの背後で、フローレンスはただきょとんとしていた。
「私……何もしていませんのに」
フェルディナンドは微笑みながら、その肩に手を置いた。
「それでいい。君は“いてくれるだけ”で、周りを癒している。……それが、君の力だよ」
国王はフローレンスの手を取った。
「トスカーナは、君のような奇跡を歓迎しよう。“何もしないで奇跡を起こす聖女”として、我が国にいてくれないか?」
フローレンスは、目を丸くして、それから小さく笑った。
「では……お茶とお昼寝の時間は、保証してくださいます?」
その返答に、王宮中が和やかな笑いに包まれた。
こうして、“偽聖女”として追放されたフローレンスは、
“何もしない聖女”として、トスカーナに迎えられることとなった。
それが、国家を救う静かな奇跡の始まりであることを、
この時、誰もがまだ知らなかった――。
トスカーナ公国――
それは、山と緑に囲まれた温暖な土地であり、文化と芸術を尊ぶ穏やかな国家である。
帝国から追放されたフローレンスがたどり着いたのは、その都・ベラルーチェの王都手前、カステッロの街だった。
王子フェルディナンドの手引きにより、彼女はとある別邸に招かれた。
「この屋敷は、療養中の方が使っていたものだけど、今は空いていてね。しばらく、ここでゆっくりするといい」
「まあ……お風呂、ベッド、お紅茶まで……ここ、天国ですの?」
フローレンスはふかふかのソファに沈み込み、紅茶の香りにうっとりしながら言った。
フェルディナンドは笑いながら椅子に腰掛ける。
「君、本当に変わってるな。普通、聖女ってもっと……ありがたがられるものじゃないのか?」
「ありがたがられた記憶なんてありませんわ。むしろ、のけ者扱いでしたし」
そう言ってカップを持ち上げた手が、ほんの僅かに震えていた。
フェルディナンドは、その微かな揺れを見逃さなかった。
「……辛かったんだな」
「え?」
「平気そうな顔をして、全部我慢してきたんだろう。君は“何もしない”んじゃなくて、“何もできないって言い続けていたのに、誰も聞いてくれなかった”だけだ」
「…………」
フローレンスは、そっとまつ毛を伏せた。
心の奥に置いてきた感情が、ひとしずく、涙になって零れる。
「……ここに来て、よかった……」
「そう思ってくれたなら、何よりだ」
フェルディナンドは立ち上がり、窓を開けた。
春の香りを運ぶ風が、カーテンを揺らす。
「君のことを、王宮に紹介しようと思ってる。父上……国王陛下にも」
「こ、国王陛下に!?」
「うん。実は今、父上が長く寝込んでいてね。どんな治療も効果が出なかったんだけど……君に会えば、なぜか何かが起こるような気がするんだ」
「私は……何もできませんわよ?」
「それでもいい。“何もしない”君だからこそ、できることがある気がするんだ」
その数日後、フローレンスは王宮に招かれることとなる。
トスカーナ王宮――白壁に囲まれたその城は、帝国の重厚な宮廷とは対照的に、光と風のあふれる空間だった。
「……本当に、入ってしまってよかったのかしら……」
両手を前に組み、やや不安げな面持ちのフローレンス。
だが、王宮に足を踏み入れたその瞬間――
空気が変わった。
ふと、王宮の花壇に咲く花々が、一斉に陽に向かって顔を上げた。
通路の壁を伝う蔦の葉が、鮮やかに色づく。
「……なんだか、あったかい」
一人の侍女がぽつりと呟いた。
王宮内に、柔らかな光が満ち始める。
それは誰にも理解できない、だが確かに“祝福”のような気配だった。
そして王の寝室。
長らく病に伏していた国王レオポルドが、彼女が室内に入ったその瞬間、深く息を吸い込み、目を開いた。
「……これは、夢か……?」
侍医たちが駆け寄る。
「こ、国王陛下!?」
「体が……軽い。久しく味わっていなかった、まるで若返ったような……」
「これは奇跡です! こんな急回復、医学的にあり得ません……!」
ざわめく医師たちの背後で、フローレンスはただきょとんとしていた。
「私……何もしていませんのに」
フェルディナンドは微笑みながら、その肩に手を置いた。
「それでいい。君は“いてくれるだけ”で、周りを癒している。……それが、君の力だよ」
国王はフローレンスの手を取った。
「トスカーナは、君のような奇跡を歓迎しよう。“何もしないで奇跡を起こす聖女”として、我が国にいてくれないか?」
フローレンスは、目を丸くして、それから小さく笑った。
「では……お茶とお昼寝の時間は、保証してくださいます?」
その返答に、王宮中が和やかな笑いに包まれた。
こうして、“偽聖女”として追放されたフローレンスは、
“何もしない聖女”として、トスカーナに迎えられることとなった。
それが、国家を救う静かな奇跡の始まりであることを、
この時、誰もがまだ知らなかった――。
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