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第3章:舞踏会の夜、揺れる王太子妃の座
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こうして、波乱の舞踏会は夜明け前にようやく幕を下ろした。
アルベールとミレイユは途中で先に退席し、貴族たちも順次帰宅していく。朝方になり、宴の名残だけが廊下に漂っていた。
使用人たちがホールの片付けに追われている中、オデットは残務処理に奔走する。各部屋の鍵の管理、大広間の什器の点検、そして衛兵隊への報告事項など、やるべきことは多い。
それでも、最終的に大きな混乱なく舞踏会を終えられたのは、オデット自身の力量によるところが大きい――と、司礼官や侍従長は大いに感謝の意を示してくれた。
「オデット様がいなければ、もっと大きな騒ぎになっていたでしょう。王太子殿下は何とお礼を申し上げるのか……」
彼らはそう口を揃えるが、肝心のアルベールがオデットに感謝するどころか、最後まで手伝うことすらなかった。舞踏会が終わった後も、ミレイユとどこかへ消えてしまっている。
(さすがに疲れたわ……)
全ての仕事を終え、オデットは自室へ戻ってきた。窓の外が白み始めているところを見ると、もうすぐ朝になるだろう。
ドアを閉めると、思わず壁にもたれかかって深く息を吐く。足も腰もガクガクだが、やっと一人きりになれた安堵感で、体の力が一気に抜けていく。
(……だけど、私は今日もまた、愛人を連れまわす王太子に振り回されながら生きていかなくちゃならないのかしら)
眠気と疲労で頭がぼんやりし始めているが、わずかに残った気力でドレスを脱ぎ、部屋着へと着替える。
そのとき、ふと胸元の内ポケットに触れた拍子に、あの封書の存在を思い出した。
(レオポルド殿下からの書簡……何が書いてあるのかしら)
好奇心と一抹の恐れが胸を掠める。もし、これ以上“甘い誘い”が書いてあったらどうしよう。自分は今、疲労と失望から、冷静な判断を下せる自信がないのだ。
しかし、読まないままでいるのも落ち着かない。オデットは意を決して、椅子に腰を下ろし、部屋のランプを手元に引き寄せて封を切った。
そこには、丁寧な筆致で長文の手紙がしたためられていた。まず最初の挨拶や近況が述べられ、続いて――オデットの窮状を案じる言葉が綴られている。
「……“殿下(レオポルド)は、あなたが苦しみの中でも決して諦めない強さを持っていると確信している”……」
文字を追うにつれ、オデットの胸にじんわりと熱いものが込み上げてくる。どんな境遇でも屈せず、自分の道を見出すだろう、とレオポルドは信じているのだという。
そして手紙の後半には、もしオデットが“この国を出る”という決断をしたとき、アルヴェール王国としてどのように受け入れるつもりか、具体的な手段まで示唆されていた。
たとえば、オデットが一人で逃げてきても保護を約束すること。ブランシュフォール侯爵家の事情を考慮し、もし家族も望むのであれば移住を斡旋すること。さらには、渡航の際に必要な資金面の援助や、宮廷内での身分保障など……。
(そこまで用意してくださるなんて……。レオポルド殿下は、どれだけ私に……)
まるで、未来への道がいくつも開けているかのような温かな提案に、思わず涙が滲む。自分がこの国で味わっている屈辱や虚無感とはあまりにも対照的で、心が揺さぶられる。
手紙の末尾には、こうあった。
> 「あなたが自らの意志で立ち上がるとき、私は躊躇なく手を差し伸べるでしょう。どうか、あなたが本当の意味で笑顔になれる日が来るよう、心より願っています」
オデットは、手紙をそっと胸に抱くようにして、椅子にうなだれる。今の彼女にとって、この言葉はどれほど救いになるだろう。
疲れきった心と身体に、柔らかな水が染み込むような感覚があった。一方で、アルベールに対する怒りや失望が再び沸き起こる。
(私は一体、何を守りたいの? 何のために、王太子妃であり続けようとしているの?)
国のため? 家のため? それとも、自分の誇りのため?
いや、もはやそれらすべてが、オデットの中で形を失いつつあった。ただ一つ確かなのは――もうこれ以上、王太子アルベールから侮辱され続ける人生には耐えられない、ということだ。
「……いずれ、決断をしなければならない」
オデットは小さく呟く。
もし、王太子が今後も変わらず愛人を連れ回し、宮廷を牛耳り、彼女に“白い結婚”という名の屈辱を押し付けるのであれば、ここに留まる意味などないのではないか。
もちろん、逃げ出すという行為に伴う困難は多い。ブランシュフォール侯爵家がどうなるのか、国王陛下や王妃陛下が何を言うのか、想像するだけで頭が痛くなる。
(それでも……もう、限界かもしれない)
オデットは意識が遠のくのを感じながら、そっと目を閉じる。
舞踏会の夜が明けた王宮は、いつもと同じ冷たい朝を迎えるだろう。だが、オデットの心はもう既に、こことは別の場所を求め始めているのだ。
王太子殿下がさらに傲慢さを増すならば、私は本当にここを出て行くかもしれない。
王宮の外で風が吹き抜ける音が微かに聞こえる中、オデットはいつしか浅い眠りの中へと沈んでいった。手には、あの書簡をしっかりと握りしめたまま。
アルベールとミレイユは途中で先に退席し、貴族たちも順次帰宅していく。朝方になり、宴の名残だけが廊下に漂っていた。
使用人たちがホールの片付けに追われている中、オデットは残務処理に奔走する。各部屋の鍵の管理、大広間の什器の点検、そして衛兵隊への報告事項など、やるべきことは多い。
それでも、最終的に大きな混乱なく舞踏会を終えられたのは、オデット自身の力量によるところが大きい――と、司礼官や侍従長は大いに感謝の意を示してくれた。
「オデット様がいなければ、もっと大きな騒ぎになっていたでしょう。王太子殿下は何とお礼を申し上げるのか……」
彼らはそう口を揃えるが、肝心のアルベールがオデットに感謝するどころか、最後まで手伝うことすらなかった。舞踏会が終わった後も、ミレイユとどこかへ消えてしまっている。
(さすがに疲れたわ……)
全ての仕事を終え、オデットは自室へ戻ってきた。窓の外が白み始めているところを見ると、もうすぐ朝になるだろう。
ドアを閉めると、思わず壁にもたれかかって深く息を吐く。足も腰もガクガクだが、やっと一人きりになれた安堵感で、体の力が一気に抜けていく。
(……だけど、私は今日もまた、愛人を連れまわす王太子に振り回されながら生きていかなくちゃならないのかしら)
眠気と疲労で頭がぼんやりし始めているが、わずかに残った気力でドレスを脱ぎ、部屋着へと着替える。
そのとき、ふと胸元の内ポケットに触れた拍子に、あの封書の存在を思い出した。
(レオポルド殿下からの書簡……何が書いてあるのかしら)
好奇心と一抹の恐れが胸を掠める。もし、これ以上“甘い誘い”が書いてあったらどうしよう。自分は今、疲労と失望から、冷静な判断を下せる自信がないのだ。
しかし、読まないままでいるのも落ち着かない。オデットは意を決して、椅子に腰を下ろし、部屋のランプを手元に引き寄せて封を切った。
そこには、丁寧な筆致で長文の手紙がしたためられていた。まず最初の挨拶や近況が述べられ、続いて――オデットの窮状を案じる言葉が綴られている。
「……“殿下(レオポルド)は、あなたが苦しみの中でも決して諦めない強さを持っていると確信している”……」
文字を追うにつれ、オデットの胸にじんわりと熱いものが込み上げてくる。どんな境遇でも屈せず、自分の道を見出すだろう、とレオポルドは信じているのだという。
そして手紙の後半には、もしオデットが“この国を出る”という決断をしたとき、アルヴェール王国としてどのように受け入れるつもりか、具体的な手段まで示唆されていた。
たとえば、オデットが一人で逃げてきても保護を約束すること。ブランシュフォール侯爵家の事情を考慮し、もし家族も望むのであれば移住を斡旋すること。さらには、渡航の際に必要な資金面の援助や、宮廷内での身分保障など……。
(そこまで用意してくださるなんて……。レオポルド殿下は、どれだけ私に……)
まるで、未来への道がいくつも開けているかのような温かな提案に、思わず涙が滲む。自分がこの国で味わっている屈辱や虚無感とはあまりにも対照的で、心が揺さぶられる。
手紙の末尾には、こうあった。
> 「あなたが自らの意志で立ち上がるとき、私は躊躇なく手を差し伸べるでしょう。どうか、あなたが本当の意味で笑顔になれる日が来るよう、心より願っています」
オデットは、手紙をそっと胸に抱くようにして、椅子にうなだれる。今の彼女にとって、この言葉はどれほど救いになるだろう。
疲れきった心と身体に、柔らかな水が染み込むような感覚があった。一方で、アルベールに対する怒りや失望が再び沸き起こる。
(私は一体、何を守りたいの? 何のために、王太子妃であり続けようとしているの?)
国のため? 家のため? それとも、自分の誇りのため?
いや、もはやそれらすべてが、オデットの中で形を失いつつあった。ただ一つ確かなのは――もうこれ以上、王太子アルベールから侮辱され続ける人生には耐えられない、ということだ。
「……いずれ、決断をしなければならない」
オデットは小さく呟く。
もし、王太子が今後も変わらず愛人を連れ回し、宮廷を牛耳り、彼女に“白い結婚”という名の屈辱を押し付けるのであれば、ここに留まる意味などないのではないか。
もちろん、逃げ出すという行為に伴う困難は多い。ブランシュフォール侯爵家がどうなるのか、国王陛下や王妃陛下が何を言うのか、想像するだけで頭が痛くなる。
(それでも……もう、限界かもしれない)
オデットは意識が遠のくのを感じながら、そっと目を閉じる。
舞踏会の夜が明けた王宮は、いつもと同じ冷たい朝を迎えるだろう。だが、オデットの心はもう既に、こことは別の場所を求め始めているのだ。
王太子殿下がさらに傲慢さを増すならば、私は本当にここを出て行くかもしれない。
王宮の外で風が吹き抜ける音が微かに聞こえる中、オデットはいつしか浅い眠りの中へと沈んでいった。手には、あの書簡をしっかりと握りしめたまま。
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