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第2章: 「冷酷な夫の裏の顔」
2-8. 知られざる心
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2-8. 知られざる心
数日後。夜会で起きた“事件”もひとまず沈静化し、義母とエリザベスはあからさまな嫌がらせこそしないものの、どこか歯ぎしりしているのが分かるほど苛立ちを抱えているようだった。彼女たちが仕掛けた策略はリオネルの介入によって失敗に終わったわけだが、そう簡単に懲りるとも思えない。
一方で、使用人たちは夜会でのリオネルの姿に感銘を受けたのか、カリエラへの態度がさらに好意的になった。夫婦関係が好転する兆しとして見る人もいるようだが、実際のところ、まだまだリオネルとの距離は遠かった。
ある朝、カリエラは思い切ってリオネルの執務室を訪ねた。どうしても聞いてみたいことがあったのだ。ドアをノックすると、いつも通りの低い声が「入れ」と応じる。
部屋にはリオネルが一人。机の上には書類の山が積まれ、彼の鋭い眼差しがそれらを検分している最中だった。カリエラが姿を見せると、軽く視線を上げるが、すぐにまた書類に戻る。
「……何か用か」
「はい、少しお話ししたくて。お忙しいところすみませんわ」
カリエラは緊張を抑え、できるだけ穏やかな声で話し始める。
「先日の夜会で、わたくしを助けてくださって、ありがとうございました。とても、心強かったです」
リオネルは書類から顔を上げず、「別に」とそっけなく返すだけ。表情も読み取れない。
それでも、カリエラは引き下がらずに続けた。
「リオネル様の助けがなければ、あの場でわたくしは、何も言い返せずに笑い者になるところでした。……本当に感謝しています」
「礼など要らん。俺がそうしたかっただけだ」
ぶっきらぼうだが、その言葉からは嘘の感情は感じられなかった。あれはリオネル自身の意思で動いた――それだけは確かだ。
しかし、カリエラにはもう一つ、どうしても確かめたいことがあった。メイドたちから聞いた“幼い頃のリオネル”の話を、直接本人に問うのは躊躇われたが、それでも少しでも彼に近づきたいという思いが勝った。
「……リオネル様は、あまりご家族と折り合いが良くないようにお見受けします。それは、幼い頃からなのでしょうか」
言葉を選びながらそう尋ねた瞬間、リオネルのペンがぴたりと止まった。空気が張り詰める。やはり踏み込みすぎたかと、カリエラは少し後悔した。
すると、リオネルはゆっくりと顔を上げ、その青い瞳をまっすぐに向けてくる。まるで、こちらの覚悟を試すかのような鋭い眼差しだ。
「誰から聞いたかは知らないが、そうだ。兄とは性格が合わなかったし、母ともな……。おまえも薄々感じているだろう。母は長男しか眼中にない。俺は“おまけ”だ」
「そんな……。でも、リオネル様の力を必要としている人も大勢いらっしゃるのでは? 領地の管理だって、次男が担当される場合もありますし……」
「ふん。必要としているのは父だけだ。母も兄も、俺を見てはいない」
乾いた笑いとも嘆きともつかない声が、部屋の静寂に溶ける。カリエラはかける言葉が見つからない。兄が当主になるのは既定路線だとしても、次男がまったく評価されないのは、あまりに不公平だ。
しかし、リオネルはそのまま真っ直ぐにカリエラを見つめて続ける。
「……俺があの場でおまえを助けたのは、別に家族を慮ってのことじゃない。あそこまで醜い真似をされて黙っているのは、我が家の面子に関わるからだ。母やエリザベスの差し金かもしれないしな」
「……そう、なのですね」
素直に“ありがとう”を受け取ってもらえるわけではなさそうだ。だが、カリエラは彼の言葉に嘘がないと感じられた。リオネルはあくまで“公爵家の名に泥を塗られたくない”という思いで動いたのだろう。そこに、彼女への個人的な好意があったかどうかは分からない。
それでも――あの時の「私の妻だ」という一言が、カリエラの胸に温かく響いたのは事実だ。それを否定するつもりはなかった。
「いずれにせよ、あの場でリオネル様がわたくしを守ってくださったことには変わりありません。……重ねて、お礼を申し上げますわ」
そう言って深く頭を下げると、リオネルは小さく息を吐いた。もしかすると、少し戸惑っているのかもしれない。彼がペンを再び走らせると、もう“下がれ”という無言の合図のようにも感じる。
カリエラはそれ以上追及することはせず、静かに執務室を後にした。ドアを閉める寸前、リオネルが「ああ、そうだ」と低く言葉を発したのが聞こえた気がしたが、それはとても小さな独り言のように聞こえて、カリエラには内容を聞き取れなかった。
数日後。夜会で起きた“事件”もひとまず沈静化し、義母とエリザベスはあからさまな嫌がらせこそしないものの、どこか歯ぎしりしているのが分かるほど苛立ちを抱えているようだった。彼女たちが仕掛けた策略はリオネルの介入によって失敗に終わったわけだが、そう簡単に懲りるとも思えない。
一方で、使用人たちは夜会でのリオネルの姿に感銘を受けたのか、カリエラへの態度がさらに好意的になった。夫婦関係が好転する兆しとして見る人もいるようだが、実際のところ、まだまだリオネルとの距離は遠かった。
ある朝、カリエラは思い切ってリオネルの執務室を訪ねた。どうしても聞いてみたいことがあったのだ。ドアをノックすると、いつも通りの低い声が「入れ」と応じる。
部屋にはリオネルが一人。机の上には書類の山が積まれ、彼の鋭い眼差しがそれらを検分している最中だった。カリエラが姿を見せると、軽く視線を上げるが、すぐにまた書類に戻る。
「……何か用か」
「はい、少しお話ししたくて。お忙しいところすみませんわ」
カリエラは緊張を抑え、できるだけ穏やかな声で話し始める。
「先日の夜会で、わたくしを助けてくださって、ありがとうございました。とても、心強かったです」
リオネルは書類から顔を上げず、「別に」とそっけなく返すだけ。表情も読み取れない。
それでも、カリエラは引き下がらずに続けた。
「リオネル様の助けがなければ、あの場でわたくしは、何も言い返せずに笑い者になるところでした。……本当に感謝しています」
「礼など要らん。俺がそうしたかっただけだ」
ぶっきらぼうだが、その言葉からは嘘の感情は感じられなかった。あれはリオネル自身の意思で動いた――それだけは確かだ。
しかし、カリエラにはもう一つ、どうしても確かめたいことがあった。メイドたちから聞いた“幼い頃のリオネル”の話を、直接本人に問うのは躊躇われたが、それでも少しでも彼に近づきたいという思いが勝った。
「……リオネル様は、あまりご家族と折り合いが良くないようにお見受けします。それは、幼い頃からなのでしょうか」
言葉を選びながらそう尋ねた瞬間、リオネルのペンがぴたりと止まった。空気が張り詰める。やはり踏み込みすぎたかと、カリエラは少し後悔した。
すると、リオネルはゆっくりと顔を上げ、その青い瞳をまっすぐに向けてくる。まるで、こちらの覚悟を試すかのような鋭い眼差しだ。
「誰から聞いたかは知らないが、そうだ。兄とは性格が合わなかったし、母ともな……。おまえも薄々感じているだろう。母は長男しか眼中にない。俺は“おまけ”だ」
「そんな……。でも、リオネル様の力を必要としている人も大勢いらっしゃるのでは? 領地の管理だって、次男が担当される場合もありますし……」
「ふん。必要としているのは父だけだ。母も兄も、俺を見てはいない」
乾いた笑いとも嘆きともつかない声が、部屋の静寂に溶ける。カリエラはかける言葉が見つからない。兄が当主になるのは既定路線だとしても、次男がまったく評価されないのは、あまりに不公平だ。
しかし、リオネルはそのまま真っ直ぐにカリエラを見つめて続ける。
「……俺があの場でおまえを助けたのは、別に家族を慮ってのことじゃない。あそこまで醜い真似をされて黙っているのは、我が家の面子に関わるからだ。母やエリザベスの差し金かもしれないしな」
「……そう、なのですね」
素直に“ありがとう”を受け取ってもらえるわけではなさそうだ。だが、カリエラは彼の言葉に嘘がないと感じられた。リオネルはあくまで“公爵家の名に泥を塗られたくない”という思いで動いたのだろう。そこに、彼女への個人的な好意があったかどうかは分からない。
それでも――あの時の「私の妻だ」という一言が、カリエラの胸に温かく響いたのは事実だ。それを否定するつもりはなかった。
「いずれにせよ、あの場でリオネル様がわたくしを守ってくださったことには変わりありません。……重ねて、お礼を申し上げますわ」
そう言って深く頭を下げると、リオネルは小さく息を吐いた。もしかすると、少し戸惑っているのかもしれない。彼がペンを再び走らせると、もう“下がれ”という無言の合図のようにも感じる。
カリエラはそれ以上追及することはせず、静かに執務室を後にした。ドアを閉める寸前、リオネルが「ああ、そうだ」と低く言葉を発したのが聞こえた気がしたが、それはとても小さな独り言のように聞こえて、カリエラには内容を聞き取れなかった。
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