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第3章: 「愛を試す陰謀」
3-5. 兄の誘惑
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3-5. 兄の誘惑
音楽会の演奏が一旦区切りを迎え、参加者たちが思い思いに散策を楽しむ時間になると、ギルバートは当然のように「屋敷の庭を案内しよう」とカリエラを誘ってきた。
すでに日は落ち、ランタンの灯火がところどころに飾られた庭は、夜風に揺れながら幻想的な雰囲気を醸し出している。人目が少ない場所に連れ出されることに警戒を覚えながらも、カリエラは断りきれず、仕方なくギルバートの後をついていった。
中庭の奥、少し人目のつかない場所に足を踏み入れた頃、ギルバートは急に足を止め、振り返る。月明かりに照らされたその顔には、いつものにこやかな微笑が浮かんでいたが、そこにはどこか蠱惑的なものが混じっていた。
「こんなに近くで見るのは初めてだけれど、君は本当に美しいね、カリエラ……。最近、社交界でも評判だと聞くけれど、なるほど納得だ」
「もったいないお言葉ですわ。ですが、夜風に当たると冷えてしまいますので、そろそろ会場に戻りませんか?」
警戒心を隠しきれないまま、カリエラはそっと距離を取る。しかし、ギルバートは一歩踏み出してさらに近づき、まるで獲物を狙うかのようにカリエラの体に手を伸ばした。彼女は思わず身を引くが、相手の腕力は意外に強く、その手を払うことができない。
「まあ、そんなに拒まないで。君のその美しさ、いつまでもリオネルのためだけに取っておくのはもったいないよ。あいつにはさほど興味もないんだろう?」
「……な、何をおっしゃっているのですか。やめてください……!」
ギルバートの手が、まるで蛇が獲物を絡め取るようにカリエラの腰に回ろうとする。ぞっとするような感覚が背筋を駆け上る。彼女は必死にその腕を押し戻し、抵抗する。
しかし、ギルバートは余裕の表情を崩さない。
「だって、リオネルは君に冷たいんだろう? 夫婦というのに、ほとんど言葉を交わさないと聞いた。だったら、君ももっと自由に楽しんだっていいじゃないか。……公爵家の長男として約束された将来を持つ俺なら、君にもっと素敵な時間を与えてあげられる」
口調こそ優雅だが、その言葉は明らかに“誘惑”の意図を含んでいる。カリエラは、怒りと屈辱感で胸がいっぱいになる。どうやらギルバートの狙いは、単に彼女を弄ぶだけではないのかもしれない。次男の妻を誘惑して関係を持ったとすれば、リオネルの立場は大いに揺らぐ。公爵家の次男夫婦がスキャンダルを起こせば、リオネルも公爵家全体も大きな打撃を受けるだろう。
つまり、この誘惑は“家庭崩壊”を企む陰謀なのだ。ギルバートは、自分の地位をより確固たるものにするために、リオネルとカリエラを仲違いさせる材料を作り上げようとしているのだろう。
カリエラは眉をきつく寄せ、毅然とした声で言い放った。
「失礼ですが、わたくしはリオネル様の妻です。あなたのお誘いなど、受けるわけがありません。手をお放しください」
「……おやおや、意外と強気だね。でも、ここには誰もいない。君がどう抵抗しようと、俺は構わず手に入れてしまうかもしれないよ?」
ぞっとするような冷笑を浮かべるギルバート。危険だ。カリエラはこのままでは無理やり押し倒されかねないと察し、必死に腕を振り払いながら、大声を上げようとした。その瞬間――。
「下衆な真似はやめてもらおう」
低く響く声が、夜の静寂を切り裂いた。驚いてギルバートが振り返ると、そこには黒いマントを羽織った男性の姿があった。カリエラが咄嗟に目を凝らすと、見覚えのある使用人の顔……いや、これはリオネルが手配した“護衛”に違いない。
護衛は鋭い目つきでギルバートを睨むと、その存在感だけでも圧を与えるようにゆっくりと近づく。ギルバートは慌ててカリエラから手を離し、つくろうように咳払いをした。
「なんだ、君は……? まさかリオネルが差し向けたのか?」
「奥様に危害を加えるつもりならば、容赦はしない」
護衛の揺るがぬ視線に、ギルバートは舌打ちをしたようだった。しかし、さすがに暴力沙汰を起こせば、自分の立場すら危うくなる。ここは一旦引き下がるしかない、と判断したのか、ギルバートは大仰に肩をすくめる。
「ふん、まったく。……まあいい。今日はここまでにしておくとしよう。だが覚えておいてくれ、カリエラ。君はまだまだ俺の知らない魅力をたくさん隠していそうだ。それをいつか解き明かす時が来るかもしれないよ」
耳障りな笑みを浮かべながら、ギルバートは踵を返して闇の中へと姿を消した。
カリエラは護衛の男に支えられながら、荒い呼吸をなんとか整える。心臓がバクバクと音を立てて止まらない。まさか、あんなに露骨な手段で迫ってくるとは思わなかった。ギルバートという男は、“公爵家の次男の妻”を単なる遊び相手にするというより、さらに深い陰謀を持っている可能性が高い。
護衛の男が小声で問いかける。
「奥様、ご無事ですか?」
「……ええ、ありがとうございます。あなたが来てくださらなかったら、どうなっていたか……」
ホッと安堵した瞬間、涙が滲みそうになるのをこらえながら、カリエラは必死に笑みを作る。
「もうここにはいられません。……すぐに帰りましょう。リオネル様のもとへ……」
「承知しました。馬車の手配を急ぎます」
こうしてカリエラは、ギルバートの音楽会から早々に立ち去ることになった。客たちからは奇異の目で見られたが、それでも命の危険に晒されるよりはましだ。何より、リオネルにこの出来事をしっかりと報告しなければならない。
音楽会の演奏が一旦区切りを迎え、参加者たちが思い思いに散策を楽しむ時間になると、ギルバートは当然のように「屋敷の庭を案内しよう」とカリエラを誘ってきた。
すでに日は落ち、ランタンの灯火がところどころに飾られた庭は、夜風に揺れながら幻想的な雰囲気を醸し出している。人目が少ない場所に連れ出されることに警戒を覚えながらも、カリエラは断りきれず、仕方なくギルバートの後をついていった。
中庭の奥、少し人目のつかない場所に足を踏み入れた頃、ギルバートは急に足を止め、振り返る。月明かりに照らされたその顔には、いつものにこやかな微笑が浮かんでいたが、そこにはどこか蠱惑的なものが混じっていた。
「こんなに近くで見るのは初めてだけれど、君は本当に美しいね、カリエラ……。最近、社交界でも評判だと聞くけれど、なるほど納得だ」
「もったいないお言葉ですわ。ですが、夜風に当たると冷えてしまいますので、そろそろ会場に戻りませんか?」
警戒心を隠しきれないまま、カリエラはそっと距離を取る。しかし、ギルバートは一歩踏み出してさらに近づき、まるで獲物を狙うかのようにカリエラの体に手を伸ばした。彼女は思わず身を引くが、相手の腕力は意外に強く、その手を払うことができない。
「まあ、そんなに拒まないで。君のその美しさ、いつまでもリオネルのためだけに取っておくのはもったいないよ。あいつにはさほど興味もないんだろう?」
「……な、何をおっしゃっているのですか。やめてください……!」
ギルバートの手が、まるで蛇が獲物を絡め取るようにカリエラの腰に回ろうとする。ぞっとするような感覚が背筋を駆け上る。彼女は必死にその腕を押し戻し、抵抗する。
しかし、ギルバートは余裕の表情を崩さない。
「だって、リオネルは君に冷たいんだろう? 夫婦というのに、ほとんど言葉を交わさないと聞いた。だったら、君ももっと自由に楽しんだっていいじゃないか。……公爵家の長男として約束された将来を持つ俺なら、君にもっと素敵な時間を与えてあげられる」
口調こそ優雅だが、その言葉は明らかに“誘惑”の意図を含んでいる。カリエラは、怒りと屈辱感で胸がいっぱいになる。どうやらギルバートの狙いは、単に彼女を弄ぶだけではないのかもしれない。次男の妻を誘惑して関係を持ったとすれば、リオネルの立場は大いに揺らぐ。公爵家の次男夫婦がスキャンダルを起こせば、リオネルも公爵家全体も大きな打撃を受けるだろう。
つまり、この誘惑は“家庭崩壊”を企む陰謀なのだ。ギルバートは、自分の地位をより確固たるものにするために、リオネルとカリエラを仲違いさせる材料を作り上げようとしているのだろう。
カリエラは眉をきつく寄せ、毅然とした声で言い放った。
「失礼ですが、わたくしはリオネル様の妻です。あなたのお誘いなど、受けるわけがありません。手をお放しください」
「……おやおや、意外と強気だね。でも、ここには誰もいない。君がどう抵抗しようと、俺は構わず手に入れてしまうかもしれないよ?」
ぞっとするような冷笑を浮かべるギルバート。危険だ。カリエラはこのままでは無理やり押し倒されかねないと察し、必死に腕を振り払いながら、大声を上げようとした。その瞬間――。
「下衆な真似はやめてもらおう」
低く響く声が、夜の静寂を切り裂いた。驚いてギルバートが振り返ると、そこには黒いマントを羽織った男性の姿があった。カリエラが咄嗟に目を凝らすと、見覚えのある使用人の顔……いや、これはリオネルが手配した“護衛”に違いない。
護衛は鋭い目つきでギルバートを睨むと、その存在感だけでも圧を与えるようにゆっくりと近づく。ギルバートは慌ててカリエラから手を離し、つくろうように咳払いをした。
「なんだ、君は……? まさかリオネルが差し向けたのか?」
「奥様に危害を加えるつもりならば、容赦はしない」
護衛の揺るがぬ視線に、ギルバートは舌打ちをしたようだった。しかし、さすがに暴力沙汰を起こせば、自分の立場すら危うくなる。ここは一旦引き下がるしかない、と判断したのか、ギルバートは大仰に肩をすくめる。
「ふん、まったく。……まあいい。今日はここまでにしておくとしよう。だが覚えておいてくれ、カリエラ。君はまだまだ俺の知らない魅力をたくさん隠していそうだ。それをいつか解き明かす時が来るかもしれないよ」
耳障りな笑みを浮かべながら、ギルバートは踵を返して闇の中へと姿を消した。
カリエラは護衛の男に支えられながら、荒い呼吸をなんとか整える。心臓がバクバクと音を立てて止まらない。まさか、あんなに露骨な手段で迫ってくるとは思わなかった。ギルバートという男は、“公爵家の次男の妻”を単なる遊び相手にするというより、さらに深い陰謀を持っている可能性が高い。
護衛の男が小声で問いかける。
「奥様、ご無事ですか?」
「……ええ、ありがとうございます。あなたが来てくださらなかったら、どうなっていたか……」
ホッと安堵した瞬間、涙が滲みそうになるのをこらえながら、カリエラは必死に笑みを作る。
「もうここにはいられません。……すぐに帰りましょう。リオネル様のもとへ……」
「承知しました。馬車の手配を急ぎます」
こうしてカリエラは、ギルバートの音楽会から早々に立ち去ることになった。客たちからは奇異の目で見られたが、それでも命の危険に晒されるよりはましだ。何より、リオネルにこの出来事をしっかりと報告しなければならない。
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