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3章
3-5
しおりを挟むこうして時は流れ、第二回審議の期日が目前に迫る。王都の貴族たちも、この一連の騒動に大きな関心を寄せており、「果たしてどちらが勝つのか」「ライオネルが処分されるのか、それともエルフィンベルク家が追い込まれるのか」と噂話が絶えない。
表面的には落ち着いているように見えても、実際には互いの陣営が激しく水面下で動いていた。ライオネルはロドリゲス公爵を通じて評定官に圧力をかけ、シルフィーネを“婚約不適合”という理由で糾弾させようと画策しているという情報もある。
さらには、ローゼリック伯爵家が「自分たちの財務帳簿は紛失しており、証拠の提示は不可能」と主張し始めたという話まで伝わってきた。つまり、先の書類破棄を強行し、証拠隠滅に躍起になっているのだ。
「まったく……抜け目がないわね。あの紙片だけが頼りになりそうだけれど、どうにかそれを“正当な証拠”として認めさせる必要があるわ」
シルフィーネはラグナル顧問と共に、手に入れた紙片を改めて確認する。そこにはインクが滲んで読めない部分も多いが、日付と金額、そしてライオネルの署名らしき筆跡が残っている。
問題は、「この紙片が偽造ではない」と証明する手段だ。公爵家としては、ローゼリック家書庫の証拠物件だということを証明する必要がある。
「王宮で正式に鑑定を依頼すれば、ある程度は真偽が判定できるでしょう。ただし、ライオネル側が“偽造だ”と主張すれば、また揉めることになります」
「それでも、時間をかけてでも鑑定を求めるしかありません。そうすれば、少なくとも向こうが“証拠は捏造だ”とゴネても、真実がどちらにあるかは少しずつ明らかになるはず。……なんとしても、この紙片を正式な場に出しましょう」
シルフィーネの声には力がこもっている。少し前までなら、「子供っぽい」と笑われるような小柄な少女が、これほど気概に満ちた態度を見せるとは、周囲も想像していなかっただろう。
ラグナル顧問も大きく頷き、「私も全面的にサポートします」と請け合う。こうして、エルフィンベルク公爵家は第二回審議に向けた最後の準備を進めていくことになった。
……だが、その矢先――。
シルフィーネは、突如としてアメリアから「緊急の面会」を求められる。使いの者が公爵家を訪れ、「アメリア様がどうしてもシルフィーネ様に謝罪したいのだ」と告げたのだ。
シルフィーネは一瞬耳を疑った。あの高慢で凶暴なアメリアが、“謝罪”などと口にするはずがない。ましてや審議を前に、どんな罠を仕掛けているのか分かったものではない。
「怪しすぎます……。このタイミングでわざわざ謝罪したいなんて、絶対に何か裏があるに違いありません」
「ええ、私もそう思うわ。シルフィーネには行かせたくないけれど、下手に断ると“謝罪の意思を踏みにじった”と騒がれるかもしれない」
マリア夫人の苦悩も尤もだ。アメリアは、あくまで「周囲に取り繕うためのパフォーマンス」として謝罪を申し出ている可能性が高い。断れば、シルフィーネが“歩み寄りを拒んだ”という悪評を立てられるかもしれない。
最終的に、ルドルフ公爵らの判断で「場所は公爵家の客間とし、護衛を含めて万全の態勢を整えた上でアメリアを招く」という方針が取られた。自分たちのホームならば、よほどの無茶はできないだろう――そう考えたのだ。
そして翌日の午後。アメリアは、意外にも一人でエルフィンベルク家を訪れた。もちろん、馬車の御者や侍女は同行しているが、館の中に入ったのは彼女ただ一人。
公爵家の客間へ通されると、アメリアはまずルドルフ公爵夫妻に挨拶をし、それからシルフィーネを前にして深々と頭を下げる。
「……先日は、あのお茶会で失礼な発言をしてしまって申し訳ありませんでした。私、つい感情的になってしまって……あなたに嫌な思いをさせたことを後悔しています」
頭を下げるアメリアの姿は、普段の高圧的な態度とはまるで別人のよう。しかし、その言葉を素直に信じられるほど、シルフィーネも甘くはない。
彼女は慎重に距離を保ちながら、「お気になさらず」と形だけの返事をする。ルドルフ公爵とマリア夫人も同席しているが、アメリアはまるで彼らを無視するかのようにシルフィーネだけを見つめ、さらに言葉を続けた。
「あなたに直接話したいことがあるの。実は、ローゼリック家の財務に関して、私も気になるところがあって……。もしよければ、情報交換をしたいと思ってきたのよ」
思わず「は?」と声を漏らしそうになるシルフィーネ。財務の件をアメリアが気にしている? まさか、彼女が裏取引を暴露して味方になるなどという展開は考えにくいが……。
「……財務に関して、ですか。急にどうして私に?」
「それは……ライオネル様のことで、色々と思うところがあるの。私も、あなたみたいに“被害者”みたいなものかもしれないわ。彼がうちに提供してくれている資金の出どころとか、本当は不安があって……」
アメリアは伏し目がちに言いながら、自嘲気味の笑みを浮かべる。今までの彼女を知る人間からすれば、あり得ないほど弱々しい態度だ。
だが、その言葉の端々には不可解な点が散りばめられている。アメリアが「被害者」などと自称するはずがない。大体、彼女はライオネルを強く支持し、シルフィーネを追い落とそうとしていた張本人である。ここにきて突然「協力したい」と持ちかけるなど、どう考えても怪しい。
(これは明らかに罠。しかし、何を狙っているのかが読めない。私たちが持っている“紙片”を知られたのか、それとも何か別の……?)
シルフィーネはとっさに判断しかねて、「ではもう少し詳しくお話をうかがっても?」と提案する。すると、アメリアは「もちろん」と頷き、そっと切なげな瞳を向けてきた。
「でも、ここには公爵様と夫人がいらっしゃるでしょう? できれば二人きりでお話をしたいわ。これは私の恥に関わる話でもあるの。どうか、少しだけ二人きりにしてくださらない?」
見るからに怪しい――そう思いつつも、ルドルフ公爵とマリア夫人は顔を見合わせる。娘を一人にするなどあり得ないが、ここで「ダメだ」と拒否すれば、またもや「彼女は歩み寄ろうとしているのに、シルフィーネが拒絶した」と言いふらされかねない。
結果、ルドルフ公爵は非常に渋い顔で「すぐ近くに控えている」と念押ししつつ、客間から退席した。マリア夫人も、万が一の際にはすぐ戻れるようドアの外で待機している。
部屋に残ったのは、シルフィーネとアメリアだけ……と言っても、実は壁の裏には隠し部屋があり、そこに護衛が控えて様子を監視している。絶対に危険な状況にならないよう、最善の策を取っているのだ。
「さて、二人きりになれたわね……。あなたも随分と用心深いけれど、仕方ないわ。私のこと、まったく信用していないんでしょう?」
「……正直に言うと、そうですね。信じられるような要素がありませんから」
「ふふ、言うわね。でも、こうして私に会ってくれただけでも感謝するわ」
アメリアはまたも偽りの笑みを浮かべ、その顔をシルフィーネに近づける。尋常ではない間合いの詰め方だが、シルフィーネも怯まずに背筋を伸ばした。
沈黙が数秒続き、アメリアは妙に艶っぽい声で囁く。
「ねえ、シルフィーネ……あなた、私が本当にライオネル様を心から愛していると思う?」
「それは……私には分かりません。アメリア様ご自身の問題ですし」
「答えてちょうだい。正直な気持ちで」
まるでその言葉を強要するような圧力に、シルフィーネは言葉を濁しながらも、「私が見たところ、アメリア様は自分の幸せのためにライオネル様を利用しているように見えます」と小さく答える。
すると、アメリアはカッと目を剥き、次の瞬間には哄笑(こうしょう)のような声を上げてしまった。
「……やっぱり、そう見えるわよね。そう、私はライオネル様を利用してるの。でも、彼だって私を利用してるのよ。つまり、おあいこじゃない?」
「だったら、なぜ私に“謝罪”とか“協力”なんて話を持ちかけるのでしょうか」
「簡単よ。あなたが“あの証拠”を握ってるから。ローゼリック家の帳簿の一部を持ち出したんでしょう? 侍女の話を聞いて、すぐにピンときたわ。あれが表に出たら、私もライオネル様も困ったことになる」
やはり気づいていたのか――シルフィーネは心の中で驚嘆する。だが、表情は崩さない。
「あなたたちにとっては困るかもしれませんが、私たちにとっては真実を示す大切な証拠です。手放すつもりはありませんよ」
「知ってるわ。だから、直接あなたに会いにきたの。ライオネル様が知らないうちに、その証拠を“どうにかして”破棄してもらえないかと思って」
あまりにも露骨な要求に、シルフィーネは呆れを隠せない。破棄するわけがない。それは分かりきっているのに、なぜこんな大胆なことを口にするのか――。
しかし、アメリアはニヤリと笑って、さらに驚くべきことを言い放つ。
「もしあなたが破棄に応じてくれたら、あなたに協力してあげるわ。ライオネル様と、彼を操っているロドリゲス公爵の“もっと大きな秘密”を教えてあげる。どう? 悪い話じゃないでしょ?」
「……!」
シルフィーネは言葉を失う。ライオネルとロドリゲス公爵の裏には、もっと重大な秘密があるというのか。確かに、それが何であれ真相を暴ければ、グラント侯爵家を完全に崩壊させるほどの打撃を与えられるかもしれない。
だが、あの紙片を破棄してしまえば、既に手に入れている決定的な証拠を自ら手放すことになる。それに、アメリアが本当に情報を渡す保証は何もない。下手をすれば二重の罠に陥る可能性だってある。
「そんな取引に応じる必要はありません。私は証拠を破棄するつもりなど、毛頭ございませんし、あなたの“協力”とやらも信用できない」
「まあ、そう言うと思ってた。あなたは頑固で、正義感の強いお嬢様だものね。でも、私がこうやって提案している時点で、ライオネル様とロドリゲス公爵が何か企んでいるのは確実だと分かるでしょう? このままじゃ、あなたたちエルフィンベルク家もただじゃ済まないわよ」
最後の言葉は脅迫めいていた。シルフィーネが拳を握りしめるのを見て、アメリアはさらに追い打ちをかける。
「そう、彼らはもう動き出してるの。あなたや公爵家の身にどんな危険が及ぶか、考えるだけでゾクゾクするわ。……あなたには選択肢がある。私と組んで、より深い秘密を暴くか。あるいは、正攻法で紙片を武器に突き進んで、“危険”に晒されるか。どちらを選ぶかは自由よ」
この言葉を聞き、シルフィーネはアメリアが「ライオネルと微妙に利害が対立している」ことに薄々感づく。おそらく、アメリアにはアメリアの野心があり、ライオネルとの共倒れを避けるために何とか裏取引で生き残りを図っているのだろう。
とはいえ、だからといって「紙片を破棄してまで組む」道理はない。シルフィーネは静かに息を整え、アメリアに向き直った。
「あなたの言い分は分かりました。ですが、私はあなたを信用できないし、あなたから提示された条件に魅力を感じません。なので、その話には応じられません」
きっぱりと言い切るシルフィーネ。アメリアは眉をひそめ、舌打ちすら聞こえそうな様子だ。しばしの沈黙の後、彼女はすっと立ち上がり、儚げな笑顔を作ってみせる。
「……そう。じゃあ仕方ないわね。せっかくのオファーを断るなら、あなたにはそれ相応の覚悟をしてもらうことになるわ。今度の審議、楽しみにしているわよ」
その冷たい言葉を最後に、アメリアは客間を出て行く。ルドルフ公爵たちがどう声をかけても、「用は済みました」と素っ気なく言って馬車へ乗り込み、エルフィンベルク家を後にした。
残されたシルフィーネは、一気に力が抜けたようにソファへ身体を預ける。あの数分間のやり取りは、激しい神経戦のようだった。
「大丈夫か? シルフィーネ」
すぐに戻ってきたルドルフ公爵とマリア夫人が、娘の様子を案じて駆け寄る。シルフィーネは苦笑しながら、「ええ、なんとか」と答える。
護衛が控えていた隠し部屋からもラグナルが現れ、「会話の内容は一部始終聞いていました。あれは明らかに脅迫、いや、取引の強要と言っていい」と苦々しく言う。
それでも、シルフィーネは気丈な声で付け加えた。
「でも、アメリア様が言う通り、ライオネル様とロドリゲス公爵が“何か仕掛けている”のは事実でしょう。私たちも油断できません。より警戒を強める必要があります」
「そうだな……。やつらが具体的に何をするのかは分からないが、審議までの間に私たちを攻め落とそうとするのは確かだろう。気をつけなければ」
こうして、エルフィンベルク公爵家はさらに防備を固め、審議当日まで残り僅かの時間を緊張感の中で過ごすことになる。
シルフィーネも自室にこもり、ラグナルや手勢が集めてくれた書類を総ざらいする作業を進めながら、心の奥底に潜む恐怖と闘っていた。アメリアの言葉を思い返せば返すほど、嫌な予感が増すばかり。
――それでも、引き下がるわけにはいかない。必ずやライオネルとアメリア、そしてロドリゲス公爵の不正を暴き、堂々と逆転してみせる。
そう誓うシルフィーネの中で、焦燥と決意が綯(な)い交ぜになって煮え立つように沸騰していた。
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