推しにも彼にも私にも

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「黒沢、あの……」
「なに?」
「倉間酒店って行ったことある……?」
「オンボロ酒屋? そりゃあるけど」

 ちりんちりーんと入口のベルが鳴り、わたしたちは「いらっしゃいませめんそーれー」と声を合わせた。

 推しと遭遇してから三日後。熱から復活した黒沢とわたしは、今日も一緒にシフトに入っている。バイトの中で一番年下の璃々りりちゃんがお客さんを席へ案内するのを横目に、わたしはもう一度話題を戻した。

「あそこの店員さんってさぁ……」
「半年前くらいから、急に若い人が入ってさぁ。めちゃくちゃ無愛想。一花、行ったの?」

 ──タキくんだよね? というわたしの言葉は、黒沢の声でごくりと喉の奥へと押し返される。黒沢は、あの人がタキくんだということに気付いていないのだろうか。

「うっ、うん! こないだ初めてね! いやぁなんかすごくレトロなお店でびっくりしちゃった」
「レトロっつーかオンボロだろ。それであの不愛想じゃ、つぶれるのも時間の問題だな」
「いやいやいやいや! そこまで無愛想じゃなかった! あれはきっとなにか理由があるとかでそうせざるをえない状況ってだけで! ほらもしかしたら体調悪かった~とかとか」
「……なにそんなかばってんの?」
「ハッ……!」

 頭で考えるよりも先にタキくんを擁護する言葉が出てしまい、わたしは慌てて両手を顔の前で振った。

「そんなんじゃないそんなんじゃない! かばうとかじゃなくってほらほら! うちだってピンチのときにはお世話になってるしさ!? 人間誰にでも、機嫌のいいときと悪いときもあるし!? そんなよく知りもしないのに、不愛想だから潰れる~なんて決めつけたら罰当たりっていうかさぁ!?」

 たしかに酒店のタキくんは、黒沢の言う通り不愛想だった。ニコリともしなかったし、客であるわたしに対していらっしゃいませの一言もなかった。なんなら「ありがとうございました」だって、わたししか言っていない。
 たしかにそんなの、接客業としてはだめだ。わたしだってそんなことくらいはわかっている。
 もうちょっとどうにかしないと本当にお客さんがいなくなってしまうとも思う。

 だけど、やっぱりタキくんはわたしの推しであり、他人から推しの悪いところを指摘されるとどうしてもかばいたくなってしまうのだ。

 しかし黒沢はにやりと口の端をあげると、「ははーん」なんて、漫画みたいな感嘆を吐き出す。

「意外~。一花ってああいう、もっさりした感じの男が好きだったんだ?」
「も……もっさり!? ちょっと! 我らがタキくんがもっさりしてるわけないでしょーがっ!」
「タキ?」
「アッ……!」

 怪訝そうな黒沢の反応に、わたしは思わず自分の口を両手で押さえた。
 まずい。これじゃあの人が、国民的人気アイドル・タキくんだと言っているようなものだ。
 しかし黒沢は、わたしを見るとおかしそうに上を向いて笑った。

「タキって、お前が追っかけてたアイドルだろ? 今、その話してねえし」

 相変わらずオタクだねぇ、と黒沢は心底おもしろそうに言うと、入ってきた注文の生ビールをふたつ作り始めた。さっき入店した、サラリーマンたちのファーストドリンクだろう。
 その横で、わたしはこっそり安堵の息を吐き出した。
 タキくんは、知らない人がいないくらいの人気有名人だった。わたしが彼の大ファンであることも、タキくんの容姿だって、もちろん黒沢は知っている。しかし、あの不愛想な酒屋さんがそのタキくんであるなんて、思ってもいないのだろう。

 ──まさか、タキくんが酒屋さんであることを知っているのはこの世でわたしだけ?

「いやいやいやいや! 思い上がるなわたしっ!」

 ぺちぺちと両頬を手で叩くと、注文を取り終わりパントリーへ戻ってきた璃々ちゃんが首を傾げる。
 大学一年生の璃々ちゃんは、つい先週うちのお店に入ったばかり。どこかいいところのお嬢さんらしく、社会勉強のためにバイトを始めたとのこと。ちなみに通っている大学だってお嬢さま学校だ。

「一花さん、どうしたんですか?」
「オタクの脳内は、一般人のそれとは違う構造をしているらしい。ほっといてやって」
「おもしろいですねぇ」

 ちなみに、璃々ちゃんとやりとりしている黒沢はわたしと同じ大学四年生。癪なことに、偏差値の高い一流大学に通っている。わたしはまあ、そこそこの大学だ。きっと就活のときにも、黒沢の大学の方が有利なんだろうなぁなんて、最近はよく思う。
 まあ黒沢は世渡り上手だから、大学なんて関係なくあっという間に就活を終えそうだけど。

 キッチンとホールの間のパントリー。わたしたちバイトは、注文が入っていないときや料理が出来上がるまでの時間、このあたりで待機する。
 店内のBGMは沖縄の音楽、キッチンでは料理長の趣味でひと昔前のJPop。その狭間となるパントリーは、料理をしている音を交えてなんとも不思議な音の世界で満たされている。
 去年卒業していった絶対音感があった先輩は、具合が悪くなるからってパントリーにはめったに入らなかったっけ。

「一花~! デザートプレート入ってるけど、やる?」

 そんなことを考えていると、キッチンから料理長の声が響いた。
 うちのお店では、スタッフはキッチンとホールで分かれている。しかし人数が足りないときには、ホールがキッチンに入ったり、キッチンがホールのヘルプに入るなんていうこともある。
 普段、わたしはホール担当なのだけど、デザートに関しては女の子のセンスが必要ということで、たまにこうして声がかかることもある。キッチンスタッフは、揃いに揃って男性ばかり。女性のお客さんの「かわいい」がいまいち分からないらしい。

「わーい! やりたい! 黒沢いいでしょ?」

 ホールのバイトリーダーである黒沢に一応の許可を求めれば、彼は「ハイハイ」とキッチンへと続く扉を押し開けてくれる。
 キッチンの入り口にかけられているコックコートを羽織り、黒いキャップを頭に乗せる。石鹸で綺麗に手を洗い、そのまま料理長の元へと向かった。

「今日はどんなデザートですか?」
「結婚のお祝いらしい。ハッピーウェディングだとさ」

 料理長は目を細め、小さなメモをマグネットで正面に貼り付けた。 

「そしたら、ピンクのハート型のチョコとかは使いたいですね! あ、たしか食用花ありませんでしたっけ?」

 こういうとき、妄想力は非常に役に立つ。
 お客さんは、女性四人組。さっきわたしも、石焼きタコライスをテーブルに出してきたのでお客さんたちの雰囲気はわかる。
 そのうちのひとりが結婚することになったので、サプライズでお祝いをしたいと前もって電話があったのだ。

 結婚と言えば、やっぱりハート。だけどあまりにもかわいらしさやラブが協調されすぎるのはイマイチだ。大体このお店は、新宿西口というオフィス街にある、ちょっとおしゃれな沖縄料理屋。価格だってそこそこするので、客層も社会人が多い。それにあのお客さんたちは、アパレルで働いているようなファッショナブルな雰囲気を纏っていた。
 ラブリーさより、センスのいい感じが好まれそう。食用花は、あのお客さんたちにぴったりだと思う。

 わたしが腕まくりをすると、料理長は隣で満足そうに頷いた。







「一花さんって、オタクなんですか?」

 午後十時。バイトをあがった璃々ちゃんとわたしは、空いた半個室でまかないを食べている。
 このバイトは仲間たちもいい子たちばかりで、お客さんもみんなやさしい。わいわいと楽しくやれる最高のバイト先ではあるんだけど、その中でもまかないが絶品という最強の強みがある。しかも無料で食べられるのだから、本当にいいバイト先を見つけたものだと自分でも思う。

「突然だね、璃々ちゃん……」

 今日のまかないは、わたしの大好物のチャーハンだ。沖縄だしを使ったこのチャーハンは、どこで食べるものよりもおいしい。メインメニューにしたらいいのにと思うけれど、沖縄っぽさがないのでだめなんだって。

 璃々ちゃんと働くのは、まだ数回目だ。わたしがSTAYの熱烈ファンであることは誰もが知っているけれど、彼女にとっては初めて知る事実だったようだ。

「なんのオタクですか? アニメとか? アキバとか庭な感じですか?」

 興味津々といった様子で目を輝かせる璃々ちゃんに、わたしは胸が高鳴るのを感じる。

 これは……布教のチャンス到来である!
 
 コホンと咳払いをしたわたしはおもむろに、「STAYって知ってるでしょ?」と璃々ちゃんに語りかけた。



「──とりあえず、一花さんがタキくんのとんでもないオタクだってことはわかりました」

 十五分後。チャーハンを綺麗に平らげた璃々ちゃんは、そこでやっと口を開いた。それまではわたしが熱く語るSTAY話をひたすらに黙って聞いてくれていたのである。
 てっきり興味津々で聞いてくれているから無言なのかと思っていたけれど、どうやらその逆だったらしい。その証拠に、璃々ちゃんの表情は話が進むにつれて、いつも通りの冷静なものになっていったのだ。

「ねえねえ! STAYって本当最高なんだよ? すごいんだよ? バンドもできるし、タキくんなんて曲も作れるんだよ? 有志ゆうしくんは俳優でも大活躍でハリウッドからも声かかってるし、しゅうくんはアパレルブランド立ち上げてデザインとかもしちゃってるの! たいらくんのソロ曲は、海外でも高い人気なんだよっ!? 五人もいるんだから、一人くらいズキューンとくる子がいるはず!」

 訴えるようにそう言っても、璃々ちゃんは「アイドルとか興味ないんですよねー」とスマホをいじるばかり。

「それに、STAY解散しちゃったじゃないですか。一年も前に」

 そんな璃々ちゃんの言葉は、わたしの心臓をずきゅんと一突き。わたしの頭はがくんと下へと落ちてしまう。

「そうなんだよねぇ……」
「タキくんとか、今頃どうしてるんでしょうね」
「タキくんは……いまごろ……」
「芸能人が一般人になるって、どんな感じなんですかね。普通の人になっちゃうのかなぁ」
「ふつうの……ひと……」
「キラキラしてたオーラとか、全部消えちゃったり? 落ちぶれた姿なんて見たくないですよね」
「落ちぶれたすがた……」

 酒屋にいたタキくんが頭に浮かぶ。
 確かにあのタキくんは、ステージに立っている彼とは別人のようには見えた。髪の毛だって真っ黒だったし、ヨレヨレのTシャツ──いや、あれもおしゃれに違いない──で、レトロな店内が背景だったことが原因だ。
 それに何より、キラキラしていた。

 少なくともわたしの目には、タキくんはやっぱりきらきらと輝いて映ったのだ。

「芸能界っていう狭い世界のことしか知らない人たちは、ぽいっと普通の世界に放り出されて生きていけるのかなぁ。散々愛されて過ごしてきたのにそれが突然なくなって、孤独死とかしそう」
「コッ……コココココッ、コドクシッ!?」

 薄暗くじめっとした一通りのない路地に、ぼろぼろの小さな酒屋。積み上げられた段ボールやケースの間で、うつぶせに倒れているひとりの男性の姿が脳内に浮かぶ。

 ──孤独死。

 誰からも愛されず、誰からも必要とされず、誰からも見つけられず。ひとりぼっちという孤独を抱えた人間の、最期の姿。

「璃々ちゃんごめんっ! 先に帰るっ!」

 そう言ったわたしは、鞄を掴んで勢いよく店を飛び出した。

 妄想力というのはときに誰かを喜ばせる武器となり、ときに己を無性に不安にさせる要因にもなる。なにごとも、〝度が過ぎる〟というのは考え物だということに、このときのわたしは気付かずにいたのだった。

 

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