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その数はどう少なく見積もっても10億匹は下るまい
人類が資源や信仰や国際社会からの賞賛のために、人類同士で争う牧歌的な時代は終わった。
敵はカニだ。
それはヘパイストス神の気まぐれによって鋳造された、画一的な十脚目短尾下目の軍勢。
無数の爪と脚をカチカチ、カチカチと飽きもせず擦り合わせながら、海の深淵より高さ3mの津波のように押し寄せてきた。
その数はどう少なく見積もっても10億匹は下るまい。
当初、万物の霊長を自認する愚者たちは横歩きする小さな敵を侮っていた。
所詮カニはカニ、泡を吹くだけの甲殻類が群れたところで何ができる、カニクリームコロッケはお好きですか、と。
だが、殺人ガニのハサミが焼入れされた鋼材をバターのように切り裂く様を見た時、紺碧の甲羅が極超音速ミサイルすら弾き返す様を目の当たりにした時、皆が恐怖に言葉を失った。
しかも、彼らの主食は現代文明を支えるセメントとガラスである。
金属や木材は食後のデザートであり、明らかに人の手が加わったものばかりを狙い撃ちにしている。
キチンと超硬合金の複合装甲から成る鉄壁の軍団は道路をカニの絨毯に変え、激流の如き進撃の圧力によって地上のあらゆる建造物が崩れ落ちた。
音楽と踊りと卑屈な笑みによってカニの神を鎮めようとする世界規模のクラブ・レイブも不発に終わり、生存者は地下シェルターやバンカーでの生活を余儀なくされていた。
宣戦布告なき開戦からおよそ200日。
溶けた18金のような目をした白と黒のバイカラー猫が“カニキラー<Killer crab killer>”として名を馳せるようになったのは、ちょうどこの頃のことだった。
希望と絶望のコントラストのように鮮やかな毛並みの“カニキラー”は、かつて轟音を響かせる掃除機と格闘し、光の速さのレーザーポインターとの小競り合いを制してきた。
カニがひしめく地獄絵図の中でも持ち前の勇敢さと反射神経を遺憾なく発揮し、青い頭胸甲に黄金の爪を立てて引き裂くことで幾匹もの侵略者を葬ってきたが、やはり多勢に無勢、焼け石に水である。
その局地的勝利が華々しく報じられる一方で、戦況には悲しいほど影響を与えなかった。
どんなに勇猛果敢な猫であっても、ポロロッカニ(蟹嘯、カニの群れの逆流現象)を食い止めることはできないのか?
終わりの見えない――あるいは、見えているのに見えないふりをしている――戦いを今日も生き残り、尻尾までカニ味噌にまみれたハチワレ猫は要塞化された地下駅に退避した。
身を寄せ合う年齢も性別もバラバラな生存者たちは、英雄の帰還をハチドリのいびきよりも弱々しい笑顔で迎えたが、その輪の中にパニックで顔面蒼白になった若者が飛び込んできた。
「カニキッ! やばいですぜ、東口のバリケードがッ!」
駅を避難所たらしめていたバリケードがカニ軍に突破された。
それはすなわち、この場にいる全員の命運が尽きたことを意味している。
泣き叫ぶ男の子をぬいぐるみのように抱き締める母親、錆びたパイプレンチを無言で握り締める老人、電源が入らないスマートフォンを必死にスクロールする女子高生。
希望は儚い蝶のようにどこかへ飛んでいき、それぞれがそれぞれのやり方で人生の最期を迎えようとしていた。
ふて寝を決め込んだ元銀行頭取の腹の上に腰掛けた“カニキラー”は冷静に顔を洗うと、覚悟を決めた。
最終プランを発動する時が来たのだと。
これは従来の、単なる生存のための戦いではない。
地球の真の統治者を決める戦い――カニとの生存競争に打ち勝つための反抗の狼煙だ。
用意周到な白黒猫はこの日のために計画を練り、密かに準備してきた。
必要な道具は産地偽装した冷凍マグロと期限切れのマヨネーズ、色褪せたイセエビの剥製、それに驚くほど大量のサマコバ磁石。
これらの品々は風水的に幸運を呼び込むだけでなく、使い方次第で戦局を一変させる可能性を秘めている。
しかし、その詳細は口に出さない方が賢明だろう。
沈黙は金であり、結局のところ不条理に対抗できるのは不条理しかないのだから。
驕れる殺人ガニは、差し迫った危機にまるで気づいていない。
人類の武器庫は、まだ空になっていない。
猫が今からそれを証明する!
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