この恋は実らない。

美杉日和。(旧美杉。)

文字の大きさ
8 / 9

008 初めての涙

「気づくのが遅くなってすみません」
「どうしてあなたが謝るのですか?」

 事前にコンラッドが乗り込んでくるなど、誰も分かってなどいなかったはず。
 
 だから謝罪を受ける意味はない。

 いや、素直な女性だったなら、ここで怖かったと泣きつくべきなのかもしれない。

 ずっと言われていたっけ。
 可愛げがないと。

 同情でもなんでも、彼はこの国内で貴重な存在だ。

 コンラッドの言葉ではないが、今や私の婚約者になどなりたい者はいないのだから。

「危険は予測すべきものです。しかもあなたは婚約者なのですから」

 なぜだろう。
 彼が婚約者という度に苦しくなるのは。

 アリスティーネ、あなたの願いがかなったんじゃない。

 あのあさましく醜悪な願いが。

 同情だって、いつかは変わるかもしれない。

 それに何であっても、今ルドウィックの瞳に映っているのは私なのよ?

 それなのに、何を聞こうとするの?
 今聞いたら、全部がダメになってしまうじゃない。

 冷静にならなくてはと思うのに、動き出した感情を止めることは出来なかった。

「どうして私に婚約を申し込んだのですか? 同情ですか? それとも王女殿下からの願いですか?」
「いや、そういうわけでは」
「ではどういうわけなのです。私と婚約するメリットなど、何もないでしょう」
「メリットって。そういう問題では。どうされたのですか、アリスティーネ様」

 どうされたと聞かれたって、自分でも分からない。

 こんなのは自分でも初めてだから。

「うちに雇用されたいとおっしゃっていましたものね。流行の契約婚とか、白い結婚などという感じでしょうか。さもなくば」
「落ち着いて下さい。本当にどうされたのです」

 彼は下を向く私の両手を掴んだ。
 そして真っ直ぐにただ私を見ている。

 その瞳に映る私。

 願ったことなのに、それだけでどこまでも惨めさを感じた。

 彼への思いと共に、ぼろぼろと涙がこぼれ出す。

「嫌です」
「え?」
「あなただけは嫌なんです」

 そう嫌だ。
 ルドウィックとの婚約だけは、嫌だった。

 父には誠実で一途な人がいいと、わざと言った。

 その時はその裏で確かにルドウィックを思っていた。

 だからこそ、嫌なんだ。

「俺と婚約することがそんなにお嫌でしたか?」
「ええそうよ。あなただけは、嫌よ……。だって、私はあなたが好きだから」

 こんな醜態を人前で晒すことは初めてかもしれない。

 いや、人前だけではない。
 最後に泣いたのは、もういつ以来だろう。

「え、は? あの、好きだからって」
「好きだから嫌なのよ。同情や誰かの言いなりになって、婚約者になられても苦しいだけなの。私は、私は……」

 取り留めもなく泣きわめく私を、ルドウィックは優しく抱きしめた。

 彼の匂いが鼻をくすぐる。
 
 しっかりとした彼に抱きしめられると、もう離れることなど出来ないと感じてしまった。

 それからどれくらい泣いていただろう。
 落ち着く頃には、やや日が傾きかけていた。

 だけど彼の胸の中は温かく、自分でも驚くほど安心しきって動けなくなってしまっていたらしい。

「少しは落ち着きましたか?」
「すみません。あり得ないほどの醜態をお見せしてしまって」
「泣くのは初めてですか?」
「どうでしょう。子どもの頃はあったかもしれませんが、人前ではないと思います」
「では、俺はその初めてということですね」

 申し訳なさでいっぱいだというのに、なぜかルドウィックは満面の笑みだった。
 
 どこをどうしたらその表情になるのか分からず、私は尋ねる。

「なぜそんなに嬉しそうなのですか」
「それはそうでしょう。自分が好きで仕方ない女性が、自分を思って泣いてくれるだなんて。これほど幸せなことはないでしょう?」
「今……なんと言いましたか?」

 意味が分からず聞き返すと、それ以上に嬉し気に言葉を返して来る。

「そうやって、口を開けて驚くあなたも可愛いですね」
「な、何を言っているのですか⁉」

 私は自分の口が開いたままだとは気づかず、思わず左手で口元を押さえた。

 こんな風に普通の会話をするのは初めてだが、なんだか印象ががらりと変わる。

 初めからルドウィックのことをよく知らないまま好きになったのだから仕方ないのだけれど。

 なんだかちょっと意地悪な人だわ。

「いや、いつ見ても表情豊かで可愛いですね」
「私のどこが表情豊かだというのです! コンラッドや他の貴族たちにさえ、氷の令嬢と揶揄されていたのですよ」
「ああ、あれは一部のアホどもが言っていましたね。奴らはあなたのことをよく知らないからですよ」
「よく知らないって……」

 確かにそれはそうだ。
 揶揄していた人たちと交流があったわけでもない。

 でも感情を表現することも、表情に出すことも苦手なことには変わりはない。

 父を見ていればよく分かる。
 だって、そっくりなのだもの。

「でも父と同じで、感情を表現するのが苦手なのは本当のことですわ」
「そうでしょうか? 嬉しい時はほんの少し口角が上がりますし、テンションが高い時はちょっと体が揺れていたりもします。怒った時は吹雪が吹き荒れているようですし、ちゃんと見ていれば分かりますよ?」
「見て……いたのですか?」

 それはそれで、恥ずかしい。

 自分ではまったく気づいていなかったけれど、見る人が見たら分かっていたということでしょう?

「ええ」
「もしかして王女殿下も?」
「もちろん気づいていましたよ。あなたのことが大好きでしたからね」

 あああああ。
 この感情はなんと表現したらいいのだろう。

 そうね。
 簡単に言ってしまえば、穴があったら入りたい。

 私は恥ずかしさのあまり、両手で顔を覆うことしか出来なかった。
感想 0

あなたにおすすめの小説

片思いの貴方に何度も告白したけど断られ続けてきた

アリス
恋愛
幼馴染で学生の頃から、ずっと好きだった人。 高校生くらいから何十回も告白した。 全て「好きなの」 「ごめん、断る」 その繰り返しだった。 だけど彼は優しいから、時々、ご飯を食べに行ったり、デートはしてくれる。 紛らわしいと思う。 彼に好きな人がいるわけではない。 まだそれなら諦めがつく。 彼はカイル=クレシア23歳 イケメンでモテる。 私はアリア=ナターシャ20歳 普通で人には可愛い方だと言われた。 そんなある日 私が20歳になった時だった。 両親が見合い話を持ってきた。 最後の告白をしようと思った。 ダメなら見合いをすると言った。 その見合い相手に溺愛される。

夏の眼差し

通木遼平
恋愛
 伯爵令嬢であるティナの婚約者とティナの妹が恋仲になり、ティナは婚約を解消することになる。婚約者に対して特に思い入れはなかったが、姉妹の婚約のすげ替えについての噂と勝手なことばかり言う妹に気疲れしたティナは、昔から彼女を気にかけてくれていたイライザ夫人の紹介で夫人の孫娘リネットの話し相手として雇われることになった。  家から離れ、リネット共に穏やかな日々を過ごすティナは、リネットの従兄であるセオドアと出会う。 ※他サイトにも掲載しています

図書塔で恋した貴方は、親友の寝室で過ごす 〜留学中に不貞を働いた二人へ。身分目当ての貴方たちは勝手に没落してください〜

恋せよ恋
恋愛
偶然の出会いから親友となったティファニーとマーガレット。 伯爵家嫡子ティファニーは、男爵令嬢マーガレットの紹介で、 彼女の幼馴染のジャスティン子爵家次男と真剣な恋に落ちる。 三歳年上の婚約者のいるマーガレットは、二人を見つめて思う。 「あら、ジャスティンって、カッコ良かったのね。失敗したかも」 そこで、優秀なティファニーが隣国へと留学中の半年間、 ジャスティンを誘惑し、背徳の関係に溺れていく。 そんな親友+婚約者未満の恋人+優秀な伯爵令嬢の物語。 🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。 🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。 🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。 🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。 🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!

傷物令嬢エリーズ・セルネの遺書

砂礫レキ
恋愛
『余計な真似をして……傷物の女などただの穀潰しでは無いか!』 通り魔から子供を庇い刺された女性漫画家は自分が美しい貴族令嬢になってることに気付く。彼女の名前はエリーズ・セルネで今度コミカライズを担当する筈だった人気小説のヒロインだった。婚約者の王子と聖女を庇い背中に傷を負ったエリーズは傷物として婚約破棄されてしまう。そして父である公爵に何年も傷物女と罵倒されその間に聖女と第二王子は婚約する。そして心を病んだエリーズはその後隣国の王太子に救い出され幸せになるのだ。しかし王太子が来るまで待ちきれないエリーズは自らの死を偽装し家を出ることを決意する。

三度裏切られた私が、四度目で「離婚」を選ぶまで

狛犬
恋愛
三度、夫に裏切られた。 一度目は信じた。 二度目は耐えた。 三度目は――すべてを失った。 そして私は、屋上から身を投げた。 ……はずだった。 目を覚ますと、そこは過去。 すべてが壊れる前の、まだ何も起きていない時間。 ――四度目の人生。 これまでの三度、私は同じ選択を繰り返し、 同じように裏切られ、すべてを失ってきた。 だから今度は、もう決めている。 「もう、陸翔はいらない」 愛していた。 けれど、もう疲れた。 今度こそ―― 自分を守るために、家族を守るために、 私は、自分から手を放す。 これは、三度裏切られた女が、 四度目の人生で「選び直す」物語。

第三王女の婚約

MIRICO
恋愛
第三王女エリアーヌは王宮で『いない者』として扱われていた。 メイドからはバカにされ、兄や姉からは会うたび嫌味を言われて、見下される。 そんなある日、姉の結婚パーティに参加しろと、王から突然命令された。 姉のお古のドレスと靴でのパーティ出席に、メイドは嘲笑う。 パーティに参加すれば、三度も離婚した男との婚約発表が待っていた。 その婚約に、エリアーヌは静かに微笑んだ。 短いお話です。

「あなたは強いから大丈夫よね」、無自覚に人生を奪う姉

恋せよ恋
恋愛
「セリーヌは強いから、一人でも大丈夫よね?」 婚約破棄され「可哀想なヒロイン」となった姉カトリーヌ。 無自覚で優しい姉を気遣う両親と『私の』婚約者クロード。 私の世界は反転した。 十歳から五年間、努力で守ってきた「次期後継者」の座も。 自分に誂えた「ドレス」も……。「婚約者」さえも……。 両親は微笑んで言う。 「姉様が傷ついているの強いお前が譲ってあげなさい」と。 泣いて縋れば誰かが助けてくれると思っているお姉様。 あとはお一人で頑張ってくださいませ。 私は、私を必要としてくれる場所へ――。 家族と婚約者を見限った、妹・セリーヌの物語。 🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。 🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。 🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。 🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。 🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!

旦那様は、義妹の味方をしたことを心から後悔されているみたいですね♪

睡蓮
恋愛
マリーナとの婚約関係を築いていたクルーゲル伯爵、しかし彼はマリーナにとって義妹にあたるリオーネラとの関係を深めてしまい、その果てに子どもを作ってしまう。伯爵はマリーナを捨ててリオーネラを正式な婚約者にするよう動こうとするものの、その行いこそが自分たちを破滅に導く第一歩となってしまうのだった…。