求眠堂の夢食さん

和吉

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溶ける甘露、揺れる蜜の香り

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 放課後求眠堂に来た俺は何時もの着物ではなく、用意してあった汚しても良いと言われた長袖のTシャツとズボンに着替え店に戻ると

「うわ、夢食さんが着物じゃない!」
「何だその言い方」

 俺が着替えている間に夢食さんは色とりどりなシミが付いている長袖のTシャツに俺と同じようなズボンを着ていた。いつも店に居る夢食さんは常に着物を着ていて洋服を着たところを見たことが無い俺は目を丸くすると、夢食さんは不満そうに顔を顰めながら、

「これからやる作業は汚れるからこの格好が良いんだよ。着物のを洗うのって大変なんだぞ」
「へ~何するんですか」
「アロマキャンドル作りだ。店閉めてこい」
「了解です」

 俺は夢食さんに言われた通り入り口に掛かっている営業中の掛札を反対にすると店に戻る。

「んじゃ、ここじゃ狭いから二階でやるぞ」
「お、マジですか!初めての二階楽しみ~」
「んな喜ぶものは無いぞ」

 この店で働くようになってもうすぐ一ヶ月が経とうとしているが、夢食さんが住んでいる二階部分には未だに行ったことが無い。未知の場所を探索するという喜びと、普段どんな生活をしているのだろうという好奇心に心を躍らせると、その様子を見て夢食さんは呆れた顔を見せる。
 夢食さんの後ろを付いていき店の奥にある階段を登ると、そこは一階とは違い少し古さが残っている廊下にいくつもの扉があった。

「お~なんか普通」
「二十代独り身男の家に何の期待してるんだよ・・・・」
「いや~面白いものあるかなって」
「そんな物ねーよ。ほら、こっちだ」

 夢食さんは左の奥にある部屋に案内された俺は中に入る。するとそこには部屋の中央に大きなテーブルと部屋の両側には、色々な物が仕舞われている木とガラスで作られている棚がありそして大きな窓。この部屋は廊下とは違って、古さを感じさせず全てが新しい物に見える。

「ここって・・・・」
「作業場だ、ほら準備手伝え」

 そう言うと夢食さんは棚から、色々な物を取り出して俺に渡しそれをテーブルの上に置くという作業を繰り返した。そうして用意した道具は、IHヒーター・鍋・電子計量器・コップのようなもの・ガラスで出来た理科でよく見るビーカの大きい物・温度計・ドライヤーのような物・割りばし・アイスの棒のようなもの・アロマオイル・黄色の塊・ティッシュなど色々だ。多くの道具をテーブルの上に灰色のシートを敷き載せると夢食さんは

「キャンドル作りってしたことあるか?」
「無いです」
「んじゃ。まずは手本を見せるからまずは聞いてくれ」
「分かりました」

 俺はメモ帳を取り出し話を聞く態勢を整えると、夢食さんはまず黄色の塊を手に取る。

「これ、嗅いでみな」
「え?・・・・甘い・・・蜂蜜みたいな匂いですね」
「お、鋭いな。これは蜜蜂の巣を溶かして出来る蜜ろう、これを材料にしてアロマキャンドルを作るんだ」
「あーだから甘い匂いがしたんですね」
「今日のは蜜ろうを使うが、他にもヤシの木から採れるパームワックスや大豆から作られるソイワックス、一般的にな石油から作られるパラフィンワックスと色々種類があるが、客の好みとアロマオイルの相性でワックスを変えるようにしてるんだ。相性についてはまた今度な」
「色々なワックスがあるんですね~俺、蜜ろうのこの柔らかな黄色好きです」
「蜜ろうは、蜜を集める花の種類によって色や匂いが変わるから見た目も楽しめる良い素材なんだ。こんな感じの色に近い物だと、米から作られるライスワックスっていうのもオレンジ色の色をしていて綺麗だぞ」
「米からも作れるんですか!?」

 蝋の種類の多さに驚いていると、夢食さんは手に持っていた蜜ろうをビーカーの中に入れるとIHヒーターの上に置いた鍋の中に入れる。

「ちょっと水持ってくるから待っててくれ」

 そう言って部屋から出て、暫くして戻って来た夢食さんの手にはラベルが外された二リットルのペットボトルに入れた水を持ってきた。そして、その水を鍋に注ぐ。

「ワックスは鍋にそのまま入れても溶かすことが出来るんだが、温度が上がると燃える可能性があるから安全の為に湯煎で溶かすようにしているんだ」
「他のワックスでも同じですか?」
「同じだな。んじゃ、ワックスを溶かす前に他の準備もしておくか」

 そう言うと、夢食さんは割りばしを取り出し二つに割りアイスの棒のようなものを取ると

「これは、キャンドルの芯になるものだ」
「え、蝋燭の芯ですか?どう見てもアイスの棒にしか見えないんですけど」
「はは、確かに似てるな。蝋燭に使う芯にも種類が有ってな、一般的には木綿を編んで作った紐が芯となることが多いんだがこれはウッドウィックと言って、別名ウッド芯と言われてこれも蝋燭の芯になるんだ」
「へ~芯が木の蝋燭なんて初めて見ました。これだと、なんか違うんですか?」
「木の芯にすると、パチパチという木の燃える音と火が揺らめく姿を楽しめるんだよ。そして、木が燃える匂いも楽しめるから結構人気なんだぞ」
「そうなんですか~」
「普通の動物だと火っていうのは恐怖の対象なんだが人間は火を見ることによって安らぐ効果があるんだ」
「あ~確かに。焚き火を見る動画とか人気ですよね」
「普通の芯も燃えるという点では同じなんだが、揺らぐような燃え方はしないから一部ではこっちの方が人気なんだよ」
「なるほど」

 火事とかのニュースを見ていると火は怖いものだと思うが、キャンプでやったキャンプファイヤーを見た時には心が落ち着いたことを憶えている。なので、ウッド芯の良さを分かった俺は夢食さんの作業を手伝う。

「割りばしは後で使うから、二つセットで置いておいてくれ」
「はーい」
「んじゃ、蜜ろうを溶かすぞ」

 そう言うと夢食さんはIHヒータのスイッチを入れお湯を沸かしていく。そして水がお湯に変わりビーカーを温めるとあっという間に蜜ろうは固形から液体のようにドロドロに溶けていく。

「溶けるの早いですね」
「蜜ろうの融点は65℃くらいだからな、結構早く溶けるんだよ」

 夢食さんはさっき説明してくれたウッド芯をピンセットで摘まむと、ドロドロに溶けた蜜ろうの中に入れてしまった。

「えっ何してるんですか?」
「芯のコーディングをしてるんだよ。こうやって蝋を芯を付けておくと火を付けた時綺麗に燃えるんだ」
「そんな事するんですね」
「まあな、それじゃあさっきの割りばしの出番だ」

 割りばしの間に蝋から取り出したウッド芯をピンセットで挟み割りばしの両端を輪ゴムできつく縛ると紙コップに立てかけていく。

「こんな感じだな。やってみるか?」
「はい!」
「熱いから気を付けろよ」

 俺は夢食さんからピンセットを受け取り、夢食さんがやっていた作業を真似て割りばしの間に挟むことは出来のだが挟んだまま輪ゴムで固定するのに手間取りはしたが一人で出来た。

「おう、上出来だな」
「良かったです」
「それじゃあ、蝋を鍋から取り出すから少し離れててくれ」

 夢食いさんは工場で見るようなとても分厚い手袋で、ビーカーを取り出すとテーブルの上に置き中に温度計を入れた。そしてIHヒータの電源を切ると

「もう近づいて良いぞ」
「はい」
「今は蝋の温度を測っているんだが、あまりにも高温の時に精油を入れるとすぐに匂いが飛んでしまうから基本は60℃くらいになってから混ぜるように」
「分かりました!」
「蜜ろうは65℃程度で溶けるからそこまで温度が上がる事は無いんだが、他のワックスだと80℃近いものもあるからなその場合火を止めて冷めるまで待つように」

 夢食さんは蝋が60℃を下回ったのを確認すると、用意しておいた三つの精油を合計で15滴ほど入れ混ぜながら

「朧月、前に教えた精油の揮発性の違いを憶えてるか?」
「えっと、精油の揮発性には三つの種類があって、トップノート・ミドルノート・ベースノートに分かれているんですよね?」
「その通りよく覚えていたな」
「合ってて良かった・・・・」
「はは、じゃあその三つの特徴はなんだ?」 
「えっと、トップノートが嗅いだ時に最初に立ち込める匂いで一番揮発性が高くてミドルノートは全体を包み込むように匂いのイメージを決める匂いで揮発性は真ん中、ベースノートは一番揮発性が低くて、長い時間が経った後でも残る匂いですよね」
「その通り、精油のブレンドをするときはこの三つを考えながら作ると複雑な香りを作れるんだ。これは、アロマキャンドルでも同じだから俺は何時も複数の精油を入れている。レシピを書いてあるから、それ通りに作れば朧月でも作れるようになるぞ」
「了解です!」
「それじゃあ、後はこれをキャンドルモールドに入れれば出来上がりだ。朧月、さっき準備しておいた芯をそのモールドの上に置いてくれるか?」
「モールドってこれですか?」
「そう、それそれ」

 俺が手に取ったのは、中がボコボコしているシリコンで出来た物の上に割りばしを橋の様に掛け芯がモールドの中に入るように置く。

「これはモールドって言って、キャンドルの型になるものなんだ。中に蝋を入れるのやってみるか?」
「え、良いんですか?」
「おう、注げば良いだけだから簡単だぜ」

 夢食さんは俺に料理で使うようなミトンを手渡し、俺は言われた通りに蝋が入ったビーカーを手に持ち慎重にモールドの中に注いでいく。

「そうそう、上手い上手い。ギリギリまで入れたら次のな」
「はい!」

 そうやって俺は10個のモールドの中に注ぎ終わった。

「よし、後は固まるまで待つだけだから片付けるぞ~」
「お~!」
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