飛び出して

藍色碧

文字の大きさ
上 下
1 / 1

小さな世界 大きな世界

しおりを挟む
〇〇学校2年△組の教室に僕はいる。
金魚すくいによくいる、ワキンという金魚だ。名前は田中。どこにでもいそうな顔をしているから田中と呼ばれている。
今日も餌やりに飼育当番の山吹《やまぶき》さんが餌の袋を開けている。

「ねぇ、ーーーーはーーにーーーーの。」

水の中にいる僕には彼女らが何を話しているのかが全然分からない。いつかは話せる日が来るのかなぁ。来てくれたらいいなぁ。
そう願いながら今日も僕は泳いでいる。
スイスイ   ブクブク   パクパク


今日の授業が始まった。みんな真剣に授業を聞いている。僕は一番後ろにいるからみんなの姿が見渡せるんだ。あれ?よく見ると窓側4列目の大地くんは黒板を見ないで黙々とペンを走らせている。あれは、お絵描きだ。授業に集中しないで絵なんて書いてちゃいけないんだよ。桃井先生もそんな大地くんを見て叱りに行った。
授業は集中して聞くべきなんだよ、と見つめていると。僕の視線を感じたのか大地くんが
こちらの方を向いてきた。水の中でよく見えなくてどんな顔をしていたのか分からなかった。けど、何かを言っているのは聞こえた。

「おーーいーなー気ーーーーてー」

この声もガラスなのか水なのか、僕には届かないし届いても分からない。ああ、みんなと同じだったら良かったのになぁ。そしたらみんなと話せたのに。ここじゃあ僕一人だけで、とっても寂しいよ。小さくてもいいから誰かと一緒の場所が良かったなぁ。そう願って今日も僕は泳いでる。
スイスイ   ブクブク   パクパク 


今日は飼育当番の山吹さんが体調不良で休んでいる。それで、代わりに中谷さんが餌をくれたのだが、慣れていないせいでいつもよりたくさん餌を水槽に入れてしまった。
僕はバカだから全部食べようとしてお腹が
はち切れそうになってしまった。
げぇっぷ

「ごめーー、まーーーんなーーーゃーーーーーーなーーて」

そう言って、中谷さんは席に戻って友達と話し始めた。水槽は食べ残しの餌で汚れてしまっているのに。まあ、このぐらいなら大丈夫だと思う。きっと。我慢することも大切さ。

昼休みになるとこんな悩みは吹っ切れる。
みんなが僕に熱中さ。ヒラヒラ泳いだり、
餌を食べる姿を見に隣のクラスからも人が集まってくるんだよ。トイレをしている時も見てくるのは恥ずかしいけど。それでも、みんなが僕を見てくれるこの一瞬がみんなと同じになってるみたいで凄く嬉しいんだ。このクラスに来てからまだ一ヶ月も経ってないから珍しい物見たさで来てるのかなぁ。前の場所とは大違い。僕は一躍有名人さ。いや僕に言うなら有名魚かな。

そんな僕の姿に嫉妬しているのか、同じぐらいの時期にこの学校に来た宏太《こうた》くんは僕を見ては何も言わないでそっぽを向く
そんな風にしているから君の周りには人が集まらないんだよ。友達ができないんだよ。


山吹さんが体調不良が治って学校に来た。
僕はそんな彼女を驚かせようと岩の影に隠れて待っていた。けれど、すぐ見つかってしまった。お肉がはみ出ていたのだ。くそぉ、昨日あんなに食べなければ良かった。中谷さんのせいだ、後で説教しなくては。って僕たち
話せないんだった。

今日も昼休みは僕で大盛り上がりだ。楽しそうに遊んでいる僕たちを先生も嬉しそうに
微笑んでこちらを見ている。そんな大衆の隙間を眺めていると、やっぱりいた。僕を見ては目を背ける宏太くんが。誰かと一緒に帰ることもなければ、休み時間はいつも本を読んで表情ひとつ変えない。僕とは対照的なはずなのに何故だか僕は君と"同じ"な気がする。
全然違うのにさ。

あぁ、どうして僕は金魚なんだろう。
僕もみんなと同じ人間だったら、一緒に遊んだり、授業を受けたり、お話しできたのに。
この水槽は僕だけがいるには大きくて、快適だけど、みんながいる教室の方が狭くても楽しそうで羨ましいんだ。

そうだ、簡単なことじゃないか。この水槽から飛び出せばいいんだ。そうしたら僕はみんなのところに行けるし、水で遮られていた声も聞こえるかもしれない。飛び出そう、この小さな世界から飛び出そう。

僕は水槽の底から勇気を振り絞って水面目がけて、勢いよく泳いでいった。

ぴしゃん

その微かな音にのって、水の中から飛び出した。みんながいる大きな世界へ。みんなといっぱいお話しするために。
そんな僕の姿を見て山吹さんが駆け寄ってきた。そんな顔しなくても大丈夫だよ。僕は望んでこうしたんだから。だから、そんな顔しないで。

「何調子乗ってんの、キモいんですけど」

え?どういうこと?水槽から出たのがそんなに悪いことだったの。だったらごめんなさい
もう戻りますから。って、あれ。戻れない
体がうまく動かない。

「おい山吹やめとけよ」

大地くん、お願い助けて。体がうまく動かないんだ。息もしづらいし。もうこんなことしないから、助けて欲しいんだ。

「また漏らされたら臭くて授業受けらんねぇからさ」

どういうこと、大地くん。『また』ってどういうこと。僕のうんちが臭かったなら僕が掃除するから。だからお願い誰か僕を助けて。

「あれはあんたが殴ったからでしょ?私のせいにしないでよ。こんな汚いの誰が触るもんですか」

殴った?誰が?僕を?どういうこと。殴られたことなんて一度もないよ。だってこんな体だもん。人が殴ったら僕死んじゃうよ。

「おい田中。何泣きそうになってんだよ
お前がそんなこと言わなかったらこんなことにはならなかったんだよ」

ゲホッ

あれおかしいなぁ金魚だったらもう死んでるはずなのに、僕生きてるや。あれ、僕っていつから金魚だったっけ、いつから金魚にしてたっけ。

「お前また桃井に言ったら、学校来れなくするからな。」
「ちょっとそれはやめてよ、そんなことしたら学校つまんなくなるじゃん」
「まぁ、それもそうか」

ガハッ

どうして僕が宏太くんと似てたのかやっと分かったよ。ずっと金魚のふりしてたから気づかなかった。僕の周りに友達なんていなかったんだ。いるのは僕をいじめる奴らだけだ。

「やめて、くだ、さい、やめ、て、ください」
「えぇ?小さくて何言ってるか分かんねぇよ、もっとはっきり喋れよ」
「だれ、か、たす、けて」
「アンタみたいなゴミ誰が助けるんだよ」

あぁ、そうだ、いつもこうだ。何を言っても
何をしても僕の言葉は伝わらない。みんなと
ただ楽しく話したいだけなのに。こんなの
ただ苦しいだけだよ。ねぇ、宏太くん、見てないで助けてよ。一緒の時期に転校してきて
初めは仲良く話してたよねえ。桃井先生も
いじめをいじりとか言わないでよ。僕は嫌なんだよ。これが嫌なんだよ。


みんなと同じ世界にいれば、みんなと話せると思ったのに。
僕が人間になれば、思いは伝わると思ったのに。
助けて欲しいって言えば助けてくれると思ったのに。

やっぱり僕は水槽にいるのが一番だったんだ
1匹にしては大きいけど、話し相手がいない
寂しそうな世界。それでも、僕がいるこんな世界より生きやすい世界。


あぁ ここは息苦しいよ


しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...