化け猫姉妹の身代わり婚

硝子町玻璃

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「おはようございます、霞さん。昨夜はあの後、大丈夫でしたか?」
「あ、はい……色々とご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした……」

 一夜明けた翌日。普段と変わらぬ態度の蓮に、霞は蚊の鳴くような声で謝罪した。そこへ政嗣が思案顔で近付いてくる。

「霞さん、昨晩は本当にすまなかった。君たちを快く思わない者たちが、ジュースにマタタビを仕込んだ可能性がある。必ずや犯人を突き止めよう」
「いえ。お気になさらないでください」

 深々と腰を折る政嗣に、霞はぎこちなく微笑みながらお辞儀をした。その横で雅が「フン、白々しい」と鼻を鳴らす。

「そんなこと言っちゃダメだよ、雅」

 妹をたしなめながらも、霞は内心ほっと胸を撫で下ろしていた。これで政嗣の疑念も晴れただろう。
 若干気まずい空気が流れる中、一同は食卓についた。

「げっ……」

 小鉢に入った葉野菜のお浸しを見るなり、雅が顔を歪める。それを避けて、他のおかずに箸をつけていく。
 一方霞は、そのお浸しを美味しそうに口へ運んでいた。そのことに気付いた雅が目を見張る。

「あ、姉上……っ!」
「え? どうしたの?」

 急に椅子から立ち上がった雅に、霞がきょとんと首を傾げる。その反応に、雅はすぐに我に返った。

「い、いや、何でもない」

 平静を取り繕って座り直しながら、政嗣を一瞥する。こちらの様子には気にも留めず、黙々と食べ進めていた。

「お行儀が悪いですよ、雅さん」
「へいへい」

 八千流の小言を受け流して、味噌汁を啜る。政嗣が探るような眼差しを向けているとは気付かずに。

(今のはいったい何だ? 東條雅は何に焦っていた?)

 献立に何か問題があるのだろうか。考えを巡らせながら、食卓に並べられた料理を確認していく。
 白米、味噌汁、焼き魚、出し巻き卵、葉物のお浸し……

(……ん?)

 政嗣は葉物を箸で摘まみ、まじまじと観察してから口に入れた。一見ニラのように細長い形状をしているが、蜜柑と似た爽やかな風味がする。それが昆布出汁の利いた調味液とよく合う。
 美味いと感じるものの、初めて食べる味だ。
 政嗣はこっそり姉妹の小皿を見比べた。霞はお浸しを完食しているが、雅は一切手を付けていない。
 単なる好き嫌いだろうか。だが先ほど雅は、お浸しを食べる姉を見て狼狽している。
 朝食後、政嗣は厨房に赴いた。食器の後片付けをしている使用人へ声をかける。

「君。朝食で出されたお浸しについて、少し聞きたいのだが……」
「もしかして、柑緑菜のことでございますか?」

 使用人が振り向きざまに尋ねる。

「……柑緑菜?」

 聞き慣れない名称だった。

「はい。蜜柑のような香りのする珍しいお野菜なんです。炒めたり煮込んだりすると風味が消えてしまうので、さっと茹でてお浸しにすると、美味しくいただけるんですよ」
「そうか。いいことを聞いたよ、どうもありがとう」

 政嗣は使用人に礼を述べ、厨房を後にした。


 同じ頃、部屋に戻った雅はスマホも弄らず、硬い表情で思案に暮れていた。

「雅、どうしたの? 何かあった?」
「う、うむ。先ほど姉上は、美味そうにお浸しを食べていたじゃろ? あれに使われていた葉物のことなんじゃが……」

 珍しく歯切れの悪い口調で切り出す雅だったが、何も気にすることなく霞は表情を明るくする。

「うん! あのお浸し、とっても美味しかったね。蜜柑の汁でも入ってたのかな?」
「…………」

 嬉しそうに語る霞に、無言で天井を仰ぐ。

(まあ、鬼ボンたちも怪しんでいなかったし、大丈夫か……?)

 とはいえ、思わぬ形でボロを出してしまったと、雅は自らの不注意さを悔やんだ。


「……やはりそういうことか」

 客室に戻った政嗣はパソコンを起動させ、柑緑菜に関する情報を検索していた。すると、一件のサイトに辿り着いた。
──柑緑菜はネギ科ネギ目の野菜で、毒性はなく栄養価が高いとされている。柑橘類に似た独特の匂いを持ち、猫又族が苦手な食材の一つである。
 その記述に、政嗣の表情が険しくなる。直後、テーブルに置いていたスマホが振動した。差出人は、例の調査を任せた部下だった。

「私だ。何か分かったか?」
『それが、その……』

 言い淀む部下に、政嗣が苛立たしそうに催促する。

「どうした。早く報告しろ」
『も、申し訳ありません。……単刀直入に申し上げます。東條霞を養子に出した親戚は、存在しませんでした』
「それは確かなのか?」
『はい。念のため、東條家と親交の深い家もすべて調べてみましたが、間違いありません。ですが、それ以上のことは……かつて屋敷で働いていた元使用人も口が堅く、何も教えてはくれませんでした』

 部下がほとほと困った口調で調査内容を語る。

「そうか。ご苦労だったな」

 政嗣は部下に労いの言葉をかけ、通話を切った。その脳裏には、ある光景が浮かんでいた。
 先日の食事会で目にした、霞の右脚にあった大きな傷跡。

(他の者たちは、気付いていなかったようだが……)

 鬼族には劣るものの、猫又族は身体能力が高いだけではなく、傷の治りも早いと聞く。あのような痕が残るはずがない。
 東條霞は猫又族ではない。だとすれば──
 警鐘を鳴らすかのように、心臓が激しく脈打つ。政嗣は手を震わせながら、ある者たちに招集をかけた。

 会合の場所は、とあるホテルの一室だった。政嗣の報せを受けて集まった男たちは、一様に戸惑いの表情を浮かべていた。

「『あの時』の赤子が生きていたというのは、間違いないのか?」
「ああ。偶然にしては、母親と顔が似すぎている。それに、あの赤子が生きていれば今年で十八歳……年齢も一致する」

 仲間からの質問に政嗣が根拠を述べると、彼らの顔が一層強張った。

「そんなバカな……まさか今までずっと東條家が匿っていたとは」
「化け猫風情が……いや、ちょっと待て。蔵之介や蓮は、このことを知っているのか?」

 男の一人が不安を隠し切れない様子で言う。その懸念は、瞬く間に仲間たちにも広まった。

「東條家や本家の連中と協力して、我々に復讐しようとしているのでは……」
「十八年経って今さら親の仇討ちか? 冗談じゃないぞ!」
「落ち着け!」

 政嗣が怯え戸惑う彼らを一喝し、室内がしんと、静まり返る。

「東條霞は自分が何者であるか、理解していない可能性がある。それに、『能力』を持っているとも限らん」
「か、隠しているだけではないのか? 我らの寝首を掻くつもりなのかもしれないぞ」

 男の一人が縋るような眼差しで見てくる。こうして怯えていても仕方ないだろうに。政嗣は煩わしそうに息を深く吐き、提案をした。

「それなら、能力の有無を確かめるまでだ」
「確かめる? どうするつもりだ、政嗣」
「東條雅だったか。あの猫に一服盛ってみようと思う」

 事もなげに言う政嗣に、男たちは愕然とした。

「正気か!? 万が一、それで東條家の娘を殺めてしまったら、どうするつもりだ!?」
「致死率の低い毒を使えばいい。当主が一枚噛んでいるとしたら、何かしらの反応も見れるだろう、どうだ、一石二鳥だとは思わんか?」

 政嗣の言葉に異を唱える者は誰もいなかった。

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