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第4章 過去・今・未来

第30話ー⑦ それは幸せな物語

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 俺は少し遅めの夕食を摂るために食堂へ来ていた。

「さすがにもう食べ終わってるよな」

 俺は誰もいない食堂を見て、生徒たちがもう夕食を済ませたことを悟った。

「何かあるかな……」

 そう言いながら奥のキッチンスペースに行くと、俺はラップのしてある夕食の残りを見つけた。そしてそこには『先生の分』と書かれた紙が貼られていた。

 俺のために誰かが夕飯の取り置きをしてくれていたんだな。

「ありがたいよ……」

 それから俺は食材を温めて、遅めの夕食を摂った。

「そういえば、あのカフェで食べたから揚げ……おいしかったなあ」

 俺がそんなことを呟きながら夕飯を食べていると、そこへ真一がやってくる。

「お、真一。どうした?」
「何か飲み物はないかと思って」
「そうか」

 それから真一は冷蔵庫の中にあるミネラルウォーターを取り出し、食堂の出口へと向かって歩いていた。そして食堂を出る前に足をピタッと止めた真一は俺の方を向く。

「ん? どうした??」
「そういえば、明日は奏多の演奏会があるんでしょ」
「え……」

 真一の言葉に俺は驚いた。そして持っていた箸を落とす。

 そういうことには無関心だと思っていた真一が、まさか俺にそんな話をするなんて夢にも思わなかった。だから今の俺は間の抜けた声を発してしまったんだろう。

「あ、ああ。でも意外だな、真一がそう言うことに興味を示すなんて」
「失礼な……。僕だって、これから世界的に有名になるバイオリニストの演奏には興味があるよ」
「そうか、そうだよな!」

 そう言われてみれば、納得だった。真一の趣味は音楽鑑賞だし、不思議なことではないことだったのかもしれない。

 そんなことを思いつつ、俺は一人頷いた。

「……というか。明日の話は誰から聞いたんだ?」

 俺はふいに自分が奏多からさっき聞いたことを、なぜ真一が知っているのかが気になった。

「キリヤから」

 それだけ言うと、真一は食堂を後にした。

 キリヤからってことは……。

「たぶん所長が報告したんだろうな」

 そう言いながら、俺は落とした箸を拾った。

 でもなんで所長はキリヤには話して、俺には何も言ってくれなかったんだろうか。

「まあいいか」

 そう言ってから俺は夕食を片付けたのだった。



 翌日。奏多から施設到着の知らせが入った。

「もう着いたんだな……はあ」

 俺は昨夜の出来事もあって、奏多に会うのは少し緊張していた。

「奏多は昨日ことをどう思っているのかな……」

 そんなことを呟きながら、俺はいつものようにエントランスゲートへ奏多を迎えに行った。

 そして俺がゲートに着くと、そこには奏多がバイオリンケースとキャリーバッグを持ったままそこで待つ奏多の姿があった。

「おはよう、奏多。バッグは俺が持つよ」

 俺はそう言って奏多にゲストパスを渡し、それから奏多が持っていたキャリーバッグを受け取った。

「ありがとうございます、先生」

 奏多はそう言っていつもと変わらない笑顔を俺に向けてくれた。

 昨日の心配は取り越し苦労だったようだったみたいだな――。

 俺はそう思いつつ、ほっと胸を撫でおろした。

「じゃあ行こうか」
「はい!」

 それから俺は奏多と共に職員室へ向かった。

 そして奏多が持ってきた荷物を職員室の端の方に置いてから、今日の段取りを二人で確認することになった。

「このタイミングで登場して……ここの照明を……」
「うふふ。なんだか懐かしいですね」

 奏多は俺の顔を見て、そう言いながら笑っていた。

「……確かに。こんなこと前にもあったな」

 俺たちはそんな懐かしさに浸りつつ、急いで準備を進めるのだった。



 そしてコンサートの開始時刻が近づいた頃。俺は生徒たちをシアタールームへと誘導し、その間に奏多は後から到着したお手伝いさんと共に衣装の準備をしていた。

「とりあえずこれで生徒たちの準備はOKだな」

 シアタールームへの誘導を終えた俺は、奏多の待つ職員室へ向かった。

「奏多、生徒たちの誘導終わったぞー」

 そう言いながら職員室に入ると、そこにはきれいにドレスアップされた奏多の姿あった。

「!!」
「私は準備万端ですよ、先生」

 そう言って微笑む奏多は、純白のドレスを纏う天使のように見えた。

 俺はそんな奏多に思わず見とれてしまい、言葉が出てこなかった。

「先生? どうですか、このドレス」
「…………すごく似合ってる!」

 我に返った俺は、思ったことを奏多に告げた。

「うふ、よかった。……結婚式の時はもっと素敵なドレスの予定ですけどね!」
「け、結婚式!?」

 動揺する俺に奏多は意地悪な顔をして、

「ええ、もちろん先生とのですよ?」

 と俺の顔を覗き込みながらそう言った。

「か、からかってないで、行くぞ!」

 俺は顔が熱くなり、先に一人で職員室を出た。

「ふふ」

 そしてそのあとを追うように奏多も職員室を出た。



 シアタールームには施設にいる生徒たちが集まっていた。

「楽しみでござるな!」
「うん。久しぶりに奏多の演奏が聴けるのは、すごく楽しみ」

 結衣とマリアはそんな会話をしながら、他の生徒と同様にコンサートの開始を待っていた。

 そして急に照明が暗くなり、再び明るくなった時に奏多がステージ上に姿を現す。

 俺はそのタイミングで後ろの扉からこっそりとシアタールームに入り、近くの席に腰を下ろした。

「皆さん、今日は神宮寺奏多のクリスマスコンサートへようこそ! ぜひ、最後まで楽しんでいってください」

 そう言って、一礼する奏多。

 そして生徒たちは奏多に拍手を贈る。

 奏多が顔を上げるとその拍手が鳴りやみ、奏多は手に持っているバイオリンを構えて自分の音を奏で始める。

 その音色は以前と変わらずに美しく、とても優雅だった。そして以前よりも洗練されたその音色に一同は聴き入っていた。

 ステージに立ち、自分の音を奏でる奏多はとても楽しそうで幸せな表情をしていた。そんな奏多の姿を見て、聴いている俺も幸せな気持ちになり笑顔になっていた。

 やっぱり奏多の音は人の心を癒し、幸せにする力をもっている――と俺は今日改めてそう思った。

 そして俺は奏多の演奏を聴きながら、奏多が俺に本当は人前で演奏をしたいことを告白してきたときのことを思い出す。

 ――あれから1年半くらい経ち、奏多は異国の地で大好きなバイオリンに向き合い、成長を続けている。奏多は俺にとっての最愛の人だけれど、俺の心の着火剤でもあるのかもしれないと思った。

 奏多の成長を見て、『俺ももっと頑張ろう。成長してやるんだ!』とそう思えたから。

 そして演奏を終えた奏多に大きな拍手が送られた。奏多はそれに笑顔で返した後、頭を下げたのだった。
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