落ちてきた数字

田古みゆう

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 あの日を境に僕たちの生活は変わってしまった。僕たちはスコアを取ることに必死になった。どうしてあんなものが落ちてくるのか。そんなことはもうどうでも良かった。ただ僕たちは、自身が高スコアとなることを目指して、少しでもスコアを伸ばそうと空を見上げるようになっていた。

 以前の僕たちを縛っていたものは、学歴だった。人よりも高水準な生活を送ろうと思ったら、学歴が必要だった。大学を出ていることが当たり前の水準で、大学の偏差値が高ければ高いほどに、その後の収入に影響を及ぼした。

 大学卒業者と言えどそのレベルはピンキリなのだが、それでも大学の下位学校にあたる高校卒業者よりは、Fランクと言われるいわゆる「誰でも入れる大学」を卒業した者の方が生涯年収は高かった。個々の能力は高卒者の方がどれだけ上でも、大卒者の学歴にはかなわない。

 世の中は学歴社会だった。ランクとしては、大学を卒業した者を平均水準として、以下、専門学校で専門的な知識を学んだ者、高校を卒業した者、義務教育課程まで終えた者と人々のランクは下がっていく。さらに、それぞれの学歴においても、偏差値があり、最終学歴に到達するまでにどのような学歴変遷をたどっているかによって、人々はそれぞれを暗黙のうちにランク付けしていた。

 他人よりも下に見られたくない者たちは、幼少のころから、生涯ランキング上位を目指し、有名大学付属の幼稚舎へ入り、その後エスカレーター式に小学校、中学校、高校を経て、無事ランクの高い有名大学の学歴を手にしていた。

 そんな学歴社会を生き抜くためには、自身の学力と親の財力が必要だった。財力があればたとえ自身の学力が平均よりも少々低くても、Fランクの大学には進学できる。いわゆる金にものを言わせて学歴を買うことが出来るのだ。

 自身の学力については、盲目的に勉強をすれば身につけることが出来たが、親の財力については自身がこの世に生まれ落ちた時から、既に大枠が決まっており、自分の力ではどうすることも出来ない。そのため、財力のない家庭の子ども達は、「親ガチャに外れた」などと自身の境遇を嘆きつつ、何とか一定水準に食らいつくためにも、学力向上を余儀なくされていた。

 誰もがこんな社会はおかしいと思いつつも、それでもそれを覆すだけの力を持たず、ただただ似非えせ学歴社会に甘んじるしかなかった。

 ある日、そんな学歴社会を覆す出来事が起きる。

 空から数字が落ちてきたのだ。
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