うちに紫式部がいます

田古みゆう

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1.紫式部、現る

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 地下鉄の駅構内にある書店。その店は、出入口付近に新刊本の山がいくつもある。その中でも、ひと際広いスペースを与えられ、「今年一番泣ける本」「読みたいランキング1位」「珠玉の恋愛小説」「一番売りたい!賞ノミネート」などと、大仰な売り出し文句をいくつも冠しているその本に一瞥をくれると、僕は店を出た。

 地下鉄に乗れば、中吊り広告がこれ見よがしに視界に入る。それは、先ほど目にした本、『この愛の果てに』の宣伝広告だ。今やベストセラー作家となった藤原宣孝の新刊のプロモーションに辟易として、空いている座席に深く腰掛けると、僕は目を固く閉じた。

 本当にこれで良かったのか。

 何度目になるかわからない自問自答を繰り返したところで、もう世に出てしまったものは仕方がない。これから先、僕はどうするべきか。それを考えなくてはいけない。

 そんなことを考えながら、自宅に帰りつくと、玄関を開け、奥の部屋へ声をかける。

「師匠、ただいま~」

 物音ひとつしない。けれど、それはいつものことだ。僕は気にすることもなく、靴を脱ぐと、廊下をぬけ、部屋のドアを開けた。ドアの先は、リビングへと繋がっている。間取りは1LDK。26歳の独身男子の自宅としては、少々無駄な間取りかもしれない。

 そんな無駄な空間へ足を踏み入れると、白檀びゃくだんの涼やかで甘い香りがほんのりと鼻腔をくすぐる。これは、師匠の残り香だ。この匂いがするということは、つい先ほどまで師匠はここにいたはずだ。

「師匠~。戻りましたよ~。出てきて下さいよ~」

 そう言いながら、僕は入口のすぐ横に置いてある、卓上の紫水晶アメジストドームを一撫でして、紫水晶の窪みを覗き込んだ。岩の内側に空洞状に水晶が形成されたそれは、僕の家で代々受け継がれていた物らしく、今は、僕が譲り受けている。ドームを撫でて程なくすると、空洞内の紫水晶に、まるで夜空が星を抱き始めたかのように、いくつかの小さなきらめきが浮かび、先ほどまで僕の鼻腔を擽っていた香の薫りが濃くなった。

「なんじゃ宣孝。私は、つい今しがた眠りについたところなのじゃぞ」

 ドーム内を覗き込んでいた顔を上げると、僕の正面には、扇子で口元を覆いながら、眠そうな声を上げる師匠、紫式部その人が立っていた。
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