父、車を買う

田中 スズキ

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父、車を買う

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「なぁ、母さん。そろそろ買い替えようと思うんだ」

それは家族団欒で食事を囲っている時に、父が何気なく呟いた言葉だった。

「何を?」

「いや、ほら。アレを」

「アレ?」

今一つ母には伝わっていない。
そんな母も真面目に聞いているわけではなく、視線はテレビに釘付けで、半ば相槌の体で返している。
その母の奥に座る妹は、推しのアイドルが出ているという事もあるが、端から父の話には耳も傾けず全く興味がない様だ。 
まあ、何時もの風景である。

「だからさ。……車だよ、ク・ル・マ」

いつになく、少し声を張た父が居た。

えっ? 車??
車を買い替える、と?
……確かに随分とガタが来ていたからな。
父曰く、20年選手だから仕方が無いとか何とか。

父の緊張も、仕方が無い事だろう。
我が家のヒエラルキーでは母が一番なのだから。
漸くテレビから視線を外した母が父に向き直る。
妹は一瞬こちらを向いたものの、直ぐにテレビに戻った。
俺はと言えば、足の上に靠れた毛玉に催促されて、ワシャワシャと手を動かしながら様子を窺う。

「ハッハッハッ」

あ、涎を垂らすな。

「そう。……で?」

第一関門は突破かな。

「新車が買いたいかなって、ね」

母が顎をクイっとさせ、先を促す。

「T社のミニバンのEV車なんてどうだろうか?」

母が沈黙する。
これはOKなのかNOなのか、どっちだ?

それにしてもEVね。
CMの謳い文句でもEV・EVうるさいし、環境に優しいぐらいしか知らない。
俺も今の若者らしく、車には興味がない。
それでも資格として免許だけは取っておけと母に言われ、先日教習所を卒業したばかりだ。
技能は身に付けたものの、車についての知識は皆無に等しいのである。

「今なら補助金も出るし……」

「減税にもなるから……」

「少しでも次代に良い環境を残したいし……」

珍しく、父が攻勢をかけている。
環境問題は、昔は企業が取り組む問題という認識であったが、今や主婦の方が身近に感じていると言っても過言ではない。
斯く言う母も、エコバックは必需品だし、清掃のボランティアには率先して参加している。
なので、これは母にも刺さるポイントだ。
母が悩んでいるのが分かる。

「ところで、今の車はどうするんだ?」

気になったので、何とはなしに聞く。

「……ああっと、廃車かな」

古いし襤褸いし仕方が無いだろうな。
俺は納得したが、母は寂しそうな顔をする。

今の我が家の足である自家用車は、母方の祖父が免許返納したときに譲り受けたものだ。
その祖父も3年前に他界したので、謂わば形見分けと言っても差し支えない。
それだけ母にとっては、思い入れのある車であった。

独身時代にセダンを中古で買い、次は祖父からのお下がりを押し付けられ、縁遠かったのだ。
父としては新車への憧れが捨てきれなかったのだろう。

ちなみに祖母は今も健在で、曾祖父から譲り受けたクラシックな小型のスポーツカーを転がしている。
祖父の車に対しては、「こんな大きい車要らない」と一刀両断にしたらしい。

「ふーん。それって幾ら位するのかな?」

結構大事な事だと思うんだけど、一向に父が話そうとしない。
スマホを取り出し、検索する。
ん? 高っ!
これって、マジ?

ボソっと零した言葉を耳聡く聞いていた母が、こちらへと目配せして来る。
父は顔が強張っていく。

「あー、700万もするんだけど?」

途端、母の顔が顰める。
どうやら想定外だったみたいだ。

「……EVのメリットって何?」

此処は出来る息子として父をフォローする。
新車ではなく、EVに焦点を当てるのがミソなのだ。

「環境に優しい」
「減税になる」

父は指折り数え、メリットを挙げる。

「それは聞いた」

母に出鼻を挫かれるも、父はめげない。

「災害時に電源になる」
「駆動音が静か」
「ガソリンよりは電気の方が安く、維持費が楽」
「外で充電できる施設数は、ガソリンスタンドより数倍多い」
「家充電できる」

なるほどなるほど。
最寄りのガソリンスタンドも何時の間にか閉鎖してたし、少し遠出しないと給油もできないて愚痴ってたからな。

おっと、膝の毛玉が構えとアピールして来る。
はいはい。
ワシャワシャワシャワシャ。

「っで、デメリットは?」

母が追及する。
まぁ、当然だわな。

「充電には時間がかかる」
「航続可能距離が短い」
「価格が高い」
「家充電に設備が要る」

なるほどなるほど。
価格以外は問題なさそうだな。

EV車には十分な魅力がある。

ポチポチっとな。
「EV・充電・時間」っと。
急速充電30分、普通充電数時間ね。
お隣の国ではバッテリー毎交換するステーションもあるらしく、それが人気らしい。
便利だけど、この国では普及しないだろうな。

「その新車を買うべきだわ」

父に思わぬ助っ人が現れる。
テレビに夢中だった妹が突如参戦してきたのだ。

何事!
って、なるほど。
何というタイムリーな出来事だろうか。
丁度テレビで流れている車の新CMに、推しのアイドルが抜擢されていた。
動機はアレだが、父には有り難い援軍だろう。

それに、先日この集合住宅にもEV車用の充電設備が増設されたのもポイントが高い。
これは決まるか。

「その車種である必要は?」

母の鋭いメスが振りかざされる。
もしかしたら父には深い理由があるのかもしれない。
が、俺の見解では完璧に父の趣味以外の何物でもないと断言する。

「今のと同じサイズ感が良いかなって」

「っで?」 

「う…ん、まぁ、何だ……」

現に父が言いあぐねているのが、何よりの証であった。

……おっと。
弄っていたスマホから、思わぬ情報を拾ってしまった。
言うべきか言わざるべきか。

眉間の皴を母の手によって伸ばされ、思わず顔を上げる。

さっさと吐け。
母からのアイコンタクトがそう物語っている。

「イエッサー」

父には思い当たることがあるのかワタワタしだした。
が、もう遅い。
こうして、バレる前に自分から言うべきだったのだ。

「EVのバッテリーの寿命(70%)の目安は、耐用年数が8年・走行距離16万㎞」
「中古市場のEVは価格が暴落」
「N社はバッテリー交換前提な為比較的に安価(新品数十万 工賃別)だけど、他社は思想の違いから交換は高価(新品100万~250万越え 工賃別)」

検索結果では中古EVはお買い得と紹介されているページもある。
コスパを考えると間違ってはいないのだろう。
だが、俺には安物買いの銭失いに見える。

――中古車は無いな。
とはいえ、新車はコスパが悪すぎる。 

「ちなみにガソリン車は、耐用年数が10~12年・走行距離10万~12万㎞らしい。ガソリン車の方が故障しやすいみたいだけど、爺ちゃんの車は随分と物持ちが良かったんだね」

クラシックカーは高いって聞くけど祖母の車はどうなのかな。
ポチポチっとな。
マ?
マジですか!

祖父の車が20年選手で査定額0なのに、より古い60年選手の祖母のクラシックカーと同種の車が最低500万なのだから、物の価値がよく分からない世界だ。
25年ルールなる物もあるみたいだが、暫くすれば祖父の車に価値が付くのか?
いや、無いな。
と、俺が物思いにふけっている内に、どうにも話が明後日の方向に進んでいたようだ。

休日にしか使わない父と平日に毎日使う母では、使用頻度から見ても母に軍配が上がる。
4人家族ならミニバンである必要はない。
これから3人――俺はもう直ぐ大学に通う為に祖母の家に下宿する身――になるのなら、むしろ軽ワゴンで十分だ。
新車のEVって条件も適うし言うことないね。

母の言葉は正論なので、父はぐうの音も出ない模様。

俺も大学生になるし、車ぐらい持っていた方が良いだろうとも言っている。
……ん?
それは初耳なんですけど。
あれば便利だとは思うけど、必要かと言われれば必要ないかなっと。
あっ、はい。

「ありがとうございます」

俺に拒否権はない。
軽バンを与えられる代わりに、県北の方に習い事に通う妹の迎えの仕事を請け負うことになってしまった。

母(魔王)の手から逃れ薔薇色の大学生活を夢見てはずが、祖母(大魔王)の監視付きに、妹の迎え(雑用)まで押し付けられて、始まる前に詰んだ気分だ。
高校生活より縛りがある気がする。

結局すべては母の手の内だったのか。

「ハッハッハッ」

おお、毛玉よ俺の嘆きを分かってくれるのか。
ワシャワシャワシャワシャ。
毛玉に会いに帰ると思えば……。
それはそれで有りなんだけど、なんだかな。

おのれ父め!
余計な事を言って、俺にとばっちりを喰らわせるとは。
まぁ、悄然としている父を懲らしめるのはまた今度にしよう。
そうしよう。

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