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 朝食にパンを食べていて遅刻しそうな確率は約0.35%
 人とぶつかるは確率0.8%
 ぶつかる組み合わせが男女である確率は約1.65%
 その子と恋仲になる確率は約1.25%

 と、世間ではそう謳われている。






「キャッッッ!?」
「…ッッ!?」
 曲がり角。 そこで男女はぶつかる。体格差的に、男は少しふらつき、女は吹き飛ばされる。 男は相手の様子を伺おうと、そちらに視線をやった。女はゆっくりと起き上がりなら自らの尻を撫で、「痛っー…」と小声で呟く。
 その様子はまるで、王道ラブコメのようであった―――。


 その男子高校生の名は田中 優太。どこにでも居る平凡な高校生だ。日本では一位、二位を争うであろう「田中」という名字まで受けており、名前に目を付けても、その意見はどうも、今のところは変えられそうになかった。
 そんな優太が今、ラブコメというフラグに遭遇しているのだ。
 優太は少しばかり抵抗を感じながらも、その思春期という壁を崩し、自らが先陣をきった。
「…大丈夫か?」
「う、うん…」
 イケメンボイスを意識しながらそう優太が手を差し伸ばすと、女は顔を赤らめてその手を握り返す。
「ごめんね…。 前方不注意だったよ…」
 女は苦笑を浮かべながらそう述べて、少し遅れてアハハ、とはにかむ。
 それに続いて優太も「俺も悪かったよ。 急いでて注意が足りなかった」謝罪を述べ、その場で互いに謝りあう。
 女はまだ、頬を紅潮させてその場に恥ずかしそうに立ち竦んでいる。その表情を見て、優太も変に緊張して前髪の毛先を弄った。
「「…」」
 いっときの沈黙が降りる。そして、その沈黙を破ろうと行動に出たのは、
「「あ、あの…」」
 優太だけではなかった。
 不運にも言葉が重なってしまい、 それによって何か話そうとしていた二人は黙り込んでしまう。
(初対面とはいえ、この子のことはフラグが立ちそうだから仲良くしたいな…)
 心中でそう呟くも、優太の想いは天には届かなかった。
 気まずさにに耐え切れず、優太はスマホの電源をつけ、ちらっとロック画面を確認する。
 スクリーンに表示された時刻は、『八時二十二分』だった。
「じゃ、じゃあ急ぐからまた今度!!」
 遅刻を恐れた優太は、そう言い残してその場を後にする。
 その場に独り取り残された少女は唖然としながらも、
「また今度…」
 そう言って、優太に向けて、胸の前で小さく手を振った。
 その様子はまるで、桜の蕾が開いた様に、とてもとても、可愛らしかった。



「礼」
 学級委員のその声に、生徒一同「さようなら」と気怠げに声を発する。一人一人は大した声量でなくとも、塵も積もれば山となるように、それも集団になれば大声へと変化するのだ。
 その日の授業をたった今終えた優太は、机の中の教科書を鞄に詰め始める。
(今日はゲーセンに寄るか…)
 日々を楽しく過ごす秘訣は趣味である。人間、衣食住が整っていれば生きていけると思われがちだがそれは一般的な考えの上でも否定されており、個人にとっての娯楽も、また生きていく上では必要とされている。
 優太にとってのその娯楽とは、まさに音楽ゲームだった。 
 三六五日ほぼ毎日最寄りのゲームセンターに通い積め、ここら一体のゲームセンターでは常連客であると共に、ランカー入りのプロ音ゲーマーの優太であった。
 そういえば今日は、この最近から気になっていたボーカロイド曲が追加される日だったなとふと思い返しみて、優太は少しばかり興奮した。
 早くゲーセンへ向かおう。ただその欲望だけが、優太の頭を侵食していっていた。他の事など、もう頭のどこを探しても見つからない。そう、明日に漢字の小テストがあるということすらも。
 そんな時だった。
「ね、 ねぇ…!!」
 背後からかけられた聞き覚えのある声に、優太はぐんと我に返った。そのまま反射的に声のした方を振り向く。
そうして、
「…!!」
 優太は、大きく目を見開いた。
「や、やあ…」
 見覚えのない眼鏡にぱっと見の違いはあれど、優太の背後に立っていたのは、紛れもなく、朝の、少女だった。


「―――で、どこ行こっか」
「いや、俺今日はゲーセ…ファミレスとか…?」
 その後下校時、成り行きで彼女と共に通学路を歩いていた。傍から見れば完全に恋仲の男女として映るのだろうが、とんでもない。二人はまだ知り合い程度の仲である。
 歩いている途中、彼女の問い掛けに優太は思わず本音のゲーセン欲を言いそうになったが、初の異性とのお出かけがゲーセンになっては、立つものも立たなくるぞと、自制心を確立させた。
(しっかりとフラグを立てねば)
 優太は、そう、心中で呟いた。
 …この"美"少女は月夜 黒葉。 
 今朝ぶつかった時の彼女は眼鏡は付けていなかったはずだが、なぜか今は付けている。
 しかしまあ、眼鏡付けている姿もなんとも可愛らしい愛おしい。メガネっ娘最高。
「…私、あんまりお腹空いていないんだよ。あのさ、ファミレスより、行きたい所にあるんだけど、いい…かな?」
 肩を並べていたはずの黒葉は、そう言い始めると同時に、俺の方にずいっと顔を近付けて来た。
 え、何。上目遣いズルいんだけどこの子可愛い。
「お、おう」
 優太はそう言ってまだ明るい夕焼け空に視線を逃して、下心をすーっと空気に融かした。



「いぇーい! フルコンボ!!」
「いやいや…」
優太は頭を抱えて小声が漏れる。
 沢山の種類の機械から大音量で流れる全く違う音楽の不協和音と、この空間全体を反響するメダルの擦れる金属の甲高い音。どれも優太には、もう聞き慣れたものだった。黒葉の行きたかった場所。 それはゲーセンだった。 
 まさか趣味が合うとは思っておらず、唐突の出来事に驚いたが、それよりも、優太にはもっと驚くべきことがあった。
「まさか、黒葉がランキング三位の『BLACK』だったとは…」
 彼女は、ランカー入りの女子音ゲーマーだったのだ。
 そして、隣で軽やかに鍵盤を撫でる黒葉の様子に、優太は胸を撃ち抜かれていた。プライド、も勿論だが、何より、プレイ中にちらりと伺った、彼女の、ナニかと楽しそうに戦っているような、そんな本気な表情に痺れたのだ。
「にしても、凄いでしょ 」
 プレイ後、額や首筋に汗を滲ませた彼女が興奮の抜け切らない様子でそう言ってくる。
「そうだな、実際に見ると驚いたよ」
 優太はありのままの心情を述べて、先程、自動販売機で購入した冷えた炭酸飲料を口に含む。
「でも、優太もランキング六位の『YOU』でしょ?  前からマッチしたかったのよねー!」
 その黒葉の発言に、優太は疑問と感嘆の音を漏らした。
「前からって、俺が『YOU』って知ってたのか!?」
「そりゃあ知ってるわよ。 ここは私の行きつけのゲーセンだしね」
 黒葉は続いて遊ぶ曲を選びながらそう言う。
 それから少し黙って、そして、本当に小さな声で、
「というか、優太のゲームしている時の姿がかっこよくて、それで今朝は偶然を装ってぶつかりを…」
 確かにそう言った。
「…え? 今何か言った?」
「なんもない!」
 黒葉はそう言い、赤らめた顔を優太に見せないようにして、またゲームの画面を見つめた。その横顔には、僅かに緊張が見えていた。
 優太もそんな彼女のあとに続いて曲を選択する。
 タイトルが表示され、見慣れた譜面が流れてくる。
 ぼーっと譜面を目で負いながらプレイして、優太は時を忘れていた。
 にしても、偶然を装う、か…。




 帰り道、ゲーセン内で汗だくになった二人の肌を、爽やかな風が撫でて過ぎてゆく。空はもう、朱さすら失っていた。
「―――いやー、最後は疲れで伸びが悪かったよー」
 黒葉はそう笑いながら言うが、優太は察していた。
 黒葉の失言。 そこから、黒葉の調子は落ちた。
 あの言葉を聞いてから、恐らくは互いに、互いを意識してしまっている。
 二人の間に静かな、変な空気が流れている。
 何か話題をと探し、
「「あ、あの…」」
 また、今朝のように言葉が重なる。
 だが、この気まずい沈黙を意識してしまうと、今朝の様に話が途切れてしまう。
「「明日もさ…」」
 繰り返し、言葉が綺麗に重なる。
 だが二人は、互いに相手の次の言葉を分かっていた。まるで思考の共有を、二人は感じていた。
 そうして二人は足を止め、互いに顔を見合わせる。
「「明後日も…ゲーセン行こ!」」
 二人の興奮混じりな純粋な遊び心を載せた言葉が今、この街に吹いた、春を知らせる風に運ばれた。それはまるで、この街全体に二人の言葉を響かせるようで、明日へと、明後日へと、二人のずっと未来を明るく照らす、光になるようだった。 
 いつか音になる、その日まで。
 二人の恋が、今まさに、世間が謳った超低確率を否定し、実ろうとしている。
 そんな、春の日の訪れだった。
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