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ある錬金術師の手帳
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「僕がキャロットに出会ったのは、マクマティアを背後に構えた前線基地でした。
僕はまだ16歳で錬金術師として、同盟軍で働き始めたばかりでした。
魔法使い見習いのキャロットは11歳で、錬金術師詰めのテントと、彼女が手伝う、回復魔法専門の魔法使いが詰めるテントが近かったので、たびたび、姿は見かけていました。
当時は、イビルアイを引き連れた異様な姿に恐怖心もあり、彼女を避けていましたが、ある時、彼女の方から、話しかけてきたんです」
ーーまた先輩にバカにされてしまった。
僕はただ、錬金術の可能性について、心ゆくまで討論したかっただけなのに。
見たものを記録できるような装置や、声を遠くまで届ける装置を考えることは、そんなに、おかしいことなのだろうか。
錬金術馬鹿と言われ、おまけに名前まで馬鹿にされ、その日の僕は散々だった。
「人の名前を、笑うんじゃないわよ!」
甲高い声が響き、火の玉が耳の横をかすめていった。
火の玉は、目の前にいた先輩の髪をかすめ、焦げた臭いが鼻をついた。
「ひっ……死の天使……!」
火の玉が飛んできた方に目線を上げた先輩が、顔を引き攣らせた。
恐る恐る振り返ると、6匹のイビルアイを侍らせた少女が、体の前で杖を構えて立っていた。
ふんわりと風に靡くオレンジの髪に、深い緑の瞳。
少女の華奢な体は、魔法使いの所属を表す黒いローブに包まれている。
次の火の玉を杖の先に宿して、少女は言う。
「言っておくけど、あたしはノーコンよ!」
恐ろしいセリフを少女が吐くと共に、先輩は逃げ出した。
僕はと言うと、呆気に取られてその場から動けずにいた。
少女は走り去った先輩の方を眺めながら、腰のホルダーに杖をしまう。
「ふん! 命拾いしたわね」
長いオレンジの髪を、さっと後ろに払って、少女は次に僕を見た。
彼女のことを、僕は知っている。
『破壊の魔法使い』ミレディの弟子で、前線基地では『死の天使』とあだ名されている少女だ。
「あんた、名前、変なの?」
少女の思いもかけない質問に、僕は焦って答える。
「ぼ、僕の村では、子供が生まれた時に、鳴いた獣の鳴き声で、名前をつけるんだ」
少女の整った眉が、ピクリと反応する。
何か気に障ったのか、少女は無言でズンズンと僕の方まで歩いてくる。
僕は早口で説明を続ける。
「僕が生まれた時に鳴いていた獣は、デッドボイス。世界一、鳴き声が醜いと言われている獣だったんだっ」
「それで、あんたの名前は?」
少女の顔が、座り込んだ僕の顔の前にずいっと近付けられた。
新鮮な緑の匂いが僕の鼻腔をくすぐる。思わず、ごくりと唾を飲み込んだ。
「僕の名前は、ゲミミ……」
言って、僕は俯いた。
これまで、僕が自己紹介をすれば、必ず笑われてきた。その中には爆笑する人もいたし、控えめに笑う人もいた。
気を遣って、顔を背ける人もいたけれど、その肩が震えているのを見ると、爆笑されるよりも、僕の心を傷つけた。
『死の天使』は一体、どんな笑い方をするのだろう。
落ち込みながらも、そんなことを考えていると、僕の顎を、少女の手が持ち上げた。
強制的に上を向かされた僕の目には、少女のとびきりの笑顔が映っていた。
「あなた、仲間ね!」
これまで、自己紹介した後に向けられた、どんな顔とも違う、少女の笑顔に、僕は息が止まる思いがした。
少女は言った。
自分の出身の村には、生まれた子供に野菜の名前をつける悪習があったと。
そして、少女に付けられた名前は、そのまま彼女を苦しめる呪いになったのだと。
「あたしの名前、知ってる? キャロットっていうのよ。冗談みたいでしょ?」
そう言った彼女は、指にオレンジの髪をくるくると巻き付けて、唇を尖らせた。
10代の少女らしい姿だった。
そうしているキャロットを見ると、本当に信じられないくらい、彼女の髪はニンジン色で、彼女の瞳の色は、にんじんの葉っぱの色だった。
「師匠にいっつも馬鹿にされるのよ。ニンジン頭って。きっと、前線基地の人だって、陰であたしのこと、ニンジンって呼んで、馬鹿にしてるんだわ」
当の本人は『死の天使』と呼ばれていることを知らないらしい。
なんだか可笑しくて、さっきまでの緊張や恐怖はどこかに吹き飛んで、僕は自然に話せるようになっていた。
「あ、僕も、先輩から世界一ブサイクな名前って、よく言われる……」
僕の言葉に、少女はむずむずと口を動かし、瞳を細めた。
それが彼女の感動した時の顔らしい。
「呪われた名前を背負う同志よ! 意地悪な人たちに負けずに、お互い、強く生きていきましょうね!」
僕の両肩に手を置いて、少女が励ましてくれる。
その顔の、なんと朗らかなことか。
『死の天使』とあだ名される少女を、勝手に恐ろしいもののように思っていたが、実際に話してみると、キャロットは明るく元気な普通の女の子だった。
+
キャロットが僕を同志として認めてから、彼女は頻繁に錬金術師詰めのテントに来るようになった。
あの日、キャロットに髪を焦がされた先輩はいい顔をしなかったが、彼女が腰にぶら下げた杖をチラつかせると、舌打ちしながらテントを出ていくのが、いつもの光景となった。
キャロットは錬金術師が、前線基地で何をしているのか気になっていたようで、早速、僕に質問した。
「あなたたち、一体ここで何をしているの?」
屈託なく尋ねる彼女に、僕は少し躊躇した。
前線基地に出入りしているとは言え、まだ幼い彼女に真実聞かせるのは、憚られると思ったのだ。
「僕たちの主な仕事は調合なんだ。治療薬を調合したり……その……火薬とか、ね。他にも、兵士や魔法使いの装備を作ったり……」
誰かを傷つけるものを作っている。
それはとても胸を張って言えることじゃないような気がした。
傷つける相手が、例え魔族だとしても。
「そうなの……」
キャロットはあからさまにガッカリした。
感情を素直に表すところが、とても子供らしいと思った。
「残念。もっと、なんか素敵な道具を作ってると思ったんだけどな」
「素敵な道具……」
キャロットの言葉に、僕の錬金術に対する情熱が燻る。
僕だって本当は、爆弾なんて作りたくない。
もっと何か人の暮らしに役立つような、人々を楽しませるようなものが作れたら……例えばーー
「例えば、見たものをそのまま記録できる水晶とか」
キャロットの言葉に固まった僕を見て、彼女は悪戯な笑みを浮かべた。
その表情はとてもじゃないけど、子供らしくはなかった。
「作ってみたくない? そういうの」
囁くような声でキャロットが言い、僕はまたしても、ごくりと唾を飲んだ。
それからだ。僕とキャロットが秘密の実験を始めたのは。
+ +
材料はキャロットが、技術は僕が担当することになった。
キャロットは師匠であるミレディを前線基地の端に連れてくると、切り立った崖を見て言った。
「師匠、ここに穴あけてよ!」
「はぁ? なんでワタシが」
「いいからあけてよ! 破壊の魔法使いとか言われてるのに、そんなこともできないの?」
仮にも師匠である魔法使いに、魔法使い見習いがかける言葉ではなかった。
2人のやりとりを見ている僕は、ハラハラしっぱなしだ。
ミレディさんは、自身の身長と同じくらい長い杖をグッと握り、怒りを堪えているようだった。
見習いの杖は腰にぶら下げられるほど短いが、修行を終えて正式に魔法使いを名乗ることになると、身長に合わせた杖を持つようになるのだ。
魔法使いや見習いが使う杖を作るのは、もちろん僕たち錬金術師の仕事だ。
「このバカ弟子が! やるなら自分でやれ! なんのために魔法を教えてると思ってんだ!」
「どっかの師匠が頼りないせいで、あたしは攻撃魔法は不得意なんです~!」
煽っているのか、卑下しているのかわからないことをキャロットは言う。
その言い方が実に小憎らしい。キャロットの子供らしい姿に思わず笑ってしまう。
「何笑ってんだ、小僧」
「何笑ってんのよ!」
気の強い2人に睨まれて、僕は小さく縮こまった。
キャロットはまだしも、ミレディさんは本当に怖い。
『破壊の魔法使い』といわれる彼は、攻撃魔法に長け、執拗に魔族を攻撃することで知られている。
その破壊は魔族に奪われた村を奪還する作戦で、魔族ではなく村を破壊したことで有名である。
彼の放つ特大魔法は、村を守りながら使うのには向いていなかったのだ。
『奪還作戦にミレディを呼ぶな』
それが同盟軍での常識となっている。
そんな危険な魔法使いに、キャロットは食ってかかっているのだ。師弟関係とは言え、いや、師弟関係だからこそ、礼儀というのは必要なんじゃないだろうか……
「ったく、こんなとこに穴あけて、何すんだよ」
ミレディさんはブツブツと文句を言いながらも杖を持ち上げた。
「師匠! 気持ち、いつもの3分の1の威力でお願い!」
キャロットの注文に、顔を顰めながらも、ミレディさんは崖に入口となる穴と、その穴の奥に小部屋ほどの穴をあけてくれた。
「全く、師匠をこき使いやがって」
ぶつくさと文句を言う師匠に、キャロットはとびきりの笑顔を向けた。
「今日の晩御飯は師匠の好物にするからね!」
フンッと鼻から息を吐き、ミレディさんは足場のついた箒をローブの闇から取り出して、それに乗って飛んでいってしまった。
そうして僕とキャロットは、秘密の実験部屋を手に入れたのだった。
+ + +
キャロットが作って欲しいものは、イビルアイが見た映像を記録する媒体だと言う。
僕は知らなかったのだが、魔法使いは使役した魔物が見たものや聞いたものを共有することができるのだそうだ。
その映像をどうしても記録したいのだと、彼女は言った。
僕は同盟軍で仕事をする以外の時間を、秘密の実験部屋で過ごすことが多くなった。
ちなみに、実験部屋で最初に作ったのは、実験部屋を隠すドアだ。
前線基地の外れで、人が来ないとは言っても、さすがに崖に穴があいていたらすぐにバレてしまう。
戦場に関係ないものを作ったとなると、上からお叱りがあるかもしれない。
彼女の願いを叶えるためにも、なんとしても、ここがバレることな無いようにしなくては。
入口の穴のサイズに合わせて作った木のドアに、砕いた水晶を塗す。
そこにキャロットの幻影魔法をかけてもらい、周りの岩肌と同じように見える細工を施した。
「すごい! 攻撃魔法は得意じゃないって言ってたけど、サポート系の魔法は得意なんだね」
「ふふん♪ まぁね」
キャロットは得意そうに言って、胸を反らした。
そうして、僕たちは実験部屋で、多くの試作品を生み出して、実験を重ねていった。
+ + + +
四年の月日をかけて、ついに記録水晶が完成した。
その頃には、キャロットは15歳となり、魔法使い見習いから、魔法使いへと成長していた。
杖も腰に下げていた短いものから、身長に合わせた長いものに変わった。
先端に磨いたクリスタルを取り付けた杖は、僕が作ったものだ。
そのクリスタルを通して、使い魔が見た映像が水晶に記録されていく。キャロットのために、丹精を込めた特別製だ。
「ありがとう! ゲミミ! 一生大事にするからね!」
杖をプレゼントした時、キャロットはとても喜んでくれた。
今まで人に笑われてばかりで、好きになれなかった自分の名前も、彼女から呼ばれると不思議と好きになれた。
むしろ、彼女と話すきっかけになったこの名前に、感謝すらしていると言ってもいい。
キャロットは、少女から女性へと変わっていく。
それでも、彼女のオレンジの髪と、深い緑の瞳は出会った頃と変わらず、僕に向ける屈託のない笑顔も、少し生意気な口調も、あの頃と少しも変わらなかった。
+ + + + +
魔法使いになったキャロットを『死の天使』と呼ぶ者はいなくなった。
彼女についた二つ名は『目玉の魔女』
黒いローブに身を包み、大きな杖を携えて、6匹のイビルアイを常に周りに飛ばす彼女は前線基地で目立つ存在となっていた。
基地内で『見た目が魔族』と、陰口を叩かれる彼女は、攻撃魔法が不得意なのに、戦場に駆り出されることが多くなった。
その理由は彼女の索敵能力によるものが大きい。
使役するイビルアイを使った、広範囲に渡る索敵により、魔王軍の奇襲は悉く失敗し、逆に同盟軍による奇襲は悉く成功した。
箒につけた足場に足をかけ、戦場を見下ろす高い位置にイビルアイと共に飛ぶキャロットは、きっと魔族の間でも有名だろう。
キャロットの功績はそれだけはない。彼女のイビルアイは敵だけではなく、負傷した仲間を見つけ出すのにも長けていた。
負傷兵をいち早く回収することで、同盟軍の死者数はうんと減った。
そのうちに、キャロットは作戦会議にも呼ばれるようになり、同盟軍での地位を確実に上げていった。
兼ねてから、自制が利かないと囁かれていた、彼女の師である『破壊の魔法使い』ミレディも、弟子に言われれば、渋々、魔力を押さえて魔法を使うと判明したことによる利益も大きい。
かつては『奪還作戦にミレディを呼ぶな』と言わしめた『破壊の魔法使い』だったが、弟子の出身の村を奪回する際に、弟子に手綱を握られ、見事に村を破壊することなく奪還したことから、有用性が認められたのだーー
「今や、戦場を飛び回っている彼女ですが、決して、誰かを傷つけたいわけじゃないんです。
その証拠に、今も、僕は彼女が実現して欲しいと願ったものを作っています。
彼女の本質は、人を楽しませたいとか、喜ばせたいとか、そういったところのあるんです」
「彼女が作って欲しいと言ったのは、どんなものかね?」
執務机に片腕を付いて僕の話を聞いていた男が、身を乗り出して聞いた。
「彼女、次は記録した映像を紙に写すようなものが欲しいそうで……そんなものができたら素敵だと思いませんか?
思い出の光景を紙に写して、いつも目に付く場所に飾っておける……そんな素敵なことを考えつく人なんです」
軍服を着た小太りな男はふんふんと頷き、メモを取った。
「実に有意義な話だった。下がってよいぞ」
僕は男に一礼して、執務室を出た。
その男は、同盟軍の大元となる、マクマティアの軍の情報部に所属している。かなり階級の高い軍人だった。
キャロットが何に巻き込まれているのか、僕には想像もつかなかった。
本来ならば、戦場にいるべきではない優しい彼女が、軍の陰謀に巻き込まれるんて不幸が、あっていいはずがない。
僕が守らなくては……何ができるわけでもないのに、そう強く思う。
僕の名前と、錬金術に対する想いを認めてくれたキャロットを、僕は助けたいと思う。
それが、同志としての想いなのか、はたまた別のものなのかは、わからない。
彼女の活躍により、前線基地はマクマティアから大きく離れた。実験部屋も、かつて前線基地があった崖から、今は簡易のテントに変わっている。
活躍目覚ましいキャロットは、テントを1つまるまる与えられるほどの地位にいるのだ。
僕は早足で廊下を歩く。
早く実験部屋に帰らねば。
彼女が戦場から戻ってくる前に、試作品を完成させなければいけない。
荒んだ戦場から、疲れて帰ってくる彼女を、笑顔にするために。
僕はまだ16歳で錬金術師として、同盟軍で働き始めたばかりでした。
魔法使い見習いのキャロットは11歳で、錬金術師詰めのテントと、彼女が手伝う、回復魔法専門の魔法使いが詰めるテントが近かったので、たびたび、姿は見かけていました。
当時は、イビルアイを引き連れた異様な姿に恐怖心もあり、彼女を避けていましたが、ある時、彼女の方から、話しかけてきたんです」
ーーまた先輩にバカにされてしまった。
僕はただ、錬金術の可能性について、心ゆくまで討論したかっただけなのに。
見たものを記録できるような装置や、声を遠くまで届ける装置を考えることは、そんなに、おかしいことなのだろうか。
錬金術馬鹿と言われ、おまけに名前まで馬鹿にされ、その日の僕は散々だった。
「人の名前を、笑うんじゃないわよ!」
甲高い声が響き、火の玉が耳の横をかすめていった。
火の玉は、目の前にいた先輩の髪をかすめ、焦げた臭いが鼻をついた。
「ひっ……死の天使……!」
火の玉が飛んできた方に目線を上げた先輩が、顔を引き攣らせた。
恐る恐る振り返ると、6匹のイビルアイを侍らせた少女が、体の前で杖を構えて立っていた。
ふんわりと風に靡くオレンジの髪に、深い緑の瞳。
少女の華奢な体は、魔法使いの所属を表す黒いローブに包まれている。
次の火の玉を杖の先に宿して、少女は言う。
「言っておくけど、あたしはノーコンよ!」
恐ろしいセリフを少女が吐くと共に、先輩は逃げ出した。
僕はと言うと、呆気に取られてその場から動けずにいた。
少女は走り去った先輩の方を眺めながら、腰のホルダーに杖をしまう。
「ふん! 命拾いしたわね」
長いオレンジの髪を、さっと後ろに払って、少女は次に僕を見た。
彼女のことを、僕は知っている。
『破壊の魔法使い』ミレディの弟子で、前線基地では『死の天使』とあだ名されている少女だ。
「あんた、名前、変なの?」
少女の思いもかけない質問に、僕は焦って答える。
「ぼ、僕の村では、子供が生まれた時に、鳴いた獣の鳴き声で、名前をつけるんだ」
少女の整った眉が、ピクリと反応する。
何か気に障ったのか、少女は無言でズンズンと僕の方まで歩いてくる。
僕は早口で説明を続ける。
「僕が生まれた時に鳴いていた獣は、デッドボイス。世界一、鳴き声が醜いと言われている獣だったんだっ」
「それで、あんたの名前は?」
少女の顔が、座り込んだ僕の顔の前にずいっと近付けられた。
新鮮な緑の匂いが僕の鼻腔をくすぐる。思わず、ごくりと唾を飲み込んだ。
「僕の名前は、ゲミミ……」
言って、僕は俯いた。
これまで、僕が自己紹介をすれば、必ず笑われてきた。その中には爆笑する人もいたし、控えめに笑う人もいた。
気を遣って、顔を背ける人もいたけれど、その肩が震えているのを見ると、爆笑されるよりも、僕の心を傷つけた。
『死の天使』は一体、どんな笑い方をするのだろう。
落ち込みながらも、そんなことを考えていると、僕の顎を、少女の手が持ち上げた。
強制的に上を向かされた僕の目には、少女のとびきりの笑顔が映っていた。
「あなた、仲間ね!」
これまで、自己紹介した後に向けられた、どんな顔とも違う、少女の笑顔に、僕は息が止まる思いがした。
少女は言った。
自分の出身の村には、生まれた子供に野菜の名前をつける悪習があったと。
そして、少女に付けられた名前は、そのまま彼女を苦しめる呪いになったのだと。
「あたしの名前、知ってる? キャロットっていうのよ。冗談みたいでしょ?」
そう言った彼女は、指にオレンジの髪をくるくると巻き付けて、唇を尖らせた。
10代の少女らしい姿だった。
そうしているキャロットを見ると、本当に信じられないくらい、彼女の髪はニンジン色で、彼女の瞳の色は、にんじんの葉っぱの色だった。
「師匠にいっつも馬鹿にされるのよ。ニンジン頭って。きっと、前線基地の人だって、陰であたしのこと、ニンジンって呼んで、馬鹿にしてるんだわ」
当の本人は『死の天使』と呼ばれていることを知らないらしい。
なんだか可笑しくて、さっきまでの緊張や恐怖はどこかに吹き飛んで、僕は自然に話せるようになっていた。
「あ、僕も、先輩から世界一ブサイクな名前って、よく言われる……」
僕の言葉に、少女はむずむずと口を動かし、瞳を細めた。
それが彼女の感動した時の顔らしい。
「呪われた名前を背負う同志よ! 意地悪な人たちに負けずに、お互い、強く生きていきましょうね!」
僕の両肩に手を置いて、少女が励ましてくれる。
その顔の、なんと朗らかなことか。
『死の天使』とあだ名される少女を、勝手に恐ろしいもののように思っていたが、実際に話してみると、キャロットは明るく元気な普通の女の子だった。
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キャロットが僕を同志として認めてから、彼女は頻繁に錬金術師詰めのテントに来るようになった。
あの日、キャロットに髪を焦がされた先輩はいい顔をしなかったが、彼女が腰にぶら下げた杖をチラつかせると、舌打ちしながらテントを出ていくのが、いつもの光景となった。
キャロットは錬金術師が、前線基地で何をしているのか気になっていたようで、早速、僕に質問した。
「あなたたち、一体ここで何をしているの?」
屈託なく尋ねる彼女に、僕は少し躊躇した。
前線基地に出入りしているとは言え、まだ幼い彼女に真実聞かせるのは、憚られると思ったのだ。
「僕たちの主な仕事は調合なんだ。治療薬を調合したり……その……火薬とか、ね。他にも、兵士や魔法使いの装備を作ったり……」
誰かを傷つけるものを作っている。
それはとても胸を張って言えることじゃないような気がした。
傷つける相手が、例え魔族だとしても。
「そうなの……」
キャロットはあからさまにガッカリした。
感情を素直に表すところが、とても子供らしいと思った。
「残念。もっと、なんか素敵な道具を作ってると思ったんだけどな」
「素敵な道具……」
キャロットの言葉に、僕の錬金術に対する情熱が燻る。
僕だって本当は、爆弾なんて作りたくない。
もっと何か人の暮らしに役立つような、人々を楽しませるようなものが作れたら……例えばーー
「例えば、見たものをそのまま記録できる水晶とか」
キャロットの言葉に固まった僕を見て、彼女は悪戯な笑みを浮かべた。
その表情はとてもじゃないけど、子供らしくはなかった。
「作ってみたくない? そういうの」
囁くような声でキャロットが言い、僕はまたしても、ごくりと唾を飲んだ。
それからだ。僕とキャロットが秘密の実験を始めたのは。
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材料はキャロットが、技術は僕が担当することになった。
キャロットは師匠であるミレディを前線基地の端に連れてくると、切り立った崖を見て言った。
「師匠、ここに穴あけてよ!」
「はぁ? なんでワタシが」
「いいからあけてよ! 破壊の魔法使いとか言われてるのに、そんなこともできないの?」
仮にも師匠である魔法使いに、魔法使い見習いがかける言葉ではなかった。
2人のやりとりを見ている僕は、ハラハラしっぱなしだ。
ミレディさんは、自身の身長と同じくらい長い杖をグッと握り、怒りを堪えているようだった。
見習いの杖は腰にぶら下げられるほど短いが、修行を終えて正式に魔法使いを名乗ることになると、身長に合わせた杖を持つようになるのだ。
魔法使いや見習いが使う杖を作るのは、もちろん僕たち錬金術師の仕事だ。
「このバカ弟子が! やるなら自分でやれ! なんのために魔法を教えてると思ってんだ!」
「どっかの師匠が頼りないせいで、あたしは攻撃魔法は不得意なんです~!」
煽っているのか、卑下しているのかわからないことをキャロットは言う。
その言い方が実に小憎らしい。キャロットの子供らしい姿に思わず笑ってしまう。
「何笑ってんだ、小僧」
「何笑ってんのよ!」
気の強い2人に睨まれて、僕は小さく縮こまった。
キャロットはまだしも、ミレディさんは本当に怖い。
『破壊の魔法使い』といわれる彼は、攻撃魔法に長け、執拗に魔族を攻撃することで知られている。
その破壊は魔族に奪われた村を奪還する作戦で、魔族ではなく村を破壊したことで有名である。
彼の放つ特大魔法は、村を守りながら使うのには向いていなかったのだ。
『奪還作戦にミレディを呼ぶな』
それが同盟軍での常識となっている。
そんな危険な魔法使いに、キャロットは食ってかかっているのだ。師弟関係とは言え、いや、師弟関係だからこそ、礼儀というのは必要なんじゃないだろうか……
「ったく、こんなとこに穴あけて、何すんだよ」
ミレディさんはブツブツと文句を言いながらも杖を持ち上げた。
「師匠! 気持ち、いつもの3分の1の威力でお願い!」
キャロットの注文に、顔を顰めながらも、ミレディさんは崖に入口となる穴と、その穴の奥に小部屋ほどの穴をあけてくれた。
「全く、師匠をこき使いやがって」
ぶつくさと文句を言う師匠に、キャロットはとびきりの笑顔を向けた。
「今日の晩御飯は師匠の好物にするからね!」
フンッと鼻から息を吐き、ミレディさんは足場のついた箒をローブの闇から取り出して、それに乗って飛んでいってしまった。
そうして僕とキャロットは、秘密の実験部屋を手に入れたのだった。
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キャロットが作って欲しいものは、イビルアイが見た映像を記録する媒体だと言う。
僕は知らなかったのだが、魔法使いは使役した魔物が見たものや聞いたものを共有することができるのだそうだ。
その映像をどうしても記録したいのだと、彼女は言った。
僕は同盟軍で仕事をする以外の時間を、秘密の実験部屋で過ごすことが多くなった。
ちなみに、実験部屋で最初に作ったのは、実験部屋を隠すドアだ。
前線基地の外れで、人が来ないとは言っても、さすがに崖に穴があいていたらすぐにバレてしまう。
戦場に関係ないものを作ったとなると、上からお叱りがあるかもしれない。
彼女の願いを叶えるためにも、なんとしても、ここがバレることな無いようにしなくては。
入口の穴のサイズに合わせて作った木のドアに、砕いた水晶を塗す。
そこにキャロットの幻影魔法をかけてもらい、周りの岩肌と同じように見える細工を施した。
「すごい! 攻撃魔法は得意じゃないって言ってたけど、サポート系の魔法は得意なんだね」
「ふふん♪ まぁね」
キャロットは得意そうに言って、胸を反らした。
そうして、僕たちは実験部屋で、多くの試作品を生み出して、実験を重ねていった。
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四年の月日をかけて、ついに記録水晶が完成した。
その頃には、キャロットは15歳となり、魔法使い見習いから、魔法使いへと成長していた。
杖も腰に下げていた短いものから、身長に合わせた長いものに変わった。
先端に磨いたクリスタルを取り付けた杖は、僕が作ったものだ。
そのクリスタルを通して、使い魔が見た映像が水晶に記録されていく。キャロットのために、丹精を込めた特別製だ。
「ありがとう! ゲミミ! 一生大事にするからね!」
杖をプレゼントした時、キャロットはとても喜んでくれた。
今まで人に笑われてばかりで、好きになれなかった自分の名前も、彼女から呼ばれると不思議と好きになれた。
むしろ、彼女と話すきっかけになったこの名前に、感謝すらしていると言ってもいい。
キャロットは、少女から女性へと変わっていく。
それでも、彼女のオレンジの髪と、深い緑の瞳は出会った頃と変わらず、僕に向ける屈託のない笑顔も、少し生意気な口調も、あの頃と少しも変わらなかった。
+ + + + +
魔法使いになったキャロットを『死の天使』と呼ぶ者はいなくなった。
彼女についた二つ名は『目玉の魔女』
黒いローブに身を包み、大きな杖を携えて、6匹のイビルアイを常に周りに飛ばす彼女は前線基地で目立つ存在となっていた。
基地内で『見た目が魔族』と、陰口を叩かれる彼女は、攻撃魔法が不得意なのに、戦場に駆り出されることが多くなった。
その理由は彼女の索敵能力によるものが大きい。
使役するイビルアイを使った、広範囲に渡る索敵により、魔王軍の奇襲は悉く失敗し、逆に同盟軍による奇襲は悉く成功した。
箒につけた足場に足をかけ、戦場を見下ろす高い位置にイビルアイと共に飛ぶキャロットは、きっと魔族の間でも有名だろう。
キャロットの功績はそれだけはない。彼女のイビルアイは敵だけではなく、負傷した仲間を見つけ出すのにも長けていた。
負傷兵をいち早く回収することで、同盟軍の死者数はうんと減った。
そのうちに、キャロットは作戦会議にも呼ばれるようになり、同盟軍での地位を確実に上げていった。
兼ねてから、自制が利かないと囁かれていた、彼女の師である『破壊の魔法使い』ミレディも、弟子に言われれば、渋々、魔力を押さえて魔法を使うと判明したことによる利益も大きい。
かつては『奪還作戦にミレディを呼ぶな』と言わしめた『破壊の魔法使い』だったが、弟子の出身の村を奪回する際に、弟子に手綱を握られ、見事に村を破壊することなく奪還したことから、有用性が認められたのだーー
「今や、戦場を飛び回っている彼女ですが、決して、誰かを傷つけたいわけじゃないんです。
その証拠に、今も、僕は彼女が実現して欲しいと願ったものを作っています。
彼女の本質は、人を楽しませたいとか、喜ばせたいとか、そういったところのあるんです」
「彼女が作って欲しいと言ったのは、どんなものかね?」
執務机に片腕を付いて僕の話を聞いていた男が、身を乗り出して聞いた。
「彼女、次は記録した映像を紙に写すようなものが欲しいそうで……そんなものができたら素敵だと思いませんか?
思い出の光景を紙に写して、いつも目に付く場所に飾っておける……そんな素敵なことを考えつく人なんです」
軍服を着た小太りな男はふんふんと頷き、メモを取った。
「実に有意義な話だった。下がってよいぞ」
僕は男に一礼して、執務室を出た。
その男は、同盟軍の大元となる、マクマティアの軍の情報部に所属している。かなり階級の高い軍人だった。
キャロットが何に巻き込まれているのか、僕には想像もつかなかった。
本来ならば、戦場にいるべきではない優しい彼女が、軍の陰謀に巻き込まれるんて不幸が、あっていいはずがない。
僕が守らなくては……何ができるわけでもないのに、そう強く思う。
僕の名前と、錬金術に対する想いを認めてくれたキャロットを、僕は助けたいと思う。
それが、同志としての想いなのか、はたまた別のものなのかは、わからない。
彼女の活躍により、前線基地はマクマティアから大きく離れた。実験部屋も、かつて前線基地があった崖から、今は簡易のテントに変わっている。
活躍目覚ましいキャロットは、テントを1つまるまる与えられるほどの地位にいるのだ。
僕は早足で廊下を歩く。
早く実験部屋に帰らねば。
彼女が戦場から戻ってくる前に、試作品を完成させなければいけない。
荒んだ戦場から、疲れて帰ってくる彼女を、笑顔にするために。
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