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本編と補話
03 特攻
しおりを挟む元帥閣下の視線が針のように鋭くて、つらいと感じだした頃。
「それで、そちらの御方は?」
「こちらはヘイランディ・ボロストファ軍曹、良い子です。
越権行為とは理解していますが、一部の方々の軍務規定違反に苦言を呈しに参りました」
「ほう、誰が神官長さまの心を憂慮で痛めさせたのか、聞いても?」
良い子ってなんだよ、と口にする余裕もなかった。
一気に気温が下がったのは気のせいだ。
きっとそうだ。
硬く締まった枯れ枝のような元帥閣下の、加齢で濁った目が剣呑な光を増して、おれへ向けられた。
その時。
「面会には事前申請が必要だ、そんなことも知らんのは、どこのばかもんだっ!!」
元帥閣下の背後から、よく知る声が聞こえた。
なんで、出てきたんだ。
申請手続きなんてまどろっこしい、と出てきたんだろうけれど。
のしのし、と巌に服を着せたような、体格の良い軍人がやってくる。
「お、ボロストファ、お前、まだいたのか……げ、元帥閣下?、このようなところでなにをなさっておられるのでしょうか?」
スケル神官に抱っこされているおれを見て、それからミーキルヴェイグ元帥の姿に気がついて、顔を怪訝そうに歪める上官。
いつも腰巾着をしている准尉と少尉も一緒にいるが、おれを馬鹿にしたように見て終わりだ。
どうして誰も、少年神官に抱っこされていることにつっこみを入れてくれないんだ。
暴れてもびくともしないんだけど。
おれはいつまで抱っこされていれば良いんだ。
「スタッカオ・ヘゴミ中佐、お久しぶりです」
「ん、あんたは?」
神官長なのか、神官なのか、少年なのか、もうさっぱり分からないスケル神官が、目を細めて上官に声をかけた。
普段はあまり表情が変わらないのに、穏やかと優しさは伝わってくる。
けれど今のスケル神官は、わずかに微笑んでいるのに、なぜか恐ろしい。
口調も普通なのに、すごく恐ろしい。
あれ、元帥閣下が顔を引きつらせている。
おれの表情も引きつっているかもしれない。
初めて話した日から、少年なのに立派な神官さまだなと感じていたけれど。
どういうことだ?
「改めて自己紹介をさせて頂きましょう、わたしはトリルトゥ・ヴィグォルウ。
廃業同然の従軍特務神官ではありますが、少将権限を持つ従軍神官の長として、軍務規定違反を認識した以上、知らぬ存ぜぬでは済みませんので、足を運ばせて頂きました」
……???
おれも、上官も、ぽかんとした。
顔色の悪い元帥閣下だけは、生真面目な顔で背を伸ばしている。
少将権限?
軍務規定違反?
おれと上官が理解できていないことに気がついているのか、いないのか。
スケル神官、あらためて自称トリルトゥ・ヴィグォルウ従軍特務神官長は、言葉を続けていく。
従軍神官は知っているけれど。
従軍特務神官ってなんだ?
「ボロストファが違反したのか?」
「いいえ、自覚すらないとは嘆かわしい。
軍務規定四条、〇八項〝上官は下官への保護義務を有する〟。
佐官でありながら知らない訳はありませんね、それならばなぜ、先日の婚儀不履行の詫びに訪れたのはヘイランディ・ボロストファ軍曹だけなのでしょうか」
おれと同じようにぽかんとしていた上官は、しばらくしてようやく、お前も神殿まで謝りに来いよ、と要求されたことに気がついたらしい。
ただ、言ってしまって良いのなら、そもそも上官は、スケル神官の顔すら覚えていなかったのではないだろうか。
あと、おれの結婚式は、軍務に関係ないよ。
「な、なにを」
「言い訳は不要、懲罰として『第二癒術八一二式起動承認、十日間継続確定、解除不許可』の最上位権限執行を許可、執行します。
上書き試行はおすすめしません、脳が焼き切れますよ、お気をつけて」
「な」
「ヘイランディ・ボロストファ軍曹は、当方で預かります」
「な」
上官からの反論の言葉がない。
怒りで言葉にならないのかと思った。
けれど、抱えられたまま見上げた上官の顔は、普通ではなくなっていた。
白目が真っ赤に見えるほどの大量の血管が浮き。
目の周りは殴られたように青黒く、逆に首筋や耳は血が上ったように赤く、額ははじけそうなほどの血管が浮いている。
手足が突っ張っているように痙攣し始める。
上官は口をぱくぱくと開くものの、言葉が出ない。
それ以前に、言葉が発せないようにも見えた。
「……まさか今になって不死兵特攻術が見られるなんて……」
元帥閣下がなにか呟いたけれど、聞き取れなかった。
「スタッカオ・ヘゴミ中佐、どうぞ、十日間、存分に働いてください」
「な」
上官に向けられたスケル神官の声は、どこまでも穏やかだった。
その後。
神官服を着た人々が本部内から来て、上官を引きずっていったけれど、おれとスケル、ではなくて、ヴィ、ヴィグ……神官長さま?、を捕らえには来なかった。
元帥閣下に招かれて、執務室でお茶をご馳走になって。
高価そうな焼き菓子を出されて断れなくて。
なんでか知らないけれど、なにがあったのか洗いざらい話をさせられて。
多分、今回のこれは、きっと仕組まれていたものだ。
そうでないと、元帥閣下が門前に出てくるわけがない。
事前予約が必要の上、数量限定生産みたいな菓子を、人数分用意できるわけがない。
ただ、すごく巨大な疑問が残る。
自称神官長さまが仕組んでいたとして、なんのためにこんな茶番を?
元帥閣下が、孫にしか見えない自称神官長さまにごますりしているようにしか見えなかった。
疲れきって正門を出た頃には、空は夕焼けだった。
「……あ、馬車が」
乗合馬車の時間は当たり前に過ぎていて、今夜の宿もない。
素泊まり宿なら事前予約なしでもなんとかなるだろうか、と夜露をしのぐ方法を考えているおれの腰に、細い手が巻き付いた。
「どこにいくつもりですか?」
「……」
穏やかな顔をしていても、もうだまされる気はない。
なんだかわからないが、おれの不利益を見過ごせずに助けてくれたのだろう。
でも、明らかにやりすぎだ。
降格して左遷されたおれの耳に、上官のその後が届く可能性は低いけれど。
何が起きたにせよ、ミーキルヴェイグ元帥に話してしまった以上は、何もなかったことにはならないだろう。
おれはやはり駄目なやつだ。
どうして話してしまったのか。
何も言わずに国境に行けばよかった。
「中佐に悪いことをしてしまった、と考えているのですね」
「……」
「〝善なるものよ、なんじは愚かなり〟」
「……」
ふぅ、と小さくため息をつかれた。
「申し訳ありません、ヘイディとヘイディのご両親に世話になった礼のつもりでしたが、余計に辛い思いをさせてしまいました」
ヘイディ。
おれの名前、ヘイランディの愛称。
両親が亡くなってからは、誰からも呼ばれたことのないそれを、どうして知っているのか。
「……おれい?」
おれは、過去にスケル神官に会った覚えがない。
儀式のために向かった大神殿で会ったのが、初対面だ。
「ヘイディ、わたしは〝トリル兄ちゃん〟ですよ」
「………………トリル兄ちゃん?」
誰だ、それ。
直後に、ぱっと脳裏に浮かんだのは、よれよれの神官服を着た少年。
子供のおれにとって、本物の兄ちゃん同然だった神官さま。
おれが生まれて初めて知った、神官さま。
兄ちゃんが規格外だったと知ったのは、孤児院に入ってから。
スケル神官もとい自称神官長がトリル兄ちゃんってのは、うそだろ。
おれの知るトリル兄ちゃんは、神官ではあったけれど粗暴で粗野な人物だった。
戦場帰りだという荒事大歓迎な暴力神官さま。
荒ぶる戦場帰りの暴漢たちの中に紛れていても、違和感がなかった。
でも、おれにとっては本物の兄のように優しくて。
行儀の悪い客を牽制して守ってくれた。
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