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一、片思いから
08 志野木
あれから、あいつのメールには返事をしていない。
毎朝、あいつと顔を合わせたくないと思いながら、わざと人が多い時間に窓口を通るようにしている。
話しかけられるのが怖い。
あいつの口から「遊びだった」と言われたら、立ち直れる気がしない。
胸の奥で口を開く傷があまりにも深くて、じくじくと痛んで塞がりそうにない。
ふとした時にあいつとした会話、あいつの表情が頭をよぎって苦しい。
聞きなれたインターホンの音が、事務所への来客を知らせる。
今日は来客予定が入っていただろうか、と先輩方を振り返ると首を振られてしまった。
「はい、どちら様でしょうか」
「就業時間中に申し訳ありません、五鬼助警備保障の東鬼と申します」
「……はい、少々お待ちください」
曇りガラス越しに紺色の制服を認めてしまうと、胸が大きな音を立てた。
「突然訪問して申し訳ありませんが、田貫さんはおられますか」
「ん?えーと、君は」
「東鬼です」
「ああ君が東鬼くんか、五鬼助さんから話は聞いてるよ。
いつもありがとうね」
年長者の余裕で、所長があいつを来客用のソファへと案内していく。
「お茶淹れますっ」
首長さんが腰を上げかけていたのを制して、ばくばくと鳴りつづける胸の痛みを無視して、給湯室へ向かった。
二人が何を話したのか、何を話しているのか、知りたくない。
この場に残って、自分で自分の胸の傷をえぐる真似はしたくない。
「失礼します」
お茶を入れて、話し声が途切れた隙を狙う。
頭を下げてからお茶を卓上に並べていると、視界に入ったあいつの拳がきつく握りしめられているのが見えた。
「田貫さん、お願いします」
「ええ、そんな事をお願いされても困るなぁ」
「おれは心に決めてる人がいるんですよ、仕事を盾にして結婚しろなんて、今時じゃありませんよ!
というか、カナちゃんにも好きな人がいるのに、おれを押し付けられてお互いに迷惑してるんですから!」
……え?
思わず顔を上げてしまう。
こっちを見ていた東鬼と視線が絡んで、一気に顔が熱を持った。
「何年も我慢して、やっと手に入れた恋人に、逃げられたらどうするんですか!!」
って、こっちを見ながら、なんて事を言ってるんだよ!!
何年も?って再会したのはそんなに前じゃ無いのに、どういうことだ?
「!、いっ、~っ」
立ち上がろうとして、膝を思い切り卓にぶつけて大きな音を立ててしまい、無言で痛みに悶絶する。
「タク!?」
「何してるんだい、志野木くん」
「だっ、大丈夫ですっ」
じんじんと痺れて熱を持つ膝の痛みを我慢しながら、なんとか自分のデスクに戻る。
来客用のソファと仕事用デスクの間にはパーテションが置かれているけれど、興奮している東鬼の声がこちらまで聞こえてきて、うろたえてしまう。
話を聞きたくなくて給湯室に逃げたのに、お茶を淹れてしまったら、もう離席する理由がなかった。
「でも、そんなに大切な人がいるなら、五鬼助さんに言えばいいじゃないか」
「……それはそうですが、そうじゃなくてっ」
「君がお相手をお披露目すれば、五鬼助さんも頭が固いわけじゃ無いから納得するさ」
「それが出来ないから頼みに来たんです!」
「あのね、お披露目を渋るようなお相手なら、いっそのこと話を受けた方が良いんじゃないかい?
君たちが仲良くしているから、五鬼助さんも君に話を持ちかけたんだろうしね」
「カナちゃんは妹みたいなもんですよ!」
「それなら、君のお相手を先に説得して、五鬼助さんに会いにいくんだね」
「それは出来ないと」
「やっても無いのに出来ないって言われてもね」
のらりくらりと普段と同じように話を誘導する所長の口調に、危機感が募る。
どう考えても東鬼は頭に血が上ってきていて、このままだと誘導されかねない。
「それとも、外に出せないような恋人なのかね?」
「そんなわけ無いでしょう!」
「じゃあ、どこの誰なんだい?」
「か」
「すいません」
後で思い返しても、間違いなくこれ以上ない瞬間に声をかけたと思う。
「五時に約束している佐世保さんの件なのですが、書類が揃っていないようです。
確認をお願いできますか?」
「え、本当に?」
「はい」
俺の背中に向けられる首長さんと先輩らの視線をひしひしと感じながら、本当は全部揃っている書類を所長に手渡す。
頼むから、冷静になってくれ。
そう思いながら東鬼を見ると、青ざめて引きつっている顔が見えた。
あれから適当にごまかした東鬼が帰って、俺は自分の仕事を片付けたところで首長さんに給湯室に連れこまれた。
「誤魔化さないで欲しいんだけど」
「……はい」
「警備の子の彼女、そんなにひどい子なの?」
「……」
え?と頭の中で思考がぐるぐると回る。
てっきり「ゲイなんでしょ?」と非難されると思ったのに。
「友達なんでしょう?無関係なのにこんなこと言うのはお節介だと思うし、助けてあげたい気持ちもわかるけどさ」
「……」
首長さんの心配そうな口調を聞いているうちに、ようやく気がついた。
そうか、ごく普通の異性愛者の人の思考は、そう簡単に男同士が恋人としてつきあっている、という答えにたどり着かないのかと。
「はい」
なんとかそれだけ口にしたけれど、その先をどうしても言えなかった。
東鬼を応援しているとも、していないとも。
「悪い女につかまってるなら、志野木くんが心配するのも仕方ないのかね」
「事情があるみたい、なんです」
詳しくは聞いてませんけど、と逃げを打って、「きっと大丈夫ですよ」となんの根拠もない言葉を放り投げた。
さっきの言葉を信じていいなら、東鬼は本当に俺のことを好きになってくれてるってことだ。
信じていいのか、分からない。
浮かれていた気持ちが地面の下にめりこむほど叩き落とされた後に、もう一度同じ高さまで上がれるわけがない。
ただ、俺が東鬼を好きだって気持ちだけは、変わってない。
東鬼の言葉が嬉しくて仕方なかったから。
「お先に失礼します」
事務所を後にして、エレベーターに向かっていると、まるで待ち構えていたように紺色の制服が姿を見せる。
警備員室のカメラで、俺が事務所を出るのを見張ってるのか?と思ってしまうようなタイミングだ。
思わず顔をしかめていたのか、こちらをちらりと見た東鬼が「待ってたんだよ」と口を尖らせる。
小さい子供でもないのに口を尖らせるな、と思いながら足を止めない。
廊下の奥から数人のスーツ姿の男女が歩いてきた。
警備員がビル内を警邏巡回していることは問題なくても、スーツ姿の男と話しているのは……多分、普通じゃない。
「もう帰るから」
横をすれ違うときに小さく告げ、東鬼に触れないように気をつけながらエレベーターへと乗り込んだ。
「……」
同じエレベーターに乗ってきた男女数人が、仕事の話らしい内容をぼそぼそと話している声をBGMに、俺はこれからどうするのかを考える。
東鬼の幸せを願うなら、解放してやるべきなんだ。
恋人に限りなく近い関係になれたからって浮かれている場合じゃなかった。
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頭では分かってるのに、東鬼のことを考えると苦しい。
解放してやらないと、いけない。
東鬼を婿にと望む女性がいるなら、喜ぶべきだろう?
……分かっている。
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