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シャンプルディ

07 美というものは見る者が決める

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 職員たちが軒並み気絶してしまっているので、斡旋所の片隅で老人の話を聞いたが、ひどくくだらない話だった。

 この街で複数の商店や酒場を営んでいる老人には、バンマヌッシュという名の、美の神も羨むような姿で、その心も美しい孫がいた。
 老人の孫は幼い頃から商売の手助けをするのみならず、斬新な発想でそれらを盛り立ててきた。
 近年では共同酒場を発案し、それにより老人の商売は右肩上がりだという。

 そんな頑張り屋で可愛くて目に入れても痛くない孫が「お爺ちゃん、相談があるんだけど……」と言ってきたら、張り切らないわけがない、らしい。

「お爺ちゃん、おれね、好きな人ができたんだ!」
「ほほう、どこの誰だ?嫁入りの準備せんとのう」
「うん!あのね、旅の傭兵さんなんだけど、どうしたらおれを好きになってもらえるか、知りたくって」
「傭兵……うむ、そうだの、雄を落とす方法なんぞ簡単だ、任せなさい(うちの商売はこの子が後を継いで切り盛りすれば良い、商売にくちばしを挟まずに護衛ができる旦那なら好都合か……)」
「本当!?ありがとうお爺ちゃん!
 すっごく素敵な人だよ、手足はすらっと長くて、目元はキリッとして涼しげで切れ長で凛々しくって……他は見えなかったけど」
「ん?見えなかった?どういう意味だい?」
「体に布を巻いてて、そ「なんだって!?」れで……おれ、おかしなこと言った?」
「布を巻いていた?それは毛無しだろう!ダメだ、そんな奇形の傭兵なんぞ、うちには迎えんぞ!!」
「お爺ちゃん……毛無しってなに?」

 こんな会話をしたと、爺さんが似ているのか分からんモノマネをするので、真剣なのかふざけているのか判断しづらい。
 以前に俺が感じていたように、大切に育てられた箱入り腹のバンマヌッシュは、毛無しが受け入れがたいバケモノの特徴であることを知らなかったらしい。
 老人は愛する孫がおかしな者にたぶらかされないようにと、毛無しがどれだけ酷い存在なのか、どれだけ醜いのかを語ったそうだ。
 
 毛無しとは、ごく稀に産まれる奇形児である。
 その呼び名通り全身の毛がなく、肉がずる剥けている醜い体をしている。
 ほとんどの毛無しが奇妙な骨格を持っていて、毛のほとんどない手足は異様に長く、頭部に残っている毛だけがズルズルと伸びていく。
 身体能力が低いために死にやすく、うまく成年まで育ったとしても、まともな仕事もできない出来損ない。
 繁殖能力はあっても、毛無しの子供も奇形で産まれる可能性があるため、誰も相手にしない。

 毛無しの特徴を聞いて嫌悪するかと思いきや、バンマヌッシュは俺に好意を伝えたい!と老人に頼み込み、最終的には「しゃんぷるでぃさんが好きなの!!」と大泣きして、老人が折れたらしい。
 ……俺のどこに、それだけ執着する要素があるのか、心から不思議に思う。

 雄の心を掴むには胃袋から、ということで、俺がどんな仕事を受けているか、どんな傭兵なのかの素行調査を、傭兵斡旋所に依頼して、並列で昼食の差し入れを開始。
 俺が毛無しでありながら二つ名を持つ傭兵であり、孤児上がりの毛無しであるにも関わらず、真面目に仕事を受けて生き延びているということで、少しだけ評価が上がったという。

 俺が街にいる間に、バンマヌッシュが俺を口説き落とせたら、婿入りを考える。
 俺がバンマヌッシュの気持ちに気がつかずに街を出たら、すっぱりと諦める。

 老人にそう条件を出されたバンマヌッシュは、必死になっていた(らしい)が、俺が全く好意に気がついている様子がないので、焦っていたのだという。
 周囲が俺に向ける冷たい視線も、全く気がついていなかったというのだから、頭の中身もさぞかしツルツルで美しいのだろう、と皮肉に思ってしまった。

「しゃんぷるでぃさんが素敵だから、見てるんだと思ってました」
「「……」」

 老人も俺も言葉が出ない。
 美の神も嫉妬しそうな完璧な容姿をしているのに、目か頭が腐ってるのかもしれない。

「……遊びに付き合わされるのはもう十分だ、明朝にこの街を出る。
 邪魔をするようならば、打ち倒してでも出ていく」

 腰に巻いている紐をほどき、先端に返し鉤のついた金属製の棒に手をかける。

 これは肉体が弱くて素手では戦えない俺の、戦場での相棒だ。
 衛兵相手の訓練でも使っていたが、本来の使い方は、恐怖で竦んだ相手の足に鉤を引っ掛けて体勢を崩し、地に転げたら脚の骨を打ち砕く。

 命までは取らないが、対峙した相手を徹底的に潰してきたから、俺には二つ名がついている。
 少しでも手を抜けば立場が逆になることは、考えるまでもない。

 身体能力で劣る俺が五体満足で生き残るには、使えるものは全て使う必要があったし、何よりも生き延びるための手段を選ぶような余裕がなかった。
 生まれついてからずっと弱者の側である俺が、人並みに生きていこうと思ったら、恥や矜持を後生大事に抱えてなどいられなかった。

 だからこそ、衛兵が俺の足元に何かを仕込んで、体勢を崩させたことに怒りを覚えたりはしない。
 自分の足が恐怖ですくんで動けないのなら、相手が動けないようにするしかない、と考えるのは至極当然のことだ。
 むしろ、俺に気がつかせずにうまく策にはめたあの衛兵は、とても見所がある。

「遊びじゃありません!
 す、好きです!
 しゃんぷるでぃさんが好きです!」
「信じられないな」
「!?……なんで、どうしてですか?」
「お前ほど美しければ、醜いバケモノに興味を持つ必要はないだろうに……相応しい相手の元に嫁げ」

 万が一、俺が伴侶を迎えることがあったとしても、旅から旅の暮らしをさせるのは無理だ。
 野宿生活で子育てを行うのは過酷すぎる。
 それ以前の問題で、自らの意思で俺に股を開く者はいない。

「いやだ!!おれはしゃんぷるでぃさんが好きなのに!!
 どうしていっつも上手くいかないんだよ!また孤独死なんて嫌だぁっ!!」

 鼻をすすり、すがりついてくる肉体は熱い。
 初めて他人に抱きしめられた体の奥が痛いほどに疼いて、股間に熱が溜まりそうになる感覚に驚く。

 くん、と鼻を鳴らすと、微かな発情の匂いを嗅ぎとった。
 匂いの発生源は俺にしがみつく美神で、その発情対象は……俺か?

 心に嘘をついて思い込むことはできても、肉体の反応には嘘をつかせることなどできない。
 これまでの生で、俺に対して発情の匂いを発する存在などいなかった。

 どれだけ金を積もうとも、俺に向けられているものは、恐怖と嫌悪だけだったというのに。
 なぜ、俺などに?
 そう思いながら、自分の体も発情の匂いにつられて高ぶっていくのを感じる。

「……俺に抱かれたいのか?」

 いつのまにか乾ききっていた口から、自分のものとは思えない掠れた声が出て、胸元の顔が勢いよく持ち上げられると、その美しい顔が誰が見ても分かるほどの羞恥に染まった。
 どうやら俺自身も発情の匂いをさせてしまっているらしい、と美神が鼻を鳴らしたことで気がつく。

「ごめんなさいっ」

 慌てて離れようとする、しっかりと筋肉のついた肩に腕を回し、豊かな被毛に覆われた顎に指を添えて、うつむかないようにと俺の方を向かせる。

「本気か?」
「…… イケメンのアゴクイの 破壊力ヤヴァしゅぎっ!?」

 白くずるむけた醜悪な顔を間近で見れば、正気に戻るか気絶するかもしれない、と思いながら顔を近づけると、発情の匂いがさらに高く立ちのぼる。
 完熟したクワノミのように艶めく黒い瞳が、むきだしの俺の口元を伺い、口づけをねだるように、震える唇が小さく開かれて閉じる。
 黒く艶めく唇を己の口で塞いで、時折覗く牙を舐めたいと思ってしまう俺は、どうかしてる。

 さらには、それを自覚した途端に、股間が本格的に頭をもたげたのを感じる。
 戦闘中に意識せずに勃起することはあっても、自分に向けられた発情に反応するのは初めてで狼狽えてしまう。

 まさか、俺に発情する存在がいるなどと、考えたこともなかった。
 目の前で、甘く香り高く発情する姿を見ていなければ、相手の言葉を信じようとしなかっただろう。
 目の前で嗅ぎ、見ていても信じきれないのに。

「抱かれたいのか?」
「……っ」

 再び同じ言葉を口にする、これが最後だと心に決めて。
 望みもしない騒動に巻き込まれたのだから、少しくらい良い目を見ても構わないはずだ。

 これだけの器量の腹が、これまでに雄を知らないはずがない。
 見たところ成年を過ぎてから、二、三年というところだろうが、ウブなふりをして相当遊んでいるのだろう。
 心を寄せてくる男をたぶらかすのに飽きて、簡単になびかないバケモノに手を出したのか。

 明朝に街を出るつもりの俺が、最後の夜を楽しんで、何が悪い、とこの時は思っていた。
 
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