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1 ゴーシュ・ガイルは一匹狼
08 騒動
しおりを挟む「ガイルさん、本当に申し訳ない」
深々と下げられた白髪頭に、ため息がもれそうになるのを耐える。
三枝教授から詳しく話を聞いてみると。
ゴーシュを描いたデッサンが、他の教授に見つけられてしまったらしい。
正確には、その教授の心象を良くしようと、参加した学生が見せてしまった、と。
「空想の産物をデッサンしたのかね?」
と詰め寄られて、ゴーシュの存在を明かしてしまったのだ。
いつのまにか、携帯端末で盗撮していた人狼姿の写真まで添えて。
学生側にどんな理由があったとしても、口止めされていたのに、人とは違う経験をしたことを自慢したかった、と本音を言ってしまえば台無しだ。
才能があるからと選んだ生徒を間違えた、と三枝教授は再度頭を下げた。
ゴーシュは、おれが外を走り回ったから見つかったわけではないのか、と安心しつつ、存在が公になっているのは変わらないな、と落ち込む。
どうやら、本物の人狼に会わせろ!、と何人もの教授が三枝教授に詰めよっているらしい。
他にはない画題を独り占めするな、と訴えられてしまれば、その気持ちがわかるだけに、三枝教授も強硬な態度に出られないのだ。
さらに三枝教授は現役の画家であり、教授でもあるが、教育者として強い立場があるわけではない。
画壇においては少々の発言力も持っているが、大学内ではただの一教授でしかなかった。
「その方達は、なにを求めているのですか?」
苛立ちで声が低くなりそうなのをおさえて、切っ掛けはおれが泥酔したから、とゴーシュは自分に言い聞かせた。
他人のせいにしたところで、今の状況は変わらない。
責任をなすりつけても、逃げることしかできない。
「自分たちにも人狼をモデルとして雇う準備ができる、本物の人狼をモデルとして研鑽を望む経験を、他の学生にも与えるべきだ、と言っています」
ゴーシュさんは、あくまで好意で一度だけの約束で受けてくれた、と言ったのですが、聞く耳を持ちませんので。
そう言った三枝教授は、疲れたように息をつき、棚の上に手を伸ばした。
「飲まれますか?」
手元のコーヒーミルを指す三枝教授に、お願いしますと頭を下げてから、ゴーシュはしばし思考に沈んだ。
ゴーシュの母親がよく言っていた。
本気で獲物を狙うときは、遊ぶな、と。
どんな動物だって、死にたくない。
だから、遊んでいると手痛いしっぺ返しにあうよ、と。
これは、強制されたとはいえ、合コンなんかに参加した報いなのだろうか、とゴーシュは眉をしかめる。
ずっと人の中に紛れて、単調で苦痛に満ちていても、平穏な日々を手に入れていたのに。
何もかも捨てて、本当のはぐれ狼になる気はない。
ゴーシュの父親は腕を潰してしまっていたので、単独での狩りの方法は習っていない。
「それで、電話ではなく、直接呼び出した理由はなんでしょう?」
わずかに低くなった声に、愛子(仮)がびくりと肩をはねさせた。
「申し訳ありません。
貴方を紹介しない場合、学長が公に訴えると、言いだしまして」
三枝教授が答える。
愛子(仮)はなにもしてないはずなのに、どうしてか申し訳なさそうにしている。
「おれが従う理由はありませんよね、世間で狂人扱いされる、とは思わないのでしょうか?
とにかく、何を望まれているのか明確にしてください。
今すぐソイツの喉を掻っさばいてくれば良いのですか?」
丁寧な口調のまま、苛立ちを隠さないゴーシュの物騒な言葉に、愛子(仮)だけでなく三枝教授も青ざめる。
謝罪がしたいなら、電話口で済む。
ゴーシュがこの場に呼ばれたのは、懐柔でも説得でもして、もう一度モデルをやらせろ、と圧がかかっているからだろう。
それにしても、暴力的なことを口にしただけで、ここまで反応をされると傷つく。
本気でやりそうと思われているのか、と虚しくなったゴーシュは目を閉じた。
知りあったばかりで信頼関係を築けているとは思っていないが、人狼=暴力、と考えられていることを、思い知るのはこんなときだ。
軽口や冗談でも、人を傷つけるような発言をすれば、本当に暴力沙汰を起こすのではないかと疑われる。
人の世で暴力が好まれないのは知っている。
創作物の中では、暴力こそが正義!、と振る舞う主人公も多いのに。
人狼は、ただ暴力的なだけの存在ではない。
それを伝えることが、ゴーシュが人狼だと公にすることに繋がるので、できないとしても。
ひどく生きづらい。
しかしゴーシュは、人の世以外では生きられない。
口を閉ざす二人に、ゴーシュは口角の片側を引き上げる笑顔を作って見せた。
人より鋭い犬歯が見えて、凶悪にしか見えない笑顔を。
「……分かりました、良いですよ。
ただし、狼の姿以外でのヌードはしませんから」
差し出された熱いコーヒーで唇を湿らせながら、ゴーシュは毒くらわば皿までと心を決めた。
本当に人狼だとすっぱ抜かれたら、その時は、この国を出てはぐれ狼に甘んじよう。
ずっと助けてくれた社長に、迷惑をかけてしまうことだけが、心苦しい。
さいわいと言うか、ゴーシュは社長直属の部下なので、世間一般の三十歳の平均より高給だ。
貯金もそれなりにある。
「体を動かせないと疲労が溜まるので、休憩をこまめにいただきます。
あと、人狼では立ち姿のモデルはできません」
前回に告げた事と、同じ条件をもう一度繰り返す。
「ガイルさん、本当にありがとうございます」
二人に深々と頭を下げられて、居たたまれない気持ちになった。
最初に断りきれず、この事態を招いたのはゴーシュだというのに、この人たちは甘い。
そこにつけこんで条件を引き上げるのは、さすがに申し訳ない気がしても、これ以上は引き下がれない。
金銭報酬は学長とかいう人物から、がっぽり引き出すように頼んだ。
法外な金額を提示されれば、三度目は無いだろうと見込んで。
数日後。
ゴーシュの前には、派手なボルドーのジャケットを着た男性が座っている。
腹はでっぷりとして、顔はつやつや。
口元には、申し訳程度の口髭。
正直に言ってしまって良いなら、(臭いが)大嫌いなタイプだ。
自分の利益のために、弱者を利用して捨てる類のオスの臭いがする。
弱っている父親を利用しようと、寄ってきた奴らと同じ臭い。
社長に取り入ろうとしてきた奴らとも、同じだ。
気に入らなかったので、早々に話を終えたいと、ゴーシュは意識して威圧を放っていた。
そのせいで、でっぷりした男は青ざめたまま目をさまよわせていた。
「というわけで、十分な数のデッサンを行わせていただくのに、少人数で複数回、行うのがよろしいかと思うのですが……学長?」
でっぷりした学長の横で、得意満面に語り続けていた痩せた男が、不思議そうに顔を上げた。
入室してからこれまで、ゴーシュの方を見ずに道具のように扱おうとしてきた、本能が鈍すぎる人物だ。
「……ひぃっっ」
学長と呼んだ、でっぷりした男の顔色を不思議そうに見た後、ゴーシュの方へ初めて向けた顔が、盛大にひきつる。
今更だ、遅すぎる。
本当なら、ゴーシュは学長に会う気はなかった。
人の姿を覚えられたくなかった。
以前、出張帰りに寄ってしまったので、スーツ姿を知っている職員は多いだろう。
それでも何もしないよりは良い、と今回は変装をしてきている。
長めの灰色の髪は、整髪料を使ってぴっちりと撫でつけてきた。
この日のために、グラデーションのサングラスを調達した。
どこのスジモンですかと聞きたくなるような、舞台衣装っぽい肩パッドもりもりで、黒いピンストライプのダブルジャケットは父親の遺品だ。
(映画のマフィアのように見えて)絶対に似合うからと、父親が当時の知人に押し付けられたもので、ハイブランドらしい。
ただ、小柄な人狼のゴーシュには少しサイズが大きかった。
応援ありがとうございます!
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