上 下
8 / 44
1 ゴーシュ・ガイルは一匹狼

08 騒動

しおりを挟む
 

「ガイルさん、本当に申し訳ない」

 深々と下げられた白髪頭に、ため息がもれそうになるのを耐える。

 三枝サエグサ教授から詳しく話を聞いてみると。
 ゴーシュを描いたデッサンが、他の教授に見つけられてしまったらしい。

 正確には、その教授の心象を良くしようと、参加した学生が見せてしまった、と。

「空想の産物をデッサンしたのかね?」

 と詰め寄られて、ゴーシュの存在を明かしてしまったのだ。
 いつのまにか、携帯端末で盗撮していた人狼姿の写真まで添えて。

 学生側にどんな理由があったとしても、口止めされていたのに、人とは違う経験をしたことを自慢したかった、と本音を言ってしまえば台無しだ。
 才能があるからと選んだ生徒を間違えた、と三枝教授は再度頭を下げた。

 ゴーシュは、おれが外を走り回ったから見つかったわけではないのか、と安心しつつ、存在が公になっているのは変わらないな、と落ち込む。


 どうやら、本物の人狼に会わせろ!、と何人もの教授が三枝教授に詰めよっているらしい。
 他にはない画題を独り占めするな、と訴えられてしまれば、その気持ちがわかるだけに、三枝教授も強硬な態度に出られないのだ。

 さらに三枝教授は現役の画家であり、教授でもあるが、教育者として強い立場があるわけではない。
 画壇においては少々の発言力も持っているが、大学内ではただの一教授でしかなかった。

「その方達は、なにを求めているのですか?」

 苛立ちで声が低くなりそうなのをおさえて、切っ掛けはおれが泥酔したから、とゴーシュは自分に言い聞かせた。

 他人のせいにしたところで、今の状況は変わらない。
 責任をなすりつけても、逃げることしかできない。

「自分たちにも人狼をモデルとして雇う準備ができる、本物の人狼をモデルとして研鑽を望む経験を、他の学生にも与えるべきだ、と言っています」

 ゴーシュさんは、あくまで好意で一度だけの約束で受けてくれた、と言ったのですが、聞く耳を持ちませんので。

 そう言った三枝教授は、疲れたように息をつき、棚の上に手を伸ばした。

「飲まれますか?」

 手元のコーヒーミルを指す三枝教授に、お願いしますと頭を下げてから、ゴーシュはしばし思考に沈んだ。



 ゴーシュの母親がよく言っていた。
 本気で獲物を狙うときは、遊ぶな、と。

 どんな動物だって、死にたくない。
 だから、遊んでいると手痛いしっぺ返しにあうよ、と。

 これは、強制されたとはいえ、合コンなんかに参加した報いなのだろうか、とゴーシュは眉をしかめる。
 ずっと人の中に紛れて、単調で苦痛に満ちていても、平穏な日々を手に入れていたのに。

 何もかも捨てて、本当のはぐれ狼になる気はない。
 ゴーシュの父親は腕を潰してしまっていたので、単独での狩りの方法は習っていない。

「それで、電話ではなく、直接呼び出した理由はなんでしょう?」

 わずかに低くなった声に、愛子(仮)がびくりと肩をはねさせた。

「申し訳ありません。
 貴方を紹介しない場合、学長が公に訴えると、言いだしまして」

 三枝教授が答える。
 愛子(仮)はなにもしてないはずなのに、どうしてか申し訳なさそうにしている。

「おれが従う理由はありませんよね、世間で狂人扱いされる、とは思わないのでしょうか?
 とにかく、何を望まれているのか明確にしてください。
 今すぐソイツ学長の喉を掻っさばいてくれば良いのですか?」

 丁寧な口調のまま、苛立ちを隠さないゴーシュの物騒な言葉に、愛子(仮)だけでなく三枝教授も青ざめる。

 謝罪がしたいなら、電話口で済む。
 ゴーシュがこの場に呼ばれたのは、懐柔でも説得でもして、もう一度モデルをやらせろ、と圧がかかっているからだろう。

 それにしても、暴力的なことを口にしただけで、ここまで反応をされると傷つく。
 本気でやりそうと思われているのか、と虚しくなったゴーシュは目を閉じた。

 知りあったばかりで信頼関係を築けているとは思っていないが、人狼=暴力、と考えられていることを、思い知るのはこんなときだ。

 軽口や冗談でも、人を傷つけるような発言をすれば、本当に暴力沙汰を起こすのではないかと疑われる。

 人の世で暴力が好まれないのは知っている。
 創作物の中では、暴力こそが正義!、と振る舞う主人公も多いのに。

 人狼は、ただ暴力的なだけの存在ではない。
 それを伝えることが、ゴーシュが人狼だと公にすることに繋がるので、できないとしても。
 ひどく生きづらい。

 しかしゴーシュは、人の世以外では生きられない。

 口を閉ざす二人に、ゴーシュは口角の片側を引き上げる笑顔を作って見せた。
 人より鋭い犬歯が見えて、凶悪にしか見えない笑顔を。

「……分かりました、良いですよ。
 ただし、狼の姿以外でのヌードはしませんから」


 差し出された熱いコーヒーで唇を湿らせながら、ゴーシュは毒くらわば皿までと心を決めた。
 本当に人狼だとすっぱ抜かれたら、その時は、この国を出てはぐれ狼に甘んじよう。

 ずっと助けてくれた社長に、迷惑をかけてしまうことだけが、心苦しい。

 さいわいと言うか、ゴーシュは社長直属の部下なので、世間一般の三十歳の平均より高給だ。
 貯金もそれなりにある。

「体を動かせないと疲労が溜まるので、休憩をこまめにいただきます。
 あと、人狼では立ち姿のモデルはできません」

 前回に告げた事と、同じ条件をもう一度繰り返す。

「ガイルさん、本当にありがとうございます」

 二人に深々と頭を下げられて、居たたまれない気持ちになった。

 最初に断りきれず、この事態を招いたのはゴーシュだというのに、この人たちは甘い。
 そこにつけこんで条件を引き上げるのは、さすがに申し訳ない気がしても、これ以上は引き下がれない。

 金銭報酬は学長とかいう人物から、がっぽり引き出すように頼んだ。
 法外な金額を提示されれば、三度目は無いだろうと見込んで。





 数日後。

 ゴーシュの前には、派手なボルドーのジャケットを着た男性が座っている。
 腹はでっぷりとして、顔はつやつや。
 口元には、申し訳程度の口髭。

 正直に言ってしまって良いなら、(臭いが)大嫌いなタイプだ。

 自分の利益のために、弱者を利用して捨てる類のオスの臭いがする。
 弱っている父親を利用しようと、寄ってきた奴らと同じ臭い。
 社長ボス(仮)に取り入ろうとしてきた奴らとも、同じだ。

 気に入らなかったので、早々に話を終えたいと、ゴーシュは意識して威圧を放っていた。
 そのせいで、でっぷりした男は青ざめたまま目をさまよわせていた。

「というわけで、十分な数のデッサンを行わせていただくのに、少人数で複数回、行うのがよろしいかと思うのですが……学長?」

 でっぷりした学長の横で、得意満面に語り続けていた痩せた男が、不思議そうに顔を上げた。
 入室してからこれまで、ゴーシュの方を見ずに道具のように扱おうとしてきた、本能が鈍すぎる人物だ。

「……ひぃっっ」

 学長と呼んだ、でっぷりした男の顔色を不思議そうに見た後、ゴーシュの方へ初めて向けた顔が、盛大にひきつる。
 今更だ、遅すぎる。

 本当なら、ゴーシュは学長に会う気はなかった。
 人の姿を覚えられたくなかった。

 以前、出張帰りに寄ってしまったので、スーツ姿を知っている職員は多いだろう。
 それでも何もしないよりは良い、と今回は変装をしてきている。

 長めの灰色の髪は、整髪料を使ってぴっちりと撫でつけてきた。
 この日のために、グラデーションのサングラスを調達した。

 どこのスジモンですかと聞きたくなるような、舞台衣装っぽい肩パッドもりもりで、黒いピンストライプのダブルジャケットは父親の遺品だ。
 (映画のマフィアのように見えて)絶対に似合うからと、父親が当時の知人に押し付けられたもので、ハイブランドらしい。

 ただ、小柄な人狼のゴーシュには少しサイズが大きかった。

 
しおりを挟む
1 / 4

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

徒花の先に

BL / 連載中 24h.ポイント:127pt お気に入り:1,775

日本で死んだ無自覚美少年が異世界に転生してまったり?生きる話

BL / 連載中 24h.ポイント:142pt お気に入り:3,118

【R18】A pot of gold at the end of the black rainbow

BL / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:62

【R18】すべすべでむちむち

BL / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:40

ひだまりで苔むすもの

BL / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:58

【R18】ポンコツ第二王子のやりなおし奮闘記

BL / 完結 24h.ポイント:170pt お気に入り:1,836

処理中です...