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第3章 back to school 青春の甘い楽園

第63話 中華冒険紀行

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    金蘭会高校での女子校生活も終わりが近づき、玲奈は高校最後の夏休みの間、受験勉強と部活に明け暮れた。
「関大に行くで~!!」
部活が終われば、塾へ行き、お盆休みの時も来る日も来る日も勉強に励む。全ては己の野望のために。金蘭会高校のバレーボール部は、全国でも強豪の1つに数えられ、全日本バレーボール高等学校選手権大会で優勝している。2014年は春高バレー・インターハイ・全国大会を制し、3冠達成を果たした。
(やったるで~!!)
8月の大阪府大会を制し、インターハイに出場。しかし、無理が祟ったのか、迎えたインターハイ初戦、玲奈は試合中にずっと違和感に苛まれた。
(何や?何か、目が霞む…。)
それでも、奮闘して相手の攻撃をブロックしたり、スパイクを連発した。だが、その違和感はセットを重ねるごとに増していき、第4セットを終えた後は、視界がほぼ黒くなり、ふらつきが悪化して支えられなければ立てない状態となった。
「玲奈、大丈夫か?!」
大事を取って、監督は玲奈をベンチに下げた。水分を摂らせ、安静にさせる。
「ハァハァ、これ何…。めっちゃ怖い…。」
その後も玲奈を襲った症状は長引き、インターハイが終わり、引退した後も続いた。受験勉強に専念するも、この症状は段々、精神にも影響を及ぼし、玲奈は不安感と恐怖心に駈られて苦しんだ。この事態を重く見た両親と担任は、玲奈に療養期間として5日間休ませ、カウンセリングを受けさせた。

    2015年9月21~25日を療養期間とした。療養日前日は日曜日だったので、夜に母が玲奈の部屋で話を聞いた。
「どういう感じなん?」
「何か、黒いモヤみたいなんが見えて、それがめっちゃ怖い…。後、ドキドキが止まらんくて苦しい…。」 
背景として、玲奈は学校では成績優秀な優等生で、クラスの委員長なども務めた。皆を牽引するタイプだったが、周囲の期待に応えようとしすぎて、無理をしてしまうこともあった。人に頼ることが苦手で、周囲と壁を作ってしまっていた。
「そうなんや…。玲奈、辛かったやろ…。もう無理せんでええよ。」
母にハグされ、玲奈は安心感から堰を切ったように涙が溢れた。
「ありがとう…。ママ…。うぅ、うぇぇぇぇん…。」
カウンセリングでは、不安感を取り除くプログラムが組まれ、通院と自宅療養を繰り返す。玲奈は今まで優等生として期待されていたが、それがプレッシャーとなり、周囲に頼ることが出来ずに苦しんだ。そこでプログラムでは、育て直しの1つとして、めいいっぱい甘えさせるということをした。
「玲奈ちゃん、可愛いね~。」
「先生~。ミルク~。」
心理的に幼児期に近い状態にし、その時期の服装に着替えた。1日目は赤ちゃんの格好として、帽子・よだれかけ・オムツを身につけた。2日目は青いスモック・ミニスカート・白い靴下と幼稚園児の格好。
「玲奈、似合ってるよ。」
「あはっ、めっちゃ可愛い~!」 
カウンセリングの先生と、病院の近くの公園で遊ぶ。童心に還って遊ぶ玲奈。自然と笑顔が戻ってきた。3日目の夜に、久々に父とお風呂に入った。
「久々やな、玲奈とお風呂入るん。」
「パパァ、背中流して。」
女性の身体になった娘の成長を喜ぶ父と、父に甘えて安堵する娘の素敵な裸の時間が流れる。
「パパァ、抱っこ~。」
「ええよ。玲奈、オッパイデカいな!!」
4日目の夜には、母とお風呂に入り、満足げな様子で眠りについた。5日目には、すっかり回復し、独りで背負いこまなくなった。それからは、受験勉強に励み、努力の末に、第一志望の関西大学に現役合格を果たした。
「やったー!!!!」

    2016年4月、玲奈は関西大学経済学部に入学。小学生の頃にYouTubeの存在を知り、中学生の頃にKーPopに出会い、2012年に大ヒットしたPSY「江南STYLE」に衝撃を受け、YouTubeによる経済効果や、アジアの経済について学ぼうとした。大学生活は充実し、初めてのバイトは大阪市のTULLY'S COFFEE。通勤通学客の多い梅田で、幅広い客層を観察した。2回生の秋学期の時に、留学制度があることを知り、学生課に掛け合ってみた。アジアの経済情勢について学びたかった玲奈が目をつけたのは、アジアの大国 中国。出願してみたが、大都市の北京や上海の枠は既に埋まってしまい、玲奈は中国南部に行くことになった。
「厦門、アモイ、モアイ?」
厦門は、中国福建省にある都市で、仙頭・深センと並ぶ経済特区。更に南下すると、特別行政区の香港・マカオがある。留学先は、そこにある厦門大学。3回生になる2018年の8月から11月の3ヶ月間留学する。3回生になり、大阪北部地震も経験したが、入念に準備をした。7月に留学の詳細が説明された。

2018年度 関西大学 海外留学
行き先 厦門大学
学生
音無玲奈
前原裕太
期間
2018 8/28~11/28

現地にいる間は、それぞれホームステイすることになる。W杯の熱狂の余韻覚めやらぬ頃、教室に玲奈ともう1人の男子が来て、担当者から説明があった。
「改めまして、今回、2018年度関西大学海外留学 厦門大学引率者の久保田敏信と申します。」
40代半ばで、髭を蓄えたオジサン。国際教養で中国経済について研究している。2人も担当者に自己紹介。
「経済学部 3回生の前原裕太です。」
「経済学部 3回生の音無玲奈です。」
互いを知り、当日まで準備を進める。そして迎えた8月28日、関西国際空港の発着ロビーに居た。真夏の暑さが身に染みる。
「おはようございます。今日から3ヶ月、中国・厦門大学に留学します。周辺の広州・香港に行くこともあります。全てのフィールドで自分の学びを深めましょう。」
「はい!!」
9:50発、厦門行きの飛行機が離陸した。玲奈にとっては、初めての海外。
(楽しみやなー。)
横に居た前原は、モジャモジャ頭にTシャツというラフな格好。機内のテレビで音楽を聞いてくつろいでいた。3時間後、飛行機は厦門空港に着陸。飛行機を降り、入国審査と手荷物受け取りを済ませ、空港のバスで厦門市に出る。南国の解放感と大陸中国とはまた別の異国情緒が漂う。厦門大学に到着し、担当者に挨拶。
「大家好!(皆さん、こんにちは)皆さんを担当する李琴清(中国語:リー・ジンチン 日本語:り・きんせい)です。」
歓迎会を行い、玲奈と前原はそれぞれステイ先のファミリーに迎えられた。南国の情緒溢れる小さな街にある一軒家。玲奈のスティファミリーは、陳という方でこれまで多くの日本人留学生らを受け入れてきた。
「你好!我叫陈大洪。」(こんにちは、私は陳 大洪(中国語:チェン・ダーホー 日本語:ちん・だいこう)。)
「我叫音無玲奈。」(私は音無玲奈。)
ファミリーは、夫婦であり、一人息子は独立して広州で暮らしている。父の陳大洪は大柄で髭を蓄えている。母の陳桃(中国語:チェン・タオ 日本語:ちん・とう)は髪を結った細身の女性。今夜は、歓迎会ということで、中国南部の客家料理でおもてなし。

客家料理
梅乾扣肉(客家語:モイゴンキウギュ 豚肉と漬け菜の蒸し物)
醸豆腐(客家語:ギョンテウフー 肉詰め豆腐)
塩局鶏(客家語:ヤムカックイ 鶏肉の塩蒸し)
韮饅頭
油菜(広東語:ヤウツァイ 茹で青菜のオイスターソースかけ)

中国では大皿に5~6種類程のおかずを出し、長い箸で直接とっていただく。各々のスペースにご飯とスープが置かれている。
客家料理は、日本ではあまり見かけない。中国では、食事の前に決まった挨拶は特にないので、父が食べはじめてから、皆がいただいた。恐る恐る食べる玲奈、父がじっと覗き込む。
「阿玲、怎么样?」(玲奈ちゃん、どう?)
「好吃!」(美味しい!)
夏の猛暑にやられた身体に、塩分が染み渡る。梅乾扣肉・醸豆腐・塩局鶏といった肉料理で、豚と鶏を同時に味わえ、ご飯が進む。父に直箸で食べさせてもらい、初海外の夜を楽しめた。

    厦門大学は夏休みなので、玲奈と前原は秋学期の予習に励む。秋学期には、フィールドワークで広州に行くことになり、国慶節の大型連休では、関西大学が提携している香港中文大学に赴くなど2泊3日で香港フィールドワークをすることが決まった。北京や上海のような大都市と違い、厦門はのどかな街で、コロンス島は中国とは別世界の雰囲気がある。夏休みが終わり、秋学期を迎えた。玲奈は厦門大学で、経済学と中国のビジネスについて、来る日も来る日も勉強した。9/23に、フィールドワークで広州に行くことになり、その日は8:30にアモイ空港に集合し、広州へ赴いた。担当者・教授を含めた4人は、朝早かったのか、機内で眠りについた。1時間半後、広州白雲国際空港に着陸。東南アジアの近くなので、高温多湿である。
「着いたで。」
「大都会やな…。」

    広州は、中国南部の広東省に位置する大都市で、広東省の省都・副省級市である。北京・上海と並ぶ中国の主要都市で、華南の経済・文化・教育・交通の中心。ちょうど、フィールドワークに行った2018年9月23日は、広州・深セン・香港を結ぶ広深港高速鉄道が開通し、電車で広州から香港へ行けるようになった。玲奈は、アモイよりも大都会の広州のビル郡に圧倒されていた。
「こんなに違うんや…。」
フィールドワークの担当者と合流し、天河体育中心体育場へ移動。
「到着。」
「あっ、ここ知ってるわ!!」
「知道?」(知ってるの?)
「我知道。」(知ってる。)
ここは、中国スーパーリーグ(サッカーリーグ)の強豪 広州恒大(中国語:グワンチョウ ヘンダー 日本語:こうしゅうこうだい)のホームスタジアムである。スタッフに案内され、一室に入って授業を行う。
「広州恒大とチャイナマネービジネス」
広州恒大は、広東省広州市を拠点とするサッカークラブで、エンブレムは赤い虎。1954年に創設。1993年にプロ化。2008年に中国超級リーグに昇格したが、2009年に降格。2011年に復帰し、昇格1年目で初優勝。そこからアリババグループ・恒大集団の資金力を得て、ますます強くなり、AFCチャンピオンズリーグで2度の優勝(2013、2015)とリーグ7連覇(2018年当時)と圧倒的強さを誇った。
「中国バブルやな。」
アリババグループについても勉強し、中国のスポーツビジネスを学べた。昼は広東料理をいただき、午後からは広深港高速鉄道を見学し、広州でチャイナマネーを知ることが出来た。
「すっごい…。」

     10月1日、中国は国慶節という大型連休で、教授と担当者の4人で2泊3日の香港フィールドワークに行くことになった。
「爸爸 妈妈 去香港。」(お父さん、お母さん、香港行ってくるね。)
朝早くに厦門空港に行き、広州白雲国際空港へ移動。そこから広深港高速鉄道の駅に行き、香港側の終点 西九竜駅の切符を買う。
「新幹線みたいやな。」
「高速鉄道やからな。」
広州から深センを通り、香港まで約1時間半。時刻は11:00。香港の西九竜駅へ到着。入国審査と外貨両替を経て、香港へ上陸。
「うわー!!すごいー!!」
そこには、高層ビルが建ち並び、路地には所狭しと看板が犇めく雑多な街並みが広がっていた。ここで3日間の段取りを確認。

1日目 10/1
12:00 ランチタイム
13:00 香港中文大学でフィールドワーク
18:00 重慶大厦 チェックイン
19:00 夕食
20:00~22:00 自由時間
22:00 就寝

2日目 10/2
6:30 起床
7:30 朝食
9:00 香港上海銀行 見学
12:00 昼食
13:00 中国銀行 見学
17:00~19:00 香港島散策
19:00 夕食
20:00 戻る
20:00~22:00 自由時間
22:00 就寝

3日目 10/3
6:30 起床
7:30 朝食
9:00 重慶大厦 チェックアウト
9:30 香港歴史博物館 見学
12:00 昼食
14:00 香港国際空港 出発

香港のランチタイムは13時から14時、この時間はかなり混む。なので12時に前倒し。西九竜駅を後にし、進んでいくと、ネイザンロードという大通りに出た。
「看板めっちゃあるやん…。」
目の前に、「重慶大厦」(チョンキンマンション)という複雑に入り組んだ雑居ビルが聳え立つ。玲奈は直感的に怪しい雰囲気を感じた。
(宿、重慶大厦やな。めっちゃ怪しい感じやねんけど。)
李教授は、香港に精通しており、グルメにも詳しい。
「香港名物の茶餐庁に、行きましょう。」
茶餐庁(広東語:チャーチャンテン)は、喫茶店×食堂で、早い・安い・美味いが売り。香港人の大衆食堂である。席につき、皆が注文する。玲奈が注文したのは、ポークチョップと黒胡椒味のパスタ。一口啜ると、胡椒のスパイスが効き、ポークチョップもボリュームがあって、安値で満足できた。
(これは、お得やな。)
腹ごしらえを済ませ、MTRで香港中文大学へ向かう。九竜エリアから北上し、新界の沙田(広東語:サーティン)に行くと、山があり、少し人里離れた場所に香港中文大学が見えた。引率者に連れられ、キャンパスに入る。
「Hello!Everyone!」
香港中文大学では、授業は全て英語で行われる。ここで、香港の歴史や中国との結び付きについて学んだ。
(植民地から、ここまで経済発展したんやな。)
夜に、重慶大厦にチェックイン。雑多な雰囲気の中にある格安の宿に泊まる。夕食は、香港名物のワンタン麺をいただき、自由時間では、予習と復習をした。
(香港、オモロイ所やな。)

     2日目、朝食は教授が買ってきたパイナップルパンをいただく。
「パイナップルは入ってへんな。メロンパンと同じか。」
午前中は、香港上海銀行を見学。九竜から香港島へ移動。MTRは通勤通学ラッシュに見舞われた。香港島に着くと、高層ビル郡の中でも、一際異彩を放つ要塞のようなビルがあった。2日目の活動中はスーツで行う。スカートスーツに身を包んだ玲奈は、少しセクシーだった。
「ここで、香港ドル発券してるんや。」
香港上海銀行は、植民地だった頃の1865年に発足・営業開始。香港の金融の中心となっている。
「このビルは、風水意識してるんや。」
要塞のようなビル、大砲のようなゴンドラは全て風水に基づく。昼食はお偉いさんも交えていただいた。午後からは、中国銀行に移動。中国銀行は1964年に設立。地上72階建ての高層ビルで、刀のような外観。これも風水に基づく。香港の金融業界について学ぶ。プレゼンタイムでは、玲奈は流暢な英語で、プレゼンし、お偉いさんに気に入られた。
「Hongkong is paradise of Asia.」
机に座り、太ももを見せて、決め台詞を言った。夕方の香港島散策では、湾仔(ワンチャイ)と銅鑼湾(コーズウェイベイ)を廻った。湾孔には、香港政府総部と香港警察本部がある。
「香港警察って、ジャッキー・チェンの映画なってたヤツやん。」
夕食は、香港名物の焼味飯(シウメイファン)をいただいた。ご飯にローストチキンとチャーシューが乗り、油とタレが染みて美味い。
「美味いわー。」
香港島からのフェリーで、優雅に夜景を観光する。香港島のビル郡の夜景がきらめき、海に映える。
「スゴい…。金持ちの世界やん…。」
夜景を堪能し、2日目の夜は終了。

    3日目の朝に重慶大厦をチェックアウトし、粥をいただいた。香港歴史博物館に赴き、香港の歴史を学ぶ。
「19世紀に、世界史に出てきたんや。」
香港は、1842年の南京条約でイギリスの植民地になり、中国とは異なる文化を形成した。戦後、香港映画が発展し、ブルース・リーやジャッキー・チェンといったスターを輩出。
「自由な空気で発展したんやな。」
香港最終日のランチは飲茶。点心を肴にお茶をいただく。海老蒸し餃子・小籠包・大根餅などに舌鼓。
「飲茶、最高…。」
香港での3日間で、様々なことを学び、グルメも堪能出来た。厦門に戻ってからも、しっかりと勉強し、学びを深めた。迎えた最終日、ホストファミリーとハグし、最後の一言を受け取る。
「地上に元々、道はない。歩く人がいるから、道になるのだ。」
これは、中国思想家で文豪の魯迅(中国語:ルウ・シュン 日本語:ろ・じん)の名言である。
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