桜の季節

清杉悠樹

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桜の季節

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 桜はこんなにも白い色をしていたのだったかな。

 ゆらり。ゆらり。

 ちらちらと舞い落ちる桜の花びらを眺め、ふと思った。

***

 桜の開花宣言は随分ニュースを騒がせていたが、見頃を過ぎた今となってはそれを目当てにさほど大きくもないこの公園へ来ている人も少なくなっているようだ。
 樹齢はどれぐらいなんだろうか。定年をとうに過ぎた自分よりは若いだろうが見事な枝ぶりの桜の木々を見上げた。
 花の数より葉の数が多くなった枝を見て、昔の事を思い出す。

 あの頃が懐かしい。
 まだ結婚したばかりの頃、まだ子供も授かっていなかったあの頃は毎年花見客でごった返しているのが分かっているのに、文句を言いながらも夜桜の名所へと妻と一緒に出かけていた。
 迷子になるからと言ってしっかりと手を繋いで歩いては、屋台の店を見て回った。

 人混みと食べ物の匂いが入り混じって独特な匂いに嫌悪感を覚えたが、下からのライトアップされた桜は幻想的で、妻も同じように上を見上げては綺麗だとはしゃいでいる。自分もそんな姿を見てやはり来て良かったなどと思うのだった。



 影があるベンチに座り、ぼんやりと上を眺めている。
 ここは知らない土地だ。
 小さな公園の周りには、見分けがつかない似た集合住宅が立ち並び、空気は不味く、淀んだ色の空が見える。
 今朝の天気予報では、好天に恵まれたさわやかな一日になるでしょうと言っていたが、こんなくすんだ色では曇天がいいところだろうと思う。
 だが、これは妻が居なくなってからずっと感じている景色の色だ。
 もう何年も前に亡くなった妻。病気が見つかったときにはもう手遅れで、あっという間に亡くなった。

 それからというもの景色は色褪せ、生きている理由が分からなくなった。だからと言って自分から命を絶つことも出来ないまま、無意味な日々を繰り返すだけ。
 一人になって、虚しさや虚ろと言った感情が心から消えたことは無い。それは、息子夫婦の家に一緒に住むようになった今でも変わらない。孫もいて賑やかな家庭だというのに、どうしてなのだろうか。
 遠くなった故郷からの気心が知れた友人からの電話ではお前の事が羨ましい、良い息子を持って幸せだなと言われたが、言葉は諾でも心の中では否だった。

 上を見上げていた顔の前をひらりと横切った花弁は膝の上に音もなく落ちてきた。
 白い花びらは指で捕まえる前に風に流されどこかへ消えた。


「あっ、おじいちゃんいたーっ。お母さん、おじいちゃん居たよーっっ。おじーちゃーん!」
公園の入り口から孫が私を見つけると大声で叫びながら私の元へと走ってきた。
「おじいちゃん、もう夕方だよ?暗くなる前にお家に帰ろう?おうちの場所、まだ覚えてないの?」
「・・・・・・」
「ねぇ、おじいちゃん、おうちに一緒に帰ろう?・・・おじいちゃん?」
「お義父さん?」
 息子の嫁が私のことを呼んだ。

 おとうさん?
 子供が生まれると妻が私を呼ぶときもお父さんと呼んでいた。

 ああ、妻が私を呼ぶ声だ。懐かしい声だ。

「お義父さん、どうしたんですか?さあ、帰りましょう?」

 ---やっと迎えに来てくれたのか。遅かったな、お前。ずっと待っていたんだぞ。

『何言ってるんですか。来るのが遅いのはお父さんの方ですよ。私の方がずっと待ってたんですからね。ほら、行きますよ』

 ---分かった、分かった。今行く。

 膝を手で押さえながら立とうとして、ずいぶん軽く立ち上がることが出来たことに違和感を感じた。
 最近は歩くという動作さえ自由にならない自分の体。指ですらも昔みたいに自由に動かすことが出来ずにどかしく感じていた筈なのに。立ちあがることにも膝がいちいち痛みを感じることは無かったのに。今はよっこいしょと声に出してからでないと立ち上がることがない。
 楽に立ち上がってみると目の前には、妻の手が差し出し私の手を待っている。白くて柔らかな瑞々しい手だ。

 ---おまえ、こんな綺麗な手をしてたか?

『誰の手に見えるんですか。私の手でしょ?』

 ---そうだな、お前の手にしか見えないな

『そうですよ。変なお父さん。あ、時間になりましたよ。ほら、行きましょう?』

 ---ああ。

 差し出した自分の手も昔みたいに張りのある骨ばった手になっていた。
 手を繋ぎ歩き出すと、目の前には薄い桃色の花びらがちらちらと舞っている。

 いつの間にか以前のように色彩が戻ってきたと感じると、自分の体は強い光に包まれて音が消えた。感じる事が出来るのは手の温かみだけ。

 ---暖かいな、お前の手は。

『あなたの手も暖かくて、好きですよ』

***

 ひらりひらりと桜は舞い落ちる。
 動かなくなって掌に一枚がするりと収まった。それは淡い桃色をしていた。
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