亡くした女神と閉じた少年

しまだ

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二番目の王女は選択を迫られる

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 そこは賑やかな声が絶えない教会だった。
 周りにいるのは幼い頃から共に過した、血の繋がりのない兄弟姉妹たちだ。
 喜ぶもの、悲しむもの、羨ましがるもの、そしてそれらの感情全てを複雑に絡ませるものと反応は様々だった。
 無理もない。
 それもこれもフレイヤが原因だ。
 つい先日までこの長閑な農村の一部であった教会兼孤児院は、あともう少しで世間に知らないものはいないであろう教会兼孤児院に変わる。

 長らく行方不明だったグリューケン王国第二王女が、二歳から十五歳の現在まで育った場所として。

(ああ、これはだわ……)

 赤茶の髪を短く刈った青年と水色の髪の年下の少年がフレイヤに笑いかける。その二人に僅かな違和感を覚えた。
 足りないのだ。何か重要なものが。でも一体それがなにかなのかは掴めない。
 自分でも考えがまとまらなかった。別の何かがフレイヤの頭にモヤをかけている。
「元気で過ごすんだぞ。そんな悲しそうな顔をするんじゃないフレイヤ。いやもうフレイヤ王女様か」
「フレイヤ姉様……ううん王女様、僕達はいつまでも姉様の味方だから」
「ありがとう、ーー、ーー」
「フレイヤ、眉間にしわ寄せてると不細工になるぞ」
「いいの! だ、だって、そこも可愛いって言ってくれるし……」
 段々と小さくなる声に対して頬はみるみる真っ赤になっていく。
 口にするのは照れくさいけれど、彼はフレイヤのどんな表情かおも気に入っていると言う。別に自分がそんなに美人ではないのは知っているが、彼がそう思ってくれるなら満足だ。
 透き通るような淡い金色の髪を揺らして、微笑んでくれる彼がフレイヤを見てその頬を染めてくれるのだから……とそこまで考えフレイヤは固まる。

 彼とは、一体誰のことだろう。
(またなのね。この下り。ああ私はこれを、一体どれほどみれば気が済むのかしら)
「フレイヤ姉にそんな事言ったのってーー?」
 不思議そうにこちらを見つめる年少の少年の声の一部が、先程のフレイヤの言葉のように雑音で消される。
「そ、それは……あれ?」
 視界の端から黒く塗りつぶされていく。それはみるみるうちにシミが広がるようにフレイヤの視界を真っ黒にし、音をも飲み込んでいく。

 ***

「フレイヤ、危ないよ」
 漆黒に飲み込まれそうになったフレイヤを、透き通るような彼の声が呼び戻す。
 振り返れば、その深い灰青色の瞳がフレイヤを捕らえる。必死さを滲ませているそれもフレイヤは好きだった。
「大丈夫よ。だってすぐそこよ?」
「でも、もうこんな時間だし狼がでるかもしれない」
「あのね。いくらど田舎だからって、こんな村の真ん中で出るわけないじゃない」
「でも……なら、僕がついていくからちょっと待っててくれる?」
 振り切って断行しようとしたフレイヤに完敗した彼は、眉を下げてため息を吐く。
 仕方ないとばかりにつかれたため息も、嫌いじゃなかった。
(今日も、これに続くのね。しかし私も莫迦ね。会えたことが、やっぱり少し嬉しいなんて)
「もう、早くしてよ?」
 不服そうなフリをしているフレイヤも、本当は嬉しいのだ。夜遅くに一人で外へ出るのが不安だったということもあるが、何よりも彼と二人で満点の星空の下出かけられるのだから。日中ならばこうもいかない。兄妹に知られたら一か月は冷やかされてしまうだろう。
「ごめんね待たせて」
 慌てて上着を着てきた彼の手を引く。びくりと肩を揺らして驚く彼から視線を逸らして、フレイヤは扉を開けた。
「はぐれるといけないから……」
 幼いフレイヤの精一杯の勇気を込めて発したそれも、だんだんと小さくなってしまう。対して頬は確実にその温度を上げていく。
 取り付けたような言い訳に、さらにびっくりしたように彼の瞳が大きくなった。
 フレイヤは恥ずかしさを振り切るように握った手を強く引いて、刺すような北風の吹く外へと一歩踏み出す。
「さむっ!……何よ?」
 思わず身震いして振り向くと、相手は頬を緩ましていた。穏やかな表情の灰青色は嬉しそうだ。
 それが少し気に食わなくて、なのに鼓動はどんどん速くなっていく。顔は相変わらず熱くて、ぐるぐるする。
「へへ」
 ふにゃりと微笑む彼に、フレイヤは真紅の瞳と微塵も思ってない言葉をぶつけることしか出来なかった。
「変な顔!」
 拗ねたようにそっぽを向く。
 風が、その行き先を変えたのを肌に感じた。


「そう、だね」
 応えた声は一瞬前と変わらない、麦畑を凪ぐ風のような穏やかものだった。しかしそれは若干低くなっている。そして同時にとても寂しげだ。
 反射的にもう一度向けた視線を、フレイヤは少し上げることになった。
 先ほどより僅かに高くなった位置に見える灰青色は、フレイヤのそのずっと先を見ていた。悲しげに揺れるそれは、確かにフレイヤを捉えてはいなかったのだ。
 衝動的に湧き出てきたのは、抑えきれないほどの焦りと不安。そして憤り、悲しみ。
 それらはいとも簡単に、フレイヤを真っ黒な感情の渦へと巻き込んでいく。
、る。のに、いないのはどうしてよ……?)
「どうして? だって、ずっと一緒にいたいって!」
「うん。そう思ってたし、今だって思ってる。でも、だけだ」
 言い切られたその言葉に、我慢していたものが溢れ零れ落ちた。
 子供っぽいと揶揄われても、わがままだと罵られてもいい。なりふりなど構っていられない。それなのに、止めどなく溢れるのは確かな言葉ではなく説得力のないそれと雫ばかりだ。
(あともう少し、なのに)

「ごめんね、フレイヤ」

 泣きそうな瞳が最後にわらって、

 悪夢にうなされ、フレイヤは飛び起きた。
 良質の絹でできているネグリジェは肌に張り付くほど汗で濡れている。蝋燭の頼りない灯りだけの寝室は静寂に包まれていた。
(またあの夢……。一体何処までが本当の記憶で、何処からがげんそうなの……?)
「もう少しで、何なのよ。肝心な部分を何も覚えてもいなければ……」
 自らを責めるような声も夜に溶けていって、静けさの中残ったのはあやふやな存在のフレイヤだけだった。




 ***

 まだ若い葉と葉の間を春の柔らかな陽射しがくぐりぬける。小川のせせらぎが耳に心地よく響き、うっかりすると眠ってしまいそうだ。
 グリューケン王国から峠を超えてネーベル王国へと繋がるその道を、馬車で走り続けて早数日になる。窓から見える山間の街々を眺めながら、フレイヤは今は遠い故郷の姿を思い出そうとしていた。

 たった六年ほど前のことだというのに、フレイヤはそのをはっきりと記憶していない。明らかに不自然なこの現象の原因は、村を離れる時に出した一週間にもわたる高熱のせいなのか。それとも兄弟姉妹たちを残して行ってしまったフレイヤへの呪いなのか。調べようにもその術をフレイヤは持っていない。
 フレイヤがグリューケン王国の第二王女と自覚したのは六年ほど前、十五歳の時だ。それまでフレイヤはずっと、両親に見放された孤児だと思っていた。
 寂しくはなかったし、特別に悲しくもなかった。また見放した家族を恨もうとも考えたことはなかった。
 ただそういうものなのだと、何処か諦めていたということもあったが、何よりも賑やかで飽きない孤児院の生活が好きだった。
 優しく時に厳しいシスターと頼もしい兄、面倒見の良い姉に可愛い妹弟たち。そして気の良い村の人々。
 たくさんの家族はフレイヤにとってかけがえのないすべてだったのだ。
 そんなある日、王都から三人の騎士が来た。眩しいほどに磨き上げられた鎧とその胸のリボンは、王立騎士団の団員だということをはっきりと表している。
 そんな騎士の一人、たっぷりとした口髭をたくわえた中年の男性が、初めて会うフレイヤの目の前に跪いたことは今でもよく覚えている。

『フレイヤ王女、お迎えに参りました』

 それなのに、何故フレイヤは覚えてないのだろうか。
 揺れる馬車の中でフレイヤは唇を噛む。
(騎士団長の言葉は覚えているのに、十三年間一緒に暮らした兄弟姉妹の名前は誰一人覚えていないなんて……)

 お世話になったシスター様の名前も、村人の名前も、覚えている。その人たちとのやり取りも。
 一方それらの人たちよりもよほど長く一緒に過ごした、大切な兄弟姉妹たちとの記憶は「楽しかった」「賑やかで、幸せだった」という感想に塗りつぶされている。
 具体的には、一切思い出せないのだ。

 だから村を離れてから幾度も繰り返し見る、あの一連の夢が一体何なのか判断が未だにつかない。フレイヤ自身の記憶をもとにしたものなのか、それとも全くの夢幻なのか。
 フレイヤの記憶は、『詳細』を語ろうとしない。


「姫様、それで何方にいたしますの?」
「ひゃあっ!」
 淑女とは言えないような悲鳴をあげたフレイヤに、侍女のミリアは尚も瞳を輝かせて迫った。馬車には現在ミリアと二人きりだ。フレイヤはグリューケン王国のただの貴族令嬢として、隣国のネーベル王国へと向かっている。今回の旅はあまり表沙汰にしないほうがいいということで、グリューケンとネーベルの王族と一部の者にしか伝えられていない。
「ですからお相手です。四人の素敵な殿方から選べるのでしょう? こんな嬉しいお話ほかにありませんわ」
「そうねぇ」
 苦笑いしながら答えたフレイヤだが、本当にそう思う。そんなに大きくもないグリューケンの王女が、世界五大王国の一つでもある隣国のネーベルに嫁ぐというだけでも歴史的に見て珍しいことなのに。父王もネーベルの現国王もフレイヤに『四人の中から選ぶといい』と口をそろえて言う。珍しいを通り越して、おかしな話だ。

 フレイヤは現在二十一歳。一般的には行き遅れに限りなく近い年齢だ。
 燃えるような真っ赤な髪は癖があり少しうねりながら背中の真ん中まで伸びている。同じ色の瞳は大きめだが、ややつれていて気が強そうに見えるのが難点だ。実際ある程度の年齢まで村で育ったため、一般の貴族令嬢や王族の姫よりはややお転婆だという自覚はあるが。身長も低くはないし、物凄く華奢なほうでもない。正直おとぎ話のお姫様には程遠く、結婚も信頼できる有能な臣下の誰かや、同盟を結びたい他国の王の何人目かの妃になるとばかり思っていた。

 そんな予想が覆されたのが、三か月前だ。ネーベル国王から極秘で『我が息子の妃にフレイヤ王女を迎えたい』との打診があったのだ。
 またとない国の好機を喜ぶ者はいても疑う者はおらず、第二王女であるフレイヤがこれまでの縁談のように断ることなどできるはずがなかった。
 しかしこの珍しい話はさらに続く。ネーベルの王はフレイヤに四人の息子の中から一人選んでほしい、と言ってきた。それも実際会っての上でらしい。
 そこまできて、流石に気味が悪くなる。王曰く『私のように間違ってほしくない』との配慮だそうだが、その言葉の意味さえフレイヤには掴めないでいた。

「姫様は誰推しですの? 見た目で良いんです! 見た目で!」
「いえ、まだお写真は拝見してないの」
 事実を伝えるとミリアは大袈裟に驚く。しかしどうにもこの胡散臭い話に、フレイヤは諸手を挙げて喜べない。いくつもの真実が隠されてるように思えてならないからだ。だからこそ写真を見る気には、なれなかった。
「もったいない!! 皆、美男子揃いですのに! ほら第一王子のリュカ様なんていかがですか。長身で優し気な方ですよ? しかも二十五歳とぴったりではありません? 噂では見た目通り穏やかで、包容力のありそうな方だとか!」
 ミリアは腕に抱えていた冊子のうちの一つを広げる。そこには短い茶の髪の青年が、やや緊張気味に笑っていた。確かに優しげな灰青色の瞳は澄んでいて綺麗だ。それに、似ている。

「そうね、兄がいたらこんな感じなのかしら」
「えぇ……駄目ですか? じゃあ二十四歳の第二王子、ルース様はいかがです? 見た目は抜群ですよ。まるでお話の王子様が出てきたようですし! ……まあ噂によると浮き名が絶えない方らしいですけど、本当かどうかはわからないですし」

 そう言うとミリアはすぐに別の冊子を開く。次に広げられたそこには、爽やかな笑顔の青年がいた。淡い金色の髪は癖があるのか跳ね、真っ青な瞳は少年のように輝いている。彼も、似ていた。

「素敵な方ね」
「また駄目ですか……。もしかして姫様は可愛らしい感じの方がお好きなんですか? ならば第三王子のセイ様なんていかがです? 二十三歳とは思えぬ美少年のような方です! 気難しい面もあるそうですが、可愛いは正義ですから!」

 先ほどの冊子を勢いよく閉じると、ミリアは隣の冊子を開く。忙しいその動きにフレイヤは微苦笑した。
 そこには淡い金色の髪を肩までのばした、青い目の美少年が眉根を寄せていた。不機嫌を隠さない彼は確かに少し気難しそうだが、瞳は冷たくない。そしてやはり、どこか似ている。

「美しい方ね」
「えぇ……それだけですかぁ?」

 残念そうにがっくりと肩を落とすミリアをよそに、フレイヤは自嘲のため息を吐いた。
 思えばさっきから似ているとかそうでも無いとか、存在もしない夢の彼と比べるなんて馬鹿げている。現実から逃げたいからという願望からだろうか。

「もう、ならば第四王子のスイ様ならどうです?ご年齢も二十一歳と姫様と同い年ですよ!四人の中でただお一人お母様が違いますが、穏やかで誰にでも優しく魔術師としては国一番とか!ほら!」

 ミリアは最後の一冊を目の前で開いた。
 そこには照れたように頬を僅かに染めて、はにかむ青年が映っていた。やや長めの淡い金の髪と細められた灰青色の瞳が、フレイヤの胸を揺さぶる。
 真っ直ぐに見続けることが出来ず、フレイヤは堪らなくなって顔を背けた。

「冗談でしょう……」
「そんなにお嫌ですか?!」
 初めてはっきりと示したフレイヤに、ミリアは驚く。しかし一番驚いていたのはフレイヤ自身だ。
(冗談でしょう……夢の彼をはっきりと覚えてもいないのに、こんなにも似ていると感じるなんて)
 隣のミリアは「もしかして姫様はぐっと年上のお方が好みなのかしら……」と新たな見解を見出したようだ。何事かぶつぶつと呟いている。
 違和感を払うように、頭を数度振る。しかし違和感どころか、意図せず熱くなった頬の熱さえも取れることはなかった。







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