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坂巻環編

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放課後。
今日は色々疲れたので、夕飯は外食で済ませようと思い、駅前のファミレスまで足を伸ばした。
お好きな席をどうぞ、という店員の声を聞いて、適当に席を探していると、

「あ、先輩」

なんて、あほっぽい声が聞こえた。

「高島」

声の方に目を向けると、高島が友達と二人でボックス席に座っていた。
高島の友達らしき人と目が合ったので会釈をすると、その女の子はにこりと笑う。

「なにしてんすか?」
「バスケやってるように見えるか? 飯食いに来たんだよ」

高島の脳みそ使ってない発言に適当に返事をすると、彼女は楽しそうに笑った。

「ははは、っすよね」

すると、高島の対面に座る女子が、高島に尋ねた。

「円ちゃん、知り合い?」

高島は笑ったまま答える。

「この人、先輩」
「紹介下手か」

そう思って、俺はその少女に向き直った。

「関です、どうも」

俺がそう言うと彼女は、

「坂巻環(さかまき たまき)です」

なんて礼儀正しく頭を下げた。
高島の友達ということは、この子も一年生なのだろうか。
雰囲気はこどもっぽい高島と比較すると少々大人びて見える。
しかし、体格は年相応というか、小さく細身だった。
黙っている俺を不思議に思ったのか坂巻さんは、長い黒髪をかきあげながら首を傾げた。
……まあ、特に話すこともないか。

「……じゃあ、また学校で」

俺がそう言って背を向けると、高島が声を上げた。

「何言ってんすか。せっかくなんで一緒に食べましょうよ」
「お前が何言ってんの?」

高島が一人で飯食ってるならまあ良いけど、友達と一緒なんだったら邪魔するわけにも行かない。
坂巻さんに目を向けてみると彼女はなんとも言えない顔をしていた。
俺は高島に言う。

「せっかく友達同士で食ってんのに、坂巻さんに悪いでしょ」

すると坂巻さんはきょとんとした顔をして、言うのだった。

「いや、私は全然良いですけど」
「あれえ?」

さっきの表情はなんだったの……?
しかし坂巻さんの色よい返事に気を良くした高島は言う。

「ほら、環も良いって言ってるんだし、どうぞどうぞ」

まあ、坂巻さんが良いって言うなら良いか。

「じゃあ、お邪魔します?」

俺がそう言うと坂巻さんが席を立ったので、それと入れ替わるように席に着く。
すると、坂巻さんは俺の横に座り直した。
俺はボックス席の奥に追いやられる形となった。
……あれ? こういう時って、高島の隣に行くんじゃないの……?
疑問に思って坂巻さんに目を向けるが、彼女はただ意味ありげににんまりと笑い、何も言わずに高島に向き直った。
な、なに? なんか怖いんだけど……。

坂巻さんは俺の心情を知ってか知らずか、こちらを向かずに口を開いた。

「まどかちゃん、この人が例の先輩なの?」

高島はニコニコしながら言う。

「そう」

例のってなに。

「お前変なこと言いふらしてんの?」

俺がそう問いかけると高島はへらへら笑って言う。

「いやそんなことないっすよ」

それから小さく「多分」と付け加えた。

「怖いんだけど……」

坂巻さんはそんな俺たちを見ながら「ふうん?」なんて意味ありげに相槌を打った。
……なんかこの子もちょっと怖いんだけど。
そう思っていると、店員さんがふらっと寄ってきた。

「ご注文お決まりですか」

その言葉に顔を上げると見慣れた顔がそこにあった。

「あれ、笹崎じゃん」

ファミレスの制服に身を包み、無表情な笹崎がそこに立っていた。
そういえばここでバイトしてんだったな。
笹崎は俺の言葉に反応せずに、もう一度口を開く。

「……ご注文はお決まりですか?」

……あれ? 笹崎さんですよね?
そんなことを思っていると、笹崎は周囲を見渡し、小声で言う。

「あたし、仕事中の私語で一回怒られてんの」

なるほど。
まあ、駅前だし学校の知り合いも結構来るのだろう。
想像に難くない。

「あー。……じゃあ、ドリアひとつ」

俺が苦笑しながらそう言うと、高島は「えー?」と声を上げる。

「ドリバーつけないんすか?」

いやだって長居するつもりないし。
笹崎は機械のような無表情で、

「かしこまりましたごゆっくりー」

なんていうとさっさと居なくなった。
その背中を見送っていると、その視界を遮るように、坂巻さんがこちらに身を乗り出してくる。
なんだこの子。距離近いな。
坂巻さんは言う。
「それで、まどかちゃんと先輩は具体的にはどういう関係なんですか?」

その問いに、俺は首を傾げた。高島も同様に首を傾げて言う。

「どうって?」

俺は答えた。

「さあ?」

坂巻は、

「いや、さあってことはないでしょ」

なんて苦笑した。

といっても、こいつが急に絡んできただけだからなあ。
俺からするとなぜこいつがこんなにぐいぐい来るのか心当たりがない。
しかし高島は「あー」と切り出して、続けた。

「先輩がね、しつこいナンパから助けてくれたの」

その言葉に、坂巻さんの目が一気に輝いた。

「なにそれ。超おもしろそう。詳しく教えてくださいよ」

俺は高島に言う。

「いやあれお前自分で解決してたろ」

助けた記憶は全くない。
こいつが俺を利用して勝手に助かっただけだった。
しかし高島は頬を膨らませて言う。

「えー、そんなことないですよお。先輩が助けてくれなきゃあたしどうなってたか」
「そうかな、そうかも」

……いやどうかな?
こいつの性格的には、相手ぶん殴ってでも逃げてたような気はするけど。

そんな高島の様子を見て、坂巻さんはまた、「ふうん」と先ほどのような意味ありげな表情でにやりと笑った。

「まあでも円ちゃん結構人なつっこいですよね」

坂巻さんの言葉に俺は頷く。

「そうだね。割と気安いね」

高島の距離感が近いというのは、共通認識だったらしい。
やたらとびついたり抱きついたりしてくるのは性格の問題だったか。
なんか、大型犬みたいだよなこいつ。
そう思って高島の顔を見ると、彼女はあからさまに頬を膨らませて拗ねるように言う。

「ちょっとぉ、さっきからあたしの話ばっかじゃないですかぁ」

俺は答える。

「いや、だって他に共通の話題ないし」

今知り合ったばかりの後輩と、他に何を話せと言うんだ。
話しやすい話題を選ぶのは当然じゃないか。
しかし高島は言う。

「当たり前でしょそんなの。これから仲良くなるんですから」

いや、それもここから会話がふくらむ中でね……。
しかしジト目でこちらを見つめる高島。

俺はひとつ息を吐くと坂巻さんに向き直った。

「……ご趣味は?」

直後、坂巻さんと高島が同時に噴き出した。
いやわかるよ。
お見合いか?

しかし坂巻さんは、「そうですねえ」、と相槌を打ってから答える。

「映える写真撮ったりとか?」

なるほど。
SNS映えする写真を撮るってのは、よく聞く話だ。
しかしながら自分でわざわざ探してみたことはないなあ。
そうなるとどんなものがあるのか興味湧いてきたので、俺は彼女に聞いてみる。

「へえ気になる。見せれる奴とかある?」

俺の言葉に彼女は嫌な顔をせずに「ちょっと待ってくださいねえ」なんて言いながらスマホを操作する。
そして、良い物が見つかったのか手を止めて、

「これとか」

なんて言いながら、俺に肩を寄せつつスマホを見せてきた。
壁に描かれた翼の絵を背にした坂巻さんの写真だった。
思わず俺は声を漏らす。

「おー!おしゃれ」

俺のその言葉に気を良くしたのか、他にもいくつか写真を見せてくれた。
彼女の写真のセンスもあるのだろうが、どれも普通に生活していて見かける風景ではなくて、見ていて思わず感嘆の声を上げてしまう。俺は彼女に言った。

「センスあるね?」

俺の言葉に坂巻さんは、

「でしょ?」

なんて悪戯っぽく笑うのだった。
言いつつ、肩が触れ合う。
……なんかこの子距離近くない?

すると脛に衝撃が走る。

「いてっ」

前を向くと不機嫌そうな高島が、

「何二人で盛り上がってんですか!」

なんて声を上げた。
お前が自分の話題はやめろって言ったんだろうが。
どうしろってんだよ……。

すると、ふいにどんっ!と。
大きな音を立ててテーブルにドリアが置かれる。

「おわ!?」

顔を上げると先ほどのように無表情な笹崎。

「ドリアでーす」
「あ、ありがと」

俺の返事を無視し、笹崎は手にしたレシートを丸めて伝票入れにぶっさす。

「伝票こちらでーす」

そしてこちらをじろりと見て、

「ご・ゆっ・く・り」

なんて、語気を強めて言うのだった。
そして心なしか雑な歩き方で去って行く笹崎。

「……なんかちょっと怒ってた?」

思わずそう言うと、坂巻さんが口を開く。

「知り合いなんですか?」
「あーうん。クラスメート」

坂巻さんはまた、「ふうん」と意味ありげな相槌を打って、続ける。

「彼女さんですか?」

その言葉に俺は笑った。

「まさか」

坂巻さんは俺の反応に顔をにやけさせる。

「またまたぁ、あの反応は完璧に嫉妬ですよ?」

嫉妬ねえ。
いやいやなんで笹崎が嫉妬するんだ。
よくないね。最近の女の子はすぐそういうのに結びつけるから。
坂巻さんの軽口に俺は、

「あー。なんかモテ男とかってなじられたりはしたね」

なんて軽口で返す。
そんな言葉に意外そうに目を見開くのは高島だった。

「先輩、モテるんだ?」
「どうなんだろうね」

俺が適当に返事をすると、ぐいと肩を寄せてきて、坂巻さんが言う。

「でも実際、結構女の子慣れしてますよね」

そうかな?
なんか女の子慣れって言われると遊んでるみたいに聞こえるけど。
坂巻さんはそのまま続ける。

「彼女、いるんですか?」

坂巻さんは、そうしてじっと俺の目をのぞき込んできた。
俺は照れくさくなって目をそらし、

「……ノーコメントで」

それだけ答えた。
坂巻さんは言う。

「えー、気になる。そうだ、連絡先教えてくださいよぉ」

……なんかぐいぐい来るけど、高島の友達って考えるとこんなもんなんだろうか。
断る理由もないので俺はスマホを取り出しながら答えた。

「いいよ」

するとそこで、

「……」

またもやあからさまに不機嫌そうな高島が目に入った。

「なに、どうしたの」

俺がそう聞くと、高島は先ほどのように頬を膨らませて、口を尖らせて言う。

「あたし、先輩の連絡先知らない」

俺は答えた。
「そうだっけ」

なんか勝手に知ってるつもりだった。
しかし高島はぷんぷんと言う擬音が聞こえそうな調子で、

「そうですー!」

なんて声を上げるのだった。
別にこいつにも教えない理由はないし、俺は言った。

「じゃあ、スマホ出せよ」

俺の言葉に、高島は一気に表情を変えて、

「わーい」

なんて子供っぽく喜ぶのだった。
高島は言う。

「めっちゃ連絡しますわ」
「授業中はやめてね……」

そう答える俺を頬杖をつきながら見ていた坂巻さんは言う。

「やっぱり慣れてますよね?」
「どうかな」

誤魔化すように言う俺に、坂巻さんは、

「ふうん……?」

また意味ありげにそう声を漏らすのだった。

・・・

それからドリアを食べながら、彼女たちの会話に付き合い、良い時間になったので店を出た。
高島と、坂巻さんと、三人で駅へと向かう。
隣を歩く高島が言う。

「マジでありがとうございます。たまたま居合わせただけなのにおごってもらっちゃって」

申し訳なさそうに言う高島をチラリと見て、俺は答えた。

「まあドリンクバーだけだったし。これくらいいいよ」

精算の時、つい二人の伝票も一緒に持って行ってしまったのだった。
狙ってやった訳ではないけど、口にしたとおり大した額ではないので恩を感じられても困る。

するとなぜか高島の反対側を陣取っている坂巻さんが申し訳なさそうに言う。

「それに駅まで送ってもらっちゃって」
「さすがにもう暗いし、危ないでしょ。それに、」

俺はそこでちらりと高島を見る。
それに、この間みたいに変な輩に絡まれたら可哀想だ。
高島は不思議そうに首を傾げて言う。

「なんすか」
「いや、何でもない」

俺がそう答えると、また坂巻さんは、

「ふうん?」

なんて、意味ありげに口にすると、悪戯っぽくにんまり笑って言う。

「先輩って、ほんとに彼女いないんですか?」

その表情にからかいの気配を感じた俺は、

「いないねえ」

さらっと答えた。
坂巻さんは言う。

「モテそうなのに」
「お世辞でも嬉しいよ」

俺がそう答えると、坂巻さんは少しだけ「ふむ」と考えて、そうして俺に向き直ると、

「……誰も居ないなら、私とかどうです?」

なんて、言うのだった。
一瞬、彼女の発言を理解するのに時間がかかった。
彼女の顔を見る。
相変わらず、まるでこちらをからかうような、試すようなその表情に、

「からかわないでよ、本気にしちゃうから」

俺は、まるで興味がないと伝えるように、動揺が伝わらないように、冗談めかしくそう言った。

「……へえ」

隣で聞こえた坂巻さんのそんな声に、俺は目を向けなかった。

・・・

次の日。
俺は日直の仕事でゴミ捨てをしに校舎裏まで向かっていた。
するとその途中、校舎の陰で隠れるように一組の男女が会話していた。
そのうちの女子は昨日出会った坂巻環という少女だった。
それに気付いた時、ふと彼女がこちらに目を向けた。
目が合った瞬間、俺は反射的に校舎の陰に隠れた。
結構な距離があったと思うが、彼女は俺に気付いただろうか。

そこで少し考える。
わざわざこんな人の少ないところで会っているのだ。
人に聞かれたくない話なんだろうか。
男女の会話を盗み聞きするのもあまりよろしくない。
立ち話をしているようなので少しすれば済むだろう。
そう思って二人の用事が終わるまでそのまま陰で待つことにした。
ゴミ袋を手にしばらくぼんやりしていると、男子の方が戻ってきた。
男子は陰に隠れている俺に気付くとぎょっとして、それから俺のことを怪訝な目で見ながらそのまま校舎内に向かっていった。

いや、わかるよ。不審だよね。ごめんね……。
しゃがみ込んでため息を一つ吐くと、ひょっこりと陰が差した。
顔を上げると、昨日のように悪戯っぽく笑う坂巻さんがそこに居た。
彼女は言う。

「見てました?」

俺は立ち上がりながら答える。

「なんの話?」

実際、話は聞こえなかった。
まあ、見たかと言われると、一瞬見ましたが。
彼女は俺の返事に「ふうん」と相槌を打ってから、

「へえ。そういう態度とるんだ」

なんて言うのだった。
……いや、ほんと何も聞いてないですよ?
坂巻さんは一つ息を吐くと、口を開いた。

「私結構モテるんですよねぇ。今みたいに、クラスの男子とか、先輩によく声かけられるんです。お互いよく知らないのに」

なんて、心なしか疲れたように、もしくは呆れたように。
それから意味ありげに目線を俺に流して、

「……体目当てなら、そう言えば良いのに」

なんて挑発するように言うのだった。
キミほんとに一年生?
色気すごいね?
俺は坂巻さんの言葉に、

「……まあ、うん。坂巻さん、かわいいからねえ。その男子達の気持ちはわかるよ」

そう返した。
いや、うん。知り合いにこんな子が居たら気になるのはわかるよ。
昨日もなんか距離近かったし、誰に対してもそうなんだろう。
思わせぶりとでも言うのだろうか。
しかし、俺の言葉に坂巻さんは少しだけ意外そうに、

「……先輩もかわいいって思いますか?」

そんなことを言うのだった。
なぜわざわざ改めて聞くのだろうか。

「? うん」

訳もわからず取りあえず返事をすると坂巻さんはまた、「へえ」なんて意味ありげな表情で相槌を打つのだった。そして、

「せぇんぱい」

俺を追い詰めるように、一歩踏み込んで、上目遣いで続ける。

「先輩ってぇ、彼女いないんですよねぇ」
「う、うん」

それがどうしたと言うんだ。
そう思っていると、坂巻さんは少しばかり笑みを深めて言った。

「……あたしと、遊んでみます?」

坂巻さんと、目が合った。
こちらを試すような、少しばかり嗜虐的な要素を感じるその視線。

こいつ、俺をからかって遊んでるな……?

……いや、うん。
確かにこの目は、ちょっと性的だと思う。
俺じゃなかったら流されちゃうね。
俺は少しばかりお腹に力を込めて、彼女をやんわりと押し返す。

「いやいや。さっきの子とすればいいんじゃない?」

なんだかやたらアピールされてるみたいだけど、俺は彼女に好意を持たれる理由に見当がつかない。
別に好きでなくてもいい、誰でもいいって言うんなら、それこそさっきの男子で良いはずだろう。
そんな俺の言葉に、坂巻はまた笑みを深める。

「やっぱり見てたんじゃないですかあ」
「はい、見てました。ごめんなさい」

いやもう、わかってただろうキミ……。
しかしながら今の反応で確信した。
やはりこの子は俺の反応で遊んでいるらしい。
昨日の思わせぶりな態度もその一環だったのだろう。
そう思うと途端に余裕が出てくる。

そんな俺の心情を知らずに坂巻は言う。

「で、どうです?あたし、結構うまいって評判ですよぉ」

俺は怪訝な目を向けて答える。

「何がうまいって……?」
「とぼけないでくださいよ。……照れてるんですかあ?」
「そりゃ女の子に迫られたら照れるよ」
「美少女に迫られたら、ですよね?」
「そこ自分で言うんだ……。まあ、そうだよ」

そこまで会話を続けると、坂巻は眉をしかめて息をつく。

「なーんか先輩、つまんないですよね」

「あーあ」なんて漏らしながら言う坂巻に俺は、自分の予想が的中したことを理解した。
暇つぶし感覚で遊ばれちゃたまんないよ……。

「とにかく、興味ないから」

そう言って、ゴミ捨て場に向かおうとすると、坂巻に腕を捕まれた。
そして見透かすような目をした坂巻が言う。

「興味ないんですか?」

俺は正直に答えた。

「嘘です。興味はあります」

俺だって健康な高校生男子だ。
そりゃ興味だってある。
でも。

「でも、そういうのは、なんか違うかなって」

俺の言葉に坂巻さんは目を細める。

「……そうですかね?」

そんな彼女に、俺は笑って答えた。

「俺たち知り合ったばっかであんまお互いを知らないしさ」

坂巻さんはしばらく俺の目をじっと見た。
俺は負けじと彼女の目を見つめ返す。
それからしばらく見つめ合って、不意に、

「そうですか。ああ、そうですか」

なんて言いながら、ようやく坂巻は手を放したのだった。

俺はどっと疲れて大きく息を吐く。
そんな俺を見て坂巻はきょとんとして、それからおかしそうにくすりと笑った。

「ま、だからこそやりやすいってこともあると思いますけどね? 割り切れるので」

あーあ、と声を上げて伸びをする坂巻。


そして彼女はおもむろに上着を脱いだ。
俺は叫んだ。


「ちょおおおおおっとお!?何してんの!?」
「うわあ!? びっくりした!急におっきな声出さないでくださいよ!?」

俺の大声につられて、坂巻も目を見開いてでかい声を出した。
そんな彼女に俺は言う。

「だ、だって、急に脱ぐから! な、何脱いでんの!?」

坂巻は、俺の言葉に「はあ?」と顔をしかめて続ける。

「そんな上着脱いだくらいで大げさな」

……上着?

「……ああ!上着ね!上着脱いだだけね!なるほどね暑いもんね!?」

びっくりした! 急に脱ぎ始めるから何が始まるのかと思った!
そこで坂巻とまた目が合う。

「……ふうん?」
「ぎくぅ!!」

ぎくり、と体が固まる。
やばい。嫌な予感しかない。
坂巻はまた、にたりと笑う。

「弱点、見つけちゃった?」

言葉を返せず固まる俺に、坂巻は、

「えい」

なんて、軽いかけ声と共に抱きついてきたのだった。

「あっ」

思わず声が漏れる。
そんな俺を見上げながら、邪悪に笑って坂巻は言う。

「どうですかあ、感触、伝わりますかあ……?」

か、感触……!?

「な、ななんな、なんの?」

なんとか聞き返す俺に、坂巻はにっこり笑って言うのだった。

「おっぱい」
「おっぱい!?」

あ!?これおっぱいの感触!?この柔らかい奴!?
混乱する俺にたたみかけるように坂巻は続ける。

「先輩さえよければあ、これ以上だって」
「これ以上!? おっぱい以上ってなに!?」
「いや脳内中学生ですか……?」

坂巻はぐいぐいと抱きつく力を強めながら笑う。

「ほら、ほらほらほら、どうします?」

俺は。

「ま」
「ま?」
「また今度で!!」

できる限り丁寧に彼女を引き剥がし、校舎に逃げた。
いや、逃げてないが?
戦略的撤退だが?

・・・

取り残された坂巻は、走り去る関を笑いながら見送る。

「逃げられちゃった」

それから、関の置いていったゴミ袋を手に、ゴミ捨て場へと向かった。

「でも、ふうん」

そうして先ほどの関を思い出して、また笑う。

「結構新鮮かも?」

坂巻環は、関友也を新しい玩具にすることにした。

・・・
次の日。
俺は眠い目を擦りながら学校に向かう。
昨日は、とんでもない目に遭った……。
なんなんだあの子は、ちょっとえっち過ぎると思う。
今までの人生であんなことされたことなかったから、ついテンパってしまった。

そんなことを考えていると。

「せぇんぱい、おはようございます」

俺は、足を止めた。
いやまさかね。
昨日の今日でそんな朝から会うなんて。
俺は一縷の期待を込めて振り返る。

昨日散々俺で遊んできた、坂巻環がそこに居た。
神はいないらしい。

「あ、さ、坂巻さん。おはよう」

俺がなんとかそう返すと、彼女はいつもの表情を浮かべててくてくと寄ってくる。
そして耳元に顔を寄せて、言うのだった。

「また、遊びましょうね」
「お手柔らかに……」

俺がなんとかそう返すと彼女はにんまり笑うと機嫌良さそうに先へ行った。
そこに、

「あっ、せんぱーい!」

なんて、朝からなんとも騒がしい声が聞こえた。
俺が振り向く前に背中に衝撃を受ける。

「おはざす!」

声の主、高島円が飛びついてきたが故のものだった。
俺は彼女に言う。

「おはよう」

それから、なんとなく感じた違和感を考える。
距離感で言えば、こいつもかなり近いはずなんだけどなあ。
俺は肩の辺りにある高島の顔をじっと見る。

「ん?なんすか?」

不思議そうに首を傾げる高島を見て、納得した俺は彼女に告げた。

「お前イヌネコみてえだな」
「突然の畜生扱い!?」

坂巻とこいつの決定的な差はそこだろう。
すっきりした俺は、背中でぎゃーぎゃー騒ぐ高島を意識の外に追いやりながら学校へと向かったのだった。


坂巻環編 了
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