樹里ちゃんは妹なのに

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両親が旅行に出かけたら(一日目)

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俺には妹がいる。
名前は樹里ちゃん。
二つほど年の離れた妹だ。
俺が今高校三年生なので、樹里ちゃんは高一だ。

小さい頃はことあるごとににーちゃんにーちゃんとすり寄ってきてかわいかったが今ではそれも遠い昔。
彼女が思春期になる頃には進んで話しかけてくることもなくなり、家に居ても飯の時間以外はさっさと部屋に籠もってしまう。
別に引きこもりってわけじゃない。
どちらかというと垢抜けている方だろう。
うん。
昔はかわいかったというけれど、今でもかわいい妹であることに変わりはない。
顔も悪くない。そう言う意味でもかわいい。
ただ家に居るときはいつもすました顔をしていて、なんなら俺が話しかけると少し眉をしかめる。
あとちょっと口と態度が悪い。

それくらい。

友達に聞いてみても他の家の妹さんも大体そんな感じらしいので、特別我が家が険悪ってことはないと思う。

そんなことを考えてながら夕飯を食べていると、珍しくリビングで寛いでいる妹が目に入った。
相変わらずすました顔でソファーに座ってテレビを見ていた。
……ちゃんとテレビ見てるよね?
お笑い番組なのに表情筋ぴくりとも動いてないよ?

怪訝に思っていると急に樹里ちゃんがこちらを向いた。
そしていつものように眉をしかめて言う。

「……何?」
「いや、つまんなかったら別のチャンネルに変えても良いんだよ?」

くすりともしないお笑い番組なら多分違うの見た方が良いだろう。
そう思っての発言だったが、樹里ちゃんは表情を変えない。

「なんで?」
「いや、見てないでしょその番組」

俺のその言葉に、樹里ちゃんは目を細めた。

「は? ちゃんと見てんじゃん。意味わかんない。きも」
「今キモい要素あった?」

うん。
険悪ってことはないと思う。
よその家でもキモい死ねは挨拶だって聞いたし。
そんなコミュニケーションをとってると母さんがからからと笑う。

「相変わらず仲いいわねあんた達」
「うん」
「は?」

首肯する俺と眉をしかめる樹里ちゃんに笑いながら、母さんは言う。

「明日からお母さん達居ないけど。戸締まりと火の扱いは気をつけてね」
「うん。……うん?」

居ない?
居ないって何?
そう思ってると母さんは口元に手を当てて言う。

「あれ? 裕理には言ってなかったっけ? 樹里ちゃんには言ったわよね?」

水を向けられた樹里ちゃんも寝耳に水という様子で目を丸くした。

「え、いや。あたし聞いてないけど。なんの話?」

その言葉に母さんは「あら」なんて言ってから、

「あーごめんごめん。言った気になってたみたい。明日からお母さんとお父さん、旅行行くから」

なんて、悪びれもせずに言うのだった。
旅行か。
俺は言う。

「あ、そうなんだ。ゆっくり羽伸ばしてきなよ」

どおりで最近父さんがそわそわしてると思った。
しかし、

「ええ!? なにそれ!?」

樹里ちゃんにとっては、青天の霹靂だったらしい。
数年ぶりぐらいに聞いた大きな声だった。
そんな樹里ちゃんに母さんは言う。

「なによ大きな声だして。樹里ちゃんも行きたかった? 鬼怒川温泉」
「いや、別にそういうことじゃないけど。じゃあ何、明日から、あたし達二人っきりってこと?」
「そうよ。だから家のことお願いね」

母さんのその言葉で思い至る。

「あ、そっか。そうだよな」

いつも母さんに任せっきりだったが、そういうことになる。
俺は樹里ちゃんに向き直って言った。

「樹里ちゃん。あとで家事の分担決めよっか」

樹里ちゃんは言った。

「今話しかけないで」
「はい」

まあ、明日でもいいか。
その時になったら考えよう。
しかし樹里ちゃんにとっては重大な問題らしい。

「嘘でしょ……。耐えらんないよ……」

まるで世界の終わりのような表情で、そんなことを言うのだった。
嘘、俺の好感度低すぎ……?

深刻な様子の樹里ちゃんに俺は笑いかける。

「そんな大げさな。たかが二日でしょ」

母さんは言う。

「三日よ」

俺は樹里ちゃんに言った。

「たかが三日でしょ?」

樹里ちゃんは俺の顔を見て言った。

「あんたは黙ってて」
「はい」

その表情はなんとも恨めしそうだった。

・・・

翌日。

そわそわする父さんを侍らせ笑顔の母さんが手を振る。

「じゃ、いってきま-す」
「いってらっしゃい」

俺は樹里ちゃんと二人を見送り、母さんが鍵をかけたのを確認すると一つ息を吐いた。
心なしかそわそわしている樹里ちゃんに俺は尋ねる。

「さ、じゃあどうしようか」

樹里ちゃんは肩を跳ねさせて、

「え、はぁ!? な、何!? いきなり!?」

なんて言うのだった。

「いや何が? 家事の分担、決めなきゃでしょ?」

俺がそう言うと、樹里ちゃんは顔を赤くして、

「あ、ああ、家事、家事ね」

それから深呼吸をするといつものようなすました顔に戻った。
なんかさっきの樹里ちゃんの表情、懐かしいなあ。
そう思いながら、俺は樹里ちゃんに言う。

「取りあえずゴミ捨ては俺やっといたから、料理、洗濯、掃除かな。まあ掃除は適当でもいいか」

さしあたってはこの辺りだろう。
食と住がなんとかなれば困ることはない。

「樹里ちゃんは洗濯と料理どっちがいい?」

俺の問いに、樹里ちゃんは少しだけ悩んだ様子で、唸る。
それから俺を見上げて、遠慮がちに言った。

「その、あんたは、どっちやってほしい?」
「俺? 俺はどっちでも良いけど。強いて言うなら料理かな」

どっちをやって欲しいか、と言うなら俺の答えはそうだ。
樹里ちゃんは俺の回答に「ふーん」と相槌を打つ。

心なしか嬉しそうだった。
料理をやりたかったんだろうか。
まあ洗濯も大変だもんな。

そんなことを考えていると樹里ちゃんは言う。

「……あたしの料理食べたいってこと?」

俺は答えた。

「いや俺が料理できないから」

樹里ちゃんは、顔から表情が抜け落ちた。
そして言った。

「死ね」
「なんで!?」

料理できない男は死ねってこと!?
そりゃあ、今時家事は女性だけの仕事じゃないからな。
男だからといって家事が出来ないというのも許されないだろう。
そこではたと気付いた。

「あ、でもあれか。俺が洗濯しない方がいいか」

俺の言葉に樹里ちゃんは首を傾げる。

「なんで? 別に、どっちがやったって良いと思うけど」

心当たりのなさそうな樹里ちゃんに、俺は言った。

「いやだって、樹里ちゃんの服、俺が洗濯することになっちゃうよ?」

樹里ちゃんは俺の言葉の真意に気付かないようで、眉をしかめた。

「は? だから別にいいじゃん」

そんな樹里ちゃんに俺は尋ねる。

「下着も?」
「……」

樹里ちゃんの表情が固まった。
まるで時が止まったかのような数秒の沈黙の後、

「最っ低」

樹里ちゃんは、ゴミを見るような目を俺に向けるのだった。
まあ、しゃーない。
しかしそうなると樹里ちゃんに料理洗濯どちらも押しつけることになってしまう。
樹里ちゃんはひとつ息を吐いて、そして言った。

「……いいよ。あたしが料理も洗濯もやるから」

諦めたような、もしくはなにかを決心したかようなその表情に申し訳なくなる。

「ごめんねえ」
「役立たず」
「返す言葉もねえ」
「お詫びと言ってはなんだけど、掃除は俺がするから」

さすがに妹に全てを任せるのは兄がすたる。
しかし樹里ちゃんは言う。

「別に三日くらい大丈夫でしょ」
「どうかな。母さんにばれたらなんか言われそう。それにお風呂掃除は毎日しなきゃ」

俺がそう答えると、

「確かに」

なんて樹里ちゃんにしては珍しく素直に頷くのだった。
さて、役割分担も決まったところで。

「じゃ、さっさとかたづけよっか」
「うん」

俺たち兄妹は早速家事に取りかかった。

・・・

掃除というのはなかなか奥が深いと思う。
適当に済ませようと思えば済ませられる。
しかしこだわろうと思えばどこまでもこだわることが出来る。
これを毎日こなしている母さんはすげえや。
リビングの掃除機がけが終わったので洗面所に顔を出す。
一応樹里ちゃんは大丈夫かの確認のつもりだったのだが。

樹里ちゃんは、洗濯物を手に固まっていた。

「樹里ちゃん?」

俺が声をかけると先ほどのようにびくりと肩を揺らした樹里ちゃんは、手にしていた洗濯物を洗濯かごに叩きつけてこちらに向き直る。

「っ!? な、なに?」
「いや、なんか固まってるから。具合悪い?」
「は? 全然大丈夫だけど。ほら、洗濯の邪魔だから早く出てってよ」
「はい」

樹里ちゃんに背中を押されて、俺は洗面所を後にする。
だが俺は気付いていた。
先ほどの、固まっていた樹里ちゃん。
持っていたのは俺の脱いだ衣服だった。
あれかな。俺の服洗濯するのそんなにいやだったのかな……。

・・・

そんなこんなで朝の一仕事を終えたので、俺は部屋に戻って身支度を調えていた。
今日は土曜日。
友人から遊びに誘われていたので、その準備だ。
そろそろ家を出たらちょうど良いだろうか。
そこに遠慮がちなノックが聞こえた。

そして返事を待たずにドアが開けられる。
そこに居たのはもちろん樹里ちゃんだった。

「ねえ」
「どうしたの?」

俺が尋ねると樹里ちゃんは少しばかりまごつきながら言う。

「いや、その、お昼何食べたい?」

お昼。
ちょっと早いけど、ご飯当番お願いしちゃったもんね。
こういうところ真面目だなあ、などと思いつつ、少し申し訳なくなりながら俺は樹里ちゃんに言う。

「あー。俺出かけてくるから、外で食べるよ」
「え」

樹里ちゃんは少し固まった後、ほんの少しだけ拗ねた様子で「……ふーん」と相槌を打った。
ああ、こんな反応も懐かしいなあ。

そう思って居ると、樹里ちゃんが俺の格好をじろじろと見る。
そして言った。

「何おしゃれなんかしちゃって」
「あ、これおしゃれかな?嬉しい」
「は? きも」
「直前まで褒めてたのに!?」

まあ、適当な格好でも良かったんだけどね。
なんとなく気が向いたのでちょっとばかし気合いを入れてみたのだ。
そんな俺に、樹里ちゃんはなじるように言う。

「何? 女にでも会ってくるの?」

なんかその言い方品がないな。
そこでつい悪戯心が芽生えた俺は答える。

「ないしょ」
「は?」

呆気にとられる樹里ちゃんを見て、してやったりと思いながら、

「じゃ、外に出るときは戸締まり気をつけてね。いってきまーす」
「ちょっ」

困惑する樹里ちゃんを置いて、そのまま家を出るのだった。

・・・

友人との遊びは大変盛り上がった。
といってもいつも遊んでいる相手と昼飯を食って、ふらふらウインドウショッピングして、ついでにゲーセン寄っただけなんだけど。

さてそろそろ帰るかと帰りの電車を調べようと思って、気付く。
なにやらメッセージが随分たまっていた。
そういえば遊んでたとき全然スマホ見なかったな。
通知を見ると、そのメッセージ主はほとんど樹里ちゃんだった。

ねえ。
何時に帰ってくるの。
夜は家で食べるよね?
ちょっと。
返事してよ。
今どこ?
何してるの。
もういい。

「やば」

最後のメッセージにヒヤッとして、俺は通話ボタンを押した。
これ絶対無視したの怒ってるよな。

数コールの後、通話が繋がる。

「もしもし樹里ちゃん?」

ゴソゴソという物音のあと、

「……はぁ、なに?」

吐息とともに、樹里ちゃんの返事があった。
取りあえず謝らなきゃ。

「ごめんね連絡無視しちゃってて」
「いい、よ。別に……。はぁ」

電話越しでは樹里ちゃんの機嫌はわからない。
だけど、なんだか言葉は途切れ途切れで、少しばかり息を荒い。
心配になって俺は尋ねた。

「……調子悪い?」
「ん、はぁ……!? 何、急に」
「いやなんか息荒いから」
「べ、つに、ふぅ、ふぅ、普通でしょ」

いや、電話越しでもわかるくらい呼吸がおかしいんだけど。

「そうかな?」
「そうなの……!」

しかし突っぱねるような樹里ちゃんの言い分に、深く追求せずにおいた。
帰りに風邪薬でも買っていった方が良いんだろうか。
そう思っていると樹里ちゃんが言う。

「う、運動、そう。運動してるから……。んっ」
「運動? よ、ヨガ的な?」
「そんな、感じ……!」

そう言われれば言葉にほんの少し力が入っているようにも感じ取れる。
そうなると邪魔してしまって忍びない。
なら要件だけさっさと伝えよう。

「まあ、平気ならいいんだけど。取りあえず、六時には帰るから」

しかし俺の言葉に、

「うん……! うん……!」

樹里ちゃんは、そんなうろんな返事をする。
怪訝に思って俺は聞く。

「ほんとに大丈夫?」
「……くぅ……!」

しかし返事はなく、ただ荒い息だけが聞こえる。

「……樹里ちゃん?」

もう一度声をかける。
返事は、ない。
頭から血の気が引くのを感じて、俺は叫んだ。

「樹里!?」
「あ、裕理……! 裕理……!」

まるで熱にうなされているかのような返事をする樹里に、俺は声をかける。

「おい、樹里!? どうした!?」

返事はなく、代わりにゴソゴソという雑音が聞こえた。
構わず俺は叫ぶ。

「おい!!」

倒れたか。
そう思い通話を切って駆け出そうとした時、

「じゃあご飯作って待ってるから。じゃあね」

なんて、まるで平然とした調子の樹里ちゃんの声が聞こえたのだった。

「え。ちょ」

驚いた俺が声を漏らすと、

「何?」

なんていつもの調子の樹里ちゃんの声。
通話越しだからかいつもより更に棘があるように感じる。
俺は尋ねた。

「え、あ、いや。大丈夫?」
「何が?」

本当に、なんのことだかわからないとでも言いたげな樹里ちゃんの返事に俺は安心して、俺は大きく息を吐いた。

「いや。大丈夫ならいい」
「そう」

樹里ちゃんはその返事と同時に通話を切った。
俺は先ほどの樹里ちゃんの様子を思い返して、

「……???」

狐につままれた気分で家に向かうのだった。

・・・

「ただいま」
「おかえり」

家に帰った俺を出迎えてくれた樹里ちゃんは、やはりいつもどおりのすました顔をしていた。
強いて言えばエプロンをしていた。
先ほどの通話の時の前後不覚に陥っていそうな様子はまるでない。
やっぱりただ運動していただけなのか。
よかった。
そんな俺に樹里ちゃんは言う。

「ご飯、カレーだけどいいよね?」
「マジ? やったー!」

すると樹里ちゃんは呆れたように少しだけ笑って言った。

「まったく、子供じゃないんだから」

それから樹里ちゃんは俺の上着を受け取って、続ける・

「お風呂も出来てるから食べたらさっさと入ってね」
「はーい」

その言葉を背中で受けながら、俺は手洗いのために洗面所に向かう。

「あれ?」

そこで気付いた。

「樹里ちゃん?」
「……何?」
「いや、俺の服、洗濯してくれなかったの?」

洗濯かごには、俺の服が朝のまんま残っていた。

「……」

俺の言葉に、樹里ちゃんはなんとも気まずそうに黙る。

「あ、いや、いいんだけどさ……」

やっぱり自分の洗濯物は自分で洗濯するか。
そう思って居ると、樹里ちゃんが口を開いた。

「その、分けて洗おうとしたら忘れてただけだから」

口ごもる樹里ちゃん。

「そ、そっか」

曖昧な返事をする俺。
ちょっとだけ、気まずい空気が流れた。

・・・

樹里ちゃんお手製のカレーをおいしく頂いた俺は促されるまま風呂に入った。
そして俺が風呂から上がると、入れ替わるように樹里ちゃんは風呂に入った。
それからしばらくしてお風呂から出ると、いつもならすぐに部屋に戻るのに、リビングのソファーに座った。
寛ぎながら樹里ちゃんは呟く。

「あつ……」

それから、おもむろに自分の胸元を手で扇ぎだした。

「あついなあ」

そんな樹里ちゃんと目が合う。

「……」

少しの沈黙。
俺は言った。

「エアコンの温度下げる?」
「はあ?」
「いや暑いって言うから……」
「はあ……まったく」

樹里ちゃんはそんな悪態をつきながらソファーにもたれかかった。
その様子を見て、俺は薄々気付いていたことを樹里ちゃんに尋ねてみることにした。

「ねえ樹里ちゃん」
「今度は何」

いや、もしかしてなんだけど。
念のためね、念のため。
俺は勇気を出して、樹里ちゃんに聞いた。

「それ、もしかして俺のシャツじゃない?」

風呂上がりの樹里ちゃんが当然のような顔して着ている、大きめのTシャツ。
どこかで見たことあると思ったが、俺の奴だと思う。

樹里ちゃんは言う。

「は? 意味わかんないんだけど。きも」
「きもくないよ?」

それから呆れたように大きくため息を吐いて、言った。

「別に、着るのなかったから着てやってるだけだし」
「そっか……」



じゃあ俺のじゃねえか。



そんな樹里ちゃんに対しふと思う。

「あ、じゃあ今度パジャマ買ってあげよっか?」
「なんでそうなるの? ほんとキモいんだけど」
「きもくないよ!?」
「でも、どうしてもって言うなら、買ってくれても良いよ」
「着る服ないって言ったのは樹里ちゃんでしょ……」

なんだか、こんな何気ないやりとりがすごく懐かしく感じた。
そして思う。
俺たちはやっぱり、今日も仲良しだ。

「樹里ちゃんさあ」
「何」
「暑いからって下着つけないのはどうなの」
「死ね」

仲良し。
……仲良しだよね?

両親が旅行に出かけたら(一日目) 終わり
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