人魚姫は×合わせができない

ごったに

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人魚姫は×合わせができない(R-18)(TSF)

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 頬にめり込む拳の感覚。
 頬骨と拳骨の擦れる、熱にも似た衝撃。
 頭部を壁にぶつけ、僕はタイル床に横たえられる。
「お前キッショいんだよ、野村!」
 心底軽蔑する、という冷たい目が僕を見下ろす。
 額の右半分を露出し、左半分はふわりとした前髪が覆う髪型。
 整った相貌に凄みを出す、鋭い双眸。
 手足の長い、引き締まった体躯。だけど、やや猫背気味。
 坂島さかしまけい
 小学校からの腐れ縁、幼馴染。
 女みたいな名前が嫌だ、と泣いていた女々しいかつての親友。
 その面影は、もはやない。
 どうしてこうなった。
 あの日の友情が壊れた原因を、思い返そうとする。
 けれど、思い出すより早くに大量の水が僕の思考を押し流す。
 僕の代わりに、景の友達になったやつがホースで僕に水をぶっかけているのだ。
「放課後だからって、学校のトイレでシコんなよ!」
 剥き出しの下半身で未だいきり立つ僕のペニスを、景が踏みつけにする。
 咄嗟に間へ両手を噛ませて、それを守る。
「はははっ、チンコ隠して女みてぇだな」
 景と似たような雰囲気の男、世木よぎ雄吾ゆうごが囃す。
 同時、景が僕の股間から足をどけた。
「あ? どうしたんだ?」
 世木が戸惑うのも無理はない。
 キショいオタク|単語《ルビ》をいじめていた一団。
 そのリーダー格の景が、肩越しに振り返って世木を睨みつけているのだから。
「引き上げるぞ」
「はぁ? 自分だけ殴っておいて、それはねぇだろ」
「運動不足か? なら、俺が相手になるぞ」
「別に、そういうわけじゃなくてさぁ、その」
「みんなが使う便所スリッパに、こいつの精液つけまくるわけにもいかんだろ」
「ハハハッ。あー、言えてる」
 手を叩いて下品に笑う世木、および他の取り巻き。
「本当にキモい。もう学校来んな」
 急いで制服ズボンを引き上げる僕に、一瞥とともにそう言い捨てて、景は踵を返した。
 ホースからの水が止まる。
 ペッ。
 顔に生温く生臭いものが吐きかけられた。
 見れば、口をすぼめた世木がいた。
 唾液。
 頬を拭う僕を見下ろし、口の端を吊り上げる世木。
「バーカ」
 幼稚な暴言とともに、世木は床に転がっていた僕のスマホを拾い上げる。
「返せ」
「嫌だね。うわっ、これ何!? キッショ、ちんこ付いてるじゃん、お前ホモかよ!」
 僕がオカズにしていた、エロイラストを世木が貶しだす。
 好きなものを貶されて頭に血が上り、僕は世木を睨みつけてやった。
 しかし、世木は涼しい顔で僕から目を逸らした。
 否、視線を切った。
 その視線を追って……焦燥感に駆られた僕は慌てて立ち上がった。
 世木が見ていたのは、全開になった窓。
 少しでも精液の匂いが薄れるよう、個室に入る前に僕が開けた。
 弱い人間を前にしたときの世木は、頭の回転が速い。
 僕は必死に手を伸ばした。
 けれど、それを掴むことはできなかった。
 放物線を描いて飛ぶ、僕のスマホ。
 足から力が抜け、濡れたタイル床に僕は尻餅をついた。
 熱い涙がこみあげてくる。
 殴りかかったところで、スマホは返って来ないし、世木を屈服させることもできない。
 トイレ内に響く、世木の下卑た哄笑。
 不意に、それが止まった。
「何やってんだ、世木」
 僕の隣に世木が転がっていた。
 わけがわからないと言いたげな顔で頬を押さえ、仁王立ちする景を見上げている。
「何って、このキモオタのスマホを投げ捨てただけだろ」
「二度とそういうことをするな」
「はぁ? 何お前。キモオタの敵なの? 味方なの?」
「放課後にトイレでシコるやつも、弱いヤツの物を壊して遊ぶ女の腐ったようなのも嫌いなだけだ」
「うわ、差別発言」
 世木の顔面を景が蹴り飛ばした。
「くそがっ、何しやがる」
 立ち上がりかけた世木だったが、その前に景が世木を組み敷いた。
 馬乗りになって、景が世木に拳の雨を降らす。
 泡を食った仲間たちが、急いで景を引き剥がしにかかった。
「放せ」
 抵抗しながら、なおも景は世木を殴りつける。
 しかし、仲間全員で押さえつけられては、ひとたまりもない。
 ほどなくして、景は連中によってトイレの外へと引きずられていった。
 何をするでもなく、僕はそれをぼーっと見ていた。
 仲間の不始末の責任、とか言って景が僕に手を差し伸べてくれないだろうか。
 するだけ無駄な期待だ。
 景はもちろん、誰も戻って来なかったからだ。
 置き去りにされた世木は、腫れた顔を押さえて泣いている。
「なに見てんだよホモ野郎、クソキモオタがよっ!」
 肩を殴られた。
 痛かったが、その拳は酷く弱弱しく感じられた。
 それっきり、世木は自分の殻に閉じこもってしまった。
 憎悪の熟成に夢中なのか、景に殴られたのが信じられないのか。
 ナメられたものだ。僕が立ち上がっても、気にも留めない。
 掃除道具入れからデッキブラシを取り出し、うしろから思いっきり世木を打ち据えた。
 聞くに堪えない暴言を吐かれた。
 しかし、それは興奮して活舌がめちゃくちゃ悪かった。
 聞こえなければ、言われてないのと同じ。
「……僕は、ホモじゃない」
 男の娘のおちんちんは、僕やお前についているそれとはまったく違うんだ。
 反撃してこないのに安心して、トイレを後にした。
 いや、後にしようとした、その瞬間。
 後頭部に硬いものが、凄い勢いでぶつかってきた。
 額を突き抜ける衝撃に、僕はその場にうずくまった。
「死ね!」
 世木だった。
 たぶん、助走つきの肘打ち。
 痛む頭を押さえる手を、めちゃくちゃに踏まれた。
「ああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
 癇癪を起した世木が、感情のままに吠える。
 それまでより体重の乗った蹴りが一発、見舞われた。
 必殺技のつもりだったのか、それっきり足が降って来なくなった。
 もちろん僕は殺されなかったが、それで世木は立ち去って行った。
 痛みが治まるのを待って、僕はトイレを後にした。

  ◆

 幸いにも、スマホは盗まれていなかった。
 画面が蜘蛛の巣状にひび割れ、電源も入らないのは最悪だったけれど。
 ショップに持っていくと、代車的なスマホを借りられた。
 契約時に保険に入っていたので、すぐに代わりを送ってくれるという。
 帰宅するとずぶ濡れなことと、顔の腫れの原因を親に尋ねられた。
 トイレで転んだ、と答えた。
 嘘ではない。
 殴られて転ばされたわけだが、転んだのは事実だ。
 口の中が切れていて、食事が沁みること以外は特に問題ではなかった。
「面貸せ」
 翌日。
 登校するなり、景が腕を掴んできた。
 用件も行先も告げず、そのままずんずんと景は僕を引っ張っていった。
 話しかけてくること自体不思議だったが、明らかに景は様子がおかしかった。
 髪が伸びているのだ。
 一日で、肩口のあたりまで人間の髪が伸びるわけがない。
 女子みたいな名前、とからかわれた過去を持つ景が長髪のウィッグをかぶるわけもない。
 おかしいのは、髪型だけじゃない。
 身長が縮んで、いや体格が一回り小さくなっている。
 僕の腕を掴む指の感触、いやに張った胸、妙に細い腰。
 それに、体臭も違っている気がする。
 聞きたいことはたくさんあった。
 けれど、ずっと没交渉だった僕らだ。
 なんと声をかけていいか、まったくわからなかった。
 黙って歩き続けた僕は、景に北校舎四階のトイレに連れ込まれた。
 連れション、だろうか。
 よりによって、昨日の一件の現場に?
 特別教室が主な階だから、朝はせいぜい吹奏楽部くらいしか使わない。
 吹奏楽の男子は、少ない。
 理由はそういうことだろう。
 わかる。僕も朝にここでオナニーしたことがあるから、よくわかる。
「お前さあ。どうしてそうなんだよ」
 景の声に、違和感があった。
 無理に低くしようとしているかのように、その声は籠って聞こえるのだ。
 僕が疑問に思っているのに気付いているのか、気付いていないのか。
 腕を組んで壁に背を預け、景は僕を横目で睨む。
「そう、とは?」
 さっ、と景の頬が紅潮する。
 妙な反応に、僕は心臓が跳ねるのを感じた。
 小学校の頃みたいに、吸い寄せられるように景の顔をまじまじと見てしまう。
 だから、気が付いた。
 昨日までと、景の顔の輪郭が違っていることに。
 小顔になったというか、丸くなったというか。
 髪が伸びたせいでそう見えるのか?
「学校で、どうしてオナニーするんだよ」
「だって、自分の部屋にカギ、かからないし」
「だからって、お前」
 やっぱり変だ。
 しゃべればしゃべるほど、景の声が景の声に聞こえない。
 高すぎるのだ。
 鼻にかかったようなキンキンとしたアニメ声を、無理に低くしようとして、そうできていない。
「こんなの、仲間に話せないからな」
 制服シャツのボタンを、景は外し始めた。
 透けて見えていた、赤のTシャツの鮮やかさが目に痛い。
「……笑ったり、おかしなことをしたりしたら容赦しないからな」
 もう声を作っていない。
 いや、景の口からアニメ声がするのが地声だと感じられるのは、おかしい。
 でも、今はそれが景の自然な声なのだ。
 耳まで赤く染めて、Tシャツの裾を握りしめる景。
 指が白くなっている。
 決意が固まったようで、景はTシャツを勢いよく捲り上げた。
 ぽゆん、と揺れるものが目に飛び込んできた。
「へ?」
 意味が分からなくて、僕は間抜けな声を出してしまう。
「……野村。俺、俺さあ」
 サラシを巻いているものの、その胸はどうしようもなく膨らんでいた。
 腰が細くてくびれている分、差異は明らかだった。
 間違いない。景に乳房ができている。
「朝起きたら、女になっていたんだよ」
「あれか。TS病、ってやつか」
 捲り上げたTシャツの裾を顎で押さえながら、上目遣いの景が頷いた。
 昨日、オナニー途中の僕を殴った輩。
 幼い日に友情不滅を誓った、かつての親友。
 その豹変に、僕は生唾を飲んだ。

  ◆

 TS病。
 正式には、突発性性転換症候群、と言うらしい。
 主に思春期の男子が、何の兆候もなく女子に性転換してしまう病気。
 女子が男子になる症例や、三十代で発症した例もある。
 けれど、思春期の男子が罹患して女性化する症例が、その八割以上を占める。
 原因は不明。
 もちろん、治療法もまったく確立されていない。
 自然に治った例も、皆無。
 一度発症すれば以後一生、異性として生きていくことを強いられる。
 性転換手術を施しても、身体は元の性別であり続けることはできない。
 ホルモンの類を注射しても、一切吸収されずすべて体外へ排出されて意味をなさない。
 怪我が治癒するような感覚で、生まれたときの性と違う性の肉体になる。
 一説には、これは人類の進化とも言われている。
 人類の宿痾しゅくあ、少子高齢化社会。
 それによる淘汰を防ぐために遺伝子が編み出した、突然変異。
 オスの出生が多くてあぶれる者が出るなら、後天的にオスがメスに変異すればよい。
 あぶれたオスがメスとなれば、メスにありつけるオスが増える。
 つがいが増えれば、子が増える。
 機械的で単純な、コロンブスの卵的解決法。
 一部のエビや魚の仲間が持つ特性を、人類も獲得した。
 現在は便宜上、疾患に分類されているこれは、将来的には見方が改められるかもしれない。
 つまり、精通や初潮と同列の現象として認識される可能性。
 進化原因説を採る学者の論は、それだ。
 あくまで仮説であって、科学的・医学的に証明されたわけではない。
 しかし。
 いずれ消滅すると言われている、Y染色体。
 減り続ける、男性の精子数。
 これらとTS病の相互関係は、無視できないと主張する学者は少なくない。
 ちょうど、先週の保健体育で習った。
「服、戻したらどうだ」
「お、おう」
 いっそう顔を赤く染めながら、景がTシャツから手と顎を離す。
 正直、目のやり場に困っていた。
 胸をなでおろしていると、不意に胸倉を掴まれた。
「テメェ。なんで、服を戻せつったんだよ。俺を女扱いするのか」
 背の縮んだ景に目線を合わされるも、目の前にあるのは女の顔。
 脳がバグる。
 この男に殴られるかも、という恐怖。
 息がかかる距離に女の唇がある、という興奮。
 同時に送られる信号を、頭で処理できなくなってしまう。
「……男の胸を見てもしょうがないだろ」
「お前、男で抜いてるんじゃないのか? 昨日、世木の野郎がそんなこと言ってたろ」
「二次元の男の娘と、三次元の同級生を同じにしないでくれ」
 ホモ呼ばわりを勘弁してほしい、理由。
 ゲイではないとする、根拠。
 その本質をもって、弁明した。
 第二次性徴ただなかの、完全な性の分化を終える前の少年の中の女性性。
 中性的な少年が二歩から三歩ほど、女性に寄ったその蠱惑的なまでの魅力。
 すべすべした皮に包まれたシュリンプのような、ぷりぷりとしたペニス。
 第三の乳首と言っても過言ではない、桃色の亀頭。
 陰毛のないパイパン少年の揺れる陰嚢が、遺伝子に眠る狩猟本能を刺激する。
 原則、これらは現実の成人男性にないものだ。
 中性性の喪失ともに、それらはくすんで汚れて変質してしまう。
 極論、男の娘と成人男性は不連続な別の存在と言ってもいい。
 二次元のそれはコケティッシュさを、これでもかと盛った幻想なのだ。
 リアルな成人男性に求めるのは、どれも酷なものばかりだ。
 などと、それっぽく熱弁した。
 本当の理由を覆い隠すため、小学五年生の頃から作ってきた性的嗜好。
 嘘だけど、本当。
「必死すぎて引くわ」
 それを言っちゃあ、おしまいよ。
 すべてのオタクは、相互理解を諦めざるを得ない。
「それより。どうして僕をここに連れ込んだんだ」
「そ、それは。昨日の……おい、が残ってるかも、とか」
「昨日?」
 肝心なところが聞き取れなかった。落とし物でもしたのか?
「今朝もしてたなら、ここが臭くなってるだろ。その時は、また鉄拳制裁してやろうとだな」
 顔を伏せ、髪をかき上げる景。
 熱した鉄のように赤い耳が、髪の中から浮上する。
 流し目で僕を見る、景の瞳は潤んでいるように見えた。。
 紅潮する顔なんか、まるで朝焼けだ。
 本当に朝焼けなら、傘が必要だろうと確信するほどに赤い。
 乱れた呼吸で上下する肩と、胸。
 時が止まったようだ。
 いや、時が戻ったようだった。
 まだお互いを親友と呼んでいた頃。
 駄菓子屋の軒先で日を避けて舐めた、アイスキャンデーの冷たさと甘さ。
 ジャングルジムの上で聞いた、五時のサイレン。
 好きな女の子ができたと言ったときに「生意気」と肩を殴られたこと。
 沈む夕日、青黒い空。
 手を振り別れ、遠くなっていく顔は黒で塗り潰されて見えなくて。
「景」
 名前を呼ぶと、目が合った。
 大きく開かれた目。
 蘇るのは、夏休みに開放された小学校のプールの記憶。
 一番乗りして二人で見た、日差しを受けて煌く水面。
 勝ち誇って、歯を見せて笑う景。
 手を繋いで僕たちは飛び込んで、監視員の先生に叱られた。
 あの黄金の日差しと、プールの青。
 景の揺れる瞳は、とても綺麗で────────
「理由、言っただろ。じろじろ見てんじゃねぇ」
 好きな女の子ができたと言ったときと同じように、肩を殴られた。
 背を向けて、僕を置いていく景。
「あ」
 扉の取っ手に手をかけて、思い出したように景は呟いた。
「俺、もうここに入っちゃいけなかったんだな」
 振り返らずにこぼした、その言の葉の寂しさを。
 僕はたぶん、一生忘れないと思う。

  ◆

 表情を消した景を傍らに立たせ、担任は景がTS病に罹患したことをHRで伝えた。
「別に。休むとか、それこそ女々しいだろ」
 腫れ物に触るような担任の言葉に、景はそう返した。
 TS病を発症した患者は、大抵、大きな精神的ショックを受ける。
 大半が思春期であるため、学校を休む者が少なくない。
 しかし景は、親に学校への連絡も頼まず、無断欠席もしなかった。
 周知する教師の隣に立たされる羞恥を、甘んじて受ける。
 女みたい、と言われるのが嫌だから。
 本当に女になってしまっても、景の根っこは変わらなかった。
 けれど、景の周りはそうではなかった。
「今日から女、とか急に言われても。なぁ?」
「ってか、女として見れねぇよ」
「男としても見れねぇけどな」
 心無い言葉だ。聞くに堪えない。
 仲間の言葉に、景の横顔が小さく強張るのを僕は何度も見た。
 話していないのか、景。
 世木が僕を、男の娘を馬鹿にしたときの景の反応を見るに、そうなのだろう。
 女みたい、と言われたくない。
 なんて、景の思う男らしい男は言わないのだ。
 だから、TS病を発症した景はその美学ゆえに、傷ついている。
 けれど。
 もう親友じゃない僕には、どうしようもない。
 僕は、見て見ぬふりをした。
 昼休みも、周囲がいかに景に冷たいかを知らされた。
「もう男じゃないから、関係切ったわ」
 景が教室にいないのをいいことに、景の彼女だった女が笑っていた。
 手を叩き、その友人たちが爆笑した。
 瞬間、他人事と思えないほどに胸が詰まった。
 弁当をついばむ箸が、思わず止まるほどだった。
 本当にお前は、景の彼女だったのか?
 景の何が好きで、どうして付き合っていたんだよ。
 近くで過ごしていたくせに、一体、景の何を見ていたんだ。
 よくそんな言葉を、吐けるよな。
 なりたい自分になろうとして、景は景なりに矜持を持って生きてきた。
 と、思う。
 結果、僕との友情を捨てたとしても。
 悲しかったけど、恨んではいない。嘘だ、少し恨んでいる。
 でも。
 一番傷つく言葉で捨てられるような、景はそんな悪いやつじゃない。
 あるはずがない。
 どうして景の周りには、こんなクズばかりなんだ。
 なんて、言う資格は僕にないのだろうけど。

  ◆

 教室にいたくなかった。
 聞きたくない言葉から逃げるために、弁当を急いでかき込んだ。
 残すと親が不審がるから、無理をした。
 景は食堂だろうか。別に会いに行くわけではない。
 どの面、というやつだ。
 人のいないところに行きたくて、北校舎四階を目指した。
「ふぅ……ふぅ…………ふぅ」
 最低だ。
 こんなつもりで、北校舎四階のトイレに向かっていたわけじゃない。
 イカ臭い個室内で、天井を仰ぐ。
 下腹部に張り付いたペニスが、ドクドクと精液を噴いている。
 トイレットペーパーを貫通し、制服の下に着たTシャツに精液がかかってしまった。
 さらに悪いことには、掃除の予鈴が鳴った。
 昼休みと五限の間にある、掃除の時間。
 ここにも、担当の生徒が来る。
 本鈴まで、あと五分。
 Tシャツは諦めて、手とペニスだけ洗う?
 ダメだ。
 予鈴が鳴った以上、早く逃げないと僕がオナニーしていたことが誰かにバレる。
 トイレットペーパーで素早く精液を拭い、便器に流す。
 臭いを誤魔化すことができない以上、嘘をついてでも早退するしかない。
 スマホを仕舞い、ズボンを上げて。
 半ば転がるようにして、トイレを出て。
「なんだ、野村かよ」
 露骨にひとを見下した溜め息を吐いたのは、世木だった。
 昨日見た取り巻きも、何人かいる。
 猿轡を噛まされた景を組み敷いて、ヘラヘラと笑っていた。
 意味が分からなかった。
 昨日まで景の腰巾着だったのに、どうして。
 景が、女になったから?
 力で他人を従える者は、力が弱まればすぐに取って代わられる?
 本当に? 景はそんなタイプだったのか?
「お前も混ざるか? 同小で同中なんだろ」
 世木の言葉に、取り巻きどもが笑いを爆発させる。
 混ざる? 何に?
 冗談じゃない。お前らが僕をどう扱うかなんて、わかりきっている。
 ではなく。
「もうすぐ掃除なのに?」
「乗り気じゃん。担当のやつらに話は通してある」
 下卑た笑みを浮かべ、取り巻きと顔を見合わせる世木。
 勝手に決めつけるな。
 顔を真っ赤にして、景が僕を見上げている。
 怒っているのか、それとも息ができないのか。
 目尻に光るものは、男としてあるまじき姿を見られた恥辱からのものだろうか。
「見回りの先生、来るだろ」
「大丈夫だって、ビビんなよ」
「余所でデカいこと起こせば、足止めできる。陽動ってやつさ」
 このトイレの見回り担当の若い教師が、その前に寄る担当場所で水を被ることになっている。
 ゲスな計画を、取り巻きの一人が漏らす。
 しかし、世木はそれを咎めもしない。
「却って安全だろ? 俺って頭いい!」
 それどころか勝ち誇る有り様だ。
 密告も間に合わない、いや、仮にできるとして僕一人など簡単に止められる。
 傲り、余裕、侮り。世木の態度から、それらが読み取れた。
「ほら、混ぜてやるから。昨日、こいつに殴られてたろ? な?」
 何の「な?」だよ。
 突然、景が身を捩って暴れ出した。
 そんなつもりはないが、僕が混ざるのがそんなに嫌なのか。
 他の男になら身体を許しても、僕だけは嫌なのか。
「おとなしくしてろ」
 一瞬で景の腕をひねり上げると、世木は景の胸をまさぐった。
「女のくせによ」
 心臓が止まったように、景は抵抗を諦めた。
 代わりに、縋るような目を僕に向けてきた。
 景は、泣いていた。
 上級生とケンカして負けた、小学校四年の運動会の後みたいに。
 あぁ、ダメだ。
 腹の底から、煮えくり返った何かが噴きあがってくるのを感じる。
「雄吾。同小のこいつの前で確認しねぇか? 坂島が本当に女かどうか」
 取り巻きの一人が、最高のギャグを思いついたって顔で提案する。
 組み伏せられた景が、顔から色を失う。
 きっと、僕も似たような表情をしている。手や腋から、嫌な汗が滲み出る。
「おい野村」
 僕が手をこまねいているうちに、景は立たされた。
 涙を流し、呻き、涎を垂らしながら抵抗する景。
 それを世木以外の取り巻きが、手足を掴んで押さえ込む。
 あっという間に、景は男子トイレに引きずり込まれていった。
「来いよ。オカマ野郎に殴られたままじゃ、男の沽券に拘るだろ?」
 確かに、景は僕を殴った。
 一生友達だと思っていたのに、僕を避け、僕との友情を捨てた。
 だとしても、景を性的に辱める連中に加担するのは、間違っている。
 頷かない僕に痺れを切らしたか、世木は舌打ちしてから、こう続けた。
「言っとくぞ。俺らあいつに男と女の力関係、下半身使って教え込むつもりだから」
 猿のように笑い、跳ねて、世木も男子トイレに入って行った。
「臭ぇっ! 野村のやつまたトイレでオナニーしてたのかよ」
「はははははっ! 食いつき悪いと思ったら、抜いた後だからかよ」
「同小のよしみで同情、ってわけじゃないみたいだな! 坂島、可哀想~」
 閉じられた扉の向こうから、連中が僕を挑発するくぐもった声が聞こえる。
 あいつらに加担するのは、間違っている。誰でもわかることだ。
 じゃあ、それさえしなければいいのか?
〈待てよ。僕がそこまでする必要、ないだろ〉
 半歩、踏み出した瞬間。
 脳内に僕自身の声がした。
〈上級生にケンカ売る、向こう見ずな景が僕から離れた後。僕はどうなったよ〉
 小学五年生以後の僕の人間関係。学校での僕の立ち位置。
 なんだかんだ中学で趣味の合う友人は、できた。
 でも、世木みたいな輩に絡まれたとき、誰も助けてくれなかった。
 趣味で繋がった友人たちは、見て見ぬふりをした。
 もちろん、景も無関心を決め込んでいた。
〈だろ? 僕が助けに入ってやる義理なんか。どこにもない〉
〈これは自業自得。身から出た錆。TS病だって、天罰みたいなもんだろ〉
 天罰。
 かっこいい男になりたい、という景の理想。
 それを追求した結果として、犯したいくつかの過ち。
 TS病に罹患したことで、そのすべてのツケを払わされている。
 赤の他人に降格された僕は、景が彼女や悪友とどう過ごしてきたか知らない。
「助けて、野村! 助けて……大輝たいき!」
 猿轡を外したのか、外されたのか。
 女になった景の、悲鳴が聞こえた。
 なんてムシのいいことを言うやつだ。
 昔の呼び方をすれば、僕の心を揺さぶれるとでも思ったのか。
 正解だよ。
「無駄口を叩いてんじゃねぇ!」
 耳に飛び込んでくる、世木の怒号。イキってんじゃねぇぞ、ゴミが。
 トイレの扉を開くと、中の全員からの視線を浴びた。
 取り巻きたちに壁へと押し付けられ、泣き腫らした顔の景。
 今にも景を殴って黙らせようとしている、下半身を露出した世木。
 振り上げた拳の反対、左手にはサラシを握り込んでいる。
 関係ない。やることをやるだけだ。
 狙うはただ一人、世木。
 勢いよく飛び掛かって、僕は世木の腕を右手で掴んで止めた。
 乾きかけていた精液は手汗で溶かされ、ヌメリを取り戻している。
 つまり、僕の精液が世木の腕にべったりとこびりついた。
「いまさら正義の味方ぶってんじゃ……って、うわぁっ!」
 他人を侮るから、そういう不覚を取るんだよ。
「こいつ、手に精液つけてやがる!」
 怯えろ、ドン引きしろ。それを仲間に周知しろ。
 動揺した取り巻きたちは一斉に逃げ腰になって、僕に手を出せなくなった。
 お蔭で隙が出来た。
 素早く世木の腕をひねり、僕は頭突きを見舞った。
 目に星が散るが、どうでもいい。
 悪態すらつけずに、世木がタイル床に沈んだから。
 こいつ、他人を殴るのには慣れているようだが、さては打たれ弱いな。
 再起に時間のかかるこいつは、ひとまず捨て置こう。
「どうした、文句のあるやつは僕と手合わせしろ!」
 精液のついた右手を振り回し、取り巻きたちをけん制する。
「うわうわうわっ! やめろって!」
「きったねぇことすんじゃねぇ」
「覚えてろよ、卑怯者!」
 口々に悲鳴を上げ、捨て台詞を吐いて取り巻きたちは逃げていった。
 主体性がないというか、甘い汁を吸うことにしか興味がないというか。
 所詮は徒党を組む半端者なんか、こんなものか。
「大輝。こいつの腕、押さえろ」
 手の甲で涙を拭い、景が羽交い締めのジェスチャーをした。
 間髪入れずに、景は世木の額を踵で蹴って転がす。
 半勃起になった、世木の見たくもないペニスが目に入る。
 たった一人取り残された世木は、そこで状況を理解したようだ。
 振り上げられた景の足を見て、急いで股間を両手で隠そうとした。
 すかさず僕は、世木の脇に手を滑り込ませてそれを阻止する。
「股間を隠すと、女みたいなんだってな?」
 嫌味たっぷりに、世木の耳元で言ってやった。
「放せ、ホモ野郎!」
「あっ。全裸で股間を隠した自分を鏡に映して、オナニーしたりしてた?」
「うっ、うるっせぇ! 誰が、そんなことっ! お前じゃあるまいしっ!」
 視界の端では、半勃起だった世木のペニスがフル勃起に移行していた。
 身体は正直だなぁ。
 ついでに世木の頬に、右手の精液をこすりつけてやった。
「おいおい、僕の精液の臭いで勃起するなよ」
「おい、やめろ! ふざけんな! 殺すぞ!」
 しっかり僕が世木の注意を引き付けていると。
「やってみろよ」
 世木の前にしゃがんだ景が、勢いよくそのズボンとパンツを奪い去った。
「何しやがんだ、オカマ野郎!」
 安い罵倒を浴びせられても、景は涼しい顔だ。
「何って。ノーパンしゃぶしゃぶだよ」
 獰悪に笑んで、景は世木のパンツを洋式便器の中に漬けた。
 僕がオナニーに使い、精液のついたトイレットペーパーを流した便器だ。
「あーっ、ふざけんなよテメェ!」
「しゃぶしゃぶ、ってな」
 景。
 それはノーパンしゃぶしゃぶじゃないと思うぞ。
 水を吸ってびしょびしょになった世木のパンツを、世木のズボンでくるむと。
「ばっちぃから捨てちゃおうっと」
 聞くに堪えない罵詈雑言を吐きまくって、景を止めようとする世木。
 もちろん、そんなことで景は止まらなかった。
 無慈悲にも景は、窓から世木のズボンとパンツを捨てた。
「人にものを頼む態度を知らないから、こうなるんだよっ!」
 危険を察知したようで、世木は膝を閉じようとした。
 すかさず、僕は世木の踝と踝の間に足先を滑り込ませる。
 力任せに脚を開かせ、景に世木の無防備な股間を差し出す。
「野村、テメェ!」
「さぁ蹴れ、景! 世木を去勢してやれ!」
「……いや、そこまでしなくていいから」
 えぇ……。
 とか言いつつ、景はスマホで世木の痴態を写真に収めるのだった。
 しかも、その画面や世木から顔を遠ざけようとする。
 遠ざけようとするのだが、同時に食い入るように見ようともする。
 器用なことをするものだが、意味不明だ。
 何がしたいんだ、景。
「今度ナメたことしやがったら、写真。ネットに流すからな」
「そんなことしたら、野村の顔も一緒に拡散されるだろ」
「大輝の顔は消して流すから、問題ない」
「畜生―っ!」
 自棄になったようで、世木が暴れ出す。
 これ以上拘束する意味もないだろう。
 二対一でやりあう根性もないだろうし、僕は拘束を解いた。
「覚えてろよ、お前らぁーっ!」
 情けなく上擦った声で、股間を隠しながら逃げていく世木。
「いや、忘れてるのはお前だろ」
 タイル床を蹴り、僕は勢いよく助走をつけ────────
「去り際の僕に一発見舞ったことを」
 世木の背中に、ドロップキックをぶち込んでやった。
 受け身も取れず、トイレ前に顔面スライディングをキメる世木。
 よほど痛かったのか、よほど屈辱だったのか。
 尻丸出しの世木は、そのまま泣き始めるのだった。
「虚しい勝利だ」
 つぶやいて、そういえばまだ手の精液を洗い流してないことを思い出す。
 せっかくだし、洗っていこうと思ったのだが。
「あんなやつにこすり付けるなよ……その」
 蛇口に先に景が手をかけて、それを止めた。
 しかも奇妙なことを口走りながら、頬を紅潮させている。
「もったいないじゃん」
 精液のついた僕の右手の、指と指の間。
 そこに景は左手の指を滑り込ませて、握り込んできた。
 熱く絡み合う指と指。精液の残滓が粘り気を帯びて、卑猥な音をさせる。
「は? 何やってんの、景」
「何って……恋人繋ぎ?」
 しどろもどろになって目を泳がせながら、景はそれに自覚的だと宣言した。
 一瞬、頭が真っ白になる。
 直後に景の、世木のペニスへの反応の理由を理解する。
「来てほしいところがあるんだけど、いいか?」
 僕の胸によりかかり、上目遣いで景が僕を見てくる。
 勇気を振り絞ったんですとばかりに、声は震えている。
 密着されたことで僕に共有される、景の昂りまくった不安と体温。
「大輝に伝えたいこと。あるんだ」
 喚起されるは、積年の想い。
 ずっと待ち続けては、諦めようとしてきた景からの言葉。
 けれど、潰れる景の胸は柔らかく、自分の気持ちがわからなくなる。
「聞いてくれるか?」
 恋人繋ぎした手の臭いを嗅いで、景はうっとりして見せた。
 恥ずかしさと嬉しさで、再び僕のペニスが硬く屹立するのがわかった。
 自分がわからなくなる?
 なんて些細な気の迷いか。
 ズボンの前を押し上げるこれが、何より雄弁に僕の気持ちを代弁している。
「行こう。掃除当番が来る」
 淫靡に笑んだ景は、恋人繋ぎのまま僕を引っ張って歩き出した。
 完全に、景はムラムラしている。欲情している。
 間違いない。あの都市伝説は真実だ。
 これから起きることに、僕も期待が止まらなかった。

  ◆

 TS病には、ある都市伝説が囁かれていた。
 この病は実在し、罹患して人生が変わってしまった人がたくさんいる。
 けれど、風邪のようにありふれた病でもない。
 ゆえに、怪しい話がついてまわる。
 すなわち、罹患して女性に性転換した患者は、異常に発情しやすい。
 馬鹿馬鹿しい噂だが、理には適っている。
 急激に肉体が、性機能が、ホルモンバランスが変わる。
 そのせいで、性欲のスイッチが過剰に入りやすくなってしまう。
 ゆえにペニスや精液といった、直接に性交に関係するものに過敏になる。
 消滅の危機に瀕したY染色体、減り続ける男性の精子数。
 確かに、絶滅対策としてのTS病ならば、性欲が強くなければ意味がない。
 男だったことを忘れて尻を振れる、強烈な性衝動が必要だ。

  ◆

 わざわざ掃除の時間を設けるのだ。
 学内を隅々まで掃除するよう、生徒を振り分ける。
 そう思われているが、実は抜かりがある。
 グラウンド隅の部室棟周辺、プールの更衣室周辺。
 そして、景が今足を止めた工作室裏だ。
 北校舎のさらに北に位置する、特別教室棟の一角に工作室はある。
 技術科で、はんだ付けなどを行ったりする教室だ。
 しかし、校舎の改築改修の行われる以前、ここは美術室だった。
 教室内に洗い場がなく、教室裏にそれが設置されている。
 今も水道が生きているのが、運動部の走り込み中の熱中症対策に役立っているのだとか。
 ゆえに。
 少子化で掃除当番が足りない分、運動部が練習前後に持ち回りで掃除している。
 僕は運動部ではないが、風の噂で小耳に挟んだ。
 外周通路を挟んで北側には裏山がそびえ、東側には鬱蒼と茂る竹藪。
 人目につきにくいから、水も飲まないのにサボりで座り込む者も少なくないとか。
 だから、他にも様々な噂が囁かれている。
 たとえば、不真面目な男女がここでこっそり行為に及んでいる、とか。
「脱げよ」
「学校だぞ、ここ」
「でも、工作室裏だろ。ここまで来て、ビビるのか?」
 背を向けたままの景の言葉に、心臓が高鳴る。
 躊躇いがあるのも嘘ではない。
 だが、心もペニスももう期待でパンパンだ。
 いいのか、景。本当に?
 ここで僕たちは「不真面目な男女」になってしまっていいのか。
「精液、洗い流さないと。教室に、戻れないだろ?
 大輝のセンシティブな匂い、俺以外のやつに嗅がせたくないし……って何言ってるんだよ、俺」
 肩で息をしながら、苦しそうに景は指摘した。
 しかし、戻れないだろ、から先は本鈴と重なって聞き取れなかった。
 続いて、音割れしたクラシック音楽が流れ出す。
 演奏会でもないのに、僕と景は黙してそれに耳を傾けるばかり。
「ああっ、じれったいんだよっ!」
 意を決したように振り向いた景は、首から上が真っ赤だった。
 右手が振りほどかれ、糊付けされた紙を剥がすような音がした。
「中腰になって。見つかったら、まずいから」
 校舎の壁と手洗い場の間だ。
 他のサボリが来ない限り、誰かに見つかることはまずないはずだ。
「う、うん」
 それでも従った直後、景も僕と向き合ったまましゃがんだ。
 ちょうど、僕の股間の辺りに景の顔が来るように。
「そのままの体勢な」
 伸びてきた景の手が、手早く僕のベルトを外した。
「ちょっ、ちょっと。ホントにやるのか、景!」
「しーっ。覚悟決めろ。……男だろ、大輝」
 一気にずり下ろされる、制服ズボンとパンツ。
 硬く、大きくなった僕のペニスが露出し、亀頭が景の鼻先を掠めた。
 目を丸くした景だったが、一瞬、口元が弛緩したのを僕は見逃さなかった。
「ふぅん。俺の方が大きかったな。大輝のフル勃起なんて、こんなもんか」
 馬鹿にした物言いの割に、景の物欲しそうな目は僕のペニスに釘付けだ。
 熱く湿った景の吐息が、絶え間なく僕の亀頭を苛む。
 夢中になった景に臭いを嗅がれる照れくささから、ペニスの硬度がさらに増す。
「すんすん……すーっ、はーっ……くっさぁ。本当に臭いな、お前のチンポ」
「精液、洗い流すからさ。退いてくれよ」
「んん? 洗って欲しいんだろ、俺に」
 直後、卑猥な水音。
 タラコを指で押すみたいな、感触。
 敏感になった亀頭で体験するそれは、腰が砕けるかと思った。
 景が、僕のペニスに吸い付いていた。
「け、景!」
「声が大きい。静かにしろよ」
 ぷるんとした唇を離し、その前に人差し指を立てる景。
 注意するも口調は拗ねるようなそれで、顔に浮かぶ笑みも淫靡なものだった。
 掃除をサボって、元男の元親友とこんなことをしている。
 背徳感が、僕の官能に火を点ける。
 班員が、クラス委員が、教師が探しに来たらどうしよう。
 もし露見したら、という想像が興奮を掻き立てる。
「初めてだから、へたくそでも笑わないでくれよ」
 頼りなげな声で告げ、上目遣いに僕の目を見ながら舌を出した。
「……んちゅっ♡……んぱっ♡……んぞぞっ♡……ちゅぱっ♡……どう? 気持ちいい?」
 多幸感が脳を突き抜ける。
 理性が飛びかけている僕は、首肯を返すのが精一杯だった。
 それに小さく短く景が笑ったのを見ただけで、イキかけた。
 ペニスを這う舌は、太い蛭のよう。
 糸を引く唾液が、午後の日差しを受けてぬらぬらと光る。
 粘着質な音を立てる、くすぐったいキスを合図に景が口を離す。
「……んふっ♡……はぁ、はぁ♡……ふぅ♡……んちゅっ♡……はぁんっ♡」
 一瞬の切なさの後、吹きかけられる熱い吐息に脳が痺れる。
 また舌が裏筋に押し付けられ、僕の性感帯を探して舐めまわる。
 なのに、亀頭には鼻しかくっつけてこない、意図的な焦らし。
 しかも、臭いだけはしっかり音を立てて嗅いでいく、挑発ぶり。
「くっ、うぅ……景。意地悪しないでよ」
 仮にも精液を拭うという建前なら、裏筋なんか舐める意味はない。
 汚れているのは亀頭周辺と、下腹部だ。
「いや、その……いざ、口に入れると思うと」
「思うと、何」
 ここまでしておいて、やっぱり嫌、なんて言わないよな?
「大輝のおちんちん……おっきいかもなぁ♡なんて」
「咥えてくれたら、もっと実感できるよ」
「~~~~~~~~~~っ♡♡♡」
 もう限界だった
 自慰のときより膨張して見える亀頭を、景の濡れた唇の間へねじ込んだ。
 噎せて、小さく咳き込む景。
 じっとりと湿った景の口内への、挿入。
 一線を越えた実感は、あまりない。
 けれど、亀頭が景ですっぽり包まれた悦びなら、感じていた。
 狭い景の口内で押し付けられた舌が、甘くカリを擦る心地よさ。
 たまらず僕は、景の頭を掴んでいた。
 指通りのいいサラサラの髪。
 薄っすらかいた汗で、手を湿す。
 シャンプーの清潔な香りと、女子を感じさせる桃にも似た皮脂の匂い。
 二つの混ざったそれが鼻腔をくすぐり、また意識が飛びかける。
「景。動くから」
 頷く景。満たされた顔をする、その頬を涙が伝う。
「唇で歯を包んでおいてね、痛いから」
 苦笑を浮かべる景。だがそれで景の緊張が、いくらかほぐれたように思う。
 景が僕の指示通り、唇で歯を包んだのを合図と見て。
「じゃあ、行くよ」
 僕はゆっくりと腰を動かし始めた。
 中とろのように柔らかな景の舌に亀頭をこすり付け、喉奥を突いた。
 獣欲の昂りに伴って、どんどん腰は速くなっていった。
「んぼっ♡♡ んずぅっ♡♡ ずちゅうぅ♡♡ ずずずちゅっ♡♡」
 強く、かっこいい男になりたかった景。
 信念は今も、景の胸の奥に残っているのかもしれない。
 でも。
 どうしようもなく、景の心と身体はメスになってしまった。
 だから僕のために、自慰と何も変わらない僕の稚拙なイラマチオを受け入れてくれている。「んおおおおっ♡♡ おおおんんっ♡♡ んんっ♡♡ おおおおおっ♡♡ おおおおおっ♡♡」
 僕の両脚に掴まって、景も獣の唸りを上げてくれる。
 綺麗な顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしながら、景が僕の劣情を受け止めてくれている。
 あぁ、景! 景! すごく可愛いよ、景!
 こみ上げてくる射精感は、もう止められそうもない。
射精すっ! 景の口の中に射精すよっ、景!」
 のたうつペニスが、景の口の中でより激しく暴れまわる。
 長く伸びた髪を揺らして、景が小刻みに首肯する。
「好きだっ、景! 君が男だった頃からずっと、君を……うっ……!」
 長い恋わずらいの膿を出そう。
 その病原たる景。君にそれを押し付けよう。
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ♡♡♡♡♡♡♡」
 ビクビクビクッ!
 腰の痙攣とともに射精し、僕は景の口いっぱいに精液を注ぎ込んだ。
 嬉しいよ、景。
 僕のところに帰ってきてくれて。
 ありがとう。僕の親友。
 いや、違う。
 もう僕たちは、それ以上深まるはずのなかった関係へと至った。

  ◆

 小学校四年の夏休み。
 一生、友達でいよう。一緒にいよう。
 アイスキャンデーを舐めながら拳を突き合わせた、あの景が。
 溶けだしたアイスキャンデーにそうするように、僕のペニスを舐めてくれた。
 あまつさえ、口で射精まで受け止めてくれた。
 まったく、夢みたいだ。
 あの頃の景は、女みたいな名前なのが嫌だ、とよく眉間に皴を寄せた。
「もう名前でからかわれたくない。だから、俺はかっこいい男になる」
 拳を固めて、具体性のない決意を語った景。
 上級生とケンカして、負かされたとき。
 俺は弱い、男なのになんで、と泣いた景。
 側にいることしかできなかった、僕。
 泣き止むなり、二人でかっこいい男になろうぜ、と涙を拭いて笑った景。
 どんな男になるか、なんてどうでもよかった。
 僕は、そんな景の女の子みたいに綺麗な横顔が好きだった。
 泣いている景の、弱弱しく泣き腫らした顔が好きだった。
 当時はよくわからなかったけど、僕はその頃からもう景に劣情を抱いていた。
 僕の景への好きは、友情でなく情欲だった。
 なんせ景と裸で抱き合う夢を見ている最中に射精したのが、僕の精通だしな。
 何度も、景のことを想って射精した。
 けれど、自分でもそれはおかしいってわかっていた。
 性に目覚めたクラスの男子は、みんな女の裸で致した話しかしなかった。
 試しに僕も、それで致してみた。
 普通に射精できた。
 わけがわからなかった。
 ずっと一緒にいて、想いを重ねてきた。
 側にいながら気持ちの処理方法がわからず、ただ焦がれるだけだった横顔。
 それが見ず知らずの女と等価だなんて。
 これが性欲、これが劣情。
 醜すぎる自分のそれに、嘔吐できればどれだけよかったか。
 枕に顔を埋めて泣くのが、精一杯だった。
 泣いているそのときだって、僕の右手はペニスをしごいていた。
 女の裸を見て射精できる僕を許して、景。
 君を想って射精して見せる、それを愛の証と認めてくれ、景。
 ひとりで気色の悪い懇願をしながら、僕は精液でシーツを汚した。
 けれど、景をオカズに射精する度、僕の心に澱が積み重なっていくのを感じた。
 この行為は、景を女と等価とすることだったからだ。
 かっこいい男になりたい、と夢を語る景。
 親友でありながら僕は、陰で景の理想を劣情で汚している。
 自責の念に駆られ、僕は懊悩した。
 景とエッチなことをしたいのは、嘘偽らざる僕の友情の形だったからだ。
 結論として、景の夢を守るために僕は逆転の発想に至った。
 景が女と等価ならば、女も景と等価だ。
 友情から劣情だけを切り離し、どうでもいい女にそれをぶつける。
 クラスで胸の発育が一番早い女子を、景の身代わりに選んだ。
 もちろんベッドの中でだけだ。
 脳裏に浮かぶ景の顔を振り払い、必死にその女子を想ってペニスをしごいた。
 射精できた。
 当たり前のように、僕はその女子を妄想の中で犯すことができた。
「好きな子ができたんだ」
 五年生のゴールデンウイーク明け。
 昼休み、校庭のアスレチックの上。
 当時ハマっていたゲームの攻略だか感想だかを、僕と景は話していた。
 話が途切れたときに、僕はその嘘の告白をした。
 もう君を女と等価において、僕の劣情で汚さないからね。
 情欲抜きの友情を持って、景に誠実でありたかった。
 そういうつもりで零した、嘘。
 けれど景は軽蔑の目を、信じられないものを見る目を僕に向けた。
 しかし、それも一瞬のこと。
「生意気」
 と、僕の肩を殴ったのだ。
 恋愛を大人っぽい、と思っていたのだろうか。
 だから、僕が景より先にそれへ進んだことにショックを受けたのだろうか。
 殴られたのに僕が謝ると、景は「いちいち謝るな」と笑った。
 ちょうどその頃だったと思う。
 僕と景がゲイカップルだ、などと同学年の女子が囃しだしたのは。
 景は性的な話や、好きな女子の話をしたがらなかった。
 今思えば恋愛話に乗って来ない景は、クラスの男子の不興を買っていたのだ。
 思春期を迎え、恋愛という大きな力に振り回される。
 やかましくて、高慢で、考えがまるで理解できない。
 同じ人間と呼ぶにはあまりに異質な、女子という生き物。
 それを求めてしまう気持ち、好かれたいという願望、秘所に触れたいという渇望。
 抱く意味が分からない感情だろうし、それはとても怖いものかもしれない。
 ゆえに。
 戸惑いながら茶化しながら、同じ困難に直面する仲間を探し、救われたくてもがく彼らからすれば。
 無理矢理に話題をゲームや動画に軌道修正する景は、ウザかったのだ。
 それで女子と共謀して、さらには僕を叩き棒にして景を貶めようとした。
 自分の恋愛の悩みを零したのに、苦悩を共有せず、無関心な景は脅威だったろう。
 弱みを聞くだけ聞いて、景はそれをおくびにも漏らさないのだから。
 ひとりで抱えきれない悩みを、勝手に漏らしたのはそっちなのに。
 僕は景を信じていた。
 かっこいい男ならば、その程度で親友と一緒にいることを嫌にならないと。
 お望みならば、と本当に僕と付き合いさえするかも。
 なんて、淡い期待すら抱いたほどだ。
 でも、そうはならなかった。
「俺がなりたい男に、お前もなれ」
 ある日突然、景は僕にそんなことを言ってきた。
 親友なら理想を共有しろ。
 具体的には、好きな女子がいるなら男らしく告白しろ。
 そう一方的に、迫ってきた。
 無理だった。
 所詮その女子はリビドーというゴミを捨てるための、受け皿でしかない。
 気持ちは完全に景から動いていない。
「できない」
「なんだと。お前がそんな、女々しいやつだなんて思わなかった」
「そんなっ。どうしてそんな酷いことを言うんだ、景!」
「その名で呼ぶなっ、オカマ野郎!」
 僕たちは殴り合いのケンカをした。
 初めてではなかった。
 だから、すぐに仲直りできると思っていた。
 でも、ダメだった。
 それから景は僕と距離を取り、無視をするようになり、やがて離れていった。
 寂しくて、僕は景を女と等価に置くような自慰を再開した。
 けれど、やがて想像の中で景を犯すのが難しくなった。
 もう、いつも一緒ではなくなったからだ。
 一番近くで見ていた横顔は掠れ、景がわからなくなった。
 キスをするとき、兜合わせするとき、シックスナインするとき、挿入するとき。
 景ならどうヨガり、どう鳴き、どう愛してくれるのか。
 想像もつかなくなっていった。
 だから、ベッドの上での景を投影するためのオカズとして、僕は男の娘にのめり込んでいった。
 強くかっこいい男になりたがっていた、景。
 女みたい、と言われるのが嫌で女みたいに泣いていた、景。
 それを女枠に当て込み、時に男の娘本来の趣旨と違う女装をさせ、女の性役割を負わせる。
 愛が憎しみに転化した以上、劣情の発散にすらそういう媒介が必要だった。
 いつからか本末転倒し、もはやオカズの男の娘に景と呼びかけて抜いていた。
 それが、今や本物の景が僕を気持ちよくしてくれている。
 景がTS病に罹患してくれて、本当によかった。

  ◆

 腰が砕けるに任せて僕がペニスを引き抜くと、景の口から間抜けた音がした。
 直後。身を折って、激しく咳き込む景。
 口を覆う手。指の隙間から、僕の精液が漏れ出て景の膝にしたたった。
 嘔吐きながら、呼吸を整える景。
 その背をさすってやっていると、突然。
「……こうすれば、AVっぽいかな?」
 にへら、と笑って、景はくっつけた両手に溜まった精液を僕に見せてきた。
「正解するなよ。また勃起しちゃうだろ」
 はにかむ景の顔を覗き込み、その小さくなった鼻から漏れる精液を舐め取った。
「そ、そんなの舐めたら汚いよ」
「……それはエロゲー。景、けっこうスケベだったんだな」
 生臭く、少ししょっぱくて少し苦い。風邪のときの鼻水のような、ねばっこい感触。
 精液の舌触りと味は、お世辞にも良いとは言えなかった。
 つい景がいとおしくて、勢いでやったことを後悔する。
「大輝のほうが変態だって。俺の鼻から出た、自分の精液舐めるとか」
「認めざるを得ない」
「しかも、まだ勃起してるし」
 景が指摘する通りで、まだ勃起は収まりそうにない。
「自分の変態行為で興奮するなよ」
「べ、別にそういうわけじゃ」
 ドキッとすることを言われ、僕は咄嗟にうまく弁明できなかった。
 そんな僕を笑ってあしらい、景は精液を吐いた手を洗い始める。
 掃除の時間は、ほんの十五分。
 いつまでもここにはいられない。
 でも。
「もう一回、抜いてほしいかも」
「え~? 五限もサボる気か?」
「早退するつもりだった。汚れて、臭うし。教室いられないかなって」
「確かに。こんなにエロい匂いさせた幼馴染がいたら、授業どころじゃないわ」
 背を向けて手を洗い続ける、景。
 我儘で景を困らせるのも忍びない。
 諦めて、ペニスを洗おうとしたときだった。
「おちんちん、そっちじゃ洗いにくいだろ」
 隣にいたはずの景が、耳元で淫靡に囁いた。
 汗と混じった、シャンプーの匂い。
 背中で、景の胸が潰れて押し付けられる。
 肩を押されるままに、手洗い場の反対側へ回る。
 こちらにも蛇口が並んでいるが排水溝が足元にあって、足洗い場になっている。
「うーん。大輝の足がもっと長ければ、いやもっと巨根だったらなぁ」
 僕の肩から身を乗り出して、景は蛇口と僕のペニスを見比べる。
「失礼なことを言うな」
「いやいや、蛇口と兜合わせしたくない? 短小だけど、超カッチカチだよ?」
「したくねぇよ」
「そっか」
 景は水を出すと、僕のことを背後から抱いた。
 イラマチオは童貞捨てたことになるのか、よくわからない。
 でも、景に密着されただけで緊張するから、実際ノーカウントかもしれない。
 うしろから手を伸ばして景は、勃起しっぱなしの僕のペニスを握る。
 ほどよい冷たさの指が、下腹部に張り付いた僕のペニスを流水の中へと導いた。
 景の指よりも冷たいそれに亀頭を打たれ、玉袋が縮みあがる。
「俺は、したかったよ。大輝と、兜合わせ」
「はっ、はあっ!?」
「しーっ! だから、声大きいよ」
「ごめん。でも、まさか景がそんなこと言うなんて、思わなかったからさ」
「ずっと一緒にいたのに、気付いてくれなかったんだな。酷いよ」
 水に打たせた僕のペニスを、景が手で包んで洗う。
 洗うと言うか、しごく。
 ダメだ、すごくドキドキする。
 びっくりするような告白と、現在進行形で行われる手コキ。
 どっちにドキドキしてる? 両方か。
「えっ、いや、その、それは……学術的興味とか、そういう?」
「なんでだよ! 茶化すなって。お前、本当にわからないのか」
「ごめん。僕、相手を気遣うとかわかるほど、大人じゃないから」
 陰キャ、キモオタ、呼び名は何でもいい。
 クラスで疎外される立場に追い込まれたが、最後。
 人間性を醸成する機会は奪われる。悪循環で社会不適合者へと、真っ逆さまだ。
「……俺、大輝と絶交するまでさ。お前にだけは、俺のこと景って呼ばせてたろ」
「あぁ……そうだよな。女みたいで嫌だつってたのに、そう呼んでたわ」
 本当にどうしようもない。
 いつもそうだ。
 景が女になった後の接し方を見て、僕は元カノや取り巻きを(レイプ未遂は論外として)クズ呼ばわりした。
 でも、親友だった頃から僕は、景をずっと呼び方で傷つけていたのだ。
 何という自分本位、何という棚上げ。
 悔恨に駆られながらも、景の手コキを受けるペニスは硬度を失わない。
 まさに僕のムスコ、という感じで笑えない。
 しかし、背後の景は頭を振った。
 髪の毛の揺れる気配とか、そういうのでそうだとわかった。
「女みたいな名前が嫌だったのは、本当。男として生まれたんだから。でも」
「でも……?」
「お前にだけは。大輝にだけは、そう呼ばれても嫌じゃなかった」
 胸を衝く告白だった。
 女みたいな名前が嫌で、名前に勝てるかっこいい男になりたかった景。
 その景が僕には、女みたいな名前で呼ばれても嫌じゃなかった。
 さらに、景は僕と兜合わせしてみたかった、とも零した。
 つまり────────
「俺も。男の頃から、小学校四年から……大輝のことが好きだった」
「~~~~~~~~~~~~~~~~~っ♡♡♡♡♡♡」
 落雷級に衝撃的な言葉を聞かされ、急激にこみ上げる射精感。
「むしろ、大輝の女になりたかった。そしたら、本当にずっと一緒にいられるかも、って」
 止まるどころか、速くなる景の手コキ。そのストローク。
「だから、TS病になったの。本当は凄く、嬉しかった」
 天罰なんかじゃなかった。
 むしろ、景にとってそれは天恵。祝福だった。
「急に女子制服なんか用意できないけど、学校休むとかあり得なくて。でも、昨日まで着てたこの男子制服なのに、袖を通すと凄く変な感じしてさ。あんまり、はしゃげなかった」
「今は、はしゃげてるみたいだな」
 背後で景が頷く気配がした。
 ひょっとしたら、景は朝のトイレでもうこれをするつもりだったのだろうか。
 ……さすがにないか。
「だから、イって。もう一回、女になった俺の手の中でイって、大輝」
 景の懇願で、僕は今の状況認識を改めた。
 TS病患者は異常に異性の性器などに過敏になるという、都市伝説。
 僕は自分の劣情の発散に、それが好都合にはたらいてくれているだけだと思っていた。
 違ったのだ。
 秘める想いの抱え方や収め方が違っただけで、景も僕と同じだった。
 なんて不器用なのだろう。
 僕たちは、最初から両想いだった。
 情愛からではなく、愛情ゆえに景は僕のペニスを咥えてくれたのだ。
「あっ、射精る。景の手まんこに精液、射精るよ!」
「はあっ♡♡♡ あっつい♡♡♡ 大輝の熱い精液♡♡♡ 気持ちよくなってくれたんだ、嬉しい♡♡♡」
 ドクドクと脈打って精を吐き、景の手の中で跳ねるペニス。
 吐き出された側から、洗い流されていく精液。
 けれど、なおも勃起は収まらず、また景もペニスから手を離さない。
「大輝から好きな女子ができたって聞いたときさ、裏切られたと思った」
 切なそうに涙声を絞り出す、景。
 たまらず僕は、肩越しに振り向いた。
「あれは嘘だったんだ。僕、ずっと景でオナニーしてた。精通だって、景での夢精だ」
 必死にまくし立てると、浮気の言い訳みたいで滑稽だった。
 間違ってはいないが、浮気が真実とも言い難いもの。
 そんな弁明に目を丸くする景。
 瞬間、涙が零れ落ちる。貴石のごとき雫を、僕は素直に綺麗だと思った。
「なにそれ。精通、俺と一緒じゃん」
 破顔一笑、けれど感情が抑えられないのだろう。
 またすぐに景は泣き顔になる。
 僕のペニスをしごく景の手に、力が、熱が籠っていく。
 景の精通が僕のそれと一緒。つまり、景も夢で僕とまぐわっていた。
 衝撃の事実も休み休み言って欲しい。興奮で死んでしまう。
「大輝に告白させて、結果次第で身を引くか、俺の気持ちを打ち明けるか。
 それで決めるつもりだったのに、嘘かよ! あの後のケンカも、絶交も馬鹿みたいじゃん」
「全部、景が男らしくなりたいって言うの、尊重したかったからなんだ。ごめん」
「謝んのは俺の方だよ。俺も大輝への気持ちを吹っ切るために、柄の悪い連中とつるんでさ。
 訣別をアピールするために、大輝のことずっと見捨てるようなことして。
 俺のつるんだ連中、腕っぷしの強さ=男のランクみたいな単純かつ硬派なのを期待したのによ。弱い者いじめと、女をモノにするようなことばっか。確かに、腕っぷしの強さは一定の価値があったけど、やっぱり女いないとダメみたいなのがあって、その」
 長広舌を経て、しぼんでいく景の語気。
 同調して、ペニスをしごく手も弱まっていく。
 まずい、景が自責の念に駆られてしまっている。
 感傷に浸るのはいい。でも、嬉し泣き以外の景の涙は僕が見たくない。
「でも! あぁ、僕の話の続きね」
 足洗い場に目を落としていた景が、上目遣いに僕を見る。
 任せてくれ。
 空気を読まずに他人の話をぶった切って、自分語りをするのは得意なんだ。
 中学の時の、趣味の友人に何度か詰められたから保証する。
「僕、景の理想を尊重したかったのに、景でのオナニーをなかなかやめられなくて」
「……やめなくてよかったのに」
 照れるように笑う、景。
 よかった。
 ペニスをしごく手からも、景が気持ちを持ち直したのが伝わってくる。
「結果論だろ」
「そうだな。それで?」
「景でオナニーするの、景を僕の中で女にするみたいでさ。申し訳なかったんだ」
「変なとこで律儀だよな、大輝」
「だから、僕の中ですら景を女にしないために、クラスの女子でオナニーしたんだ」
「ホント、馬鹿。俺はずっと、大輝に犯される妄想でオナニーしてたのに♡」
 ビクビクンッ、とペニスが暴れる。
 僕のペニスのすべてを掌握している景が、嬉しそうに笑う。
 興奮がモロに景に伝わることが、少し恥ずかしかった。
「そういえばさっき、兜合わせしたかったって言ってたよね」
「うん。だからちょっと、自分のこと……いや、恥ずかしいから今のナシ!」
「なんだよ、言えよ」
「やだよ。ほら、もうすぐ時間終わるぞ。さっさと二発目射精しろ♡」
「言わないと射精しない」
「そんなのできないくせに」
「根性で止める。帰ってから一人で抜く」
「大輝の意地っ張り」
「男の子だからな」
「はぁ、もう……俺が女になったからもう、俺たち普通のセックスできるわけじゃん」
「よくもそんな恥ずかしいこと言えるな。え? もっと恥ずかしいことがあるの?」
 煽ったが、景は乗ってこなかった。
 インナーの赤Tシャツと見分けがつかないくらいに赤面し、静かに続ける。
「でも、ちんちんなくなったから兜合わせはできない。これが、なんかさ」
「うん」
 どんな羞恥発言が、景の口から飛び出すのか。僕まで緊張してきた。
「王子様と恋愛できる人間になったけど、歌声を奪われた人魚姫みたいだなぁ、なんて」
「うわぁ……思い上がりもほどほどにしろよ」
「もうっ! だから嫌だった……んんっ♡♡♡」
 へそを曲げてそっぽを向こうとする、僕の人魚姫。
 泡になって消えるなんて、僕は絶対に許してやらない。
 一瞬の隙を逃さず、景の唇を僕のそれで塞いでやった。
 間髪入れずに、掃除終了のチャイムが鳴った。
 同時、僕は景の手の中へ二発目の射精をした。
 奇跡、と呼ぶには汚い偶然だった。
「僕は王子様、なんて柄じゃないけどね」
 チャイムと、景自身の興奮により漏らされる嗚咽のせいで。
 きっと、この僕の自嘲は景には聞こえていないだろう。

  ◆

 結局。
「早退が二人になっちゃったな」
 腕を組んでベタベタしてくる景からは、僕の臭いがする。
 最初のイラマチオの後、景のズボンにしたたった僕の精液。
 あれが拭えなかったのだ。
 トイレでオナニーした際、僕もTシャツについた精液があった。
 だから景は体調悪化、僕は家の急用と理由をでっちあげて二人してズル早退をキメた。
「結果的には、ただ掃除サボってエロいことしただけになったな」
「ただ、ってなんだよ」
「いって」
 横腹を景にどつかれ、自由な左手で擦る。
「あれは俺たちの……ううん」
 言葉を切った景は、遠くを見つめる。
 早引けしたから、太陽はまだ夕陽と呼ぶには輝きが強い。
「私たちの大切な、新しいスタートでしょ」
 あざといほど可愛らしく、景は小首を傾げてみせるのだった。

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