Locust

ごったに

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 没個性的なチェーンの喫茶店。
 メールのやり取りから三日が経った、昼下がり。
 集合時間よりも一〇分早く到着し、コーヒーを注文。
 シケイダ君は、動画によって髪色がチラホラ変わる、大学生風の若者。
 企業に就職して働いた経験は、ネットで調べた限りないようだ。
 いやいや。
 すっかりオッサンの考え方になっている自分に、苦笑する。
 しかも、立場としては俺の方が下までないか?
 これでいいんだよ。俺が先に到着しているのが、礼儀として正しい。
 相手は人気も実力もある動画投稿者。
 一方、俺は情報提供者とはいえ、わざわざ会って話したいなんて言ってくる無名の怪しいオッサン。
 ネット上のやり取りで済ますのが、当世風、というやつで。
 俺は鬱陶しい我儘を通したのだ。
 集合時間になっても相手が現れないことに、腹を立ててはいけない。
 コーヒーをおかわりし、時間を一〇分過ぎた頃。

 〈すみません、遅れました。どの席ですか?〉

 シケイダ君からのメールを受信し、奥側でトイレの反対の席です、と返す。
 入口の方に注意を向けながら、シケイダ君の到着を待つ。
 やがて、動画で見た顔が現れた。
 キョロキョロと店内を見回しながら進むシケイダ君に、手を挙げて場所を知らせる。
「いやぁ、すみません。電車が遅延してしまって。人身事故ですかね」
「大丈夫ですよ。人身事故だと、たぶんもっと遅れると思いますけど」
 人身事故による遅延かどうかを、俺に訊ねるのが意味不明だった。
 どうせ、言い訳にでっち上げただけだろう。
 見抜かれた、と言わんばかりの苦笑を浮かべるシケイダ君。
 あれ? 俺、元捜査一課の刑事で現私立探偵って言ってなかったかな?
「俺らみたいに、世の中の闇を暴こうとする者は、支配者層の妨害に遭うものですからね」
「支配者層、ですか」
 いかにも陰謀論者の使いそうな言葉だ。
 国際金融資本だの、某国の王家だの、宗教権力だの。
 だが俺も刑事時代に、捜査本部を上からの圧力で解散させられたのを見ている。
 よりによって、自分の息子の行方不明事件を含む、連続児童失踪事件で、だ。
 俺の追っている件に、ギリスト教が関わってるのはほぼ確実だしな。
「あるかもしれませんね」
「ですよね! ところで、写真というのはどういう?」
「ご注文はお決まりでしょうか」
「先に注文をどうぞ」
 身を乗り出すシケイダ君に、写真ではなくメニュー表を渡す。
 シケイダ君がカフェオレを頼んだのに合わせて、俺もコーヒーのおかわりを注文する。
「俺に遠慮することはない。チョコレートパフェでもクリームソーダでも頼めばよかったのに」
「もしかして、ネットで俺のこと調べました?」
「そりゃね」
「探偵さん。ネット情報を、鵜呑みにしない方がいいですよ」
「探偵呼びはやめてくれ。日月たちもりで頼む」
「じゃあ、日月さん。俺は今でこそ都市伝説や陰謀論、未解決事件を扱ってます。でも昔は、バラエティ番組的なこともやってたんですよ。そのときのネタを引っ張って、訳知り顔で書いてるようなサイトもあるんです」
「なるほど。甘い物は好きだけど、年を取ってパフェやクリームソーダは辛くなった、と」
「男二人で額突き合わしてるのに片方がパフェって、絵面がキツいですから」
 顔出しで動画に出ているせいだろう。
 他人の目を異様に気にしている、という印象を抱いた。
 俺がパフェを注文する、という意地悪をしたくなった。
 胸焼けに苦しむ未来の俺、という架空の人物に必死に止められたので、踏みとどまったが。
 コーヒーのおかわりとカフェオレが運ばれてきたので、いよいよ本題に入る。
「これだ」
 ブック形式のメニュー表を立てて視線を遮り、鏑木にもらった写真を並べる。
 ふいに、おかしみがこみ上げてきた。
 中高生の頃、机に教科書を立てて授業中に漫画を読んでいたのを思い出したせいだった。
 漫画と違って、今隠しているものはまったく面白くないのだが。
「な、なんですか、これ」
「俺の元妻とその両親だ」
 口元に手を当てるシケイダ君。
 未解決事件の動画を投稿しているわりに、グロ画像は苦手か。
 もっとも、ニヤニヤ笑いで舌なめずりするグロ画像愛好家だったら、俺が平静を保てたか怪しいのだが。
 刑事になったばかりの頃、俺もガイシャのビジュアルと死臭腐臭で散々吐いた口だ。
 突然、こんなものを見せられて取り乱すシケイダ君を笑えない。
「すまない。吐くならトイレの近くに席を取ればよかったな」
 鏑木の覚悟そのものである写真を汚されるのは、御免だ。
 シケイダ君から写真を遠ざける。
 しかし、シケイダ君は涙目でゆっくり首を左右に振った。
「……大丈夫です。心の準備ができてなかっただけです」
「そうか、改めて警告すべきだったな」
 一応、メールでは何を見せるのかやんわりと伝えておいた。
 吐き気を催すのに、事前情報の有無は関係ない。新米刑事の頃の俺も、先輩から聞かされていても吐いたものだ。
 心の準備でどうにかなるものではない。
 一般人には必要のない慣れか、悪趣味な好奇心でしか対処はできない。
「写真の首元を見てくれ。何に見える」
 半身になって身体を仰け反らせたまま、シケイダ君は俺が指差した箇所を見た。
「シワシワの、ミイラになった死体に、二つの穴が空いていますね」
「そうだ。何に見える」
「まさか、特殊メイクですか」
 一瞬、俺に対する軽蔑の色がシケイダ君の目に浮かんだ。
 ガセネタを掴ませるために、わざわざ喫茶店に呼び出したのなら白眼視くらい甘んじて受けよう。
 しかし。
「違う。陰謀論者のくせに、他人のことは頭から疑うのか」
「ちょっ、落ち着いてください。俺が悪かったです」
 思わず身を乗り出して、シケイダ君に凄んでいた自分を恥じる。
 こんなガキをいじめても、何にもならん。
 現役時代の取り調べでも、刑事ドラマの見過ぎだ、と先輩にめっちゃ怒られたっけな。
 最近じゃ、ドラマでもこんな詰め方の取り調べ描写をするのは、年寄り向けの二時間サスペンスだけだ。
「いや、俺が悪かったよ。誰だってそう思う。俺だって、いたずらだったらどれだけいいか」
「……すみませんでした。奧さんたちを、亡くしてるのに」
 おまけにお前の動画に使われていた児童誘拐事件の写真の、被害者側当事者でもあるぞ。
「いいんだ。常識を一旦脇に置いた、正直な君の感想を聞きたい……何に見える?」
「えと、その。吸、血鬼、に血を吸われたように、見えますね」
「だよな。推理物の見立て殺人じゃあるまいし、本当に吸血鬼がいるとしか思えない」
 落ち着いて来たのか、おしぼりで手を拭いてから写真を手に取って見だすシケイダ君。
 トイレで手を洗ってからにして欲しかったが、もう遅い。
「吸血鬼……だから俺に連絡取ったんですか?」
 首肯で答える。
「あれは別に、その、界隈では有名な話で、何も俺の専売特許ってわけじゃないんですけどね」
「だがお前は、俺の息子がギリスト教の神父に連れ去られる写真を、動画の最後に載せた」
「あれも俺が撮ったわけじゃないですよ」
「随分と腰が引けているな」
「そりゃ、これ以上首を突っ込んだら、命が危ないじゃないですか」
「命を懸けるに値するネタだと思うがね。新聞や雑誌のジャーナリスト連中なら、泣いて欲しがる写真だぞ」
 断られたことを隠し、ブラフをかける。
「無料の最大手動画サイトで、肝心なことは隠して有料動画サイトへの登録を促す。君らの常套手段だ。無論、有料限定は的を絞る必要があるだろう」
 一旦言葉を切り、冷めかけたコーヒーを口に運ぶ。
 その際も、視線をシケイダ君から離さない。
「これは、とっておきのネタになる。違うか?」
 視線を俺から逸らして、足元を見つめるシケイダ君。
 重大な決断だ。正直、シケイダ君の言う通り、命の保証はできない。
 安全圏でこれからも海外ニュースを拾って、陰謀論者とうしろ指差されながら、今まで通りのことをやっていくのも人生だ。
 その道の上位チャンネルではあるが、真剣にやっているがゆえに、きっとトップは取れない。
 シケイダ君と同業のチャンネルの、現行トップと急上昇のものも俺はチェックしてきた。
 どちらも、シケイダ君よりもバラエティ色の挟み方が上手い。
 シケイダ君はそのへんがブラックジョーク寄りで、若干、間口が狭い。
 遠くない将来、また動画ジャンルを変える未来が待っているだろう。
 刑事から私立探偵になった俺がこれを言えば、なんとも滑稽だがな。
「わかり、ました」
 絞り出された声からは、一人の男が大きな決断をしたことが感じ取れた。
「この大きな闇を、二人で追いましょう」
 顔を上げたシケイダ君と、すぐわかる嘘で遅刻の言い訳をした男が同一人物には見えなかった。
 動画で見るのとも違う、一皮むけた凛々しい男の顔がそこにはあった。
「あぁ。よろしく頼む」
 差し出されたシケイダ君の手を、硬く握る。
 シケイダ君も強く、握り返してくれた。
 優愛亡き今、志を共にする仲間が出来たことは、とても心強かった。
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