Locust

ごったに

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「次世代型ヒトキメラ! ナンバーゼロゼロツー! ローケスト!」
 ドクターが高らかに、そして陶酔感たっぷりに、この姿の呼称を叫んでいた。
「ロー、ケスト」
 英語は得意ではないが、バッタのことだろう。
「ドクター。満足したなら、直斗を解放しろ」
「おおう! 満足するまで付き合ってくれるのか! おじさん、ヒトキメラになって付き合いよくなったねぇ!」
「ふざけるな!」
 拳を振り上げたときだった。
 ガコン、と音がして天井がめくれた。
「……中野君!!」
 開いた箇所から、巨大な鳥かごのような檻が降下してきたのだ。
 シケイダ君が言った通り、その中には首を俯かせて佇む編集スタッフ、中野の姿があった。
「そう、クルーザーごとは運べなかったからね。俺が向かわせた旧式コウモリ型がピックアップしてきた、君たちのお友達だ」
 檻が完全に床へと着地すると、自動でその扉が開いた。
 だが、中野は微動だにしない。
 沈黙したまま、その足元を見つめている。
「中野君! 無事だったんだな!」
 腕を伸ばすシケイダ君。
 しかし、コウモリ人間の重みで、立ち上がることはできない。
 それがなんだか、無性に腹立たしかった。
「邪魔だっ!」
 シケイダ君を組み敷いているコウモリ人間たちの頭を持ち上げ、力任せに投げ飛ばした。
 破裂音の後、壁の染みが二つ増えた。
「ありがとうございます、日月さん」
 ちょっと距離感の開いたシケイダ君のお礼に、ちょっぴり心が疼いた。
 よろよろと立ち上がり、中野に駆け寄るシケイダ君。
 その背中を見守りながら、俺はまたしても違和感を覚えた。
 コウモリ人間を倒し、シケイダ君を自由にしたことをドクターはまるで咎めない。
 ホールで変態どもを皆殺しにしたときと同じだ。
 ドクターは、何かを隠している。
「中野君、無事か? なんともないか? コウモリ人間にされてないか?」
 腕を檻の中へ突っ込み、シケイダ君は中野の肩を揺さぶっている。
 胸騒ぎがして、視界を人間のそれから昆虫のそれに切り替える。
 複眼を利用し、視線を読まれないようドクターを盗み見ようと試みたのだ。
 獲物がかかったことを喜ぶ密猟者のように、ドクターはほくそ笑んでいた。
「危ない、シケイダ君! 今すぐそいつから離れるんだっ!」
「ハハハハハ、コウモリ型にはしてないよ。コウモリ型には、ね」
 自白同然の戯言を嘯くドクター。
 シケイダ君に手を伸ばし、俺は走り出す。
「え?」
 俺の方へとシケイダ君が振り向いた、瞬間。
 バキャアッ!!
 中野の背中から巨大な四本の節ばった脚が伸び、金属の檻を内側から破壊した。
 檻の破片がこちらにも飛来してきたので、俺はやむを得ずバックステップで下がる。
 身体は既に黒い甲殻で覆われているが、装甲を過信はできなかった。
 一方、ローケストへと俺が変身したのと同様に、中野の筋肉が爆発的に肥大化。
 服を突き破って盛り上がったそれは、うしろが極端に大きい二人羽織みたいになった。
 それは、膨らんだ背中から四本のクモ脚が伸びる、俺と同じ三メートルの巨漢。
「ご覧あれ! これこそが次世代型ヒトキメラ!ナンバーゼロゼロワン! スパイダーの勇姿であるっ!」
 両手を広げ、自分の作品を誇るドクター。
「遅いよ、シケイダ君」
 中野はクモのそれに変化した顔を一八〇度回転させ、逆さまにシケイダ君の顔を見る。
「俺、こんなんになっちゃったよ!」
 スパイダーが、掠れた声で笑う。
 人間でなくなったがゆえに、涙を流せなくなった者の悲痛な笑いだった。
「そんな、中野君……」
 信じられない、いや、信じたくないのだろう。
 仲間の変わり果てた姿を目にして、シケイダ君は立ち尽くしている。
「はははははっ! せっかくローケストを誕生させられたんだ。スパイダーとどっちが強いか、知りたくなるのが男の子のサガというやつだろう?」
 醜悪な笑みを浮かべたドクターが、俺を指差した。
「やれっ、スパイダー! そいつもろとも、ローケストを倒してみせろ!!」
「虫相撲させようってのかよ、クソがッ!」
 あの野郎、ただじゃ置かねぇからな。
「お前のせいだっ!! お前が、俺をこんな姿にしたんだっ!!」
 檻を破壊したクモ脚が、シケイダ君に迫る。
 一本一本が重機のごとくパワフルで、切っ先はツルハシのごとく鋭利に尖っている。
 生身の人間など、軽く引っ掻かれただけで血祭りだろう。
 俺は再度、シケイダ君を守るべく走り出す。
「間に合えっ!!」
「中野君、やめてくれぇっ!!」
 床を蹴る俺の脚の、膝から下が四足獣のような逆関節に変形、伸長した。
 さらにそれが真ん中で折れる。
 瞬間、驚異的な推進力が俺にもたらされた。
「うおらあああああああああっ!!」
「うぎゃあああああああああっ!!」
 間一髪。
 シケイダ君の肩を、クモ脚の切っ先がかすった直後。
 俺のタックルで、スパイダーが研究室出入口の方へと吹き飛んで行った。
「こんなに速く走れる、いや、跳べるのか」
 バッタの後ろ脚による跳躍を、二足歩行用に再現した……?
 超加速に自分で驚いていると、猫をクルマで轢いたような嫌な音がした。
 猛速で飛んで行った大質量のスパイダーに激突されたせいだろう。
 出入り口を固めていたコウモリ人間が瞬時に圧死し、夥しい量の血を撒き散らしていた。
「……酷いじゃないか、俺をほったらかしにして。オッサンと楽しそうにチャイルドマレスターどもを殺しまわって、正義の味方気取りかよ」
 瓦礫から身を起こし、八つある複眼をぐりぐりと動かしてこちらを睨むスパイダー。
 人間のように表情豊かなわけではないが、同じヒトキメラだからだろうか。
 スパイダーはこちらを睨んだ、と直感した。
 致命傷ではないにしろ、怒るということは多少のダメージは入ったのだろう。
「俺を探すよりも、ヒーローごっこの方が撮れ高あるもんなぁっ!!」
 スパイダーは大顎をカッ開き、口から粘着質なクモ糸を発射した。
「おい、クモが糸をだすのは尻からだろうがっ!!」
 シケイダ君を抱え、右へ跳んで糸を避ける。
「口と尻は繋がってるんだから、騒ぐほどのことじゃねぇよ!!」
「無茶苦茶だっ!!」
 寸前まで引きつけて、逆関節バッタ脚で跳躍。
 遠近、左右と微妙な変化をつけた軌道で襲い来るクモ糸を回避する。
「おい、ドクター! どうして中野をヒトキメラにしたんだ!」
 研究室を見回すも、どこにもドクターの姿はない。
「あいつ、逃げやがった!」
 出入口には、先ほどスパイダーを吹き飛ばしたばかりだ。
 まさか、壊れた壁の隙間を塗って脱出したのか?
「余所見しやがって! 俺をナメてんのかっ!!」
「しまった……!」
 ドクターが消えたことに気を取られていた、その一瞬の隙を突かれた。
 スパイダーは天井に伸ばした糸を手で掴み、ふりこ運動の軌道でこちらに肉薄。
 気付いたときにはスパイダーの巨体が、目の前にあった。
「ぐはあっ!」
 ヒップドロップ。
 瞬間的に巨大化したクモ尻をぶつけられ、その重い一撃によって俺は壁まで吹っ飛ばされた。
 頭から部屋を貫通して、隣の部屋へと倒れ込む。
 壁ごと倒れた鉄製の本棚はひしゃげ、ファイルや古びた書籍が床に散らばっていた。
 資料室といったところだろうか。
 肉体に損傷はない。
 だが痛みはある。痛い、で済んでいる。
「ほらほら行くぞっ! 休んでんじゃねぇっ!!」
「嘘だろ!?」
 矢継ぎ早に連射されるクモ糸の塊が、こちらに殺到する。
 咄嗟に本棚を持ち上げて、クモ糸塊を防ぐ。
 ベキョッ、バコッ、と本棚が歪む音がする。
 まるでライフル弾だ。威力が高すぎる。
 鉄製の本棚とはいえ、撃ち抜かれるのは時間の問題だろう。
 床を逆関節バッタ脚で蹴り、スパイダーと距離を取る。
 ローケストの肉体に横溢する力は絶大すぎて、小回りが利かない。
 自然、回避は猛スピードで鉄の本棚群に突っ込むことを意味した。
 いくつもそれらをひしゃげさせたり、薙ぎ倒したりしたらどうなるか。
 自明だ。
「痛ってぇ!!」
 ヒトキメラ肉体の防御力をもってしても、ダメージを負ってしまう。
 俺一人なら、被弾覚悟で突っ込んでもいいのだが。
「無事か、シケイダ君」
「……何とか、大丈夫です。ありがとう、ございます」
 胸に抱いていたシケイダ君を、そっと床に下ろす。
 すぐに身を起こし、シケイダ君を背に庇う。
 彼は生身だ。俺が守らなくてはならない。
「逃げてばかりかよ! ドクターがお前に打った注射、バッタだけにバッタもんだったりして!!」
「シケイダ君と同年代だろうに、もうオヤジギャグかよ」
 言い返したものの、実際、このままではジリ貧だ。
 何か、攻勢に打って出る手段はないものか。
「日月さん」
 手をこまねく俺に、シケイダ君がアドバイスをくれた。
「日月さんの能力だと、屋内で戦うのは不利です」
「だな。動きを制御しきれない」
 痛む肩を見れば、せっかくの装甲がひび割れ、欠けていた。
 いちいち壁や本棚にぶつかっていては、こんな風に無駄なダメージが蓄積していく一方だ。
 培養槽群に突っ込んで子供たちを巻き込まなかったのは、奇跡と言っていい。
「安全な場所に隠れていてくれ。すぐに決着をつけてくる」
 シケイダ君が頷いた。
 資料室を後にするシケイダ君の背中を一瞬見た後、改めてスパイダーと対峙する。
「弱きを助け、強きを挫く、ってか? カーッ、かっこいい! ジャスティスリーグに入ったらどうだ」
「あぁ。刑事を志した頃を思い出すよ」
 なってみりゃ、理想と現実の絶大なギャップに心を病んだけどな。
 刑事を辞めたことでその理想を叶える機会を与えられるとは、皮肉なもんだ。
「抜かせ!」
 再度、クモ糸塊を乱射するスパイダー。
 視界が自動で複眼レンズに切り替わるも、瞬時に通常レンズに戻った。
「生存本能ってやつか」
 ただし、スパイダーの口元を切り取って映したレンズが、ワイプのように残っていた。
 お蔭で発射タイミングでの、大顎の微細な変化がよく見える。
 ワイプを参考に予備動作を分析、発射角に当たりをつけることができた。
 小刻みにジグザグの軌道を描いて跳び、クモ糸塊のすべてを回避する。
「ちょこまかと! ヒーロー気取りなら、正々堂々戦えよ!」
 俺に翻弄されて、痺れを切らしたのだろう。
 風切るクモ糸塊の速度が上がり、反対に精度は乱れだした。
 好機チャンス
 スパイダーは避ける俺を追って、まんまと資料室に誘い込まれていた。
 弧を描く円形軌道で立ち回っていたことにも、気が付かなかったのだろう。
 あるいは、俺が子供たちを守りたいと思っている可能性など、気にも留めなかったか。
 すっかりスパイダーは、培養槽群と反対側の壁を背にしていた。
「いいだろう。ここからが本番だ」
 回避軌道から一転、姿勢を低くして逆関節バッタ脚に力を込める。
「速っ……!?」
 力を解放し、全力のタックルをスパイダーに叩き込む。
 スパイダーの背中が部屋の、廊下の壁を打ち抜いた。
 不意に、足場が消失する。
 一三メートルほどの高さに、スパイダーもろとも飛び出した。
「うらああああああっ!!」
 咄嗟にスパイダーの人間腕を掴み、空中からの一本背負いを見舞う。
「ナメるなぁっ!!」
「何っ!?」
 慢心だった。
 一〇メートル超えの高さから投げを見舞えば、いかにヒトキメラでもただでは済むまい。
 その油断に付け込むように、スパイダーは下方からクモ糸を射出。
 銃弾のように塊を発射するのではない。
 何本もの糸を束ねた、強壮な一本の長い糸。
 上半身に巻き付いたそれは、両腕を身体へ強固に縛り付けた。
「死ねやぁっ!!」
 景色が流れる。
 瞬間、右肩に衝撃と焼けるような痛みが走った。
「────────────────────────────────────ッガアッ!!」
 石畳が圧壊する音の後、言語に絶する痛みが右腕全体に走った。
 視界の端に、俺からわずかに遅れて着地するスパイダーの姿が映る。
 俺を地面に叩きつける勢いで、自分の落下速度を和らげたようだった。
「オッサン。クモはどうやって食事すると思う?」
 背中から伸びる重機がごときクモ脚を開閉しながら、スパイダーがゆっくり近づいて来る。
 右腕の感覚がない。
 自由であるはずの指先すらも、動かせない。
「クモはなぁ。獲物の体内に消化液を流し込み、身体の内側からドロドロに溶かして、それをチューチュー吸うんだぜ?」
 ゾワッ、と総毛立つ感覚に襲われた。
 そんな恐ろしい死に方は、絶対にしたくない。
 直斗はすぐそこだ。
 シケイダ君だって、今もコウモリ人間に襲われているかもしれない。
 俺は、まだ死ぬわけにはいかない。
 けれど、右腕は折れ、左腕の自由も利かない。
「どうだ? 自分の死に方を教えられた気分は。安心しろ、俺は占い師みたいに答えを先延ばしにしない。今ここで! おぞましい死をくれてやるっ!!」
 ならば、脚だ。
 脚だけで戦うしかない。
 膝関節を人間のものに戻して、素早く身を起こす。
 間髪入れず、また逆関節バッタ脚に変化させる。
「無駄だ! 俺からは逃げられない! 糸を振り解けていないのが、何よりの証拠だっ!!」
 一か八かだ。
 スパイダーのクモ糸の強度か、俺の逆関節バッタ脚の脚力か。
 どちらが強いかで、勝敗が決まる。
 俺を手繰り寄せようとするスパイダーに抗い、俺は渾身の力で垂直に跳躍した。
「馬鹿め!! 上に逃げても、重力が俺に味方する。お前の負けだ!!」
 同じドクターによって造られた、同じ次世代型ヒトキメラ。
 単純な膂力りょりょくでは、俺とスパイダーに大きな差はないはずだ。
 だから、普通に考えればそうだ。
 だが、空には活路がある。
 地獄へと垂らされた蜘蛛の糸を手繰るように、俺は天を目指した。
「なっ、まさか!」
 超加速の推進力により、俺は資料室よりも高く、高く跳び上がる。
 大気をいて上昇する俺に引っ張られ、眼下のスパイダーまで宙へと引っ張り上げる。
 空へと舞い上がった俺の足下に広がる、角髪島の全景。
 潜入した秘密教会が。
 コウモリ人間に運び込まれた、ドクターの研究所が。
 陰謀と無縁の、平和に暮らす島民の眠る町が。
 見る見るうちに小さくなっていった。
 プツリ、と。
 雲に届くかという高度で、俺はクモ糸の切れるのを見た。
 今だ!
 俺はくるり、宙で一回転する。
「やめ、やめろ! こ、こんな高度でそんなことされたら────────────」
 背中から、羽根が展開する。
 俺が知る由もない原理で羽根が渦巻く風を受け、俺の身体が回転を始める。
 そのうねりは俺に、スパイダーに肉薄するための推進力をもたらす。
「諦めろ」
 逆関節バッタ脚を思いきり屈め、高速できりもみ回転しながらスパイダーめがけて落下する。
 再度、クモ糸を吐いて俺を絡め取ろうとスパイダーが抵抗する。
 だが、無意味だ。
 俺が脚を伸ばして力を解放したことで、触れた先から糸は霧散していく。
「俺の、勝ちだ」
 蹴撃が、スパイダーの肉体を削り取る。
「ぐううわああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
 足先が触れるなり、スパイダーの皮膚が、鎧のような筋肉が、どす黒い内臓が、回転に巻き込まれて宙に飛び散った。
 重機のごとき巨大なクモ脚も、回転する俺に触れた瞬間に先が禿びた。
 やがて、俺の蹴撃はスパイダーの身体を完全に貫通。
 夜空に血と肉片を撒き散らし、スパイダーは爆裂四散した。
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