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第1章 1985年12月7日以後
第4話 アキヒコ1、1985年12月
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森良子からの電話、1985年12月9日(月)
この日、なぜかぼくは寝付けなかった。その頃、ぼくの勤務地は川崎。日本有数の重電電気電子会社の当時最高峰の半導体製造工場の現場に詰めていた。現在のテラバイトに達するストレージ容量、ギガバイトレベルのメモリー容量とは、10の6乗ほど小さい容量であった。メモリーだって256Kとか512Kであった。
それでも、クリーン度はクラス1、10、100。このクラスというのは、1立方フィートの空気中にコンマ数ミクロンのパーティクル(塵だ)が何個あるかによる。つまり、クラス1ともなると、ものすごく清浄な空間ということだ。塵ひとつ落ちていない、というのはこのことだ。
現在でもそうだが、この半導体工場の建築工程は非常にきつい。普通の事務所ビル、高層ビルと比べて、数倍の密度の工程をくまなければ終わらなかった。だから、ひと月の残業時間だけで200時間を超えたりした。当時、残業時間が100時間を超えると、身体検査をして、翌月は残業をセーブしなければいけないが、そんなことをしていては工事は終わらない。
しかし、工事は山を越えた。毎日、残業する必要もなくなった。日曜日も休めるようになったのだ。だから、昨日は休みだった。それで、火曜の午前0時になるというのに、まったく眠くなかった。
ぼくは、絵美の写真を見たり、手紙を読み返したりして、ウィスキーを飲みながら、ダラダラと眠りが来るまで過ごしていた。
電話が鳴った。いちいち、階下におりて電話を受けるのも面倒なので、ぼくの部屋に子機を据えたのだ。
(こんな早朝に?)
ぼくは電話を取る。「もしもし、宮部ですが?」と答えると、「宮部くん?」と絵美のお母さんの声がした。似ているのだ、声が。「森さん?」「ああ、よかった。寝ていなかったのね?」「ええ、ちょっと」「宮部くん、落ち着いて聴いて欲しいことがあります」と彼女は言う。
「どうしたのですか?」
「まず、私は今日の午後便のパンナムでニューヨークに向かいます」
「ええ?」
「ニューヨークから連絡があって、娘が射殺されたという連絡がありました。昨日の午後11時に知りました」
「なんですって?」
「私は、それからいろいろと連絡をとっていて、間の悪いことに主人は入院中なんです」
「ハ、ハイ・・・」
「動転してしまって、何も考えられなかった」
「・・・」
「あなたに連絡するのが遅れてしまったの。それで、宮部くんにお願いがあります。お仕事があって、お忙しいと思いますが、ニューヨークに行って欲しいの。私は先に参ります。宮部くんの都合があるでしょうが、ごめんなさい。こういう事情では。親類の誰に言っても、すぐにこういうことを処理できる人はいないの。だから、宮部くんにお願いすることしかできないの」
「それはもちろん、ぼくはまいりますよ」
「バタバタしていて。手配が・・・成田のパンナムのカウンターであなたの名前を言うと、チケットが手配されているわ。便は、カウンターと相談してどの便でも乗れます。ビザの手配はこの代理店がしてくれます」と代理店の連絡先と担当者の名前を言った。「ペニンシュラが引き受け元でビザは半日で下りるわ。代理店に行って、パスポートを渡して。私はもう手配をしたから。だから、たぶん宮部くんの便は明日の火曜日になると思う。無理なお願いをしているというのは重々承知で、宮部くん、お願い、助けて」
パンアメリカン航空、通称パンナムは、1984年の頃、経営悪化に苦しんでいたとはいえ、翌年85年、ハブ空港である成田国際空港の発着権や以遠権、日本路線を含むアジア太平洋地域の路線、社員や支店網、保有機材の一部、さらにインカンバント・キャリア-日米間路線における先入航空会社としての既存権利を所有する航空会社-の権利、これらすべてをユナイテッド航空に売却する前だった。まだ、日米間の主要航空会社は、パンナムであった。
「わかりました。それで、ニューヨークでは?どう連絡をすればいいですか?どう落ち合いますか?」
「ペニンシュラホテルに宿泊するわ。あなたの名前で部屋をリザーブしておく。フロントで私の名前を言えば、私に連絡できるようにしておくから。外出していれば行き先をフロントに伝えておきます」
「わかりました。後は自分でできます。森さん、お母さん、気を確かにお持ちになって。もう遅いですからできるだけ眠る努力をして下さい。今日はやることが多いと思います。ぼくの便が決まったら、成田からでもペニンシュラに連絡を入れます。ぼくも手配をしますから、これで切ります。向こうでお会いしましょう」
ぼくは電話を切って、考えようとしたが、まったく考えることができなかった。まず、何をすればいいんだ?どうすればいいのか?そうだ。会社に連絡しないと。こんな夜中に?でも、しょうがない。ぼくは、現場の所長にまず連絡を入れた。
「もしもし、宮部ですが?まことに夜中で申し訳ない。太田所長はおられますでしょうか?」と所長の奥さんに訊くと、「あら?宮部くん、うちの亭主、さっき帰ってきたのよ。ちょっと待ってね?」と言う。所長が電話に出た。
「なんだ?宮部、こんな真夜中に?飲んでいて、金がなくなって貸してくれってんじゃないだろうな?」と、酔っている口ぶりで言った。「いえ、違うのですよ。あのですね、緊急な話で申し訳ないんですが・・・」と、ぼくは事情を話した。
「うむ、そりゃあ大変だ。それで?」「それで、便があれば明日からでも飛ぼうと思いますが、休暇を頂きたいんです。10日間くらい。どのくらいかかるのかわかりませんが・・・」「わかった。それは私が休暇届を出しておいてやる」「それから、現場の方の引き継ぎは・・・」「いいよ、そんなものは。宮部のファイルを見ればわかるだろ?他の人間にやらせる」「ありがとうございます。成田から現場事務所に連絡をいれますから」「大変だな。お気の毒なことだ。どういう様子か連絡をくれよ」「承知しました。夜分スミマセンでした」とぼくは電話を切った。
次は何をするんだ?家族に言うのは明日の朝でいい。この真夜中に誰が頼りになるんだろうか?ぼくが向こうに行って何ができるんだろうか?ぼくだけでは無理だ。誰だ?彼女だ。
島津洋子への連絡、1985年12月9日(月)
ぼくはモンペリエに電話を入れた。もう12月10日火曜日の午前1時半になっていた。フランスは夏時間だから時差7時間。午後6時半だ。大学から戻って部屋に彼女がいることを祈った。呼び出し音3回で彼女が出た。「アロー?」と、フランス語で懐かしい彼女の声がした。
「洋子!」「明彦!久しぶりね?」「ちょ、ちょっと、込み入っている真面目な話があるんだ?」「う?真剣ね?わかった。何?」「つまり・・・」と、ぼくは電話がかかってきて、これまでの経緯を説明した。
「なんていうことなの!」と洋子が言う。
「ぼくは気が動転しているから、よく判断ができない。それで、ぼくはこういう場合、何をしたらいいのか、たとえば遺体の確認とか、法的な処置、日本政府への手続き、遺体の搬送方法、その手配、どうすればいいのかわからない。洋子に訊くしかないんだ」
「わかった。いいわ、私が手伝う!」
「え?なんのこと?」
「心配しないで。宿泊先はペニンシュラね?」
「そうだけど?」
「私も行くわ」
「ちょ、ちょっと・・・」
「明彦の絵美さんなのよ。私も知らないわけじゃない。私の方がキミよりもこういうことの対処ができるわ。法学部助教授の肩書きもあるんだから。それに、太平洋を越えるよりも大西洋を越えた方がはるかに近い。ビザはマルチプルがあるのよ、私。いい?先に私が行って、できることはやっておくわ。心配しないで。絵美さんのママに洋子が行っていると言うのよ。便はパンナムね?大丈夫よ。向こうで待っているわ。絵美のママは私が空港に迎えに行く。ボードを持っている女を捜してというのよ。名前を書いたボードよ。"Mrs. Mori"と書いておくから。じゃ、切るわよ。私も手配しないといけないから」と、洋子は手早く電話を切ってしまった。いつものようにテキパキしている。
ぼくは急いで絵美の家に電話をかけた。まだお母さんは起きていたので、ぼくの友人が手伝いにフランスからニューヨークに行きます。え?費用?それはぼくの方でやりますから、心配しないで。法学部の助教授です、女性です。空港でお母さんを待ってます。年齢は30代前半。長髪。ミセス森と英語で書いたボードを持っている女性を捜して下さい。いいですね?彼女に任せて下さい。ぼくもすぐまいりますから。と、こう伝えて電話を切った。洋子が来ると言うなら絶対に来るのだ。
それから、ちょっと落ち着いたら、突然、絵美の死がぼくに襲いかかった。実感がまるでない。なぜなんだ?どうしてなんだろうか?ぼくにはわからなかった。
この日、なぜかぼくは寝付けなかった。その頃、ぼくの勤務地は川崎。日本有数の重電電気電子会社の当時最高峰の半導体製造工場の現場に詰めていた。現在のテラバイトに達するストレージ容量、ギガバイトレベルのメモリー容量とは、10の6乗ほど小さい容量であった。メモリーだって256Kとか512Kであった。
それでも、クリーン度はクラス1、10、100。このクラスというのは、1立方フィートの空気中にコンマ数ミクロンのパーティクル(塵だ)が何個あるかによる。つまり、クラス1ともなると、ものすごく清浄な空間ということだ。塵ひとつ落ちていない、というのはこのことだ。
現在でもそうだが、この半導体工場の建築工程は非常にきつい。普通の事務所ビル、高層ビルと比べて、数倍の密度の工程をくまなければ終わらなかった。だから、ひと月の残業時間だけで200時間を超えたりした。当時、残業時間が100時間を超えると、身体検査をして、翌月は残業をセーブしなければいけないが、そんなことをしていては工事は終わらない。
しかし、工事は山を越えた。毎日、残業する必要もなくなった。日曜日も休めるようになったのだ。だから、昨日は休みだった。それで、火曜の午前0時になるというのに、まったく眠くなかった。
ぼくは、絵美の写真を見たり、手紙を読み返したりして、ウィスキーを飲みながら、ダラダラと眠りが来るまで過ごしていた。
電話が鳴った。いちいち、階下におりて電話を受けるのも面倒なので、ぼくの部屋に子機を据えたのだ。
(こんな早朝に?)
ぼくは電話を取る。「もしもし、宮部ですが?」と答えると、「宮部くん?」と絵美のお母さんの声がした。似ているのだ、声が。「森さん?」「ああ、よかった。寝ていなかったのね?」「ええ、ちょっと」「宮部くん、落ち着いて聴いて欲しいことがあります」と彼女は言う。
「どうしたのですか?」
「まず、私は今日の午後便のパンナムでニューヨークに向かいます」
「ええ?」
「ニューヨークから連絡があって、娘が射殺されたという連絡がありました。昨日の午後11時に知りました」
「なんですって?」
「私は、それからいろいろと連絡をとっていて、間の悪いことに主人は入院中なんです」
「ハ、ハイ・・・」
「動転してしまって、何も考えられなかった」
「・・・」
「あなたに連絡するのが遅れてしまったの。それで、宮部くんにお願いがあります。お仕事があって、お忙しいと思いますが、ニューヨークに行って欲しいの。私は先に参ります。宮部くんの都合があるでしょうが、ごめんなさい。こういう事情では。親類の誰に言っても、すぐにこういうことを処理できる人はいないの。だから、宮部くんにお願いすることしかできないの」
「それはもちろん、ぼくはまいりますよ」
「バタバタしていて。手配が・・・成田のパンナムのカウンターであなたの名前を言うと、チケットが手配されているわ。便は、カウンターと相談してどの便でも乗れます。ビザの手配はこの代理店がしてくれます」と代理店の連絡先と担当者の名前を言った。「ペニンシュラが引き受け元でビザは半日で下りるわ。代理店に行って、パスポートを渡して。私はもう手配をしたから。だから、たぶん宮部くんの便は明日の火曜日になると思う。無理なお願いをしているというのは重々承知で、宮部くん、お願い、助けて」
パンアメリカン航空、通称パンナムは、1984年の頃、経営悪化に苦しんでいたとはいえ、翌年85年、ハブ空港である成田国際空港の発着権や以遠権、日本路線を含むアジア太平洋地域の路線、社員や支店網、保有機材の一部、さらにインカンバント・キャリア-日米間路線における先入航空会社としての既存権利を所有する航空会社-の権利、これらすべてをユナイテッド航空に売却する前だった。まだ、日米間の主要航空会社は、パンナムであった。
「わかりました。それで、ニューヨークでは?どう連絡をすればいいですか?どう落ち合いますか?」
「ペニンシュラホテルに宿泊するわ。あなたの名前で部屋をリザーブしておく。フロントで私の名前を言えば、私に連絡できるようにしておくから。外出していれば行き先をフロントに伝えておきます」
「わかりました。後は自分でできます。森さん、お母さん、気を確かにお持ちになって。もう遅いですからできるだけ眠る努力をして下さい。今日はやることが多いと思います。ぼくの便が決まったら、成田からでもペニンシュラに連絡を入れます。ぼくも手配をしますから、これで切ります。向こうでお会いしましょう」
ぼくは電話を切って、考えようとしたが、まったく考えることができなかった。まず、何をすればいいんだ?どうすればいいのか?そうだ。会社に連絡しないと。こんな夜中に?でも、しょうがない。ぼくは、現場の所長にまず連絡を入れた。
「もしもし、宮部ですが?まことに夜中で申し訳ない。太田所長はおられますでしょうか?」と所長の奥さんに訊くと、「あら?宮部くん、うちの亭主、さっき帰ってきたのよ。ちょっと待ってね?」と言う。所長が電話に出た。
「なんだ?宮部、こんな真夜中に?飲んでいて、金がなくなって貸してくれってんじゃないだろうな?」と、酔っている口ぶりで言った。「いえ、違うのですよ。あのですね、緊急な話で申し訳ないんですが・・・」と、ぼくは事情を話した。
「うむ、そりゃあ大変だ。それで?」「それで、便があれば明日からでも飛ぼうと思いますが、休暇を頂きたいんです。10日間くらい。どのくらいかかるのかわかりませんが・・・」「わかった。それは私が休暇届を出しておいてやる」「それから、現場の方の引き継ぎは・・・」「いいよ、そんなものは。宮部のファイルを見ればわかるだろ?他の人間にやらせる」「ありがとうございます。成田から現場事務所に連絡をいれますから」「大変だな。お気の毒なことだ。どういう様子か連絡をくれよ」「承知しました。夜分スミマセンでした」とぼくは電話を切った。
次は何をするんだ?家族に言うのは明日の朝でいい。この真夜中に誰が頼りになるんだろうか?ぼくが向こうに行って何ができるんだろうか?ぼくだけでは無理だ。誰だ?彼女だ。
島津洋子への連絡、1985年12月9日(月)
ぼくはモンペリエに電話を入れた。もう12月10日火曜日の午前1時半になっていた。フランスは夏時間だから時差7時間。午後6時半だ。大学から戻って部屋に彼女がいることを祈った。呼び出し音3回で彼女が出た。「アロー?」と、フランス語で懐かしい彼女の声がした。
「洋子!」「明彦!久しぶりね?」「ちょ、ちょっと、込み入っている真面目な話があるんだ?」「う?真剣ね?わかった。何?」「つまり・・・」と、ぼくは電話がかかってきて、これまでの経緯を説明した。
「なんていうことなの!」と洋子が言う。
「ぼくは気が動転しているから、よく判断ができない。それで、ぼくはこういう場合、何をしたらいいのか、たとえば遺体の確認とか、法的な処置、日本政府への手続き、遺体の搬送方法、その手配、どうすればいいのかわからない。洋子に訊くしかないんだ」
「わかった。いいわ、私が手伝う!」
「え?なんのこと?」
「心配しないで。宿泊先はペニンシュラね?」
「そうだけど?」
「私も行くわ」
「ちょ、ちょっと・・・」
「明彦の絵美さんなのよ。私も知らないわけじゃない。私の方がキミよりもこういうことの対処ができるわ。法学部助教授の肩書きもあるんだから。それに、太平洋を越えるよりも大西洋を越えた方がはるかに近い。ビザはマルチプルがあるのよ、私。いい?先に私が行って、できることはやっておくわ。心配しないで。絵美さんのママに洋子が行っていると言うのよ。便はパンナムね?大丈夫よ。向こうで待っているわ。絵美のママは私が空港に迎えに行く。ボードを持っている女を捜してというのよ。名前を書いたボードよ。"Mrs. Mori"と書いておくから。じゃ、切るわよ。私も手配しないといけないから」と、洋子は手早く電話を切ってしまった。いつものようにテキパキしている。
ぼくは急いで絵美の家に電話をかけた。まだお母さんは起きていたので、ぼくの友人が手伝いにフランスからニューヨークに行きます。え?費用?それはぼくの方でやりますから、心配しないで。法学部の助教授です、女性です。空港でお母さんを待ってます。年齢は30代前半。長髪。ミセス森と英語で書いたボードを持っている女性を捜して下さい。いいですね?彼女に任せて下さい。ぼくもすぐまいりますから。と、こう伝えて電話を切った。洋子が来ると言うなら絶対に来るのだ。
それから、ちょっと落ち着いたら、突然、絵美の死がぼくに襲いかかった。実感がまるでない。なぜなんだ?どうしてなんだろうか?ぼくにはわからなかった。
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