上 下
11 / 64

ー11-

しおりを挟む
四日目はいつもと動きが違っていた。夜明け直前にエルンストが騎士・兵士にねぎらいの言葉を掛け、作戦を伝えるはずだが、まずその旗頭がいない。ただ、移動を含めてこの五日間、不眠不休で動き続ける彼の姿を間近で見てきた彼らは、むしろエルンストの休息による不在を喜んだ。後は任せてほしい、せめて今日は休んでほしい、と。その希望通り、エルンストは昼過ぎまで深い睡眠を貪ることとなる。
そして、モンスター側にも変化があった。まず、低級のモンスターがほぼ全くと言っていいほど出現しない。たまに出会うオークやゴブリンたちも逃げ腰だ。無益な殺生は避けるように、と出発前に既に周知されていたため、深追いはせずに見逃してやった。

「……。!?眠っていたのか!?私が!?今何時だ!?ペイル!ペイル!!!」
「おはようございます。よくお眠りになれたようで安心いたしました。そろそろ皆が昼食を終えるころです。」
「戦況はどうなっている?なぜ私は眠れたのだろうか……。」
「薬湯の効果ではないかと医療班が推測しておりましたが、詳細は不明です。戦況はほとんどのモンスターがこの森から出たようで、残っているものもかなり逃げ腰であると報告が入っております。一日前倒しで確認作業と事後処理を始めてもよろしいのではないでしょうか。」

昨日までまだ抵抗を見せていたモンスター達の急変と、自分の体のことにいまいち脳がついていかない。しかしペイルがそう言うのならば間違いはないのだろう。エルンストはひとまず自分のことは置いておき、状況の確認に動き始めた。

治療院もまた、昨日までの忙しさが嘘のように静まり返っていた。負傷者がいないのは良いことだが、昨日まであれだけ忙しかったので、正直張り合いがない。

「ねぇ、リフィア。やっぱりあの薬湯、普通じゃないのかしら。」
「呪いを受けた誰かを同じように湯につけてみるしか確認の方法はないかと思いますよ。」
「そうよね……。薬草も特別なものじゃなく、むしろリラックス効果の高いものばかりだったんでしょう?」
「左様です。ラベンダー、カモミール、レモングラス、シナモン、ジンジャーなんかを主体にしましたのでな。お茶にしてもおいしいくらいのもので、とても呪いを解けるとは思えませんわい。」

薬師たちの師であり、今回の治療院の責任者を買って出てくれたオウル・ゾリンジャーがほっほっほ、と笑った。エルンストの呪いが解けた理由はどんなに考えてもわからない。今回の医療班にだけその事実が伝えられたが、箝口令が敷かれているため、騎士たちに相談することもできず、ただただ奇跡が起きたとしか思えない状況だった。

「それにしても、かなり早い段階で決着がつきましたね。今日はもう確認作業と事後処理が始まったと聞きましたよ。」

情報通のメイがもたらしたニュースに一同は驚き、喜ぶ。怪我人が出ず、一日早く王都へ戻れるかもしれない。一日早く家族の顔を見て、彼らを安心させてあげられるかもしれない。その願いが届いたのか、確認作業はスムーズに進み、あとは撤収作業と事後処理を行うのみとなった。撤収は思ったよりも作業が多く、突然忙しくなる。

「治療院の中は大方片付いたし、テントは最後に解体するのよね?」
「そうです。我々で行うことは大体終わりましたね。」
「後は薬湯だけだけど……。」

マリーが水場の滝つぼにかけた範囲魔法はマリーにしか解除できない。そのため、湯を水に戻し、薬草を引き上げて元の状態に戻さなければならないのだが、最後にどうしても薬湯に浸かりたいという兵士たちが列を成してしまい、なかなか片づけられずにいた。
一部の気が急いた兵士たちはすでに帰路についているらしい。王都へ向かう魔法陣も完成し、一度に百名単位で兵士たちを王城へと送っていた。

「私たちは最後に戻りましょう。」
「マリー様はそれでよろしいのですか?」
「一日早い帰宅になるのだもの。教皇様もそのくらいの時間差は許してくださるでしょ。」

森に忘れ物をしては困るので、マリー達は一度魔法陣の近くまで荷物を移動することにした。キャンプ地の端に準備されたそこは帰宅する騎士・兵士たちで賑わっており、本部のほうがかえって静かなくらいである。荷造り完了と、最後に薬湯を元に戻して帰宅する旨を伝えるべく、エルンストへの謁見を申請した。

「やぁ、マリー殿。この度の遠征は大変なご尽力をいただきありがとうございました。」
「カルーネリ様。この度は大変お疲れ様でございました。微力ながらお手伝いできましたこと、僥倖に存じます。」
「あ、そうそう。私のことはよろしければペイルと気軽にお呼び下さい。どうせ父の跡を継げば侯爵としか呼ばれなくなるので、名前を呼んで下さる方が増えればと思っていたのです。」
「おいおい、ナンパはせめて王都に帰ってからにしてくれ。」

エルンストが呆れ顔でやって来た。その顔には生気が満ち、ここに来た時に比べてかなり健康そうに見えた。

「「「「エルンスト殿下に拝謁いたします。」」」」
「苦楽を共にした仲だ。公式な場でもないし、楽にしてくれ。」

最初に謁見した食堂で椅子を勧められ、皆で座る。王都に戻れば王族と市民。同じテーブルを囲むことなど二度とないだろう。

「公式な礼は改めてするとして、今回の遠征に力を貸してくれて礼を言う。教会の皆の尽力があったからこそ、死者なしという最高の結果が得られた。」
「!!!死者、なし……!では皆様、ご無事なのですね!?」
「あぁ、まだまだ回復に時間が掛かる者はいるが、死者だけでなく、今後生きづらくなるような怪我を負った者もいなかった。」

マリー達はホッと胸を撫でおろす。治療している時は必死で、目の前の人々を助けるだけで精一杯だった。彼らがきちんと回復したのか、それを知る術もなかったのだが、エルンストの口からその結果を聞くことが出来て本当に良かったと思う。

それから、薬湯を最後に畳んで帰路に就くことを報告した。エルンストもほとんどの騎士や兵士が引き上げてから帰る予定らしい。護衛の効率化も考え、一緒に魔法陣で移動することにした。

「後始末は大丈夫だな。」
「はい、全て確認して参りました。」
「では帰ろう。王都へ。」

皆を乗せた魔法陣が光を帯びる。そして、一行は帰路に就いた。その様子を木陰からそっと見ている者がいたことに気づかないまま。



しおりを挟む

処理中です...