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「!?……っ。」

弾かれたように顔を上げたあと、フリジアーナは静かに気を失った。倒れた身体をマリーが受け止める。正直、気を失うかもしれないと予想していただけに、危なげなく抱き留めることが出来た。主の異変にポリアがすっ飛んできたが、小柄な彼女にフリジアーナを運ぶことはできず、致し方なくエルンストが彼女をそっとソファまで移動させた。

「貴女がポリアね。フリジアーナ様は気を失っていらっしゃるけれど、ご無事です。私たちは害を成そうとしに来たのではなく、お助けするために来たの。」
「……姫様を助けてくれる?」
「そう。フリジアーナ姫はお元気に見えて酷く衰弱していらっしゃったわ。……何があったの?」

ポリアはフルフルと首を振った。詳しいことは分からないらしい。それでも、ぽつりぽつりと王宮での様子を話してくれた。やはりフリジアーナは王宮離れでとても王族とは思えない生活を送っていたようだ。食料は一応配分されていたものの、基本的に炊事洗濯は自分で行っていたらしい。それでも、王族として外に出たとき醜聞とならないよう、家庭教師だけはつけられていたそうだ。

侍女や侍従などはいなかったが、たまたま街で死にかけていたポリアを見つけ、快方してくれたことで唯一の侍従になったらしい。しかし、ポリアの存在は王宮では認められず、誰にも知られないように隠れて暮らしていたそうだ。

ただし、ここでこれ以上ルマリーのことを掘り下げても仕方がない。問題はこれからだ。これから、フリジアーナがここでどのように暮らしていくのか。安全に暮らしていけるのか。そして、王妃として立つことができるのか。

「ん……。」

眉間に一瞬しわを寄せてから、フリジアーナがそっと目を開けた。真っ白な肌にほんの少し赤みが差している。

「あ…… わたくしは、気を失って……?」
「フリジアーナ様、何も説明せずに申し訳ございませんでした。詳しくお話したいので、もう少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか。」

リフィアが淹れてきた薬草茶を飲みながら、マリーはフリジアーナの体の状態を説明し始めた。

「まず、お会いした時、あまりのお顔の白さから何か病を得ていらっしゃるのではないかと考えました。入城された日に簡単な健康診断はあった筈ですが、そこでは特に指摘されていなかったので、恐らく軽い貧血程度に考えられたのだと思います。しかし……、実際は違いました。」

マリーとリフィアが膝をつき、それをフリジアーナが起こしに来た際、マリーはそっと「診察」魔法を使っていた。体の状態は、消化器の機能不全、栄養失調、貧血、そして「毒」と「呪い」。その呪いがまた巧妙で、病を得ても健康に見える隠蔽いんぺいの呪いだった。

「何か訳あって御身に呪いを受けていらしたのかもしれない、なんて邪推してしまいまして。断りもなくお体を治癒いたしましたこと、お詫び申し上げます。」

マリーが頭を下げたが、フリジアーナからの反応はない。そっと顔を上げてみると、酷く戸惑った顔をしていた。

「フリジアーナ姫、マリーは貴女の力になってくれる女性ひとだと思う。色々と相談してみてはどうだろうか。」
「エルンスト様……。あの、わたくしの事情に皆様を巻き込むわけには……。」
「貴女はこの国の王妃となられるお方です。ただのシスターにできることなど知れているかもしれませんが、お力になれるのなら光栄です。」
「リフィア様……。ありがとうございます。わたくしは世間知らずでわからないことだらけなのですが、せめて知っていることだけでも聞いてくださいませ。」

ルマリー王国では、王位継承権を巡って激しい内部分裂が起こっていた。現王が好色家で後宮に百名を超える妃を囲っている上に、侍女から踊り子、他国の姫まで見境なく手を出す。挙句、大国であることを笠に着て近隣諸国から美しい姫君を妻に迎えるものだから、内部分裂は必然であった。

フリジアーナの母は森にひっそりと集落を築く魔術師の村の出身で、ただ薬草を卸しにルマリーの王宮を訪れた際、不幸にも王の目に留まってしまった。それも、王がたまたま侍女を草むらに引っ張り込んで粗相をしようと悪だくみしたタイミングで見かけられてしまったのである。それから、その見目の麗しさと「魔術師である」という物珍しさからあっという間に手籠めにされてしまった。悲劇としか言いようのない事実である。
後宮という一見煌びやかに見えて愛憎渦巻く恐怖の花園で、彼女が自身とたった数回でその身に宿してしまった子を守るためにできたことは「隠れる」ことだった。

後宮の中にひっそりと佇む離宮。そこはかつて王の不興を買って処刑された王妃の住まいだった。今は誰も寄り付かないそこに隠れ住んだ親子は母の魔術でそこそこの暮らしをしていたが、やがて母の体は病に侵され、フリジアーナを残してこの世を去ってしまう。母と王の間にどういう取り決めが成されたのかはわからないが、そこから彼女には家庭教師がつき、だが侍女はつかない、という不思議な生活が始まった。ちなみに、家庭教師とマナーの稽古をするときだけ王宮の食事が振舞われ、それが唯一の楽しみだったとか。

他の王族たちとほとんど関わりを持たない中で唯一接する機会があったのが、今回本来であれば嫁入りするはずの第三皇女ペルシャーナだった。母の没後、たまに様子を見に来ては「困ったことはない?」とだけ聞いて去っていくようになったらしい。母と姉にどのような関わりがあったのかは不明だが、今回フリジアーナが国を出てローゼン王国に来ることが出来たのは姉のおかげとしか言いようがなかった。ペルシャーナはあの王宮から妹を逃がしたのである。自身が逃げる機会を捨てて。

わたくしの望みは、実はこの国の王妃になることではございません。姉ペルシャーナに真意を聞き、できることならお助けしたいのです。けれど、この身でできることならば、ローゼン王国の為に身をささげたいとも思っております。ただ、どうすればいいのか分からなくて……。マリー様、リフィア様、そして、エルンスト様、お助けいただけますか?」

三人は力強く首を縦に振った。大きな陰謀が近づいてくる足音を確かに感じながら。
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