上 下
28 / 64

-28-

しおりを挟む
エルンストは悩んでいた。「誰かが危険にされされた時の保険としてパーティーに参加してほしい」などと耳障りの良い理由で参加させた挙句、その身を危険に晒し、大切に彼女が大切にしている者を傷つけてしまった。

(嫌われてしまっただろうか……。)

そんなある意味若者らしい単純な考えから、マリーに連絡をとる勇気がなく一週間が過ぎてしまった。教会内部にいる「協力者」からリフィアが意識を取り戻したことと、順調に回復に向かっていること、また今回の「呪い」に対する対策班が研究室内に設けられ、教会に属する者も王宮で働く者も皆が協力して新たな魔法の考案や呪いへの対抗策を話し合っていることを報告されている。
皆が前向きに進んでいる中、自身の感情に振り回されてしまっている自分を酷く情けなく感じた。

「殿下、昨晩のご報告をしてもよろしいでしょうか。」

側近のペイル・カルーネリが執務室へと入って来た。ペイルは元々エルンストが密かに組織させた情報ギルドの管理をしている。あのパーティーから、改めて回りの状況を把握する必要があると考えたエルンストは、彼に自身の兄弟たちの日々の動向を報告させていた。

「実は、動きがありました。ベガとアルタイルの元へ蛇が向かったそうです。」

ベガとアルタイル。所謂織姫と彦星なんて呼ばれ方もするが、これはエルンストとペイルの中でイルミーが貴族邸を訪れた時に使う隠語だ。元々男女関係に奔放なイルミーは城を空けることことが頻繁にあり、最近ではかなり回数が減ったものの、たまにこのように城下に降りていく。今回彼が訪れたのは側近でもあるゼナス卿の実家、ゼナス侯爵邸だ。
ゼナス侯爵家は現当主と先妻、後妻の間に合わせて八人の子が居り、三男であるオーロ・ゼナスがイルミーに側近として取り立てらえていた。また、次女のスワニーと三女のルージェはイルミーのパートナーを務めたことがあり、姉妹でイルミーの恋人と目されている。
家族ぐるみでイルミーとの関係が深いゼナス侯爵家ではあるが、それはゼナスに付いていた家庭教師が今のゼナス侯爵夫人であったり、ゼナス卿がかつて王城で剣術講師を務めていたことに起因するため、何らおかしいことではなかった。

ただし、「蛇」の存在が問題である。ここでいう蛇は元々ローゼン王国の出身ではない貴族のことを指す。かつて様々な国を併合していった歴史のあるローゼン王国には、所謂敵国の貴族であった者が自国を裏切りローゼンにくみすることで、併合後の地位を約束され貴族となった者が少なくない。そういった者たちは貴族名簿に名を連ね、政治への参加権を得ながらも決して要職に就くことはなく、「不遇な目にあっている」と感じる者もいるらしい。貴族による反逆や事件の七割がそういった他国出身貴族によるものだった。

「蛇か……。接触はあったのか?」
「アルタイルに近づくも、撃退されたようでした。」
「その後は?」
「捕らえました。自害を図り、タナトスに。」

「タナトス」は神話の死神の名だが、ここではカルーネリ侯爵家の所有する領地にある病院の地下に造られた牢のことを指す。カルーネリは元々薬草の栽培で名を挙げた一族で、今も領地では薬草栽培が最も大きな事業だ。薬師を多く輩出している家系でもあり、ペイルの姉ヨナリス・カルーネリはあのオウル・ゾリンジャー直属の薬師として王城に勤務していた。

取り締まった犯罪者が自殺を図ることは度々あり、それによって手掛かりを失う機会もまた多い。エルンストとペイルはそれを何とか減らそうと犯罪者用の病棟を密かに設置した。それがタナトスである。

「治癒」ほど救命率は高くないが、四割ほどは一命を取り留め、何らかの情報を得ることが出来ていた。もっと実績が上がればいずれ国王に報告しようと思っているが、今のところエルンストの隠し玉となっている。

「いずれにしても、タナトスからの報告待ちだな。」
「そのようです。」

ふぅ、と溜息をつくエルンストに、ペイルは熱い茶を勧めた。目の下の隈がひどい。あまり休めていないようだ。

「いや、少し出てくる。」
「お供いたします。」
「……教会だぞ?」
「わかっております。」

表情を崩さず当たり前のようについてくるペイルに、嘆息しながらもエルンストは同行を許可した。王族に護衛、付き人は当たり前。わかってはいるものの、恐らく自分のマリーに対する想いに気づいているペイルが教会へくっついてくる事に、気恥ずかしさと気まずさを感じて住まうのは仕方がないと思う。

自室で騎士の制服に身を包んだエルンストは、うまやに直行した。お気に入りの栗毛の馬に馬具を自ら取り付け、手綱を引いて裏門からひっそりと外に出る。後から馬を引いてくるペイルを待たずに馬に飛び乗った彼は、そのまま風を切って教会へと向かっていった。頬を撫でる風が、鬱屈した気持ちを和らげてくれるような気がした。

ちなみに、後れをとったペイルから「少しは部下に気を配っていただかないと…!」などと小言を食らい、結局その爽やかな気持ちが半減するのだが、ただ今は体を動かして余計な考えを削ぎ落していきたい。そんな思いを汲むように、馬は華麗に城下を駆け抜けていった。
しおりを挟む

処理中です...