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街の外れの森の中。動物たちの気配を感じながら人々が踏み固めたのであろう道を進むと、小さな池の畔に出た。頬を薙いでいく風が優しい。ほんの少し人々の暮らす地から自然の中に入っただけで、別世界のように感じるから不思議だ。

「ここなら少しゆっくり話せるかな。」
「はい。教えてください。今ローゼンでは、王宮では何が起きているんですか?」
「今、じゃない。ずっと起きてきたことだ。」

これだけ頻回に毒殺事件や襲撃事件が起きても人々が騒ぎ立てずに済んでいるのは、王宮という魔窟において「毒殺」という手法が太古の昔から用いられてきたからだ。世界でも類を見ない解毒のプロの集団。ローゼン王宮の薬師たちがそんな異名をとる理由が今なら十分に分かる。実際、治癒魔法が届かなかったリフィアの体も薬師たちによる治療で順調に回復してきていた。

「王宮なんて権力争いのための舞台に過ぎない。そこで相手を蹴落とす手段としては最も簡単で確実なのが毒殺なんだ。しかも複雑なルートを組んで誰が仕組んだのかうやむやにするのもさほど難しくない。」
「そう、ですよね……。私にとってはあまり現実的に考えられない手段だったとしても、王族、貴族の皆さまにとっては、当たり前……。」
「いや、それを当たり前としてしまったのは王宮の罪だ。許されるはずのない卑劣な手段だと私は思っている。ただ、残念ながらそう珍しいことではない、というのは確かだ。ただ、腑に落ちないこともある。」

「毒殺」という手段が日常的に選ばれやすいという前置きを十分にしたうえでエルンストが気になっているのは、狙われたのがイルミーとフリジアーナ、またはマリー達、という組み合わせの妙だった。

そもそも今のローゼン王室で皇位継承権を持つ皇子は三名。その中でもしフリジアーナが狙われたのならば、それは第一皇子アルスがルマリー大国から目をつけられることとなり、その地位が危ういものとなる。マリーが狙われたとしたら、パートナーとして連れてきたエルンストの失態となり、教会から借り受けた治癒師ということもあってエルンストの継承権が危ういものとなるだろう。

つまり、現状ではアルスの座が狙われたのかエルンストの座が狙われたのか分からない、ということになる。その中でイルミーだけは直接的に毒を盛られているというものまた事実。
イルミーの身に何かあった場合、エルンストの皇位継承権が第三位から第二位に上がることになる。そこでフリジアーナを失ったアルスがその責任を負えば皇位継承権第一位の座がエルンストの元に転がり込んでくる可能性はあるが、まずそもそもエルンスト自身が皇位に興味がない。
そして、彼を祀り上げようとした貴族たちはとうの昔にエルンストの傍に居られないようにされていた。

これは、父である国王がエルンストからの直訴を叶える形で人事異動を行い、万が一にも兄の皇位をおびやかさないようにとかれこれ五年ほど前になされた措置になる。これにより、現実的にエルンストが兄たちを抜いて皇位を継承する可能性は潰えた。

ではマリーが狙われてエルンストの地位を脅かそうとしているのか。そう考えてもあまり納得のいく答えにはならない。なぜならそもそもエルンストは末弟。害したところで得をする兄弟は居ない。
それよりも、マリーの治癒力自体が狙われたのだとしたら?それならばまだ幾分か納得のいく答えになるのではないだろうか。

「……まさか、魔族ですか?」
「真っ先に思いつくのはそうだな。」

先日の討伐で死者ゼロの偉業を達成したのは、マリーの力によるところが大きい。それを魔族が知って、マリー自身を潰しに来たら?もしそうならば、教皇の側近ジパル・レイ・ハルスタリス卿が負傷した事件も見方が変わってくる。王国の力の一翼を担う治療院と、治癒師を始めとする医療のエキスパートたち。ここを崩されたとき、王国の防御が崩れたと言ってもいいだろう。

「そっか、王国の防御力を潰すという意味でいけば、他国の陰謀である可能性も出てくるのですね。」
「理解が早くて助かる。そして、個人的にはルマリーが気になって仕方がない。」
「ルマリー大国ですか?フリジアーナ姫を嫁入りさせた国なのに?」
「フリジアーナ姫を嫁入りさせた国だから、だ。」

第三皇女ペルシャーナに代わってローゼンに送られた姫。従者がこれ見よがしに彼女を取り残して帰ったこと、フリジアーナの話にあった、王宮での扱いやひどい待遇、そして内部分裂。彼女を捨て駒にしてローゼンの弱みを握り懐柔したり、彼女に王国を乗っ取らせたり、「駒」として使うにはうってつけと考える悪鬼も居るだろう。

「政治って……なんて汚い……!」
「まぁ間違ってはいないな。まだ全てが推測の域を出ないが、とにかくこうして様々な想定をして真実を見極めながら動かなければいけない事態になっているのは確かだ。」

そして、エルンストはマリーの手を取り、左手の人差し指にそっと指輪を嵌めた。

「気休めかもしれないが、この指輪は魔道具だ。護身の魔法が掛けてある。魔術師と薬師たちに協力をしてもらって、身に危険が迫れば攻撃魔法と防御魔法が発動し、万が一毒を浴びると毒消しの薬草から抽出した薬が体内に入るようになっている。肌身離さず持っていてほしい。」

マリーは真っ赤な石のはまった指輪をまじまじと見つめた。夕日を反射してキラリと美しく輝く宝石に魅入ってしまった彼女は、エルンストの頬が染まっていることにまた気づけずにいるのだった。
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