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ゼナスは教会からほど近い軽食屋に入った。町の人たちも度々使うような店で、テイクアウトがメインだがその場で食べていくこともできる。店の奥に入っていくと、小さなスペースがあり通りからは見えないようになっていた。

「人は居ますが人目にはつきにくい。こちらで少しお話させていただければと思いまして。いかがでしょうか。」
「……わかりました。誰にも告げずに出てきてしまったので、手短にお願いします。」
「かしこまりました。」

嫌味ったらしい優雅な礼を取り、ゼナス卿は席に着く。本当に、こんな嫌な感じのやつだっただろうか。マリーは首を傾げそうになったが、とりあえず我慢しておく。

「さて。改めまして殿下からの言伝を。まずは王家のゴタゴタに巻き込んでしまったと殿下は心を痛めておいででした。パーティーに参加させてしまった責は王家にある、とまでおっしゃっております。」
「いえ、とんでもないです。あくまで参加を決めたのは私自身ですので。イルミー殿下に謝っていただく必要はございません。」
「そうですか!ご自身で決められた、と。ではご自身の行動はご自身の責任であると公表するお考えなのですか?」
「そう……したいのは山々ですが、それはそれで各所にご迷惑を掛けそうなので、やめることになりました。」
「ほう。ではマリー様は周りに迷惑を掛けず、どこかで平穏な暮らしが出来れば一番、というお考えですか?」
「まぁ、それは、そうですね……。」
「それでしたら話は早い!」

まるでマジシャンがするかのように、ゼナス卿は両手を広げて立ち上がった。

「元あったものを元あった場所に返せば良いのです!貴女は隠れ蓑にされたに過ぎない!あなた自身が誰かを欺いたのではなく、利用されてしまった被害者になれば良いのですよ!!」
「?すみません、おっしゃっていることがよくわかりません。」
「貴女の側に居たでしょう?シスターに扮した貴族が。」
「……リフィアのことですか?」
「左様!シスターリフィア、いえ、リフィア・リン・グレイスフィール元公爵令嬢。瓦解した幻の公爵家の一人娘、エルンスト・フォン・ローゼンの元婚約者が!」

まるで鈍器で殴られたかのような衝撃だった。マリーは言葉を失ってゼナスを見つめる。そんなマリーを愉しそうに眺めながら、ゆっくりと毒を注入していくように、ゼナスは言葉を紡いだ。

「なんと、側近だ世話係だと言いながら、自分の出自については何も明かしていなかったのですね。お可哀そうに。彼女は由緒正しい公爵家の人間なのですよ。ローゼン王国に公爵家が四つあることはご存じですか?」
「えぇ……東西南北に、ひとつずつ、と……。」
「そうですそうです、表向きはね。しかし実際は五つなのですよ。中央を王族の影となり守る公爵家が存在するのです。それがグレイスフィール家。表向きは豪族になっていますが、実際は公爵家なのですよ。この国の闇でもある。」
「闇……?」
「国を動かすというのはね、綺麗ごとだけではできないのですよ。けれど王家はきれいなままでいなければ、国民は離れてしまう。そこで影から王家を支える者が必要なのです。」
「それが、グレイスフィール家なのはわかりました。で、リフィアは?」
「彼女はグレイスフィール家の一人娘でしてね。後継ぎが存在しない以上、婿をとるしかありませんが、表向きは豪族の家に何も知らない貴族の婿を迎え入れて王家の影になれ、というのは難しい話でしょう?そこで、皇位継承権の低い第三皇子に娘を嫁がせ、皇子を事実上臣籍降下させて公爵家を継がせようとしていたのですよ。」
「けれど彼女は今シスターです。元公爵家ということは……グレイスフィール家は取り潰されてしまったのですか?」
「貴女は察しが良くて助かりますね。けれど、瓦解したと申しましたでしょう?グレイスフィール卿が何者かに暗殺されたのですよ。まぁ貴族同士のゴタゴタというやつですね。」
「!!!」

マリーは再び言葉を失った。それでは、リフィアは暗殺によって家族と死別してしまったということか。父が殺され、公爵家が事実上機能しなくなってしまい、教会に身を寄せた、と。あまりに悲しい出来事ではないか。そんな辛い過去を隠し持っていた彼女を慰めこそすれ、責めるなんてお門違いにもほどがある。

「ゼナス卿。リフィアの辛い過去についてはよくわかりました。そして、彼女の心痛はいかばかりかと思うと今にも私の胸が潰れそうです。……そんなリフィアをまた表舞台に引っ張り出せとおっしゃるのですか?」
「おやおや、余程あの娘を気に入っておられるのですね。彼女はね、豪族の娘ということで貴族令嬢たちからはエセ貴族と揶揄されていたのですが、それを物ともせず第三皇子に侍っていたのですよ。よほど皇子が好きだったと見える。」
「リフィアが……エルンスト殿下を…………。」
「大事な側仕えだったのでしょう?彼女の悲願を果たしてやれるのは貴女なのでは?「聖女」という肩書をリフィア嬢に譲り、長年の報われない恋を成就させてやったら良いと思いませんか?」
「そんな……そんなことが…………。」

マリーの心は激しく動揺していた。この気持ちが何なのかわからない。ゆっくり考えたいのに、そこに畳みかけるようにゼナスの言葉が入ってきて、何も考えられなくなってくる。

「できますとも。貴女の側に常にリフィア嬢がいたからこそ可能なのです。今までの治癒の時、常にリフィア嬢が側に居たでしょう?あの功績を全て手放してリフィア嬢のものしてしまえば、彼女は名声を得て愛しい者の側に留まることが出来る。貴女はその力を以ってひっそりとどこかで幸せに暮らすことが出来るのですよ。」
「けど、私……どこに行けば…………?」

少しずつ、マリーの中で王都や教会を離れひっそりと暮らしていく想像が出来上がっていく。けれど、それをどこでどうやってやっていけばいいのか、何もわからない。というか、何も考えられない。頭がボーっとしていく。

「さぁ、参りましょう。」

どこか遠くでゼナスがそういった気がした。マリーは自分の意志とは関係なく、立ち上がって歩き始めたのだった。


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