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通信石が赤く光を帯びる。それを目にした瞬間エルンストは飛び掛かるようにして石を手に取り、必死に囁きかけた。

「マリー!マリー!?マリーなのか?聞こえているなら返事をしてくれ!マリー!!」
『そんなに必死に呼ばなくても聞こえていますよ、殿下。それと、普通に話してくださって大丈夫です。まだ少しだけ猶予がある筈ですから。』

少し苦笑気味に言われて、安心したのかエルンストはドサっと椅子に座り込んだ。オウル・ゾリンジャーが突然執務室に現れ、置いていった通信石。そのうち時間があれば光るじゃろ、なんて呑気な言葉を信じて、今か今かと楽しみに待っていたのだ。

外は日が落ちかかっている。魔族に捕らえられているらしいと聞いていたので、少し猶予があるというのが日が暮れるまでだということを自然に理解することが出来た。

「すまない、取り乱した。」
『いえ、ご心配おかけしてすみません。』
「その、体は、大丈夫なのか?」
『今朝までは死にそうだったんですが、今は大丈夫ですよ。ふふっ。』
「!いや、笑いごとではない!死にそうだったって、本当に大丈夫なのか!?」

状況が良く分からないエルンストはただ焦り、そんな声を聞いてマリーはクスクス笑う。まるでつい先ほどまで連絡がつかなかったなんて嘘のようだ。

「とにかく、君はゼナス卿の魔力で国外へ出てしまったんだな?」
『はい。詳しいことはオウル師から聞いてほしいのですが、今は恐らく砂漠の国サンルードに居ります。』
「は!?ルマリーじゃないのか!?」
『私もてっきりルマリーに連れ去られるのかと思っていたのですが。砂漠を歩かされて死にかけました。』
「そうだったのか……。ゼナス卿は今そこに居ないのか?」
『ゼナス卿はご存じの通り悪魔に憑かれているんですが、どうもその悪魔が人間の扱いに長けていないようで、今は解放され眠っています。』
「悪魔って憑いたり離れたりできるものなのか?」
『よくわかりませんが、そのようですね。』

エルンストは考えた。どうすればマリーを解放できるのか。マリーの安全を担保するにはどうすればよいのか。しかし相手の目的が分からない以上対策の立てようがなかった。

「これからの動きはわからないんだよな?」
『はい、悪魔はゼナス卿の体を私に治させて、また憑りつくつもりのようです。』
「通信は?」
『フリジアーナ様とオウル師には常に聞こえるようになっています。』

少なくとも直近で命が危険にさらされることはなさそうだ。そして、サンルードというヒントを得た以上、かの国について詳しく調べる必要が出てきた。

『私が消えた後、教会は大丈夫そうですか?』

マリーの心配事は治療院だった。最近は人員配置をうまくできるようになってきたので酷い激務ということはなかったが、それでも忙しい時は忙しい。家屋の倒壊とか、家事とか、何かが起これば怪我人が一気に出たりするからだ。

「そちらは問題ないだろう。教皇とは話していないのか?」
『オウル師から報告を入れてもらってはいますが、猊下と直接はお話できていなくて……。会いたいな……。』

ぽつりと無意識にこぼれ出た本音に、エルンストは胸が締め付けられるような心地だった。早く彼女を教会に帰してやりたい。いや、自分の許に連れてきたい。まずはとにかくローゼンに。一刻も早く連れ戻したい。

「とにかく、一日でも早くローゼンに帰ってきてもらわないとな。治療院の業務上は大丈夫だが、一部の貴族たちが勘付き始めている。」
『?貴族の方が、ですか?なぜ……?』
「君はこれを機に己の価値を再認識した方がいいだろうな。王族の命を三度に渡り救い、自らの側近の命を脅かされてまで第一皇子の婚約者を救い、そして遠征での死者ゼロ記録の立役者。ローゼンの隠された聖女。貴族の間で囁かれている二つ名だ。」
『何ですかその恥ずかしい呼び名!』
「いや、そこじゃない。まぁなんの捻りもない名だとは思うが。とにかく、ローゼンの聖女が他国に攫われたかもしれない。そんな噂が立ち始めているんだ。」

つまり、国家間での争いの火種になるかもしれない、ということである。そもそもマリーもエルンストも、今回マリーはルマリー大国に攫われたものだと思っていた。ルマリーが聖女を攫い、フリジアーナがローゼン国内で暗殺でもされればルマリーは大手を振ってローゼンに宣戦布告し戦を起こすことが出来る。傷ついた兵士たちをマリーに治療させれば、戦果をあげられるかもしれない。そんな筋書きではないのかと考えていたのだ。

しかし、今現在居るのはルマリーと真逆の国サンルード。一度ルマリーへ続く大草原に出たにもかかわらず、だ。全く持ってよくわからない。そして、マリーは急に思い出したようにエルンストを呼んだ。

『!殿下!!』
「!?なんだ!?どうした!?」
『それより、私大切なことをお伝えするのを忘れていました!!』
「何だ!?」
『あの夜会!パーティーでイルミー殿下と踊るハメになったのを覚えていらっしゃいますか!?』

急な話題転換に若干ついていけていないエルンストは、とりあえず「あぁ。」と短い返事を返す。なぜ今パーティーの話?そういえばあの日マリーはイルミーと踊った後何やら考え込んだ様子だったが。

『あの日、踊りながら最後にイルミー殿下に言われたんです。私に毒を盛った犯人をゼナスが突き止めた。エルンストが犯人だから、利用されないように、と。』
「なんだって!?」

降って沸いたような衝撃的な話に、エルンストは椅子をなぎ倒したことにも気づかず、立ち上がっていたのだった。





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