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奴隷売買の禁止。それは、この世界一の大国、ローゼン王国建国の折、各国に向かって出された声明に明確に記された事項である。豊かな国の者が、貧しい国の国民を搾取することがあってはならない。国同士の争いにおいて捕らえられた兵士たちの扱いについても、その「人間性」について十分考慮する事。このような人間の「尊厳」に対する条項はこの世界に於いて古くから各国間で話し合われ、認識を共有させてきた。

もちろん反発する国もあり、悲劇も起きる。しかし、その度にローゼン王国をはじめとする同盟国の国々は一貫して厳しい姿勢を貫いてきた。故に幸か不幸か、国々の争いといえば直接的な武力行使というよりも、知略•謀略によるもの、ということが多かった。

公に禁止されている奴隷売買。禁止されているから秘密裏に行う人間というのが出でくるわけで。美しく着飾らせ、首や手足に枷と鎖をつけられた女性たちが見せ物のように檻に並べられている。
その隣の檻には屈強な男たちが腰布一枚巻かれた状態で押し込められていた。もちろん首と手足には枷と鎖がつけられている。

「おい、新入り。これ以上暴れたら命はねぇぞ。」
「ふゔーっ、うゔーっ、ぐうぅぅぅーーーっ!」

更に隣に一人用の檻が用意され、その中にボロ布を猿轡のように噛まされた男が入れられていた。手足、首だけでなく腰にも枷が嵌められ、鎖も短く檻に固定されている。しかし男の目に宿る光は強く、常に周りを威嚇していた。

「全く、ここまで諦めの悪い奴隷は初めてだよ。」
「ふふっ、生きがいいだろ?」
「こんなのにどうやって枷をつけたのか知りたいもんだね。」
「なんて事はない、油断させて一服盛ったまでさ。」
「おぉ、怖い怖い。これだから女の商人は取引がやめられないんだよ。」
「褒め言葉と受け取っときますよ、旦那。」

暴れる男を奴隷市場に「納品」した女はニヤリと笑った。この市場は所謂「受託販売」のようなシステムをとっている。それぞれの奴隷に奴隷商人の魔法印がつけられ、売れた時に自動で売上金が振り分けられるのだ。
なかなか売れない場合は市場に預けておく間の食事代がかかる。女奴隷は身を綺麗に整えるための費用もかかるため、そこは前払い制となっていた。

「こいつ、一週間で売れるとあたしは見てるんだけど。」
「うーん、どうかなぁ。暴れる割にそんなに屈強そうじゃないからなぁ。」
「旦那、よく見ておくれよ。こいつの顔。」「顔?」
「暴れ馬の割に見てくれがいいんだ。上手く飼い慣らせば奥様方のお眼鏡に叶うかもしれないよ。」
「!あんたそっち方面に売り飛ばすつもりなのかい!?」
「ふふふっ、あたしも女だからね。商売相手は同じ女を狙ってるのさ。」

奴隷商人の女はふふふっ、と嬉しそうに笑った。

「ねぇ旦那。こいつ、あたしの渾身の商品なの、分かるだろ?」
「あ、あぁ。」
「あたしに直接売らせてくれないかい?支度金と食事代は日払いするからさ。どうせなら高値つけてくれるご婦人に売りたいんだ。」
「あんたの頼みじゃ断れないなぁ。市場は夜日を跨ぐ頃から日が昇るまでだ。わかってるな?」
「もちろんさ!ありがとう旦那、恩に着るよ!」

女は小柄で小太りかつ悪趣味な服装の奴隷市場長に思い切り抱きついた。豊満な胸に顔を埋める形になり、男の顔がだらしなく崩れる。

この女奴隷商人が市場に出入りするようになったのは比較的最近のことだ。最初は子供の奴隷を探しに来ていた客だったが、ある時「よく売れる奴隷を置いてもらえないか」と話を持ちかけてきた。貴族たちとパイプがあるようなことを匂わせているこの女の奴隷しょうひんはどれも質が良く、なぜか出せばすぐに売れる。
受託販売だけあって、この女の奴隷が売れると市場に三十パーセントの取り分が入る。お陰で最近は市場長の懐も随分潤っていた。

「ところでこいつはどこで仕入れてきたんだい?」
「聞いて後悔しないなら教えるけどね。」
「……かなりの訳あり商品か。」
「ふふっ、奴隷なんてどれもワケアリだろ?」
「まぁそれはそうだが。」

一度お互いに黙ったところで、女がぽそりと呟いた。

「ローゼンの教会さ。」
「なんだって!?」
「あんまり大声出しなさんなよ、旦那。」
「いや、待て、危ない橋渡るようなことはごめんだぞ!」
「奴隷売買自体が危ない橋だ。それ以上なんてないさ。」

女はニヤリと笑った。奴隷は貧しい国の者がほとんどだ。たまに大国で身を滅ぼしかけ、奴隷に堕ちた人間も見かけるが、ローゼン王国人はまず滅多に出回ることがない。
監視の厳しいローゼン王国では国民全員が王家と教会の下で庇護され、出国した後も尚も定期的にその存在を確認されるからだ。

「……監視魔法はかかっていないんだろうな?」
「心配なら魔術探知してみるかい?」
「そんな金がどこにある!」
「お望みならこの場で証明できるよ?」

女は一枚の羊皮紙を取り出した。自らの指の先を剣で突き、血をポタリと垂らす。何か呪文を唱えると、羊皮紙に文字が浮かび上がってきた。

『ギリアン•セリベール 男 体力45/100  元騎士 殺人犯 魔力なし ローゼン王国魔術探知なし 教会魔術探知なし 死亡届出済』

「これは……。まさかあんた、魔術師なのかい……?」
「いや?これは魔力探知を消して死亡届を偽造する時、魔術師に作らせた証明書さ。不具合が生じたら魔術師が死ぬように契約されている。」

ひらりと裏返すと、そこには魔術師の契約印が仄かに緑色の光を帯びて揺らめいていた。くるくるっと羊皮紙を丸めて鞄に放り込んだ女は妖艶な笑みを浮かべた。

「これで信じてもらえたろ?明日からよろしくお願いしますよ、旦那。」

ちゅっ、とたっぷりのリップ音を響かせて投げキスをした女はそのままくるりと踵を返し闇に消えていく。市場長はしばらくボーッと、女が去っていたった方を見つめていたのだった。
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