薄明色の神衣

深山遊鳥

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十四

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 史は郎女と大来皇女が縫物を始めたところで、曾禰内侍に何かあればすぐ知らせるように告げて後を託し、太政大臣である高市皇子に拝謁するため寺を離れた。
 飛鳥に戻ると、まず法興寺へ行き阿閇皇女の使いで、と偽り氷高女王の状況を確認した。
 僧侶達の話によると、氷高女王は法興寺の堂の一つに匿われ、幾重にも張られた厳重な結界で守られているという。
 しかし氷高女王の恐慌状態は改善せず、高僧を含めた大勢の僧達が読経を上げて鎮めようとしているが失敗しており、母である阿閇皇女との面会も叶わないとのことだった。
 その後浄御原宮の刑部省に戻り、京の状況に変化がないかを部下達に調べさせたところ、休暇を取っていた衛士達に召集がかけられ、長屋王自らが兵士の選定を行う姿を目撃したとの報告を受けた。
 急襲は近い――
 史は、部下達の報告を聞きつつ、どうしても今日中に終わらせなければならない判事の務めのみ大急ぎで片づけていると、
「判事様、阿閇皇女様が至急宮へお越しくださいとのことです……酷くお怒りだそうで」
 と、使部が耳打ちした。
「……ああっ、やはりこうはしておれん!」
 史は勢いよく立ち上がり、
「すまないが、阿閇皇女様には寺から帰ったら病に罹った故、向かえんとお伝えしてくれ!吾もこれより吾が家に帰る!」
 と、浄御原宮を飛び出した。
 蓑笠を被って馬を駆り、雨の中新益京の西、天の香久山の麓へ向かう。
 高市皇子の広大な御殿は埴安はにやす池畔にあった。
 史は正門を叩いたが、なかなか取り次いではもらえない。
 逸る気持ちを押さえつつ、根気よく門衛や舎人達と掛け合い、
「大津皇子のことで太政大臣に話がある」
 と言ったところで、ようやく家令いえのかみ(皇親や貴族の家の事務を纏め上げる責任者)が、正門を開けて現れた。
「そのことに関しましてはこちらではお引き受けいたしかねます。どうぞ皇子様に直接お話しください」
「ですから、拝謁をお願いしているのです」
「皇子様はこちらにいらっしゃいません。外山とび外宮とつみやで養生なさっておられます」
「外山ですか!?」
 史は再び馬に乗り、新益京の大路を北上して横大路に出た。
 今は荒野となった大津皇子の訳語田の宮を横目に見ながら、初瀬はせに向かって東へ駆ける。
 外山の外宮に到着した時には、辺りは真っ暗になっていた。
 鳥見山の北麓に佇む外宮は香久山の麓の御殿よりもずっと小さな規模だったが、正門では篝火が焚かれ、門衛が二人立って怠りなく周囲を監視していた。
「夜分遅くに失礼する。吾は刑部省判事、藤原朝臣史であります!太政大臣にお目通りを願いたい。大津皇子のことで!!お話がございます!!」
 御殿の中の高市皇子に聞こえるよう力を込めて、大声で叫んだ。
「時がもうありません!!何としても!!お目通りを願いたく!!」
 門衛の一人が門を開けて御殿の中に入った。
 しばらく根気強く待ったが、門の向こうに動きがない。
 もう一度大声を出そうと息を吸ったその時。
 再び門が開き、侍女が姿を現した。
「皇子様がお会いになるそうでございます」

 外宮の中に通された史は、侍女について庭を歩き、高床の殿舎の一つに通された。
 草鞋を脱いで蓑笠を侍女に預け、階段を上る。
 母屋を囲む板敷の廂から舶来の調度品に溢れた中を覗くと、几帳に仕切られた明るい一角があった。
 燈明の灯りに照らされ、几帳越しに影が見える。
 高市皇子はしょうベッドに横たわっていた。
 史は一角に近づくと、左手で右拳を包む拱手きょうしゅをして、
「お久しぶりです。藤原朝臣史でございます」
 と、声を掛けた。
 返事はない。
 史はしばらく様子を見ていたが、再び口を開くことにした。
「……大津皇子のことで」
「首を刎ねるぞ」
 低く、小さな声であったが、しっかりと史の耳に届いた。
 物騒な発言だが、この程度で怯んでいては話が進まない。
「本日氷高女王があのお方と遭遇いたしました。既所で呪殺は逃れましたが、庇った女丁が替わりに呪いを受けました」
「報告御苦労。もう帰って良いぞ」
「阿閇皇女は以前よりあのお方の調伏を画策しておられましたが、本日のこともあり計画を早める可能性が高いです。一刻も早くお止めせねば……被害は拡大するかと」
「阿閇皇女のことなど知らんよ。好きに生きて、好きに死ねば良い」
 高市皇子はそう言って、寝返りを打った。
 最近体調が芳しくないとは聞いていたが、剛毅な性格が感じられない無気力な発言が気にかかる。
「阿閇皇女は長屋王を主帥しゅすい(部隊長)として兵士を率いらせ、神を封じる力を持つという神をもって長屋王に調伏させる企みの模様です」
「長屋がか!?」
 ここで高市皇子が食いついた。
 がばりと起き上がり、几帳を跳ね飛ばして史に詰め寄る。
 七年前の時よりも筋肉の落ちた、痩せ衰えた体だ。
 顔の皺は少ないが、頭巾を被っていない頭に生える髪は随分と白くなっていた。
「誰の差し金だ!」
「何方が推挙なさったのかまでは把握できておりませんが、阿閇皇女は日嗣皇子の位と引き換えに調伏を持ち掛けたようで」
「戯けが……自惚れおってからに」
 高市皇子は急に飛び起きたせいか、荒くなった息を整えるために何度も深呼吸をした。
「誰か!水を持て……今晩中に出撃するのか?するだろうな!」
「あのお方のお姿を見たという女丁の話によると、夜半に大来皇女が眠りについてから動き出すと」
「動き出す?二上の塚に行って見たのか」
「いいえ。あのお方はずっと、大来皇女の傍においででした」
「彼奴ー!!」
 高市皇子は頭を抱えた。
「……荒神となったのならば仕方がない。が、彼奴と対峙するには時がなさすぎる。なぜもっと早くに報告しなかった!」
「申し訳ございません。しかし鎮魂の目星はついております。際どい所ですが」
「目星だぁ!?そんな物があるか!」
「ございます。大来皇女に衣を作っていただき、あのお方に献上するのです。他でもない、愛する姉皇女が縫われた品なら、あのお方の御霊も」
「ふっ!」
「はい?」
「ふはははははは!なんだそれは!」
「太政大臣御自身おんみずからご教授くださったではありませんか!『あまりにみすぼらしい姿ゆえ、衣の一枚でも着せてやれば、少しは鎮まるかもしれん』と」
 身をよじらせて笑う高市皇子に、史はあきれて答えた。
「吾がか?……そうか、捨鉢で言ったことを真に受けたのか!まめまめしいにも程があるな!もしかしてそれ、周りに言って回ったのか!?」
「当然です!太政大臣は強い呪いの力をお持ちなのです。才のない吾等の与り知らぬ事まで存じておられる、と考えるのが普通です」
 史はさすがに腹が立って言い返した。
「いやいや、まぁ怒るな……大来の媛は受け入れたのか?媛は頑なだからな、写経以外はしたくない、と言わなかったか?」
「仰ったようですが、縫女の説得が功を奏したようで」
「へーぇ」
 高市皇子は侍女が恭しく差し出した須恵器の碗を取って、中の水を飲み干した。
「……思いの外、上手くいくかもしれん」
 床の上に座り、深呼吸をした。
「よし、行く。調伏も鎮魂も期待はしとらんが、長屋には一言言ってやらねばならん。甘く育てすぎたな」
「それでは!」
 史の顔が明るくなった。
 高市皇子の動きに力強さはないが、眼力は七年前と変わらない。
「戯けが。七年前ならともかく、今の吾ではどうにもできんぞ。誰か!これから出立の用意をしろ。大刀と霊符も忘れるな……史はしばし待て。大刀はあるな。馬は持ってきたか?」
「はい、此度は」
「此度はいましが手綱を取れ!」
「ええぇーっ!」
「いつまで郎子いらつこ(若者)の気分でいるつもりだ!なゐが起きても落馬するなよ!」
「は、はい!此度は大丈夫です!……あ」
「……なんだ」
「大来皇女は、何故あの時なゐで倒れた舎屋からほぼ無傷で助け出されたのか、と……そういえば、女丁は足の骨を折る怪我を負ったのですが、あのお方に遭遇した後、傷が治ったと」
「!……彼奴に正気が残っていると思うのか?」
「吾は……信じております!」
 高市皇子は一つ大きな溜息をついた。
「いましも、せいぜい阿閇と懇ろになって、立身することだけ考えておればいいのによ……彼奴のためにわざわざ死にに行くようなことをして、吾もいましも大戯けだな」
 二人はふふっと笑いあった。
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